夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

日本の家庭の主は誰か? 日本国の主はどなたか?

2016年02月28日 10時37分28秒 | 日記
 日本女性と結婚して日本に居る欧州人男性が言う・・『自分が稼いだお金を何故自分が管理していけないのだ?何故日本の夫はそれを妻に任せ、自分が稼いだ金なのにお小遣いを妻に貰わなければならないのだ?!』

 私はコメントした。・・日本で真っ当な家庭ならばその運営は妻の権限である(その為に昔は女子短期大学に家政科と言う学科があった)。公の事柄、・・・例えば先祖祀り、神祀り、年賀状等節季の挨拶、町内会の役回りなど公的な事柄や、家の新築、車の購入等の出費の大きい事態についてはほぼ夫の権限と責任の内にあり、妻は一歩引いている、つまり夫は表向きの役割、妻は奥向きの役割を果たす(だから奥様、或はご令室と言うのです)。夫は家庭を存立させる為に資金を調達する、妻はそれを管理する、稼ぐイクオール権利ではありません。
あなたが日本で平和に生きて行きたければ給料を全て奥様に委ねなさい、さすればあなたは死ぬまで安泰に生きる事が出来ます。欲しい物が買えない?経験から言うと私は何とかなったよ、それに現実は、概して欲しかったものを得た時点で実はそれほど欲しくなかったことに気が着くものです、歳を重ねるに従って『別段必要ではなかった』と気が着きます。
よって小遣いは一旦渡した後で奥様に貰いなさい。日本は実質『女でもっている国』なんです。政治家を見なさい、バカやアホが多いから。それでも日本が安泰なのは『主婦がしっかりしているから』です。

 これは実感である。母も家政の実験を握っていて存命中はピーターパンの夫を厳しく管理していた。母が亡くなったら父は憑き物が落ちたみたいな解放感から跳びまわって糸の切れた凧よろしく支離滅裂、高額の年金を投資バクチで蕩尽してしまった。私はそのバカさ加減を見ていたので肝に銘じて家計の一切を妻に任せ妻が渡してくれるだけで自分のしたいことをしている。・・・町内会などでそれとなく聞いていると殆どの男がそういう立場にある、それが一番いいのだ。

 ともかく男に金を管理させるのは愚の骨頂である。理由を言おう・・男は基本的に『夢を追う』。それが肯定的に発揮されれば学問、政治、その他多くの場面で輝かしい業績を上げる。しかし裏目に出るとバクチや放浪、遊び人となる。常識離れした夢を追うドン・キホーテ、女漁りのドン・ファン、お花畑のピーター・パン、思考の脚が地に着いていない、目の前の現実を見ようとせずに宇宙の果てばかり見るのだ!

 さて、・・ここまで考えていてハタと気が着いた。では日本の家庭の主は誰なんだ?・・・閃きを言おう、『正統的な家庭と言う概念』こそが『日本の家庭の真の主人』である。夫は稼ぐことによって、妻は夫の稼ぎを管理することによって、その真の主に仕えている。

 そして、また閃いた。最近、前回の伊勢神宮式年遷宮の総集編を見て感じた事であるが、・・・・・
一体それを行うよう命じているのは誰か?と考えた時に誰も居ない。皇室でさえもほんの少しの『役割』で『参加』しているに過ぎない。にも拘わらず十年前から用材を準備したりしてあらゆる部門の人々が粛々と仕事を進め、最終的にその行事が完了すると全国から所謂『庶民』が集まって盛大な祀り(祭り)を行っている。

 一体誰がその主人公なんか? と考えた時に思い当たるのはまさに『伊勢神宮に祀られている神』以外に考えられる主人公が居ない。
 つまり日本民族の真の主は『見えない神』なのである。我々は先祖代々この見えない神に仕えて生きて来た。

 ここが世界の何処とも異なるのだが同じものが過去に一つだけあった、それが古代のイルラエルである。その古代イスラエルは滅びた。理由は?・・・自分たちの見えない神を捨てたからであった。

 

園芸

2016年02月26日 17時42分52秒 | 日記
 肥後象眼、肥後椿と言う。先祖代々肥後国に住んで居たから象眼細工職人の血や椿に凝った武家の血が何処かで混ざったかもしれない、どっちも好きだ。以前は車のレストアにはまり、次にギターの修復に凝った。どっちもはまり込むと大金がかかるのでいい加減で撤退したがどうやら最近園芸にはまり始めた。これはそれほどお金がかからないから・・・とは言えあの樹をどうしてここにこの木をと考え始めるのでヤバイ!

