憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

秋篠宮殿下「日本学生科学賞」の表彰式にご臨席

2021-12-24 22:25:40 | 公務
😇 陛下が功成り遂げた大人を宮殿に招いての表彰や叙勲は、屋上屋を重ねるようなものだと思っている。陛下ばかりで無い、皇族方がお出ましになる表彰式の殆どは栄誉に栄誉を重ねるようであり、お仲間内のお手盛り表彰風であり、で、公務の担い手が少ないというのなら、そのような表彰式に皇族が関わらなくても良いでは無いかと、いつも見ている。

その中で秋篠宮殿下が臨まれた「日本学生科学賞」のような若者を対象にした賞は日本の未来を担う若者を励ますという意味で意義が有ると思う。
もっと増やしても良いのではないか。スポーツや芸術、つまり、生活に潤いを与える方面で活躍する若者ばかりに華やかなスポットがあたり勝ちだで、社会生活そのものを支え、耐えることを当たり前として労働をしているような幾千万の若者にはなかなか晴れがましい場が与えられない。

陛下は金メダルを取った者、コンクールで優勝した者ばかりに栄誉を与えるのでは無く、日々労働に励み社会を支えている若者達にも眼を向け栄誉を与えて欲しきもの、と思う。


😇 受章者は悠仁さまと同年代。お好きな生物部門での受賞とあって、話しも弾まれたでしょう。
こういう殿下は「いいね!」
つくづく眞子さんの件が惜しまれる。

秋篠宮様 「日本学生科学賞」受賞の生徒とオンラインで懇談
2021年12月24日 18時57分 NHK
秋篠宮様は24日、中高生を対象にした「日本学生科学賞」の表彰式に出席し、受賞した生徒とオンラインで懇談されました。

この賞は、中学生や高校生による物理や生物などの分野の研究を対象にしたもので、ことしは7万点余りの中から22の作品が入賞しました。

東京 江東区で開かれた表彰式には秋篠宮様が出席され、受賞した生徒たちはオンラインで参加しました。



表彰式のあと秋篠宮様は、受賞した生徒とオンラインで懇談され、このうちオシロイバナの種の研究で「内閣総理大臣賞」を受賞した千葉県君津市の中学2年生、赤羽真帆さん(14)は「ほかの植物でも試すとおもしろいと思います」とことばをかけられ「私もそう思います。ほかの植物も調べて視野を広げたいと思います」と話していました。



また、ハチの行動についての研究で「内閣総理大臣賞」を受賞した三重県志摩市の高校2年生、河原永昌さん(17)には、研究の内容を詳細に尋ねられていました。

懇談のあと、河原さんは「私の研究に理解を示して、細かいところまで質問してくださり、貴重な経験になりました」と話していました。

日本学生科学賞
中高生がハイレベルで難しい研究をしているのに驚く。
受章者は「総合型選抜(旧AO)」の対象者となり、希望する大学へ自薦で受験できるそうです。


愛子さま”初公務”決まる

2021-12-24 18:38:02 | 愛子さま
宮内庁が愛子さまの初公務が決まったことを発表。
小説で、映画で、社交界へデビュタントする令嬢たちが登場する舞踏会の場面にワクワクしたものですが、愛子さまの”初公務”も社交界へのデビュタントみたいなものですね。

新年祝賀の儀には、女性皇族方は煌めくティアラ、勲章佩用の正装で並ばれます。世界へ向けて、愛子さまをお披露目する場としてはこれ以上の場はありません。他を圧する貫禄と気品を備えた美しい紀子さまは喪中のため欠席。公務の身ごなしが絶品だった眞子さんはいない。いやが上にも初々しい愛子さまに注目があつまるでしょう。愛子さまは運がお強い。

愛子さま“初公務”「新年祝賀の儀」出席へ
日テレNEWS242021年12月23日18時09分
天皇皇后両陛下の長女・愛子さまが成年行事後、初の公務として来年1月1日の「新年祝賀の儀」に出席されることが発表されました。

宮内庁は23日、年末年始の行事を発表しました。来年の新年行事は、1月1日午前5時半から、天皇陛下が皇居で伊勢神宮などに向かって拝礼する「四方拝」で始まります。

1日午前10時からは皇居・宮殿で「新年祝賀の儀」が行われ、天皇皇后両陛下や皇族方が出席されます。

新年祝賀の儀への出席が、今月、20歳の誕生日を迎えられた愛子さまにとって、成年行事後、初めての公務となります。

また、愛子さまは初めての宮中祭祀として、今月25日に皇居で行われる「大正天皇例祭の儀」に出席されることも発表されました。 
宮内庁によりますと、学習院大学に在学中の愛子さまは、今後、学業を優先しながら、行事への出席を判断されるということです。

