憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

象徴天皇「親苦労子楽して孫乞食」

2021-05-29 12:50:28 | 皇室
「親苦労子楽して孫乞食」という俚諺がある。
個人の家や個人企業をさして使われることが多い。

この頃の天皇家にも当てはまるのではないかと思う。
初めて象徴天皇になられた昭和天皇は苦労されたが、見事に責を果たされた名君だった。
平成の天皇が思うが儘に行動できたのは、昭和天皇の御遺勲があればこそだったでしょう。
そして令和の皇室は見る影も無い。

平成の天皇は終始、何かに取り憑かれたように昭和の皇室では無い「新しい皇室」を作ろうと動き回られていたが、果してそうする必要があったのだろうか。
昭和天皇が示した象徴天皇のあり方は素晴らしいものだった。
象徴天皇は昭和天皇が示した姿のままで良かったのに。

上皇が「天皇は祭祀だけしていれば良いというのか!」と、官邸に怒りを表されたという報道は有名ですが、当時上皇は祭祀の他に何をされたかったのか、と思う。


秋篠宮御一家は何をされたいのでしょうか?

2021-05-28 21:27:14 | 公務
かって「公務には受け身であるべきだ。」と述べられた秋篠宮殿下ですが、昨今は自らのご希望での活動もされるようになって来ています。
方針転換をされたのは何時の頃からか判然としませんが、皇嗣殿下になられたころには、始まっていたように記憶しています。

今回の西浦教授のご説明も秋篠宮殿下の御希望で行われたようです。
京大・西浦教授、秋篠宮ご一家に感染状況を説明
5/26(水) 16:55配信 読売新聞

 秋篠宮ご夫妻と長女眞子さま、次女佳子さまは25日、秋篠宮邸で、京都大の西浦博教授(理論疫学)からオンラインで、新型コロナウイルスに関する説明を受けられた。感染状況のデータの分析や、今後の見通しなどについて、約1時間半にわたって聞かれた。

眞子さまは、どんな顔をして説明を聞かれているのか、見てみたい。
という大方の国民の思いを知ってか知らずか、写真は無し。
本来ならご四方揃って説明を聞かれる映像は秋篠宮家のイメージアップになるところですが、小室との関係を切ることができないままの秋篠宮家では「どの面下げて、こんなことをしているのだ。」という批判の対象になりかねない。
という判断で写真撮影はさせなかったのでしょうか。

ご一家は新型コロナ情報を得て、何をなさるつもりなのでしょうか。
もしかして、以下のようなビデオメッセージ、公務先での御言葉に新知識をカッコ良くちりばめるため?

秋篠宮さま27日、宮邸で、日本植物園協会の第56回大会をオンラインで視聴された。開会式にビデオメッセージを寄せ、コロナ禍の植物園が、「オンラインによる情報提供や地元の学校との交流促進など、新たな取り組みを行い、植物の魅力や植物園の意義の再認識につなげている」とご指摘。大会の開催地となった名古屋市の植物園について、「私自身も見学することを楽しみにしておりましたが、今回は叶いません。コロナ禍が収束した折には、是非とも再訪したく思っております」と述べられた。 

秋篠宮さまは続いて同日、日本動物園水族館協会の通常総会をオンラインでご視聴。新型コロナが「人から動物そして動物から人へ感染する可能性があり、そのことでも大変気を使われていることと思います」と関係者をねぎらうビデオメッセージも寄せられた。秋篠宮さまは両協会の総裁を務められている。 

秋篠宮妃紀子さまは同日、宮邸で、妊娠中の女性や配偶者への支援などをテーマに開催されたウェブセミナー「母子手帳国際ウェビナー 第2回」に参加された。紀子さまはウェビナーの冒頭、英語で画面越しにあいさつをされた。
2021/05/28 12:00 産経新聞


小室は『機関』の一員?