 いい歳して木の枝から落ちたなんてのはもの笑いにしかならない。今の所鉢植えで辛抱しているが元々頭がいいので勘どころをすぐに覚えた。・・・土と愛情で綺麗な花は咲く。植物はかけただけの手間にちゃんと応える、ネコのように横着に裏切るような真似はしない。動物園は臭いから嫌いだが植物園はいい香りがするから大好きだ。沖縄の東南植物園は素晴らしかった、また行きたい。

 さて、実はこの花好きは父がそうだった。多分血を引いたのだ。息子が二人居るが私同様若い間はまるっきり無関心だろう。が、どっちかは必ず庭を造ったり鉢植えをやり始めるだろう。兄の方は私の母方の血が濃いようで間違わなければ戦闘機乗りやカーレーサーになったかもしれない・・・つまり放浪癖が冒険(不登校ひきこもりだって考えようによればトンデモナイ冒険だ。這い上がって来たからダメ男でなったのではなくおそらく潜在意識では冒険心だったのだろう)に出た、とても花弄りにはなりそうにない。

 するとどうやら次男の方がはまる可能性がある。これは放浪癖がもろに放浪に出てあちこち旅するのが好きらしいから血は私に近い。ついでに言うと父方叔父達も志願して兵隊になった、しかも陸軍だったからどうやら彷徨うのが好きだったのではないかと思う。

 で、今ある人の言った事が非常に気に成っている。落ち着かない。曰く・・・女の脚に色気を感じ始めたら老境にさしかかったと思え、物言わぬものを相手にし出したら老人、石にはまったらもう終わり。・・・まだ石にははまっていない。だが、鉱石や化石には甚大な興味がある。

外向きの音楽と内向きの音楽

2016年02月26日 12時22分19秒 | 日記
 音楽評論家の中村とうよう氏の話に外向きの音楽と内向きの音楽、と言うのがあるらしい。それを読んだ時に閃いた、『そうだ、自分が探していたのは内向きの音楽なんだ、だからモダンギターにもルネッサンスリュートにも満足しなかったのだ!』

そして実は、今やっているバロック・リュートも怪しいと思う事がある。外向き、とは人に聴かせる音楽、内向きとは自分の為の音楽、或は神おろしの音楽。瞑想が好きだから結局一人で聴きながら、或は次の音は?と考えながら弾くのが理想、するとまず音階のある楽器が選択から外れる。

血が日本人のせいか外国由来の楽器の音にあまり親しみを感じない。すると和楽器になる。和楽器で音階が固定していない楽器となると・・・三味線、三線、一弦琴、八雲(二弦)琴などになろうか。多分最終的には一弦琴を弾くようになるだろう。

愛の鳥かご

2016年02月26日 11時23分54秒 | 日記
 母上様、あなたが亡くなってから30年になります。あなたを想い出す度に哀惜と憎悪の相反する思いに心が乱れ未だに落ち着きません。

後妻の最初の子として産まれ、同じく後妻の長男であったあなたの父親から後妻の息子故に兄たちから苛められて故郷を追い出され朝鮮、台湾と転々としたその鬱屈した思いを、ただ一身に受けて育たなければならなかったその苦痛を僕は今は解ります。

薩摩国川内の川原家はその家紋を見ると遠祖が肥前国松浦党、それなりに名門だった。故にか、我が曾祖父は薩摩国一宮新田八幡宮権宮司の権執印家から妻を迎えたが男子4人を産んだ後に亡くなった。彼女は自分が連れて嫁入って来た下女を、鹿児島弁で『たましきき(魂利き・・しっかり者)』である故に後妻にせよと言い残した。その後妻八重の長男が私の母方祖父、母の父。

どういうわけかその父親は母だけにことさら厳しかった、・・・叔父が言っていた『美知姉はいつも親父に怒鳴られて可哀想だった、学校から帰るといつも、お父さん居る?お父さん居る?、と怖がった』

心理学を少し齧った僕は今なら解る、『子供にとって父親は即ち社会そのもの』。母はこうして『世の中は恐ろしい油断ならないもの』との刷り込みを受けた。また、恐ろしい父親の元を一刻も早く逃げ出したくて若ハゲピーターパンと結婚してしまった。二十歳で!