例年1月2日に皇居で行われる「新年一般参賀」は、来年は新型コロナウイルスの影響で行われませんが、それに代わるものとして天皇陛下の新年のビデオメッセージが公表される予定です。

😇 雅子さまは「体調」愛子さまは「学業」。
このまま愛子さまも雅子さま同様、行事への出席は直前まで発表されないままになる予感。

1月14日講書始の儀は早々に「学業優先」のため欠席と発表されていたが、18日歌会始めの儀は未定です。御歌だけでも出してくださると良いのですが。





権威と権力・・メモ

2021-12-24 18:37:45 | 天皇
権威と権力について解りやすい解説

皇室への国民の敬意 大阪大名誉教授・加地伸行
2021/12/19 08:00 
この1年、さまざまなことがあったが、国民の大きな関心を集めたものの1つは小室圭さんと眞子(まこ)さんの結婚問題であっただろう。その最大理由は、皇室と一般人との婚姻という特別な関係に対してである。そのことにおいて、国民の気持ちに共通するものが根源にあった。

 日本国民には皇室に対して敬意があり、その敬意を傷つけられたくないという願望がある。だからこそ、この結婚には厳しい声もあった。ワイドショーなどによる執拗(しつよう)な〝攻撃〟は続いた。気の毒な話ではある。 

では、皇室への敬意とは、一体、何なのであろうか。話は遠い昔にさかのぼる。さまざまな戦乱のあと、<国家>的な状態となり、皇室がその頂点の元首となる。そしてその地位が確定したのは、律令制の発足からである。すなわち白鳳時代末・奈良時代初めあたりである。 

では、元首とは何か。それは権威と権力との2つを握ることである。これは現代においても同様。ところが、日本ではその両者が分裂したのである。 

すなわち鎌倉幕府が登場し、権力を握ったのである。そこで皇室は、この権力の奪還を図る。後鳥羽上皇による承久(じょうきゅう)の乱。だが、皇室は敗れた。その後、建武(けんむ)の中興を含め、一時的には権力を奪回したこともあったが、結局は権力を奪い返すことはできず、江戸幕府に至ってその状態は確定された。

しかし、権威は保持した。それを支えたのは、律令制に基づく<地方長官の任命>等(など)だ。

江戸時代の大名の後継者は、その継承にあたって、幕府の承認を得た後、形式上、律令制に基づき、地方長官(例えば和泉守(いずみのかみ))の任命書を皇室から拝受(はいじゅ)する。それは、江戸幕府の権力と皇室の権威との並列である。
 
つまり、奈良、平安時代から江戸時代に至る長期間、皇室は権威を保ち続けたのである。正に千年以上の長い歴史として。

 これが一般人の気持ちに自然と広がって今日に至っている。日本国民の皇室への敬意は、強制ではなくて自然な感情となっている。このような例は、世界のどこにもない。諸首長は絶えず、権力闘争をしているだけで国民の敬意などはまずない。だから、たとい権力を握っても、権威がないので、無理やり作ろうとする。最近では中国の習近平国家主席がそれである。 

日本では、首相は権力(人事、予算等)を握っているだけ。権威は皇室。だから首相があれこれ代わっても、驚くべし、国家は微動だにしない。 

首相はもとより、閣僚の任用や高度の位階・勲章等の授与は今も宮中で行われているではないか。律令制開始以来だ。 

国民もそれが当然と思い、皇室に対する敬意、いや畏敬の念は、国民感情となっている。そこから見れば、前引の〝婿どの〟一家の行為の一部において伝統的あり方との違和感を覚え、批判が生まれたのだろう。 

『論語』憲問(けんもん)に曰(いわ)く。仁者(じんしゃ)(有徳者)は必ず勇(勇気)有(あ)り。勇者は必ずしも仁有らず、と。 


😐 国民が皇室に権威を感じなくなったら、皇室の存在価値が無くなるということですね。
敬意も畏敬の念も国民感情。
感情は強い力を持つがうつろいやすい。

平成の天皇皇后が進めた皇室大衆化路線はやはり大失敗だったのでしょう。


愛子さまの反面教師に使われる眞子さん

2021-12-23 23:02:21 | 愛子さま
文芸春秋’22年1月号。今上家お抱え記者と評される友納尚子氏は手慣れた筆致で愛子さま絶賛を続けるが、中に気になる所がある。

ちなみに記事表題の<本当に幸せだったのだろうか>は愛子さまが眞子さんを指して言われた言葉ではない。
表題だけ読むと、あたかも愛子さまが眞子さまのことを言われたように錯覚してしまう。こういう方法は嫌らしい。文藝春秋の品格なのか、友納さんの品格なのか。どっちだろう。

