べらぼう第9回「玉菊燈籠恋の悲劇」見ました。
「なんて女心が分からない奴なんだ。このトンチキが」と前回、テレビの前の視聴者を激怒させた蔦重。でも二十年来の自分の気持ちにやっと気づいた、なんて泣かせますね。しかし気づいた所で身請など出来ない相談です。それでも年期開けには請け出すと言われ、うれし涙が瀬川の頬を伝いました。
しかし年期明けまで瀬川の体が保つのだろうか。こうなれば足抜けしかない。と決心した矢先、新之介とうつせみの二人が先に足抜けしてしまいましたね。しかしすぐに追っ手に捕まり、折檻されるうつせみ。
「だた幸せになりたかった」と言ううつせみに「追われる身になってこの先どう生きていくのか。男は博打女は夜鷹に、なれの果てなんてそんなもんさ。それが幸せか」と松葉屋の女将の容赦ない折檻が続きます。
花魁にとって金のない男の懸想など、幸せになる邪魔立てでしかないのか。新之介の言葉が刺さりますね。結局瀬川も足抜けを諦め、身請話を受けることのなりました。
「ここは不幸な所だけど、人生を変えるようなことが起きないわけじゃい。そいうゆ背中を女郎にみせる勤めが瀬川はある。瀬川の名を背負うってのはそういうことさ」松葉屋女将の言葉には、説得力がありましたね。でもこの女将ただ者ではありませんね。千両の身請金がいつの間にか千四百両にはね上ってましたから。瀬川に幸あれ……。
しかし年期明けまで勤め上げて幸せになった花魁はいないのでしょうか。私は一人知っていますよ。落語「幾代餅」の幾代太夫がいるではないですか。たぶんこの話を元にしたでしょう。我がgoo blogでおなじみの「くるねこ大和」さんの「やつがれお夏」という作品もあります。
やつがれは尻尾の先が黒と白大きな雄猫でがざいます。竹藪の外れの茅葺屋に小猫のチビ太と暮らしておりました。チビ太はやつがれが拾った子猫でございまして、甘えん坊の泣き虫でこざいました。
ある日チビ太がやつがれの様子がおかしいと針のセンセを呼びにきました。大慌てでセンセが駆けつけると、やつがれは寝込んでご飯も喉を通らないとか。死んじゃうのと泣き出すチビ太を寝かしつけ、何があったのかと尋ねるセンセ。
理由を聞いてセンセ大笑い。なんと今をトキメク花魁「甘夏太夫」の錦絵を一目見て、恋い焦がれてしまったのです。太夫に会えるのなら三年かけて貯めた金四両と少々、一晩で使っても惜しくない。と言うのでございます。そこまで言うのなら尾張の酒問屋の若旦那と幇間医者というふれ込みで、太夫に逢いにでかけたのでございます。やつがれの袖の中はチビ太もいます。
さて楽しい夜も明け別れの時間がやってきました。「今度はいつ来てくんなますの」と聞く太夫に「一生懸命に働いて今度来るのは三年後」と貧しい身の上を正直に打ち明けたやつがれ。「わちきは今年の八月、年期が明ける」という太夫に「ここで会えないならおいらの家においでよ」とチビ太が誘います。「名案ざます」と答える太夫。
朔日の朝太夫は本当にやって来るのでしょうか?チビ太がかわいくてやつがれが大きくて優しくて、ゴロゴロと猫の喉を鳴らす音が聞こえて来そうな作品でした。こんな話。べらぼうの中も登場してほしいですね。