義理で勤めるだけやけん・・・
「それでは、お勤めさせていただきましょう。」
「ご院さん、もう義理で勤めるだけやけん短いのでええで!」
初っ端からこんな言葉がでるとがっかりします。
父親の50年忌です・・・
どういう思いでこんな言葉を発するのでしょう・・・
こんな言葉を発することはなくてもこんな気持ちの方が多くなってきている現実、
何の力もない私のような者でもヒシヒシと感じてしまうことが多くあります。
「義理」ってどういう意味なんでしょうか?
正しい道とかっていう意味なんでしょうが、嫌でもしなければっていう意味にも・・・
わざわざ遠方から帰られて嫌なひと時を過ごさなくても・・・
嫌なら勤めなくてもいいのではないか、
決して勤めないからといって仏さまは罰を当てたりなさいません。
罰が怖くてお勤めされるのであればお粗末この上ありません。
しかも、親のご縁で罰云々なんて悲しい親子関係を思わずにいられません。
仏さまは罰は当てませんが、罰が当たるということはこういう言葉を発する人生を歩むということなのかもしれません。
親が亡くなって50年、自らも50年。
貴方はどんな50年でしたかって問いかけさせていただいたことです。
矢沢永吉は、50歳を過ぎたある時お前がいてくれたと気付き奥さんに、
「ありがとう・・・Thank you!」って素直に言えたとか・・・
お前がいてっていうのはずっと支えていてくれたことに気付いたということでしょう。
ご縁に会わせていただく喜びはそこなのでしょう。
精々、2時間くらいの時間です。
お勤めが長い長い「食前の言葉」で終わるのではなく、心静かに座ってみませんか?
子どもじゃないんだから・・・
ザワザワする心を感じながら、逃げてばかりの自らを引きずり出してくださったご縁を喜ばさせていただきましょう!
ずっと、ずーと支えてくれていたあなたでしたね。