「皇族の結婚とは何が理想なのか」愛子さま20歳が眞子さんの結婚までの過程をご覧になって考えられたこと〈本当に幸せだったのだろうか〉
#3
<抜粋>
今上皇后両陛下の困難を乗り越える方法とは
楽しかった出来事を思い返すと気持ちが安定するので、目の前に困難があったとしても乗り越えられるという実感をお持ちのようだということだった。

😇 なるほど今上陛下のお人柄が伝わります。目の前の困難は過去の楽しかったことを反芻してやり過ごしていたら「何もせずとも愛子は無事に育ったし、私を拒否していた皇后は私を頼りにするようになった。良かった良かった。」でしょうか。
困難は楽しいことを思い出して乗り越えるというかたに、皇室の将来を考えて眞子さんの結婚をどうにかしようという発想は逆立ちしても出てくる筈がなかったのだ、と解ります。少しは期待した私が馬鹿でした。

3年生の時には学校からもらってきた蚕を御所内で育てられたという。美智子上皇后陛下も蚕を大切に育てて来られたため、愛子さまと話が弾むことがあったという。

😰 紀子さまに連れられた幼い眞子さまと佳子さまが美智子さまの養蚕を毎年手伝ったことは、無かったことにされてしまうのでしょうか。
雅子さま、愛子さまが美智子さまの養蚕を手伝ったことなどないでしょうに。
雅子さまは皇后になって初めて渋々養蚕の儀式に形だけ手を出されるようになりましたね。
雑誌は何もしてこなかった雅子さま、愛子さまを称賛し、地道に子供を育てて来られた紀子さまの努力を嗤うような記事ばかり書く。

眞子さんの結婚で愛子さまが考えられたこと
愛子さまは、眞子さんの結婚までの過程をご覧になりながら、皇族の結婚とは何が理想なのかを考えられたといわれている。 
「ご自分の意思で選んだお相手が両陛下や国民から納得を得るためにどうしたらいいのか。どういう相手なら祝福されるか。そういうことを考えると、結婚の時には躊躇なさることもあるかもしれません」
 と天皇家をよく知る人物は語る。

😨 眞子さんと小室が結婚する少し前、愛子さまはTV報道を見て、犬の頭を撫でながら「幸せになられるといいね。」と言われたとかで「愛子さまも二人の結婚を応援している。」という文字が週刊誌に躍ったものでしたが。

実際は眞子さんを後ろ指さして「ああはなりたくない。」と御本人が言ったのか、ご両親や周囲が「ああなってはいけませんよ。」と教えたのか。
従姉を反面教師にして、「ああはなりたくない。」「ああなってはいけない。」と言い合う家族って何なのでしょうね。何か、嫌らしいなー。
天皇の御家族には、従姉を反面教師にするような発想とは無縁でいて欲しかった。
眞子さんと無関係に皇族としての結婚の在り方、を考えるのは良い。眞子さんを見て理想の結婚を考えるのは、単に批判されるのを避けたいという保身でしょう。

〈藤原氏は、自分の娘を天皇のきさきとして、外戚関係を築くことにより、勢力を伸ばしていった。その中でも、藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、摂政や内覧の座について権力を手中におさめていったことが分かった〉

 そしてレポートの最後は、〈道長の人生は本当に幸せだったのだろうか〉と結ばれている。

😇 記事の題名中の<本当に幸せだったのだろうか>は、愛子さまが道長について書いた言葉でした。

外戚になることは本当に幸せかって?そんなことは現在天皇の外戚である小和田のお祖父様に聞いてごらんなさいませ。





自分流の天皇家

2021-12-23 13:05:34 | 天皇
秋篠宮家の失態を利用して、即位するまで低評価だった今上家の評価を上げることを目論む記事が途切れることなく出て来る。今上家を絶対評価で高評価に繋げることが出来ないことを「チーム今上家」も承知しているのでしょう。
私は今上家にも秋篠宮家にも皇室の再生のために奮起して頂きたいと願っているのですが「チーム今上家」の採る方法は常に姑息で卑しい。もっと何か、違う方法は無いものかと思う。

黒田清子さんのティアラ借用は愛子さまのご提案だった…成年を前にご両親へ宛てた“お手紙の内容”《皇后雅子さまは手紙やカードの数々を箱に保管》
#1
文藝春秋2022年1月号 友納尚子

😇 いつまで愛子さまのティアラネタを美談で引っ張るつもりなのでしょうか。しつこいですね。
このしつこさ、クドさは上皇上皇后の「最後の〇〇」と同じしつこさ、クドさ。執念深ささえ感じてしまいます。


