上皇陛下と学習院の幼稚園時代からのご学友である明石元紹さん(87)が、一見、「皇室は不要」めいたことを言っている。
が、明石氏の本意は違うところにあるように思われる。
小室圭さん問題で「敬愛される皇室は終わった」上皇陛下ご学友の告白
2021年05月26日 11時00分 女性自身
抜粋
静岡福祉大学名誉教授小田部雄次
「国民からの信頼を失ってしまったことが大きな問題」と語る。
「説明文書などで小室さんは自らの正当性を示そうとしてきましたが、国民が求めていたのは人としての誠実さや信頼でした。眞子さまも国民からの不安の声を聞き入れることなく、そういった状態でお二人が自分たちの結婚の実現に突き進んでいったことで、さらに不信感が強まってしまったと思います」
明石元紹
「私たちの知っていた“昔ながらの皇室”は、もう終わってしまったのかもしれません」
「私たちにとって皇室の方々は、生まれたときから一般の国民とはまったく違う存在でした。どんなときも『私』より『公』を優先する、特別な存在です。私が生まれたのは、日本という国が天皇を中心に回っていた時代です。終戦時には疎開先の奥日光で、当時皇太子だった上皇陛下はGHQの占領下でどうなってしまうのか……、という状況も間近に見てきました。
戦後、皇室の置かれた状況は大きく変わりましたが、無私の精神で国民の幸せを願う存在であるという根幹は変わっていなかったはずです。そういった精神を持った皇室が日本国と日本国民の象徴としてずっとあり続けるのだと思っていました」
「平成の皇室には、国民と同じような私生活を送ることで、国民の生活を理解しようという考え方があったのだと思います。皇室と国民の距離は近づき、国民は皇室に親しみを感じ、支持するようになりました。ただ、振り返れば、はたしてそれでよかったのだろうかと考えたりもします。今の秋篠宮家と眞子さまの状況をみるに、一般の国民と同じように『公』より『私』を優先されていると感じます。これでは一般の国民と変わりません。
明石氏は秋篠宮家と眞子さまの名をあげているが、今上も雅子皇后も『私』優先のかたです。
そもそも上皇上皇后が昭和天皇までの天皇が24時間「天皇」だったのを、「天皇にもプライベートな時間があるべきだ。」と、一日を「公」「私」に分け、夕方以降を「私」の時間と定めたときから、ことは始まっていたのではないでしょうか。
昭和生まれの私は365日24時間「天皇」であった昭和天皇に馴染んでいたので、上皇が「これからは天皇である時間とプライベートの時間を分ける。」と言出した時には、急に天皇が遠くへ行ってしまったような、余所余所しいかたになったような、寂しいような気がしたものです。
夕方になって「ハイ!今日の天皇の業務終わり!」て、サラリーマンではないのですから。
当時、プライベートな時間に入られた上皇に、急用ができて宮内庁職員が伺うと、上皇は大変機嫌が悪く「明日にしてくれ」とお会いにならないという記事もありました。
いつ何時人が奏上に来るかもしれないので、と入浴後もスーツにネクタイ姿だった昭和天皇を見て「あんなことはムダだ。疲れる。私はしたくない。」とでも上皇は思われたのでしょうか。
<天皇としての公>とプライベートを分ければ、プライベートを大切と思う心が生まれる。
そして、次第にプライベートを支えるために公があるような気がしてくる。
現在の『私』優先の皇室は、上皇上皇后が<天皇としての公>とプライベートをきっちりと分けた時から始まったのだと私は考えています。
もはや皇室は、特別な存在ではなくなったということです。コロナ禍で今まさに国民が苦しんでいるときであるがゆえに、『私』の優先が際立っていると思います。『公』を優先させる生き方というものが、皇室の中で継承されなかったのであれば、それは残念なことです。せめて、戦後の長きにわたって皇室がなぜ国民から支持され続けたのか、長い歴史を振り返って考えられる人物が皇室をお支えしていれば違っていたのかもしれません。
一般の国民と同じように私的に何でもできるというのであれば、皇族の生活を税金で支えるのはおかしいのではという考えを持つようになる人もいるでしょう。国民のために働いていただくからこそ、皇室は特別な存在となり国民の尊敬や支持が得られるのではないでしょうか」
国民のために働く、って具体的にはどういうことでしょうね。
公務と言われるものの中には「個人的関係による社交」「個人的な趣味、鑑賞」も入っていますね。
個人的関係の社交、趣味、鑑賞をするな、とは申しませんが、それを「国民の為に働いています。公務してます。」と言われるのは、どうも、ね。
国民のために働く、第一位は「無私の心で国と国民の安寧と繁栄を祈る」ことでしょう。
そして、国と国民への無私の祈りを背景とした伝統行事を伝えて行くことでしょう。
天皇のお田植えはどうなったですか?皇后の養蚕はどうなったのですか?
「『私』を捨てて『公』に尽くすという皇室が、いまの日本社会のなかであまりに異質になってしまったのでしょう。もう、特別な存在としての皇室は必要とされない、もしかするとあってはならない存在になっているのかもしれません」
いやいや、国民は『私』を捨てて『公』に尽くす姿を皇室に求めるからこそ、自分ファーストで自分さえ良ければと生きる小室にNOをつきつけているのでしょう。
生きるために国民は時には自分ファーストにならざるを得ないからこそ、国民とは一線を画した身位にあり、衣食住全てを保証された高貴な方々には、高貴な生き方をされることを望むのですわね。
明石さんは、「国民がもう、そのような清浄な生き方に何の価値も見ていないのなら、皇室は存在する意味がない」と言っているだけで、明石さんご自身は清浄な生き方に価値を見出し、国民も皇室もそのような生き方に価値を見出して欲しいと思われているのではないか。
そして、清浄な生き方を忘れた現在の皇室に失望されているのではないでしょうか。
日本社会がもはや皇室を必要としていない?
清浄な生き方を忘れた皇室は必要無いでしょうね。
小室を将来の天皇の義兄として平気なら皇室は小室と同類です。
小室と同類の皇室なら、私は要らない。