時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

モッタイナイと使い回し

2008年05月08日 23時33分22秒 | 社会・経済
船場吉兆の使い回し事件をあれこれ考えるにつけ、色々な過去の思い出が甦る。

大学時代、仲間たちと焼き鳥屋に飲みに行った。
食べ終えた焼き鳥の串を何気なしにポキポキ二つ折りにしていると、店主が血相を変えてやってきた。
「これは洗ってまた使うのだから止めろ!」と怒鳴られた。
てっきり捨てる物と思っていたので意外だった。
食べ終えた串を爪楊枝代わりに歯に挟まった食べかすをほじる輩などもいるのを考えると、いくら洗うとはいえ再利用は気持ち悪い気がするのだろうが、世間はどうなのか?
コップや皿などは洗って何度も使うものだから、串も構わないという意見もあるのかもしれない。
船場吉兆のあしらいの再利用も同じ感性か?

やはり大学時代の飲み会の思い出(←お前は飲んだ思い出しかないのか?)。
結構人気のあるカワイイ女の子がいた。飲み会では誰かが必ず彼女を誘った。彼女もコンパ好きらしく、よく参加した。しかし筆者は彼女が苦手だった。理由は、とにかく料理を頼みまくるのだ。いつも飲み会が終わる時には大量の食べ残しが残されていた。彼女が頼んだ物だ。
ある時、注文の際に彼女に忠告したことがある。「いつも食べられないんだから、少し考えて頼めば?」
すると彼女は不満そうにこう言った。
「何も食べる物が無くなってるのって寂しいじゃない。そんなに高い物じゃないんだから、別に残ってたって良いじゃない」
価値観のズレを感じた。彼女の方も筆者が飲み代をケチってそんな嫌味(飲み代は男連中の割勘が常だったので)を言ったと思ったらしく、それ以来嫌われたようで、飲み会で同席する機会はめっきり減った。

料理の使い回しなど言語道断の所業であるのは間違いない。
しかし別の問題は、料理に箸も付けず、そのまま下げられて残飯として廃棄されることに全く何も感じず、それが当然と思っている人間の方にも有るような気がしている。
飽食日本と言われて久しい。
反面、食料自給率はたった39パーセントである。
最近は小麦が値上げとかバターが品薄とか、食品危機の話もきく。
どうせならば、もっともっと事態が深刻になり、まともに三食摂ることすら困難な状況になってしまえば面白いと、やや自虐的に思う。そこまで落ちれば、少しは食い(悔い)改めるかもしれないwww

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ラミレス疑惑の二塁打

2008年05月08日 13時52分27秒 | スポーツ
7日行われたプロ野球、巨人―阪神戦で2点をリードされた巨人ラミレス選手が打った大飛球が左翼席のファンの手に当たり二塁打と判定された。巨人は1点差で阪神に連敗を喫した。

試合を中継していた日本テレビは、巨人・原監督が抗議する間、この映像を何度も流した。ナベツネは「判定にビデオを導入しろ」と今朝のスポーツ紙で発言していた。
判定にビデオを導入するのは賛成だ。しかし今回の判定に限っていえば、ビデオでは信憑性が低い。確かに日本テレビの中継映像を見ると、打球がスタンドまで達していたように見える。
かつてTBS系列で放送されていた『Gメン'75』というドラマがあった。エンディングでGメンたちが一列になって滑走路のような所を歩くシーンがあったが、このシーンには映像トリックがあった。他の俳優よりも背が低い丹波哲郎が小さく見えないよう、彼だけ他の俳優よりも一歩前を歩いていた。しかし望遠レンズで撮れば、一列に歩いているように見える。望遠撮影は遠近感がハッキリしないのだ。

今回の様なトラブルを正しく判定するにはビデオ判定以上に効果的な方法がある。それはレフトとライトの線審を復活することだ。今回の打球はレフトに線審がいれば正しく判定できたろう(もちろん二塁打かもしれないので誤審と決めつけてはいないので)。
プロ野球もアノ手コノ手でファンサービスを行っている。しかし一番のサービスは正しい判定とスムーズな試合進行だろう。他の部分に費用を使うなら、たった二人の審判の人件費ぐらいケチるなと言いたい。

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モッタイナイと使い回し

2008年05月08日 06時40分19秒 | 社会・経済
船場吉兆の使い回し事件をあれこれ考えるにつけ、色々な過去の思い出が甦る。

大学時代、仲間たちと焼き鳥屋に飲みに行った。
食べ終えた焼き鳥の串を何気なしにポキポキ二つ折りにしていると、店主が血相を変えてやってきた。
「これは洗ってまた使うのだから止めろ!」と怒鳴られた。
てっきり捨てる物と思っていたので意外だった。
食べ終えた串を爪楊枝代わりに歯に挟まった食べかすをほじる輩などもいるのを考えると、いくら洗うとはいえ再利用は気持ち悪い気がするのだろうが、世間はどうなのか?
コップや皿などは洗って何度も使うものだから、串も構わないという意見もあるのかもしれない。
船場吉兆のあしらいの再利用も同じ感性か?

やはり大学時代の飲み会の思い出(←お前は飲んだ思い出しかないのか?)。
結構人気のあるカワイイ女の子がいた。飲み会では誰かが必ず彼女を誘った。彼女もコンパ好きらしく、よく参加した。しかし筆者は彼女が苦手だった。理由は、とにかく料理を頼みまくるのだ。いつも飲み会が終わる時には大量の食べ残しが残されていた。彼女が頼んだ物だ。
ある時、注文の際に彼女に忠告したことがある。「いつも食べられないんだから、少し考えて頼めば?」
すると彼女は不満そうにこう言った。
「何も食べる物が無くなってるのって寂しいじゃない。そんなに高い物じゃないんだから、別に残ってたって良いじゃない」
価値観のズレを感じた。彼女の方も筆者が飲み代をケチってそんな嫌味(飲み代は男連中の割勘が常だったので)を言ったと思ったらしく、それ以来嫌われたようで、飲み会で同席する機会はめっきり減った。

料理の使い回しなど言語道断の所業であるのは間違いない。
しかし別の問題は、料理に箸も付けず、そのまま下げられて残飯として廃棄されることに全く何も感じず、それが当然と思っている人間の方にも有るような気がしている。
飽食日本と言われて久しい。
反面、食料自給率はたった39パーセントである。
最近は小麦が値上げとかバターが品薄とか、食品危機の話もきく。
どうせならば、もっともっと事態が深刻になり、まともに三食摂ることすら困難な状況になってしまえば面白いと、やや自虐的に思う。そこまで落ちれば、少しは食い(悔い)改めるかもしれないwww
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