😊 悠仁殿下の加冠の儀は、ご日程の大凡が発表されて、いよいよカウントダウンに入ったと言ってもよいでしょう。
2024年春、待ち遠しいことです。その日まで約1年半ワクワク感を楽しめるのですから待つのも楽し、ですね。
加冠の儀について、少しづつ知見を整理してみます。私の思い違いや説明不足のご指摘ご教示、お待ちしています。
『皇室令』は1947年に廃令となりましたが、憲法に違憲しない条項はそのまま踏襲されています。
現行の『皇室典範』も旧皇室令を知らないと分かりにくい部分があります。
『皇室親族令』第三章 親子
・皇室の子・・天皇の子=皇子
皇太子・親王・王の子=皇族の子
😇 現在の皇室
誕生時から皇子だったのは昭和天皇の子である上皇と常陸宮殿下だけです。
今上と秋篠宮殿下は皇太子の子、として誕生=皇族の子
愛子さまは皇太子の子、として誕生=皇族の子
悠仁殿下と佳子さまは親王の子として誕生=皇族の子
・親が天皇に即位すれば、子は皇子になる。
愛子さまは今上が即位して皇族の子から皇女子に格上げ。
悠仁殿下も秋篠宮皇嗣殿下が天皇に即位した時点で皇子となる。
但し同じ皇族の子でも皇太子皇太孫の子と、親王・王の子では些かの待遇の違いがある。
『皇室成年式令』
・1章 天皇の成年式
2章 皇族の成年式
皇太子・皇太孫と親王・王の成年式には些かの違いがある。
😇 今上と秋篠宮は成年式当時、お二人とも皇太子の子=皇族の子でしたが、浩宮は将来の皇太子、ということで多少の差をつけたようですね。
『成年式令』附式には、
第一編天皇の成年式
第二編皇太子の成年式(皇太孫準ず)
第三編親王の成年式(王準ず)
と分けてあり、皇太子の成年式と親王の成年式の次第には違いがあります。
浩宮は成年式当時皇太子ではないので、親王の成年式次第を用いたはずですが、実際にはどうだったのか、、、。
調べる段階で出て来るかもしれませんが、今は不明です。
😁 とりあえず、冠の纓が違う。
悠仁親王殿下は皇嗣(皇太子)の子で、将来の天皇、即ち当時の浩宮徳仁親王と同じ立場ですから、浩宮徳仁親王と同様に親王以上皇太子未満の成年式になるはずですが…。
一人娘のティアラさえ、なんのかのと言って作らない今上ではねぇ~。
加冠の儀については、まだまだ語りたいことが沢山あります。
(つづく)
●賢所大前で成年式
○事前に宮中三殿に期日を奉告
●天皇皇后皇太后太皇太后に朝見
○事前に期日を宮内大臣(宮内庁長官)が公告
●皇霊殿神殿に拝謁
○宮中で饗宴の儀
となっているようですね。
親王•王は上記のうち●のみ、ということが読み取れます。
浩宮成年の折の冠の纓が皇太子並に高かったのは長子としての格でしょうか?天皇は垂直に立った立纓ですので、それに次ぐ感じですね。
それから衣裳の後ろに引く裾(きょ)という白い部分が、秋篠宮殿下よりも長いように見えます。身分が高いほど長いそうですから、ここも差別化したのかもしれません。
如意さんのこのシリーズの記事を楽しみにしています。
冠の纓の高さ、かなり違いますね。悠仁さまの高さがどれくらいになるのか、注目されそうですね。
また、牡丹さんご指摘の後ろの白い部分もかなり長さが違いそうですね。
今回の報道を比べてみると、テレ朝は今上の、TBSは皇嗣殿下の加冠の儀の動画を入れてますね。比べて驚いたのが規模の差です。今上の時は、天皇皇后両陛下、皇太子両殿下をはじめとし、他の皇族方もお揃いの立派な儀式です。一方、皇嗣殿下の時は昭和天皇のみ。悠仁さまの時はどうなるでしょうか。
記事の内容と外れますが、今回の記事に使われている稲穂と蜻蛉の罫線よいですね。今年は青田刈りはダメよ、という如意さんのメッセージが伝わってくるようでした。
まっ、庶民は何も分からないし、「愛子天皇派」は何が何でも悪く言って泥を被せるために狂奔するでしょう。でも、今後1年半の間に愛子さんの卒業と本格的公務開始とか進学とか就職とか(ハハ😁)悠仁さまの進学がありますね。庶民にも分かることは増えます。昨日も、男系天皇派だけど「秋篠宮はチャライ、紀子さんはなんとか・・」、「雅子さんが第2子を段念したのは・・」と古いゴシップを言う人と話しました。こういう人は、実際皇嗣殿下が践祚されても愛子さんが天皇になっても「そうか」と思うだけでしょう。あかりは、「ゴシップの発信元はかの・・」(これは、あかりの実体験もアリ)、「私の見た愛子さん像」などをキッチリと伝えておきましたが、あまり良い気分はしませんでしたね。
とにかく、悠仁さまの加冠が浩宮さま並に行なわれることを期待するばかりです!
あかりさん、コメントありがとうございます。私は清子さん世代なので、少し年上の今上、皇嗣殿下の儀式となると、ご成婚あたりからしか記憶にないのです。
私が前のコメントに書きましたTBSの動画は、下のホームページに掲載されているものです。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/691583?display=1&mwplay=1
部屋全体を写したものではないので、他にいらっしゃっらなかったと言えるものではないですね。私の早とちりだったようです。すみません。
いろいろ検索をかけてみたら、宮内庁のホームページに写真が出ておりました。
https://www.kunaicho.go.jp/50years/s54to63.html
上から2枚目が今上の、11枚目のお写真が皇嗣殿下の加冠の儀です。香淳皇后が欠席だったようですね。
でも写真の隅に参列者も映り込んでますし、寂しい加冠の儀ということではなかったようです。ホッとしました。
検索をかけている過程で下の動画を見つけました。今上の時の動画です。こうしてみると、今上も凛々しかったのですねえ。
悠仁さまの加冠の儀もこれくらいの尺で放映されるといいですね。
https://www.youtube.com/watch?v=MYD008Gskv8
動画中で「浩宮さまが成人されたので摂政にもなれる」などと言っていて、ばんざ~い!でした。悠仁さまも、後1年で摂政になれるお立場なのですね、ランラン(^^)/はたして加冠の儀の後で今のマスコミが同じことを言うでしょうか。言わないでしょうよ。だからっ、日本には希望を感じる事が無くなるのですよ!悠仁親王、バンザ~イ!と大声で言うことで佳き言霊になるのですよ!心が明くなるのですよ!気が弾むのですよ!天皇が恨みがましく「雅子が・・、愛子が・・」と言っている間はどうしようもないでしょう!天皇が他所の国でゴムぞうり(?)履いてニコニコしていても、誰も喜びません!祭祀を真面目にやっているって、なんの宣伝をしているやら、あ~あ、情けない😣
同じ気持ちの方々とこんな風に語り合えるのは如意さんのブログあってのことです。如意さん、お忙しい中本当によく調べ、書き続けてくださっていて、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いいたします<(_ _)>
いつも詳しく教えて頂きありがたく読ませて頂いています。
あかりさま、こんばんは。
あかりさまの仰ることに思わず「うんうん」と、うなずいてしまいました。
あのころの皇太子夫妻と浩宮さまは何処にいってしまったのでしょうか?
「もう少し背が高ければ…ね。」なんてすこーしは思いましたけど、「やはり皇族よね」と気品を感じましたわ。
そして、現在。1日に戻った今上は誰?