夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

あながち妄想とばかりも言えないような?

2013年01月04日 23時50分57秒 | 日記
 小説家の才能には驚愕する、よくまああんな複雑な物語を計画できる、と。ところが聴くところによるとあらすじを考えて書き始めるのではないそうだ。書いているうちに筆が動くらしい。それを半信半疑だった。だが、自分で文章を書いて見ると解る、そうなのだ。閃きはじめる・・・ある事を書いた、数日ぼんやりしている、と、ふと関連して・・・・と頭に浮かぶ、急いで書く、書き始めると頭が回りだす、とういうわけだ。
 で、今閃いたことを書いておく。
 見える世界では 畑に麦を蒔くと予定の時節に蒔いたところから麦を収穫できる。ところが人生では少し違うように感じる。例えばピアニストを目指して猛練習をした、常人では成しえないような練習をした、しかし何故か不運にもプロ演奏家にもピアノで生活することも出来なかった、と言う場合も有り得る。では猛練習が無駄だったか?と言うとそうではない。どうやら、麦の種に相当するピアノの猛練習は”何かに向けて大層まじめに努力した”と言う実績の形で積み上げられている。それが例えば、ピアノで職はなかったけれどどういうわけかどこかの会社の採用に浮かった、と言う形で償還される場合があるようだ。言い方を換えると、日本で懸命に働いて日本の通貨を稼いだが実は”金”で貯蓄されていた、従ってドイツでもイギリスででもそれを当地の通貨で引き出せる、という具合になるようだ。
 自分の場合、学校に居る間は多分他の少年達よりも真面目に勉強した。無論、将来社会に出てからの備えのためである。学歴はそれほど悪くもなくいい会社に就職できたが何故かそこが十年ばかりして倒産した。それから自営したり就職したりアルバイトしたり色々したが何とか必要なお金を妻に渡すことが出来た。専門とはまるっきり関係ない方面の仕事もしたが考えるに、若い頃の”将来生活のため、と思っての真面目な努力”が貯金されていたのだろう。それを少しずつ引き出して使うことが出来たのだと思う。
 これを一代で使い尽くすことが無かった場合、子孫がそれを引き出すことが出来ると思う。これを『徳』と言う。その機微を古人は知っていて『有徳人』と言う言葉があったのではないか??
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次元について思考:過程にすぎない

2013年01月04日 17時36分24秒 | 日記
 我々の周囲にあるものは ”たて”、”よこ”、”高さ”で表現できる。その意味では我々は3次元世界に住んでいる。しかし去年の ”たて”と今年の”たて”は違う。その他も同様である。即ち”たて”、”よこ”、”高さ”は夫々に ”時”の関数である。よって例えば ネコ=f(x(t)、y(t)、z(t))、つまり我々の周囲にあるものは ”観察される次元”では 4次元の存在である。同じネコにも子猫の時と憎たらしいドラネコの時代がある。
 我々は例えば 20年前はまだ頭に髪の毛があって、などと昔を懐かしんだりする。と言う事は ”自己認識する次元”でも人は4次元の生き物である。一方ネコは ”この間盗みをやって蹴っ飛ばされたからそこにアジの開きがあるが今回は止めておこう”などとは考えない、大体”考える”ことをしない、つまり瞬間に生きている、学習しない。この点で 3次元の認識しかない。
 次元上昇という言葉がある。その言葉はこのような概念での表現なのだろうか、それともまさに”別次元の”概念を言っているのか説明を未だ発見していない。2012年12月21日を以って古い時代が終了し地球の新しい時代が幕を開ける、と言う記事を色々見た。それをアセンション、次元上昇と言うとのこと。12月21日に何も起こらなかったじゃないかと人は言うかもしれない。実際体感する様で何もなかった。
 私は何か起こっていたと考えている。・・・”なかなかバスが来ないなあ”、”いや来たよ、もう行っちゃったぜ”という風に『重要な』ことは『選別的に』起こる。だから聖書は言う、”眼を醒ましていなさい、あなた方は主がいつ来るか知らない・・”、”・・・その日その時は誰も知りません・・”等々、つまり”人が選別されるように図られている・・・と言ったらブン殴られるだろうな。
 それはさて置き、このアセンション、次元上昇とは何だろう、と考えるに、・・・もし地球と一緒に犬やネコも次元上昇しているとしたら彼らの自己認識に何か新しい視点が加わっているのだろうか?・・・気が狂いそうだから考えるのを止めよう、しょせんは犬君やネコ様の問題だ。(彼らに時間の概念が生じたらエライことになる。その先にあるのは管理能力の芽生えだ、すると地球上はむちゃくちゃなことになる、犬やネコとガーデニング条約などを結ばなければならなくなる)人間はどうか?
 私はいつの頃からか自分自身を鏡に映るその映像とは感じなくなった。それはその瞬間の”姿”にしか過ぎない。その姿の背後にオーラがある。そのオーラも瞬間のものである。時々自分が際限なく拡大し、宇宙全体が自分の内部にある、との幻想に到ることがある。その時自分が無くなっている。自分ではなく宇宙が私を使って思念しているような感覚に襲われる。その宇宙はまた隣の部屋でテレビを見ている妻をも同時に思念し、世界中の全ての個人を、全宇宙を、今この瞬間に思念しているとの感覚に襲われることがある。
 こうして”存在”とは”宇宙”、”無限域に拡大故に無”、の思念である、それしかない、との閃きが微かに脳裏を過ぎる。壁を見ている、私が見ているのではない、宇宙が見ている。これは確かに自己をどのように理解するか、と言う点で4次元以上の何かが加わっている。次元上昇とはそういうことかな????
 
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