草むしりしながら

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草むしり作「ヨモちゃんと僕」後9

2019-09-25 05:45:17 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後9

(夏)逃げる③

「フサオ、フサオ」
「ああよかった、フサオ。気が付いたのね」
 母さんとヨモちゃんが心配そうに、ぼくの顔を覗き込んでいます。
「お母さん。痛いよー」
「まだ動いちゃだめよ、痛いでしょう。凄い勢いでシャターにぶつかったものだから、心配したのよ。ねぇヨモギ」
「うん、お母さん。心配したよねぇ」
 ぼくは車のドアの閉まる音に驚いてあちこち走り回ったあげく、倉庫のシャターにぶつかって気絶してしまったのです。
「ヨモちゃんも、心配してくれたの」
 ヨモちゃんがぼくの心配をしてくれるなんて。ぼくは嬉しくなってヨモちゃんのホッペに、そっと手を伸ばしました。
「何するのよ」
 ヨモちゃんのパンチがぼくの鼻先をかすめました。
「バッカじゃないの、心配して損した」
 ヨモちゃんは怒ってどこかに行ってしまいました。

「散々だな、フサオ」
 お父さんがお母さんの後ろから、顔を覗かせました。
「だいたいお母さんが悪いよな。いつもは出しっ放し、開け放しの、やりっ放しの散らかし放しだからなぁ。いつもごちゃごちゃしている庭が、今日は妙に片付いているからな。フサオが驚くのも無理ないよ」
「うん、ちょっとだけ驚いたよ」
「おまけにいつもは上げっ放しの倉庫のシャターまで、ご丁寧に降ろしてあるものだからなぁ。倉庫にシャターがついているなんて知らなかったよなぁ」
「うん、知らなかった」
「なに言っているのよ、お父さん。だいたいお父さんが急に車のドアを、あんな大きな音を立てて閉めるから、フサオが驚いたのよ」
「うん、あれには驚いたよ」
「やっぱりそうか、車があんまりきれいになったものだから、つい嬉しくなってしまって。すまなかったな」
「そうね、たまには洗車もいいわね。前に洗ったのって、いつだったかしら。」
 そういえば泥んこだった軽トラが、いつの間にかピカピカと輝いています。やっぱりあれかなぁ。あんまり車が汚れていたから、ヨモちゃんがわざとネズミをあんな所に置いて洗車させたのかな。

「せっかくだからこれも仕舞っておくか」
 丸く束ね直したホースを肩に掛けて、お父さんが倉庫のシャッターを押し上げました。
「足の踏み場もないな」
 倉庫の中には軒下のプランターや物干し竿などが、乱雑に置かれています。どおりで庭がきれいに片付いているはずです。
「台風で吹きとばされるよりは、ましでしょう。」
 お母さんは大切なものを、倉庫に中に隠したのだとぼくは思いました。なるほど、ここなら風に吹きとばされなくてもすみます。
「ちょと、踏みつけないでよ」
お母さんはぼくを抱き上げながら、プランターの間を歩くお父さんに声を掛けています。
「頭痛くないの」
「うん、もう平気」
「そう、よかったわ。でもまだおとなしくしていた方がいいわ」
 お母さんはぼくの喉元を優しく撫でてくれました。お母さんの指先は少しザラザラしていて、母ちゃんの舌のようだとぼくは思いました。するとぼくの喉はゴロゴロと鳴り出しました。
「お母さん、大好き」
「お母さんもフサオが大好きよ」
ぼくはずっとこうしていたかったのに………。

 風が出てきました。鉛色の雲が何かに追い立てられるように、どんどんと流れていきます。
「そうか、じゃぁ、明後日になるンだな」
 ユミコからの電話は飛行機の欠航を伝えるものでした。でも翌日の昼過ぎの便に乗れるようになったと聞いて、お父さんもひと安心しています。

「トキオ、トキオは空を飛ぶ」
 いつの間にか帰って来たヨモちゃんと一緒に、お父さんが歌っています。耳元の囁き声は次第に大きくなり、ガンガンと耳鳴りのようにぼくの頭の中で鳴り続けています。でもぼくは決めました。台風なんかに絶対連れて行かれないって。

「空を飛び、街が飛ぶ。
雲を突き抜け、星になる。
火を吹いて、闇を裂き、
スパーシティが舞い上がる」
 お父さんとヨモちゃんが歌っています。歌っているのは、お父さんが若いころ流行った歌だそうです。当時人気のあった男の歌手が、電飾のついた王子様のような衣装を身にまとい、赤と白の縞模様のパラシュートを背負って歌っていました。トキオはTOKIOと書きます。
 六月十日の時の記念日に生まれた初孫は、時が生まれると書いて時生という名前です。TOKIOと時生。なんだが語呂合わせみたいですね。お父さんは機嫌のいい時には、いつもこの歌を歌います。
 お風呂からあがって来たお母さんが、呆れた顔で見ています。
「トキオ、トキオ。トキオはお前を抱いたまま、トキオ。トキオは空を飛ぶ」
 ぼくも一緒になって歌いました。明日トキオが飛行機に乗って、空を飛んでやってきます。
「バッカじゃないの」
 ああ、ついにお母さんにまで言われてしまいました。「バッカじゃないの」って。
 髭をトキオに切られても、ユミコに叱られても、ぼくはやっぱりこの家が好き。お父さんとお母さん、それからヨモちゃんのいるこの家が好き。ここはぼくの家なンだ。だから台風なんかに連れていかれないぞ。

「明日なんか来なければいいのに」
 けれど明日はやって来ました。


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