2021-05-28 12:58:03 | 小室
国家の統治権を論じた『天皇機関説』は頭がキンキンするほど難しい。
辞書の説明はあっさりと
「天皇は法人たる国家の最高機関であり主権者ではないとする憲法学説。」
これだけ眺めて『天皇機関説』を解ったような気になって、
戦後、天皇は国家の最高機関でなくなった。
と、いうことは、天皇は最高を外して『機関』になった。
我も『機関』なら彼も『機関』。『機関』に差は無い。
どちらかと言えば、決定権をもつ自分達のほうが立場は上だ。
とでも現在の官邸、宮内庁は天皇、皇族を見ていそうだ。
自分達が天皇、皇族を馬鹿にして利用することばかり考えているから、小室が皇室の一員になることにも平気なのだろうか。

政治家と官僚は皇室を利用することばかり考えている。
皇室は『私』のことばかり考えている。
ならば眞子内親王と小室の結婚を止める気が無いのも頷ける。

『私』のことばかり考えて、利用できるものは何でも利用してきた小室が国連の職員となる話が現実味を帯びて来ている。と週刊誌が一斉に報じ始めた。

小室圭さん「皇室のコネ」で国際機関に就職か?初年度年俸1千万円も
2021年05月27日 07時05分 NEWSポストセブン
抜粋
「アメリカに発った頃から、小室さんの目的は弁護士資格の取得ではなく、国際機関で働くことではないかという見方がありました。特にニューヨークには、国連をはじめ世界自然保護基金(WWF)や国際連合児童基金(ユニセフ)、国際通貨基金(IMF)など、“クリーンなイメージ”の国際機関の本部が集まっています。そこで働くことができれば、“元皇族の夫”として申し分ないステータスとなる」(前出・皇室関係者)

 日本の皇室はそうした国際機関に強力なパイプがある。さらに、経済的にも充分な実入りが期待できる。

「JDの学位を持つ小室さんが国連の機関に正規職員として採用された場合、初年度の年俸は1000万円ほど。さらに、子供が生まれると、1人につき約32万円の育児手当がつきます。国連など国際機関の職員には所得税が課せられません。ですから、民間の企業で同額の収入で働くより、手取りは多くなるでしょう。眞子さまとふたりで慎ましく暮らすには申し分ない収入です」(前出・現地在住弁護士)
女性セブン2021年6月10日号 

小室は優秀ではない。外務省のキャリアと喧伝された雅子さまと事情は同じでしょう。
国連には各国の王族、上流階級の子女がポストを与えられているが、バリバリ仕事をするというより名誉職。

外務省の記者発表資料によると、2019~21年の国連通常予算にかかる加盟国の分担金のうち、日本は毎年8.564%を維持している。支出する分担金は19年約2億3800万ドル(約259億円)、20年約2億4000万ドル(約261億円)、21年約2億4700万ドル(約269億円)だ。ちなみに分担割合は米国の22%、中国の12.005%の次いで3位だ。国連の財政に占める日本の影響力は小さいものではない。
国連分担金も日本の皇室が支出しているわけではなく、支払っているのはあくまで日本政府です。つまり、詰まるところは日本の税金です。
(ビジネスジャーナル)

日本はカネは沢山出していても、発言力は無し。
まあ、カネを出しているから小室の一人くらいポストを与えて呉れるでしょう。
国民は小室を国連に就職させるために税金を払っているわけではないのですが。


ビジネスの現場では使い物にならない小室でも、適当に社交生活していれば良い国連の名誉職ならボロを出さないですみますものね。

天皇お田植え、雅子皇后ご給桑 

2021-05-27 23:47:15 | 公務
されないのか?と心配していた田植えと給桑ですが、それぞれ無事に終わったようです。

天皇陛下が田植え
5/26(水) 14:24配信 時事通信社

慣例として天皇陛下へ敬意を表して「お田植え」なのですが、時事通信社は天皇陛下への敬意を表することを止めてしまったようです。
まあ、今上への表敬は必要無いという気持ちはよーーく解ります。
それでも、「お田植え」として欲しかった。
全国で「お田植え祭り」がされるように、神事ですから。

天皇陛下が皇居でお田植え 水田に苗20株(2021年5月26日)

天皇陛下はきょう、皇居の水田で毎年恒例の田植えをされました。  長靴姿の陛下は、先月まいた種もみから30センチほどに育った苗、あわせて20株を植えられました。米の品種はうるち米のニホンマサリと、もち米のマンゲツモチで、陛下は水田に入ってしゃがみ、1株ずつ丁寧に植えられていました。

  皇居での稲作は昭和天皇から代々引き継がれたもので、陛下が携わられるのは3度目です。秋には陛下が稲刈りをされる予定で、収穫される米は11月に行われる新嘗祭などに使われます。(26日13:00)