<抜粋>
お誕生日をむかえる数週間前、愛子さまは新しい親子関係の始まりとなるこの日に向けて、両陛下に宛てて、育てていただいた感謝の気持ちを手紙にしたためられた。
 雅子皇后が実家の小和田家でそうだったように、愛子さまも節目の時には、手紙やカードに感謝のお気持ちを綴られ、両親に渡してきたという。

😇 それは単に外交官で海外暮らしが長い小和田家がちょっとしたことでカードを贈り合う欧米の文化風習に馴染んでいたということではないでしょうか。

両陛下への感謝の挨拶は成年式の中に含まれていますね。愛子さまの成年式では、両陛下への挨拶は非公開でしたので、愛子さまが何を言われたのか、両陛下がどのような御言葉を掛けられたのか不明ですが、心のこもったやり取りであったことは想像できます。
感謝の意は何度表しても良いとはいうものの、このようなことまで、さも立派な事のように取り上げて報じて、ついでに雅子さまと小和田家の印象まで良くしようという魂胆が透けて見える。なんとなく嫌な感じ。

奇しくも、この度ティアラをお借りした天皇陛下の妹黒田清子さんが学ばれたのと同じ学部だ。 愛子さまは現在、学習院大学文学部日本語日本文学科の2年生。

😇 毎度、国民に評価が高い黒田清子さんを引き合いにして、愛子さまの評価を高めようとするし…。
黒田清子さんと同じ、、、黒田清子さんがお手本、、、黒田清子さんに学ばれて、、、等々。しっこい。クドい。黒田清子さん抜きに、愛子さまの素晴らしさを語れないものでしょうか。

成年にともなう関連行事は、12月1日と5日の2回に分けて行われるという異例の対応となった。

 宮内庁は、事前にその理由について「1日は愛子さまの授業があるため」と説明。学業優先は黒田さん成年時の先例を踏まえたものだというが、それはあくまで表向きの理由であって実際には、いまだに尾を引く秋篠宮家の長女、小室眞子さんの結婚問題の影響も考慮したといわれた。

😇 わはは。友納さんが「学業優先は表向き理由」というからには、愛子さまの「学業優先」は表向き理由で決まりですね!

黒田清子さんが成年になった平成元年(1989)は昭和天皇の喪中だったため、お誕生日当日は勲一等宝冠章(現在の宝冠大綬章)の親授式だけが行われたが、祝賀行事は年をまたいで行われ、祝宴も晩餐会も催され盛大なものだった。翌日も茶会などの行事は続き、多くの人たちから祝福を受けられた。

😇 喪中であっても、清子さんの成年式の宮中行事は当日に滞りなく行われた。愛子さまも黒田清子さまに倣うのなら、成年式の宮中行事は12月1日、皇族、三権の長、ご親戚の挨拶を受ける祝賀行事は5日、というスタイルになるはずですが?

今では、女性皇族の象徴ともされるティアラだが、元々は海外の女王が日本に招かれた際に着けていたもので、日本には着ける伝統や習慣はなかった。その歴史的な経緯を知った愛子さまは、新しいティアラを製作しないことを両陛下にご提案。3人で話し合われた結果、黒田清子さんのものを借用することにしたのだという。

😱 イヤイヤイヤ。何を仰る!
女性皇族の礼装を定めた明治19年婦人服制以来、礼装にティアラは必須だったのです。ティアラと礼服のセットで皇族女性の礼装が完成するのです。
美智子さまが御自分の都合でティアラを付けなくなって以来、ティアラの扱いが軽くなりましたね。



「ティアラは元々日本の文化ではない」とおっしゃるのなら、西洋に追いつくために定めた婦人服制から脱して、古式ゆかしい装束など皇族の礼服に如何でしょうか。
ティアラ無しの寒々しく貧乏臭い礼服のオンパレードより余程日本文化の素晴らしさを伝える機会になると思います。

黒田清子さんのティアラを借りることが愛子さまの提案だったとは信じがたい。宮内庁の「有り難き思し召し」の殆どは、日が経ってから出てくる。後付け、なのではないか。

愛子さまは、公の場でこれほど多くの儀式に臨まれたことがない。そのためこの日に向けて両陛下から所作を習い、何度も練習をなさってきたといわれた。ご自分でノートに鳳凰の間、竹の間など各部屋の間取りを書きこんで、入っていくところから退場なさるところまでの経路やお立ちになる位置などを確認されていたそうだ。

😐 もしかして・・・すごく物覚えが悪いという事実を言い換えていらっしゃるのではありませんでしょうか?
三月の記者会見はどうなるのでしょう。

祭祀への欠席もそうですが、ティアラ、成年式、決まり事を自分流に変えて行く今上家。決まり通りにしない理由に、コロナと秋篠宮と学業を使う。決して褒められるものでは無いとおもうのだが。