【節約と貯金】を金科玉条とする母親に育てられた私は次第に【貧乏神】を崇拝する若者になった。貧乏神を崇拝するから貧乏になる、しごく当然の結果である。そのような者がどういう思考回路を持つかご紹介しよう。
腕時計などと言うものは無用の長物である、町で何処かの時計を見ればいい。財布などと言うものは見栄である、ポケットがあるじゃないか。市長がコンサートホールを建てるという、『何たる無駄使い、大して教養があるとも思えぬ市民には猫に小判だ』。
しかし、自分のけち臭く辛気臭い思想の大間違いにやがて気が着いた。立派なコンサートホールが出来たらそこでコンサートや諸種のイベントが開催され活況を呈したのだ。町も大きくなった。
無駄排除とか節約とか言うのは貧乏神崇拝教であってブラックホールに落ち込むだけだ。無駄使いをしないと言うのが悪いのではない、その根底にある思想が【ケチ、吝嗇】なのだ。【思想、無意識は現実化する】最近そういう思想で政治をやった愚かな政党があった、日本はじり貧になった。
ばら撒けばいいと言うものではない、問題は【行動の根にある思想が豊かか貧相か】である。惜しみ惜しみばら撒いても結果は貧である。
結局辛気くさくけち臭く貧しい性格か、大らかで豊かな性格かで人生は決まる。どんなに頭が良くても学歴が良くても辛気くさい人の人生は山坂多く困難刻苦、まあ、刻苦勉励が好きなんだな。
それに気が着いたので今の私はケチを卒業することにしたんだが・・・
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