小説家の才能には驚愕する、よくまああんな複雑な物語を計画できる、と。ところが聴くところによるとあらすじを考えて書き始めるのではないそうだ。書いているうちに筆が動くらしい。それを半信半疑だった。だが、自分で文章を書いて見ると解る、そうなのだ。閃きはじめる・・・ある事を書いた、数日ぼんやりしている、と、ふと関連して・・・・と頭に浮かぶ、急いで書く、書き始めると頭が回りだす、とういうわけだ。
で、今閃いたことを書いておく。
見える世界では 畑に麦を蒔くと予定の時節に蒔いたところから麦を収穫できる。ところが人生では少し違うように感じる。例えばピアニストを目指して猛練習をした、常人では成しえないような練習をした、しかし何故か不運にもプロ演奏家にもピアノで生活することも出来なかった、と言う場合も有り得る。では猛練習が無駄だったか?と言うとそうではない。どうやら、麦の種に相当するピアノの猛練習は”何かに向けて大層まじめに努力した”と言う実績の形で積み上げられている。それが例えば、ピアノで職はなかったけれどどういうわけかどこかの会社の採用に浮かった、と言う形で償還される場合があるようだ。言い方を換えると、日本で懸命に働いて日本の通貨を稼いだが実は”金”で貯蓄されていた、従ってドイツでもイギリスででもそれを当地の通貨で引き出せる、という具合になるようだ。
自分の場合、学校に居る間は多分他の少年達よりも真面目に勉強した。無論、将来社会に出てからの備えのためである。学歴はそれほど悪くもなくいい会社に就職できたが何故かそこが十年ばかりして倒産した。それから自営したり就職したりアルバイトしたり色々したが何とか必要なお金を妻に渡すことが出来た。専門とはまるっきり関係ない方面の仕事もしたが考えるに、若い頃の”将来生活のため、と思っての真面目な努力”が貯金されていたのだろう。それを少しずつ引き出して使うことが出来たのだと思う。
これを一代で使い尽くすことが無かった場合、子孫がそれを引き出すことが出来ると思う。これを『徳』と言う。その機微を古人は知っていて『有徳人』と言う言葉があったのではないか??
で、今閃いたことを書いておく。
見える世界では 畑に麦を蒔くと予定の時節に蒔いたところから麦を収穫できる。ところが人生では少し違うように感じる。例えばピアニストを目指して猛練習をした、常人では成しえないような練習をした、しかし何故か不運にもプロ演奏家にもピアノで生活することも出来なかった、と言う場合も有り得る。では猛練習が無駄だったか?と言うとそうではない。どうやら、麦の種に相当するピアノの猛練習は”何かに向けて大層まじめに努力した”と言う実績の形で積み上げられている。それが例えば、ピアノで職はなかったけれどどういうわけかどこかの会社の採用に浮かった、と言う形で償還される場合があるようだ。言い方を換えると、日本で懸命に働いて日本の通貨を稼いだが実は”金”で貯蓄されていた、従ってドイツでもイギリスででもそれを当地の通貨で引き出せる、という具合になるようだ。
自分の場合、学校に居る間は多分他の少年達よりも真面目に勉強した。無論、将来社会に出てからの備えのためである。学歴はそれほど悪くもなくいい会社に就職できたが何故かそこが十年ばかりして倒産した。それから自営したり就職したりアルバイトしたり色々したが何とか必要なお金を妻に渡すことが出来た。専門とはまるっきり関係ない方面の仕事もしたが考えるに、若い頃の”将来生活のため、と思っての真面目な努力”が貯金されていたのだろう。それを少しずつ引き出して使うことが出来たのだと思う。
これを一代で使い尽くすことが無かった場合、子孫がそれを引き出すことが出来ると思う。これを『徳』と言う。その機微を古人は知っていて『有徳人』と言う言葉があったのではないか??