夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

神社の鏡と願い事と宇宙の法則

2016年12月20日 10時49分46秒 | 日記
 現在住んで居る処の産土神は祝主神と仰る。約二千年の昔、当地の開拓に際して恐らくは中央から勧請した神様だろう。理由は肥前地方の海沿いは松浦党の根拠地であり、松浦党の遠祖は大江山鬼退治の渡辺綱、・・・この辺りには渡辺姓が多い・・・宇多源氏、即ち元々は京の都の堂上人。

 神様の名前が祝主であるにもかかわらず神社の拝殿から幕の向うを見ると立派な鏡、多分青銅だと思う、が見える。神社の鏡についてはシナイ山で十戒が授けられた時の記憶ではないか?と以前に書いたが実はもうひとつその意味について考えている。つまり、

 神、即ち宇宙の【人間界に作用する法則】を表わしているのではないか?・・その法則とは【発したものを返す】

 あなたの本質は【念】である。それを発散している。発散された念、自己イメージが宇宙に反射して還ってくる、それが集合してあなたが姿を現している!従って神社に詣でて人は自分自身を見るべきである、それが神社本来の存在意義でもある。

 人を呪わば穴二つと言う。あなたが発した呪いの念は見えない世界にある邪悪な念と同調して呪いの効果を発揮し呪われた相手を打つ。同時にあなたが発した呪いの念は宇宙に拡散してまたあなたに還る。即ち穴二つ。

 神社に詣でて願い事をする、例えば『老後の生活が安定しますように』などと。聴き入れられるだろうか?ノーである。『老後の生活が安定しますように』と祈るその動機の底には【不安】が横たわっている。だってそうでしょ、不安でなければ祈らないもの。
 そして実はその不安が宇宙に拡散反射されてまたあなたに戻る。どうです、怖いでしょ?

 故に神社で祈るのは人の幸せと自分についての感謝だけであるべきなのだ。私は初詣には行かない、普段見向きもしないような連中がやって来て商売繁盛家内安全などと勝手な事を言う、煩い、あっちへ行け、と神様は機嫌が悪い。だから大晦日の閑散とした時に詣でて、一年の守護に感謝の詞を申し上げる。

 人の幸せを祈ると見えない世界の神の眷属が使いとして祈られた人に幸せを運ぶ。お稲荷さんのキツネの石像が稲を咥えているのは豊穣を運ぶの意味である。人の幸せを祈ったその念波は宇宙からあなた自身に跳ね返ってあなたも幸せになる。

 鏡はそういうことも教えていると思う。


閃き

2016年12月19日 20時36分12秒 | 日記
 奇妙なことなんだが、聖書中のある事がよく解らない、何だろう??と考え続けているとふと、アッそうか!と閃くことがある。また、何かの事について書いていて、アレッ?!と思って今書いた事を見ると、そうか、そうなんだ! と、気が着くことがある

大いなるバビロン・・ははあ、これだな!に対する懲罰

2016年12月19日 19時43分42秒 | 日記
 食後の器を洗いながら閃いた、・・・解ったぞ!!

 三大宗教と言えばキリスト教、イスラム教、仏教だ。その共通点は何か?と言えば【塔】がある事だ。多分これはかつてのバベルの塔の記憶だろう。『神は人の思い図るところが悉く悪であることを見て地上に人を造った事を悔いた。そして義なる人ノアとその家族を除いて総て地上から拭い去った』所謂、ノアの洪水だが、そのノアの10世代末裔にニムロデなる人物が現われ人類最初の【組織的統治】を始めた。そこで言う『レンガを焼いて高い塔を造り地の表に散らされるのを免れよう』と。これが何を意味するかは最近、東日本大災害の苦しく苦い経験から、『津波の際の避難所を造ろう』、・・当然それなりの高さの建物・・を想起すると容易に判る。
 つまり『今度は神の思い通りにはならないぞ』、との意思表示と解することが出来る。宗教は従って何重ものオブラートにくるまれて光の救済者の姿をしているがその実態は神に対する反逆の底意を引きずっている。『大いなるバビロン』とはこれと何かしらの関係があるだろう。
 ところで、神宮・神社には塔は無い。古代イスラエルの神殿にもなかった。一方賽銭箱のある拝殿と神職のみが入ることを許された内陣(至聖所)を区切る【幕】はどちらにもある。これらの事から私は神道こそが古代の選民たちの宗教のカタチを守っている、即ち真の神への正しい礼拝の方式を守り伝えていると考える。

