郷里の鹿児島県薩摩川内市というところには大きな川がある。戦争も末期の頃川南豊作なる山師が世間知らずの海軍役人に取り入って戦時標準船なる船を建造すると言ってこの川の新田八幡宮下の地域に造船所を建設した。私が小学校の頃までは造りかけ、と言ってもドンガラだけの船が河岸に何艘か転がっていた。結局一隻もまともに浮かばなかったのだろう。
しかし、造船所はこの田舎町に空前の活況を齎した。おそらく佐賀の伊万里辺りから技術者がやって来て地元からも採用されたのだろう。俄か景気で町は潤い、鹿児島県では鹿児島の次に繁盛している町と思われていたようだ。小学校時代までは近所に遊郭があった。毎夕、遊郭の御女郎さんたちが風呂上りに連れだって我が先祖たちが勧請していた開聞神社に商売繁盛を祈願に行くのを眺めた。
我が家から少し川下側に母逢川と言う支流が合流するところがあり、丁度その合流点近くに万里紅という料亭があった。さしずめ造船所の幹部達は川に浮かべた屋形船でコイ、フナ、ウナギ、エビなどを味わい、ショーチューをひっかけてそこに上がり込み、職人たちは近くの飲み屋や女郎屋に上がり込んだのであろう。
しかしそれも終戦ですべて終わった。・・・ここからが不思議なことなんだが・・・
その万里紅なる料亭は私が大学に入った頃まであった。近所の遊郭も中学の頃まであった。川内市はかつての繁盛を忘れられなかった、飲み屋も存続した。造船所に代わるものを、と越中富山の製紙会社を呼んだ。
すると・・・地元採用は殆どなく、清流であった川に汚染水を排出、コイもフナもエビもウナギも全部駄目になり無論泳ぐことも出来なくなり、悪臭が空気に満ちた。・・・工業化などくそくらえ!だ。所詮はカネが欲しい!だろう。
昔味わった美味忘れ難く川内市は所謂飲み屋が立ち並ぶ町として徐々に徐々に衰退した。為政者にも住民にも『新しい何か』をゼロから考える気力、素地が最早なくなったのだ。こうして今現在、かつての薩摩国府の所在地、大伴家持が国司として滞在した山紫水明の千年の都、霧深い街は今や荒れ果ててパラサイトポリスになった。
さて、話はアメリカになる。
大東亜戦争でアメリカは日本から手ひどい打撃を受けた。アメリカに居た親戚の話では真珠湾攻撃の後、周章狼狽して西海岸にダミーの大砲を据えたりした。余りの消耗に理性も無くし日本諸都市無差別爆撃、原爆投下などをやって何とか『戦闘』を終わらせた。・・・ついでに書いて置こう、日本は戦闘には負けたが戦争には勝った。あの戦争に際して日本政府が国民に向けて発した宣言には『西欧の支配からアジアを開放する戦い』と言っている。今やアジアは独立している。さらに、残留日本兵が訓練したベトナム軍にアメリカは勝てなかった。結局日本陸軍は戦争に勝ったわけだ。
ともかくアメリカは日本人に対してフェアではなかった。そこで、日本人が復讐戦を起こさないように腰抜けにするべく朝鮮人を使って日本の首から上を損なう施策をした。要するに日本を動かす階層・・・つまりは人間で言えば首から上に相当する階層である。その最終段階が民主党政権である。
失敗だった。今度の安保方案の問題はその岐路、日本の首から下に相当する人々が未だ健全であって頭がオカシクなっていると気が着いたことが発端であろう。結局、情報化社会が生の情報・・・メディアの操作以前の情報・・・を観る事を可能にしたことによる。
さて、日本の首から上を侵しているのは何かと言えば朝鮮人である。彼らはアメリカに使われたのだが使われる過程に於いて甘い汁の味をしめた。『日本人に土下座させておけば労せずしてカネが入る』・・・こうして目を覚まし始めた日本人に苛立って世界各地で告げ口外交だのありもしない妄想イアンフ像などを建てている。かくて彼らは徐々に徐々に衰え、パラサイト国家、パラサイト民族、最終的に元の鞘に納まる・・・つまりシナの属国になる。
も
しかしアメリカ人もバカだね、飼い犬に手をかまれつつあるのが解らんのかね!あちこちにキタナラシイイアンフゾーとか言う物を作られて美観をそこねる、アメリカの品位が損なわれる、アホじゃなかろか。要は地方議員が朝鮮人の票とカネに目が眩んでいるのだろう、節操も気概もない所詮はビンボーピューリタンの成れの果て、ドンパチカウボーイなんだろう。