すぐに男の子が産まれた、それが私、そしてスケベピーターパンによって年子の弟も生まれた。その弟、可愛そうに・・・開放性結核を患っている近所の婆さん見せろ見せろとせがまれて断り切れず見せた。・・・『まあ、かわいい!』とその婆さんは弟の顔を覗き込んだ、結核菌が感染した、それが腸間膜についた、間もなく腸重積で麻酔もかけられず泣く力もないまま手術されて死んだ。・・・母さん、あなたにとってこれが如何に衝撃的であったかは今は解る、・・・『かわいい子供は女の命』って唄にもあるよね。

だからあなたが僕の周りに塁を築き柵を張り巡らし、さながら加護の鳥のように育てたのは解る。でもひよわなヒナのまま僕は七人の敵が居る世間に飛びださなければならなかった。それが如何に困難な人生であったかあなたには解らないだろう。自分の人生を自分で考え試行錯誤する自由をあなたは僕から奪った、いつも何事も、先回りして『僕』ちゃんのためによかれと思って、との動機でレールを敷いた、そのレールを外れることを許さなかった。

・・・今でも忘れない、初めて一緒に喫茶店に行った女性、そのハスキーな声が今でも夜中の入眠幻聴で囁く、あなたはそれを蹴散らした、私の大事な箱庭をひっくり返したのだ。そして自分の気に入った人形を僕の手に握らせた。皮肉なものだ、その人形があなたを僕から引きはがしたのだ。

自分が母の愛(と自分で思い込んでいたが実際は依存と執着)の鳥カゴで育ったことを潜在意識で知っていた私は自分に自信がなかった、男としての自信が・・・。ゼロから自分を築き直さなければならなかった、こうして母さん、僕はあなたの眼には愚かで甚だ心外な生き方をした。

自分だけならまだよかった、その被害はあなたが眼の中に入れても痛くないほど可愛がった僕の長男にも及んだのだ。僕は無から自分を造り直し、それでも自分の前途が見えない苦しみをいつもいつも背負っていた。・・・子供は親の無意識をその生き方で表現する、・・・前途が見えない、まさにそれを彼は実現して人生に絶望して不登校から始まって20年あまりをひきこもりで過ごした。

これらの事を想い出す度に激しい憎悪が湧き上がる。しかしその後すぐに歌が上手で美しかった大柄な姿、私を気遣ってやまなかった姿を想い出して気の毒な一生だったと思う。その母を怒鳴り散らした祖父に憎悪が湧きがるがこれもまた腹違いの兄たちから故郷を追い出された口惜しさを思えば憎めないとも思う。

最後にピーターパンのオヤジに目が向く、妻を身勝手な性欲の対象にしやがって、彼女をカバーする男の甲斐性もないままに長生きしやがって、と。しかしそのDNAを自分が持っていること、息子達にも受け継がれていることに思い当たって粛然とするのです。

どうもよくわからん 2 琉球舞踊

2016年02月25日 10時39分07秒 | 日記
 日本舞踊、例えば地唄舞などは幕が開くと踊り手が舞台に居る。琉球舞踊は幕が開いていて踊り手が出て来る。この違いは何だろう?

特に男性の衣装の前合わせが緩んでしまっている感じが見て落ち着かない、一旦舞台袖にひっこんできちんと前を合わせて帯を締め直せ、と言いたくなる。

男女ともに所作のそこここに西域の仏教壁画の残滓が感じられる。

紅型も花笠も美しい、嫋々たる歌もすばらしい、優雅な所作もうっとりする。でも概して踊り手の厚化粧と目の周りのおどろどろしいメークにギョッとする、勘弁シテクレ!

宮廷舞踊の男の踊り手は何故老人みたいに腰が曲がっているのだろうか、出て行ってもっと背筋をシャンと伸ばせ、と矯正したくなる、見て居て苦しい。

ともかくあのメークだけは何とかならんのかな、オバケみたいでぶち壊しだ。