我が教では、対話じゃなく感じることを重んじる。感じることがなければ対話は唯単に言葉と言う情報をつたえるだけのものに成ってしまう。本もしかり、話をし、話を聞き、何を感じれるかが重要である。宇宙との対話、それは不可能かもしれませんが、宇宙の意思を感じることは誰にでもできる簡単な事かもしれません。人と人はネットワークにより繋がっているとお話しましたが、その情報は単に言葉ではなく気持ち(感情・精神)の連携であります。宇宙の感情は移り変わりますが。精神は移り変わりしません。一致、とは、感覚と精神とリズムの一致と訂正させて頂きます。
そして、我が教では、感じる(観心)こころの対話、別にこころに向かって話せということじゃなく、自分の精神(スピリツ)を、現実には、言葉にのせ、共有的精神の連帯をやさしく無理なく広げて行けたらと思っています。それが、仏法のいう観心ではないでしょうか?自分から家族、家族から地域、地域から国、国から世界、世界から宇宙へ…
そして、我が教では、感じる(観心)こころの対話、別にこころに向かって話せということじゃなく、自分の精神(スピリツ)を、現実には、言葉にのせ、共有的精神の連帯をやさしく無理なく広げて行けたらと思っています。それが、仏法のいう観心ではないでしょうか?自分から家族、家族から地域、地域から国、国から世界、世界から宇宙へ…