夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

大いなるバビロン

2015年09月02日 16時45分34秒 | 日記
これは黙示録の17章に出て来る。この解釈をどこかで書いたがどうやら改めなければならないようだ。いや、或は今から書くものと繋がっているのかもしれない。

黙示録17章の記述を要約すれば大いなるバビロンとは強欲で神をも畏れぬ、或は神の存在などと言う観念そのものと無縁な存在であって、緋色の野獣・・・多分政治、政治組織・・・の背に乗ってこれを自在に操っている、且つ地の淫婦・・・経済、経済組織だろう・・・と憎むべきものとの母、つまり一般大衆を睥睨支配する利得の為には節操をかなぐり捨てる強欲、諸悪の根源、と表現されている。

これを宗教だと考えていたものの何となく釈然としなかった。
今、あるブログの過去記事『不可解な事案・・・』なる記事を読んで『そうかッ!!これならバビロンと呼ばれる意味が解る!』と閃いた。

続いて18章はそれが突如神によって倒される様子が述べられている。人の手で倒れるのではない。


Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad.

猫の霊界

2015年09月02日 09時20分57秒 | 日記
最終的には聖書に言う主なる神、エホバとはどんな存在か、を書こうと思うが一度に書こうとするとこんがらがって解らなくなる、読むのにもかなりエネルギーが要るのでジグソーカードを拾うように書いてみる。まあ、そう言い出せば、人間とは何か、神とは何か、世界に幸不幸があるのは何故か、人間はどこへ向かおうとしているのか、等々のいわば閑居小人の非生産的頭脳空転の所産でしかないが。

神道系のある宗教で『猫の霊界』なる文言を見て、迷妄極まれりと思ったのだが、時経つ内に考えが変わってきた。そもそもの動機は”経済的に生活が出来なくなる恐れ”が現実になりそうな不安で必死こいて人間存在、この世界のメカニズム、果てはアセンション、チャネリング等の怪しげな記事まで真剣に、座った目で読むようになり、まあたどり着いたのがごく普通の事柄・・・色即是空、空即是色、だ。
しかしその空とは何か?で『波動、乃至 念』色とは『現象』と閃いた。

創世記1章1-3節にこう書いてある、『はじめに神天地をつくりたまへり 地はかたちなくむなしくして闇わだのおもてにあり。神の霊水のおもてを覆いたりき。神光あれと言いたまいければ光ありき』・・・これを今の言い方にすれば『最初は真っ暗けで何もなくただ神の念があった。そこへ念が動いた、光あれと光りの念を発した、すると明るくなった』
これは大変重要なことを言っている。・・・つまり『念が形になる』のがどうやらこの我々の住む世界の原理である。
さらに創世記1章20節には『生き物を生じさせる』ことが書いてある。・・・してみると猫も神の念の内のどこかにその元型があるのだ、つまりそれが猫の霊界であり人間を現出している元型の念が人間の霊界だ。

霊界(念乃至波動)に『人間』なる波動の基本形がありそこに様々の無数の揺らぎで個人の波動がありそれがこの創造世界の原理によって姿を現している、それが自分だ! だったら、『その姿を継続すること、つまりこの世の表現で生存することは別段収入とか金銭と言ったものに依存しているのではない。また、死、つまり現象世界へのインターフェースを失った時は元の波動の世界、つまり霊界に戻る』ということだ。

枝葉や続きがあるが一度に書くと今日の仕事が出来なくなるのでもうよそう。


Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad

土光敏夫さん

2015年09月01日 08時45分32秒 | 日記
昔の造船屋にはインパクトある方である。晩年に行政改革(だったかな?)提言の難題を引き受けられたと記憶する。いつぞやのテレビで夕食の時『メザシもうないの?』奥様が答える『もうない』・・・それを見ていた息子が『メザシ送ってあげようか』と言ったものだ。私は氏の『社会は豊かに、個人は質素に』が好きだ。
知り合いに損保事務所をやっている人が居る。松下幸之助氏をボロクソに貶す。三回も社名を変えた経営者など評価しない、と言う。さらに『思い上がって政経塾なぞやって、そこからロクな者が出て来ないじゃないか』とのたまう。内心拍手喝采、『よく言ってくれた、まさにその通り!』
腎臓が弱っている。子供の頃からの体質のようでもある。”酒場放浪記”やグルメ番組を見ると『何も考えずに美味い物を食ってみたい、野菜の水煮にはもう飽きた』と思う。ところが最近天皇陛下の食卓について少し読んだ。その質素さにびっくりしたが考えてみれば飽食肥満した帝王など醜い限りだ。
思考はさらに飛ぶ・・・日本の皇室が世界に類を見ない『萬世一系』を至上命題としその根拠が『杖ユダを離れず、法を立つるものその脚の間を離れることなくシロの来る時にまで及ばん(創世記49章10節)』との宣言であるとすれば陛下は貴重なDNAを譲り受け譲り渡す大事な役目を持っておられる。その役目に服しておいでになるのであろう。
それ以降、美食を求めることが『人間として傲慢』と思うようになった。一番大きな欲望(性欲)を捨てたのね、だから他の欲望まで捨てると続かない、或はそこまでする必要はないのね、と剃髪、坊主の衣の姿でレアだかミディアムだか、厚切りステーキを『美味しい!』と言ってカメラの前で食って見せる品位の無さは唾棄すべきものがある。

社会は豊かに、個人は質素に・・・我々は神の背の上で生きているのだ、犬も猫もハトもスズメも・・・(それについてはまた別に書こう)


Sh'ma Yis'ra'eil Adonai Eloheimu Adonai echad