草むしりしながら

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草むしりの「ことしの花火はどこにいこうかな。」

2023-11-01 16:29:55 | 草むしりの幼年時代

 草むしりの「ことしの花火はどこにいこうかな。」

「神田古本まつり」で山下清 原画展図録「ことしの花火はどこにいこうかな」を買いました。

 山下清と言えば蘆屋雁之助主演の「裸の大将放浪記」というドラマを思い浮かばれる方も多いのでは。二代目「裸の大将」窪地武雅版もありましたね。また古いところでは小林桂樹主演の東宝映画もあります。

 山下清と言えばランニングシャツにデカパン姿。リュックを背負って日本全国を放浪する。そんなイメージがありますね。たぶん蘆屋雁之助版「裸の大将」をいつも見ていたのからでしょう。

 それにしても雁之助版は長く続きましたね。その上何度も再放送されたので、いつも見ていた気がします。そのたびに子供のころ、山下清みたいな男の人がいたような気がしてなりませんでした。

 ある時母に、あの人は山下清じゃなかったのかしら。と尋ねたことがありました。すると母は「違う。あれは○○の○○さん」と即答しました。

 そういえば海辺の方の町に、そんな男の人がいたのを覚えています。名前を呼ぶと馬の鳴きまねをすると、聞いたことがありました。  

 お祭りが好きで、私たちの地域の夏まつりに来ていました。体が大きくてお腹もポッコリと出ていて、夏なのに茶色の冬服で山車の後をついて歩いていました。

 おとなしい性格で悪い事もしなかったのですが、子ども心になんだか怖かったことを覚えています。

「そうか、あの人は山下清ではなかったのか」

 ちょっと残念な気がしました。またそれとは別に昔はよく物乞いが来ていたのを思い出しました。当地ではその当時は、物乞いのことを「しとこ」と呼んでいました。

 「しとこ」はお坊さんのような恰好をして、よく家の台所の勝手口の前でお経をあげていました。お経が終わると黙ってお茶碗を差し出します。母はその茶碗にお米をついで、その人が首からぶら下げた四角い布の袋の中に入れてあげていました。

「あの人が来たら、お茶碗にお米を入れてあげるのだよ」と母からは言われていましたが、「しとこ」だと思うとなんだか怖くて、いつも母の陰に隠れていました。

 それにしても「あっ、また来た」っていうくらい、よく来ていました。ある時一人で家にいるところにやってきて、お経を唱え出しました。

 怖くて仕方なかったのですが、お米をあげなければなりません。ところがあいにく米びつの中は空でした。どうしていいのやら、怖くて米が無いととも言えないし……。その後どうしたかは覚えていなののですが、それきり「しとこ」は来なくなった気がしました。

 だから山下清似の人の話のついでに、その「しとこ」のことも尋ねました。

「ほらよく家に来ていたでしょ。お坊さんみたいな恰好をして、お米貰いにくる『しとこ』」

「しとこ?」

 母はキョトンとしてしばらく考えていましたが、その人なら祖父の友達だよ。と言いました。いつも祖父の所に遊びに来ていて、そのついでにお経をあげて帰って行ったのだとか。

 なんだ、そうだったのか。来なくなったのは、あの時私がお米をあげなかったからではなくて、その後祖父が急死してしまったからなのでしょう。

 祖父は私が小学校に上がってすぐのころに亡くなってしまったので、祖父のとの思い出などほとんどありません。ですから「しとこ」(失礼しました、托鉢のお坊さん)のことは、祖父との思い出として記録に留めておきたいと思います。


ことしの花火はどこにいこうかな。

2023-11-01 09:28:23 | 草むしりの幼年時代

 ことしの花火はどこにいこうかな。

 「神田古本まつり」では山下清原画展図録「ことしの花火はどこにいこうかな。」を買いました。

 本をリュックに入れて背負うと、すごく重く感じました。もちろん本自体も重かったのですが、何よりもその存在感が大きかったからではないでしょうか。

 山下清は大正11年(1922年)3月10日、東京市浅草区田中町で生まれ。昭和46年7月10日「今年の花火はどこへ行こうかな!!」の言葉を残し突然の脳出血で倒れ、2日後の12日二度と帰らぬ永遠の旅にでました。享年49歳。

 山下清と言えばその作品とともに、蘆屋雁之助主演の「裸の大将放浪記」というドラマを思い浮かばれる方も多いのでは。二代目裸の大将窪地武雅版もありましたね。また古いところでは昭和33年10月に封切られた小林桂樹主演の東宝映画もあります。

 子供の頃この小林桂樹版の映画「裸の大将」を見た覚えがあります。当時は「映画教室」と言って、小学校の講堂で映画の鑑賞会がありました。たぶんその時に見たのだと思います。

 詳しい内容は覚えてはいなのですが、でかいパンツにランニング姿の山下清がリュックを背負って旅をする話だったと思います。映画の最後の方で花火大会がありました。喜んで見ている清の次に、貼り絵をしている清が登場しました。それから花火の貼り絵が大写しされて終わりでした。

 その絵のなんと素晴らしかったことか。それが紙を手でちぎって貼ったものだったと知り、もっと驚きました。できれば実物を見てみたいと思いました。当時私はまだ、小学校3年か4年だったと思います。

 その子供の頃の思いが叶ったのは、ほんの数年前のことです。山下清原画展が当地で開催されたのです。さっそく夫と二人で出かけました。

 今私の手元にある「ことしの花火はどこにいこうかな。」の表紙にもなっている「湖に映った花火」ではないでしょうか?小学校の時に見た映画のラストで見た花火の絵は……。

 この原画図録では彼の絵を「純真・素朴」と表現していますが、黒い夜空にパッと咲いた花火は素朴ではありますが華やかさもあります。素朴な華やかさ?花や虫が好きだったとか。蜂や蜘蛛や蟻に愛情を感じました。友達の蜂クン蜘蛛クンみたいな……。

 でも子供の頃にはいじめられたのでしょうね。清の生い立ちを考えると心が痛みました。

 幼い頃から孤独な清にとって八幡学園での農園作業で出会った、花や虫はかけがえのない友だちであり、心を癒してくれる存在であったであろう。と、この本には書かれておりました。

 さてこの原画展では、もう一つ忘れられない思い出があります。

 できればずっと見ていたかったのですが、夫と二人で来たのが間違いでした。夫は出口でかなり待っていたのでしょう。ひと通り見終わったので、引き返してもう一度見たといという私の願いを聞き入れて貰えませんでした。「腹が減った」からと無理やり外に引っ張り出されました。

 その時何を食べたか覚えていませんが、きっとおいしかったでしょう。私もお腹が空いていたことでしょうから……。

でももっと見たかったです。やはりおひとりさまで来るべきでした。