
久しぶりに県図書館主催の講演会に出かけました。講師は以前弁論大会の審査員をして下さった弓削教授。専門は中世の文学です。
「延慶本平家物語」巻5に、1180.8.17.頼朝が伊豆に挙兵、山木兼隆を討ち、討ちとったのが加藤次景廉(かげかど)と記されています。景廉は途方もなく武力に優れていて武勲をあげ、その褒賞として頼朝より美濃(岐阜)の岩村が与えられました。始めて平家物語と美濃の関連を知りました。岩村城には、景廉の木像があるそうです。
江戸時代には、岩村藩(恵那市)は県内でも屈指の人物を輩出し、佐藤一斉もその一人。一斉のことは、2006.9.19と、2007.6.18にも触れています。その名を再び聞けたことは嬉しいことでした。恵那市の苗木城址や明智を訪ねたことも思い出しました。明智城で明智光秀は、出生したと言われています。
2006.9.19に書くべきでしたが、佐藤一斉の有名な言葉を記します。これは、かつて図書券プレゼント用のカバーに書かれていたし、小泉元総理も話題にされました。(写真は近くのコスモス)
少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
「延慶本平家物語」巻5に、1180.8.17.頼朝が伊豆に挙兵、山木兼隆を討ち、討ちとったのが加藤次景廉(かげかど)と記されています。景廉は途方もなく武力に優れていて武勲をあげ、その褒賞として頼朝より美濃(岐阜)の岩村が与えられました。始めて平家物語と美濃の関連を知りました。岩村城には、景廉の木像があるそうです。
江戸時代には、岩村藩(恵那市)は県内でも屈指の人物を輩出し、佐藤一斉もその一人。一斉のことは、2006.9.19と、2007.6.18にも触れています。その名を再び聞けたことは嬉しいことでした。恵那市の苗木城址や明智を訪ねたことも思い出しました。明智城で明智光秀は、出生したと言われています。
2006.9.19に書くべきでしたが、佐藤一斉の有名な言葉を記します。これは、かつて図書券プレゼント用のカバーに書かれていたし、小泉元総理も話題にされました。(写真は近くのコスモス)
少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず
明智光秀は私の尊敬する人の一人です。
優れた頭脳を持ち、冷静沈着な対応の出来る人のようでした。それが後に災いを及ぼす事になったのでしたね?
娘の細川ガラシャもやはり、最後まで立派な生き方をしておられます。
明智城が岐阜県恵那市に在った事は、忘れていました。こちらのブログにお邪魔するようになってから、少しずつですが、記憶が蘇るようで嬉しいです。
一般には逆臣とか三日天下とか悪口を言われていますが、おっしゃる通り冷静沈着な武士でした。格の高い家の生まれですし・・・謎が多いので、歴史家にとっても魅力ある人だと思います。
人生の指針になりますよね♪
つきみそうさんも勉強家ですものね。
つきみそうさんが言われるように
明智光秀はどうしても信長の本能寺の件で
謀反人のように言われますが
歴史本などをよんでると
誤解されてる部分が多いみたいですね~
何百年もたってからそのように言われるのも凄い人だった証拠でしょうね。
佐藤一斉のことは岐阜の人でも知らない人があるというのに、京都の人からそのように誉められこれも嬉しいことです。
三浦綾子さんは氷点でデビューでしたね。塩狩峠を思い出します。ご主人が歌人だったので、ご主人の歌の方も毎月読んでいました。もう30年も前ですが・・・
今の学生は、試験に追われるならまだいいですが、アルバイトと遊興で本は読みませんね。