しかし、造船所はこの田舎町に空前の活況を齎した。おそらく佐賀の伊万里辺りから技術者がやって来て地元からも採用されたのだろう。俄か景気で町は潤い、鹿児島県では鹿児島の次に繁盛している町と思われていたようだ。小学校時代までは近所に遊郭があった。毎夕、遊郭の御女郎さんたちが風呂上りに連れだって我が先祖たちが勧請していた開聞神社に商売繁盛を祈願に行くのを眺めた。
我が家から少し川下側に母逢川と言う支流が合流するところがあり、丁度その合流点近くに万里紅という料亭があった。さしずめ造船所の幹部達は川に浮かべた屋形船でコイ、フナ、ウナギ、エビなどを味わい、ショーチューをひっかけてそこに上がり込み、職人たちは近くの飲み屋や女郎屋に上がり込んだのであろう。
しかしそれも終戦ですべて終わった。・・・ここからが不思議なことなんだが・・・
その万里紅なる料亭は私が大学に入った頃まであった。近所の遊郭も中学の頃まであった。川内市はかつての繁盛を忘れられなかった、飲み屋も存続した。造船所に代わるものを、と越中富山の製紙会社を呼んだ。
すると・・・地元採用は殆どなく、清流であった川に汚染水を排出、コイもフナもエビもウナギも全部駄目になり無論泳ぐことも出来なくなり、悪臭が空気に満ちた。・・・工業化などくそくらえ!だ。所詮はカネが欲しい!だろう。
昔味わった美味忘れ難く川内市は所謂飲み屋が立ち並ぶ町として徐々に徐々に衰退した。為政者にも住民にも『新しい何か』をゼロから考える気力、素地が最早なくなったのだ。こうして今現在、かつての薩摩国府の所在地、大伴家持が国司として滞在した山紫水明の千年の都、霧深い街は今や荒れ果ててパラサイトポリスになった。
さて、話はアメリカになる。
大東亜戦争でアメリカは日本から手ひどい打撃を受けた。アメリカに居た親戚の話では真珠湾攻撃の後、周章狼狽して西海岸にダミーの大砲を据えたりした。余りの消耗に理性も無くし日本諸都市無差別爆撃、原爆投下などをやって何とか『戦闘』を終わらせた。・・・ついでに書いて置こう、日本は戦闘には負けたが戦争には勝った。あの戦争に際して日本政府が国民に向けて発した宣言には『西欧の支配からアジアを開放する戦い』と言っている。今やアジアは独立している。さらに、残留日本兵が訓練したベトナム軍にアメリカは勝てなかった。結局日本陸軍は戦争に勝ったわけだ。
ともかくアメリカは日本人に対してフェアではなかった。そこで、日本人が復讐戦を起こさないように腰抜けにするべく朝鮮人を使って日本の首から上を損なう施策をした。要するに日本を動かす階層・・・つまりは人間で言えば首から上に相当する階層である。その最終段階が民主党政権である。
失敗だった。今度の安保方案の問題はその岐路、日本の首から下に相当する人々が未だ健全であって頭がオカシクなっていると気が着いたことが発端であろう。結局、情報化社会が生の情報・・・メディアの操作以前の情報・・・を観る事を可能にしたことによる。
さて、日本の首から上を侵しているのは何かと言えば朝鮮人である。彼らはアメリカに使われたのだが使われる過程に於いて甘い汁の味をしめた。『日本人に土下座させておけば労せずしてカネが入る』・・・こうして目を覚まし始めた日本人に苛立って世界各地で告げ口外交だのありもしない妄想イアンフ像などを建てている。かくて彼らは徐々に徐々に衰え、パラサイト国家、パラサイト民族、最終的に元の鞘に納まる・・・つまりシナの属国になる。
も
しかしアメリカ人もバカだね、飼い犬に手をかまれつつあるのが解らんのかね!あちこちにキタナラシイイアンフゾーとか言う物を作られて美観をそこねる、アメリカの品位が損なわれる、アホじゃなかろか。要は地方議員が朝鮮人の票とカネに目が眩んでいるのだろう、節操も気概もない所詮はビンボーピューリタンの成れの果て、ドンパチカウボーイなんだろう。