草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」中8

2020-02-26 12:45:44 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」中8
大久保屋の大奥様⑧
娘心と男心3
                                       
 おなつの言った胡散臭い親父こそが『木枯らしの宇平』だった。宇平は甘酒の中にたっぷりと砂糖と酒を入れ、裏口の戸締りを任されているお仲とおなつを待ち構えていたのだ。  

 宇平は引き込み役のお紺がその用を果たせないことに業を煮やし、二人を酒で眠らせて裏口から押し込もうとしたのだった。ところが調子に乗って甘酒を飲みすぎたおなつに比べ、お仲のほうはさすがに一杯で止めておいた。その上おかしな具合になってきたと思い、念には念を入れて裏口の戸締りをした。あわてたお紺が縁側の雨戸をこじ開けよとしたのが失敗の元だった。一味は庭に潜んで雨戸が開くのをしばらくまっていた。その間にとり方に囲まれてしまったのだった。

「………そろそろ引き上げるとするか」
 意外なことの成り行きになんと言っていいのか分からず、親分は大久保屋を後にした。
―あの弥助みたいな野郎、なんか勘違いしちまったな。いずれ誤解も解けるだろうが、しばらくは立ち直れないだろうな。男に臭いは禁句だぜ。男っていう奴は洟垂れ小僧から還暦すぎた爺さんまで、臭いって言われると傷つくからなぁ」
 
 寝不足の親分は頭をボリボリと掻きながら、しばらく風呂に入っていなかったのを思い出した。
―寝る前にひと風呂浴びないと、かみさんに嫌な顔されるな。
 頭を掻いた指を鼻に近づけて思わずクンクンとやってしまった親分は、誰かに見られてはいなかったかとあたりを見回した。

    騒動を聞きつけて集まった野次馬たちの間を通り抜け、親分の姿が通りの向こうに消えて行った。あれだけいた野次馬たちの姿もしだいに少なくなり、飯の炊けるいい匂いがしてきた。豆腐屋や納豆売りの声に混ざって、蜆売りの声も聞こえてきた。

   大久保屋の勝手口を威勢よく開けて、お仲がザルを手に持って飛び出してきた。蜆売りの声に向かって走って行くお仲の下駄の音が、朝の空に響き渡った。

「器量よしだなんて初めて言われたもので、嬉しくなってしまい調子に乗って甘酒を飲みすぎてしまった」
 おなつは蜆の味噌汁を旨そうに飲むと、恥ずかしそうに呟いた。
「今にお前のことを心底可愛いって思ってくれる人が、きっと現れるよ」
 大奥様はおなつに優しく声を掛けた。その場に居合わせた者たちはおなつのそんな日のことを思って、ほんわりとした優しい気持ちになっていた。

   ところがそんな中で一人だけ優しい気持ちにもなれずに、落ち込んでしまった男がいた。太助はおなつの言った「太助さん、臭い、親父、気持ち悪い」の言葉に深く傷ついていたのだ。