15年以上も昔、ジャイカの招きで造船所に研修に来ていたイランとトルコの人と話したことがあった。イスラム教のことを少し聞いたが同じ根から出たとは思えない程キリスト教と違う雰囲気を感じた。正直に言おう、イスラム教の方がより『人の弱み』に寛容親切と感じた。
カダフィ大佐の内政はそのイスラムのいがする。同時に律令制度の班田収授の法の思想と同類ではないかと言う気がする。・・・即ち、国民の生存を保証するのが国家の第一の責務であるとの観念。するとこれはまたベーシック・インカムを連想させる。
しかしこれが成り立つには一つ重要な要件がある。今の人々は人間が作った『法』しか念頭にないと思う。社会で実効ある法が『法治国家』の法であれば多分上記は成り立たない。すぐに想起するのがそういう施策は『怠け者』を作るだけだ、と言う話である。
キリスト教社会ではキリスト教は遠い昔に実効を失っているが見る処イスラム世界ではイスラム教が未だ効力を持っている。例えば日本を訪れるムスリムの為に礼拝所を用意したり彼らの教義に適う食事を用意したりすることを考えれば解る。おそらくリビアでは国民一人ひとりに対してイスラム教が実効を持っていたのだ。だから『国民の生存を保証する』と言う『国家の対国民倫理』がそれに応える『国民の対国家倫理』で維持されていたのだろう。詰まり相互に信頼と保証があった。
同様に律令政治の行われた日本の古代にも同様の観念があったのだろう。ところが120%西欧化された現在日本の政治的観念では国家には『国を見守る神居ますとの概念』は行政組織にも国民にもない。そのような『言語化できない』ものを悉く排除するキリスト教由来教養主義がエラそうに議を論って『国家と国民の倫理観』をぶち壊してしまったのだ。かくして生計が確立出来るまで国家が生存を保証する、・・・おそらく国民は税で以てそれに応えたのだろう・・・ような観念は想起さえされず格差が固定する愚かな危うい社会になった。少子化も無論その結果であろう。
壊れたレコード小泉純一郎、肥後のバカ殿細川護煕、さても愚かな両氏、反原発圧力たかり利権集団に見事に篭絡されたか否かは知らないがまるで知恵が無い。理系の『思考実験』が出来ない。肥後細川家初代妙解院様忠利公は成り上がりもの秀吉に一切合切没収されて浪々の身であった我が家の先祖を地方役人に使って下さった大恩ある殿さまだがその子孫にこのような人が出て来たとは残念無念・・・『殿ご乱心!そのお姿は何としたことでござりまするか!?』だ。この御両人、反原発ではなく現代版班田収授の法を説けばそれなりにインパクトがあったものを。
国家の倫理は国民の生存権を保証すること。而して国民はその施策を保証バックアップする倫理観を持つこと。断っておく、このような倫理観が全く欠落している民族がある。そのようなものに国家の責務は及ばない。そのような者は日本国民たりえない。
カダフィ大佐の内政はそのイスラムのいがする。同時に律令制度の班田収授の法の思想と同類ではないかと言う気がする。・・・即ち、国民の生存を保証するのが国家の第一の責務であるとの観念。するとこれはまたベーシック・インカムを連想させる。
しかしこれが成り立つには一つ重要な要件がある。今の人々は人間が作った『法』しか念頭にないと思う。社会で実効ある法が『法治国家』の法であれば多分上記は成り立たない。すぐに想起するのがそういう施策は『怠け者』を作るだけだ、と言う話である。
キリスト教社会ではキリスト教は遠い昔に実効を失っているが見る処イスラム世界ではイスラム教が未だ効力を持っている。例えば日本を訪れるムスリムの為に礼拝所を用意したり彼らの教義に適う食事を用意したりすることを考えれば解る。おそらくリビアでは国民一人ひとりに対してイスラム教が実効を持っていたのだ。だから『国民の生存を保証する』と言う『国家の対国民倫理』がそれに応える『国民の対国家倫理』で維持されていたのだろう。詰まり相互に信頼と保証があった。
同様に律令政治の行われた日本の古代にも同様の観念があったのだろう。ところが120%西欧化された現在日本の政治的観念では国家には『国を見守る神居ますとの概念』は行政組織にも国民にもない。そのような『言語化できない』ものを悉く排除するキリスト教由来教養主義がエラそうに議を論って『国家と国民の倫理観』をぶち壊してしまったのだ。かくして生計が確立出来るまで国家が生存を保証する、・・・おそらく国民は税で以てそれに応えたのだろう・・・ような観念は想起さえされず格差が固定する愚かな危うい社会になった。少子化も無論その結果であろう。
壊れたレコード小泉純一郎、肥後のバカ殿細川護煕、さても愚かな両氏、反原発圧力たかり利権集団に見事に篭絡されたか否かは知らないがまるで知恵が無い。理系の『思考実験』が出来ない。肥後細川家初代妙解院様忠利公は成り上がりもの秀吉に一切合切没収されて浪々の身であった我が家の先祖を地方役人に使って下さった大恩ある殿さまだがその子孫にこのような人が出て来たとは残念無念・・・『殿ご乱心!そのお姿は何としたことでござりまするか!?』だ。この御両人、反原発ではなく現代版班田収授の法を説けばそれなりにインパクトがあったものを。
国家の倫理は国民の生存権を保証すること。而して国民はその施策を保証バックアップする倫理観を持つこと。断っておく、このような倫理観が全く欠落している民族がある。そのようなものに国家の責務は及ばない。そのような者は日本国民たりえない。
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