 以上は前置き。七千年と言えば我々にとっては気の遠くなる年月だが神の目から見れば僅かな事しか起こっていない。即ち、
1. アダムとエバの創造とエデンからの追放
2. ノアの洪水による大立替え
3. バベルの塔建設による【再度の大立替え逃れ】の画策
 ・・これに対して神はノアの時には水で人類を洗い流したがこの度は言葉を通じなくして人類を散り々りバラバラにされた。 
4. 人類は今度は【宗教】なる【霊的なバベルの塔】の建設を始めた。
5. その宗教なるものが人類を憎悪、攻撃、支配、地球の破壊、汚染等の闇に引きずり込んだ。

こう思考実験して行けば次に起こる事は大凡想像が着く、即ち、【神は霊的なバベルの塔】を破壊される。大いなるバビロンとはどうやら【宗教】だ。

漫画風に解説すると
・・人類の悪行が蔓延→神は洪水で悪行人類大掃除→生き残った人類がまた【負けるものか】と洪水逃れの塔を建設し始める→神は言葉を乱して【人類の結束を破壊】された→それならばと、人類は【霊的バベルの塔、宗教】を建設して【神に対抗】し始めた。
・・・無論人類に憑依して動かしている存在がある・・・。
→その対抗所業が嵩じて【核兵器乃至汚染による地球そのものの破壊】が現実味を帯びて来た→神は霊的バベルの塔の破壊を行われるであろう。それが【ハルマゲドン、言い換えると霊的洪水】であろう。

その後の世界の形を維持して来たのが【神道と日本】である。神道・・・【塔、即ち神に対する反逆の象徴】を持たない宗教。


最近の高校生の制服

2016年12月18日 16時20分50秒 | 日記
 最近の高校生の制服、特に女子高校生の。

 人生で最も初々しく姿美しい・・鬼も十八何とやら・・、その時の衣服に【清楚さ】を見なくなった。それで自分が惜しくないのかな?
 楡の若葉に風薫る・・・、大連第一高等女学校の歌詞を見て居ると、清楚で美しかったであろう少女達の姿が彷彿する。台北第二高等女学校は、・・天津日高照る・・じゃなかったかな?ねえ母上様?


 男子高校生のブレザー、昔一緒に仕事したゴロツキオヤジが言った、【バカガッコにあげんとが多かな】真冬の詰襟のカラーの冷たかったこと!大学教育学部を出たばかりの担任の先生が仰った・・セビロはズンダレた感じでなじめなかった。

 詰襟に兵科のマークの付いた旧陸軍軍服、ステンカラーの陸軍幼年学校制服、予科練の制服、カッコよかったね。

 従軍看護婦、・・火ずつの響き遠ざかる、そこ吹く風は生臭く・・・品と威厳があった。
 

汚染

2016年12月18日 11時36分42秒 | 日記
 1967年に社会に出た。猛烈に忙しく頭は明日解決しなければならない事やトラブルの処理で満杯になっていた。そして1978年、突然チキンレースをしくじったように会社倒産がけ下転落人生となった。

 それから生きる事に精一杯で世間を見る余裕もなく生きた。綱渡り人生を終わって日本再生関連サイトを見る。そこにはかつて憧れを持って遠望した大学に、自分などはとてもそこには値しないと思ったような組織に、汚らしい朝鮮人の名をおびただしく見る。

 生きることに精一杯で走り続けている間にこんなことになってしまっていたのか?!知らなかった、何も知らなかった、知らなかったのはオマエの無責任だ、おまえがボケナスだったのだ、と言われれば弁解の余地はなかろう。しかし報道では全く見えなかった。

 でも感じていはいた・・・何かがオカシクなりつつあるのではないか?日本のあらゆる面で品位が下がり、屁理屈がまかりとおる、何より【物事の道理】を弁えぬ者共が増えた!と感じていた。

 これらの寄生虫が食い込むに任せたのは誰だ!その毒に冒された者共がまた毒をまき散らした、その感染者は誰だ。叔父達が、大伯父達が命に懸けて護ろうとした国を汚らしい穢らわしい者共や思想に汚染されるがままに放置或は画策した者共を我らが神見逃さないで戴きたい。


願わくは我が頼りとする聖書の神、日本神界の神々、【穢れ】を除き、我が民族我が国を【浄く高貴に】戻したまえ。


注:聖書の神と日本神界の神々との同一性について私見・・・
 日本で神社に祀られている神々は(表現が適切でないが)何かの個体ではない。日本人は【働き、乃至は顕現】に名前をつけて神としている。田舎の道端の祠は知らないが由緒格式正しい神宮神社の幕の内側に祀られているのは【鏡】であるはずだ。

 モーセを通じて十戒が与えられた時、シナイ山は密雲に覆われ、稲光、雷鳴で人々は怖じ戦いた。・・・【神を見てなお生きているものは居ない】と言われていたからだ。その恐懼の記憶が【鏡】であり、密雲雷鳴が【注連縄】、(この解釈はどこかのサイトの受け売り)そして察するに神社に備えてある大きな太鼓は雷鳴の記憶であろう。