今上もこのような伝統行事をされる時はさすがに天皇らしい風格が感じられます。
この方の水関係の講演は、廣木教授が手取り足取り指導されているのでしょうが、精一杯の背伸び感が痛々しくて報道映像を拝見しているといたたまれない気持ちになります。
省庁、政治家は天皇への敬意も尊重する心もなく、ただ自分達が便利重宝に使えるブランドとして「天皇」を残しておきたいのではないか。
そんな風に私は感じている。


皇后さま 皇居で「御給桑」飼育の蚕に桑の葉与える(2021年5月26日)

皇后さま、皇居内で蚕に桑の葉…にこやかに「いつ繭を作りますか」
5/26(水) 17:11配信 読売新聞

 皇后さまは25日、皇居内の紅葉山御養蚕所で、蚕に餌をやる「給桑(きゅうそう)」に臨まれた。にこやかな様子で純国産種の「小石丸」に桑の葉を与え、職員に「いつ繭を作りますか」などと尋ねられた。皇后さまは昨年から養蚕に取り組んでおり、今年も約1か月かけて蚕を飼育し、繭を収穫される。 

「いつ繭を作りますか?」て、養蚕は今年初めてじゃないでしょう。
養蚕について少し学ぶ気があれば、30分もあれば養蚕のあらましは知ることができるでしょうに。
毎日何をしていらっしゃるのでしょうか?

午後5時に養蚕所へお出ましって、少々遅くないですか?
確かに桑を食べる時期のお蚕には昼夜を分かたず桑の葉を与える必要がありますが、わざわざ夕方にお出ましになるには理由があるのでしょうか。

私が3,4歳のころだったと思います。祖母の家では蚕を飼っていて、夜、裸電球の下で大人達が汗を流して忙しく蚕に桑の葉を与えていた情景をぼんやりと覚えています。
建物の中に響く蚕が桑の葉を食べる「シャーーーーーー」という音と蚕と桑の匂いを今も覚えています。

美智子皇后のしんねり、くねくねとした給桑も、雅子皇后のこわごわと桑の枝を置く給桑も、本当の給桑ではない。
香淳皇后の給桑は手慣れていて、たぶん御自分で蚕を育てていらっしゃったのでは?
晩年の昭和天皇は水田の端でお田植えされていましたが、お若い頃は水田に入ってお田植えされている写真を見た記憶があります。
昭和天皇も香淳皇后も実際に御自分で稲作、養蚕をされていたのは、目出度く有り難いことと思います。

現在は形だけになってしまいましたが、それで良しとしましょう。
悠仁殿下は農作業に興味を持たれて、稲作もされているとか。
悠仁殿下が天皇として水田に入ってお田植えをされる姿を拝見したいです。
日本は瑞穂の国ですから。

不要は必要。

2021-05-27 01:12:40 | 皇室
上皇陛下と学習院の幼稚園時代からのご学友である明石元紹さん(87)が、一見、「皇室は不要」めいたことを言っている。
が、明石氏の本意は違うところにあるように思われる。

小室圭さん問題で「敬愛される皇室は終わった」上皇陛下ご学友の告白
2021年05月26日 11時00分 女性自身 
抜粋
静岡福祉大学名誉教授小田部雄次
「国民からの信頼を失ってしまったことが大きな問題」と語る。

「説明文書などで小室さんは自らの正当性を示そうとしてきましたが、国民が求めていたのは人としての誠実さや信頼でした。眞子さまも国民からの不安の声を聞き入れることなく、そういった状態でお二人が自分たちの結婚の実現に突き進んでいったことで、さらに不信感が強まってしまったと思います」

明石元紹
「私たちの知っていた“昔ながらの皇室”は、もう終わってしまったのかもしれません」

「私たちにとって皇室の方々は、生まれたときから一般の国民とはまったく違う存在でした。どんなときも『私』より『公』を優先する、特別な存在です。私が生まれたのは、日本という国が天皇を中心に回っていた時代です。終戦時には疎開先の奥日光で、当時皇太子だった上皇陛下はGHQの占領下でどうなってしまうのか……、という状況も間近に見てきました。
戦後、皇室の置かれた状況は大きく変わりましたが、無私の精神で国民の幸せを願う存在であるという根幹は変わっていなかったはずです。そういった精神を持った皇室が日本国と日本国民の象徴としてずっとあり続けるのだと思っていました」

「平成の皇室には、国民と同じような私生活を送ることで、国民の生活を理解しようという考え方があったのだと思います。皇室と国民の距離は近づき、国民は皇室に親しみを感じ、支持するようになりました。ただ、振り返れば、はたしてそれでよかったのだろうかと考えたりもします。今の秋篠宮家と眞子さまの状況をみるに、一般の国民と同じように『公』より『私』を優先されていると感じます。これでは一般の国民と変わりません。 

明石氏は秋篠宮家と眞子さまの名をあげているが、今上も雅子皇后も『私』優先のかたです。
そもそも上皇上皇后が昭和天皇までの天皇が24時間「天皇」だったのを、「天皇にもプライベートな時間があるべきだ。」と、一日を「公」「私」に分け、夕方以降を「私」の時間と定めたときから、ことは始まっていたのではないでしょうか。
昭和生まれの私は365日24時間「天皇」であった昭和天皇に馴染んでいたので、上皇が「これからは天皇である時間とプライベートの時間を分ける。」と言出した時には、急に天皇が遠くへ行ってしまったような、余所余所しいかたになったような、寂しいような気がしたものです。
夕方になって「ハイ!今日の天皇の業務終わり!」て、サラリーマンではないのですから。
当時、プライベートな時間に入られた上皇に、急用ができて宮内庁職員が伺うと、上皇は大変機嫌が悪く「明日にしてくれ」とお会いにならないという記事もありました。
いつ何時人が奏上に来るかもしれないので、と入浴後もスーツにネクタイ姿だった昭和天皇を見て「あんなことはムダだ。疲れる。私はしたくない。」とでも上皇は思われたのでしょうか。
<天皇としての公>とプライベートを分ければ、プライベートを大切と思う心が生まれる。
そして、次第にプライベートを支えるために公があるような気がしてくる。
現在の『私』優先の皇室は、上皇上皇后が<天皇としての公>とプライベートをきっちりと分けた時から始まったのだと私は考えています。

もはや皇室は、特別な存在ではなくなったということです。コロナ禍で今まさに国民が苦しんでいるときであるがゆえに、『私』の優先が際立っていると思います。『公』を優先させる生き方というものが、皇室の中で継承されなかったのであれば、それは残念なことです。せめて、戦後の長きにわたって皇室がなぜ国民から支持され続けたのか、長い歴史を振り返って考えられる人物が皇室をお支えしていれば違っていたのかもしれません。

一般の国民と同じように私的に何でもできるというのであれば、皇族の生活を税金で支えるのはおかしいのではという考えを持つようになる人もいるでしょう。国民のために働いていただくからこそ、皇室は特別な存在となり国民の尊敬や支持が得られるのではないでしょうか」

国民のために働く、って具体的にはどういうことでしょうね。
公務と言われるものの中には「個人的関係による社交」「個人的な趣味、鑑賞」も入っていますね。
個人的関係の社交、趣味、鑑賞をするな、とは申しませんが、それを「国民の為に働いています。公務してます。」と言われるのは、どうも、ね。

国民のために働く、第一位は「無私の心で国と国民の安寧と繁栄を祈る」ことでしょう。
そして、国と国民への無私の祈りを背景とした伝統行事を伝えて行くことでしょう。
天皇のお田植えはどうなったですか?皇后の養蚕はどうなったのですか?

「『私』を捨てて『公』に尽くすという皇室が、いまの日本社会のなかであまりに異質になってしまったのでしょう。もう、特別な存在としての皇室は必要とされない、もしかするとあってはならない存在になっているのかもしれません」

いやいや、国民は『私』を捨てて『公』に尽くす姿を皇室に求めるからこそ、自分ファーストで自分さえ良ければと生きる小室にNOをつきつけているのでしょう。
生きるために国民は時には自分ファーストにならざるを得ないからこそ、国民とは一線を画した身位にあり、衣食住全てを保証された高貴な方々には、高貴な生き方をされることを望むのですわね。

明石さんは、「国民がもう、そのような清浄な生き方に何の価値も見ていないのなら、皇室は存在する意味がない」と言っているだけで、明石さんご自身は清浄な生き方に価値を見出し、国民も皇室もそのような生き方に価値を見出して欲しいと思われているのではないか。
そして、清浄な生き方を忘れた現在の皇室に失望されているのではないでしょうか。

日本社会がもはや皇室を必要としていない?

清浄な生き方を忘れた皇室は必要無いでしょうね。
小室を将来の天皇の義兄として平気なら皇室は小室と同類です。
小室と同類の皇室なら、私は要らない。