乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『祇園祭厄除けちまき』に思う。

2009-07-23 | お出かけ



   祇園祭厄除けちまき




 幼い頃父と祇園祭に行くとちまきを買ってもらい、鉾に乗せてもらいました。

 当時も今も、何かを購入すると、女の子も登れる鉾がありました。

 帰宅後ちまきを食べようと思うと、
「◯◯ちゃん、それは食べられへんよ。」
と笑われてしまいました。

 食べられないちまきは毎年新しいものに変えられ、玄関の表札の横に掲げられていました。




 友人のお家でも門口や玄関にちまきを飾ったお宅は多くありました。

 祇園祭が来ると夏もまっただなか。

 多くが買い求める 夏からの一年を守ってくれる厄よけにふさわしいちまきでした。



 中学生になると友人と一緒に祇園祭に出かけることもありました。

 もちろんみんな、まだ明るい時間帯に練り歩きました。

 祇園囃子などは始まってない時間でした。




 私たちの多くは、ちまきをお土産に買い求めました。

 家に帰ると両親は喜んでくれ、古いものと取り替えてくれました。

 古いちまきは本来八坂さん(八坂神社)にお返しするのでしょうけれど、親がどのようにしていたかは定かではありません。




 祇園祭のちまきの起源を調べてみました。

 素戔嗚尊は旅の途中でもてなされたことへのお礼として渡されたそうです。



 ところで今年宵山の日に山鉾町でも真新しいちまきをつらされた家を多く見かけました。

 写真は刈谷山のちまきで洲。



 ちまきは山や鉾によって御利益が違うとされていますが、厄よけにおいては共通しています。



 わが家は毎年歴史の大先輩に某神社の祭の松の葉の束(正式名は知りません)を頂戴しており玄関に飾っていますので、祇園祭のちまきは購入しませんでした。

 心のこもったもの松のお飾りものは、心のよりどころとして安心をもたらす感じがいたします。



 とりとめもない話を最後まで効いていただきまして、ありがとうございました。

 感謝申し上げます。


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97; きみまろ人生劇場『こんな女房に誰がした?』 PHP文庫綾小路きみまろ著

2009-07-23 | 読書全般(古典など以外の一般書)
 
(写真は 「ホラ貝」)





 記録だけ  2009年度 97冊目          



    きみまろ人生劇場『こんな女房に誰がした?  綾小路きみまろ』
    
      
  
 

              


 綾小路きみまろ 著

 PHP文庫

 215ページ 476円  


    

 本日の二冊目は気楽に『こんな女房に誰がした?  綾小路きみまろ』を選ぶ。

 タージ・アッサルタネ著 『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』を時間をかけての読了。

『こんな女房に誰がした?  綾小路きみまろ』は40分前後で読む。



 当たり前のことを語呂合わせ言葉遊びをふまえながら、口調良く当たり前のように話す(書く)綾小路きみまろ。

 こういった話は中高年には決のかと感心することしきりなし。

 七五調の口調は日本人の心に自然に入ってくるのだろうか。

 スパイス値ユーモアの効いた説教話。



 私は188ページのバ◯ア◯ラを飲みたがらない夫におかゆに混ぜたらおかゆが固くなった・・・まで来て、はじめて笑ったさ。



 さ!

口直しにラーメンズの『片桐』(DVDの中の一本)でも見てこようっと^^V




 
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『石見神楽』 八坂神社島根奉参会 京都島根県人会  /祇園祭宵山

2009-07-23 | 舞台・芝居
 7月16日祇園祭宵山にて   



      石見神楽     八坂神社島根奉参会

               京都島根県人会







 はじめて神楽を見ました。

 三年越しの願いがやっとかないました。

 京都の八坂神社の能舞台で、午後七時から三時間余、六演目でした。

 帰宅は夜の12時をとうにまわっていました。

 あまりの私の上機嫌に、遅い帰宅にも関わらず 家族は歓んで話を聞いてくれました。

 今も神楽の余韻は残っています。




 あまりにもハイになっていたので、わざと記録をずらしました。

 演目は次の通りです。



   塩祓
 
   天神

   大江山

   恵比寿

   鍾馗

   大蛇



 写真も撮らせていただきました。

 今も眺めてはにやにや笑って見とれては楽しんでいます。

 しかしながら なにぶん、演目の中味を全く知らないため、どこでシャッターを押していいのかわかりません。

 まるで ずれた大向こうのようなものです。



 腕前も悪く、ピントはあいません。

 掲載許可もいただいておりません。



 すばらしい神楽芸術作品をとっておられます広島のしし様のすばらしい作品に私の目がなじんでます。

 故、私の陳腐な写真はちょっとまずいと感じます。

 見られたものではありませんし、すばらしい神楽をけがしてはなりません。

 よって今回の写真は舞台だけを記録させていただきました。



 演目内容もあまり知らないので、濃くて深いしし様のブログで、再度学ばせていただきながら 見た舞台を思い浮かべたいと思います。



 なにぶん神楽の最初の一歩!でした。

 とても楽しめました!!

 いい経験をさせていただきました。

 来年も行ければいいな!と思っています。



 八坂神社で行われた石見神楽は、京都に済んでおられる島根県の方の会のようです。

 正式には 京都島根県人会というらしいのです。

 普段は会社や農協に勤められているという説明がありました。



 私は気合いを入れて早めに行ったのですが、座った席は一番後ろ、9番目でした。

 神楽の関係者の方は優しかったので、はじめての神楽体験の緊張はほぐれました。

 石見神楽プーログラムや地図や神楽の説明やパンフレットを頂戴しました。

 私は石見神楽プーログラムをいただいてなければ、メモもとれない興奮ぶりでしたので、演目がわからなくなっていたことでしょう。

 パンフレットは広げると大きな神楽のポシターのようになります。

 このパンフレットは以前島根の益田で頂戴したパンフレットと同じく、私の宝物です。



 演目はどれも迫力があり、あるいは楽しいものでした。

 恵比寿ではこちらに向けて、三つの飴を投げて下さいました。

 私はとなり合わせの奥様方と三人で飴を分けました。

 恵比寿にいただいた飴は恐れ多くももったいなくて、今も食べることができません。

 宝物のパンフレットと一緒においているのですが、この先この飴はどうしたものかと軽く悩んでいます。

 やはり食べるべきでしょうか?

 こういったことで悩める私は天下太平であり、幸せものなのだと思います。

  

 最後になりましたが、あこがれの神楽を拝見できて光栄に思います。

 関係者のみなさま、ありがとうございました。

 心より御礼申しあげます。



 記録を最後まで読んで下さいましたみなさま、ありがとうございます。

 心より感謝いたします。


  


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96; 『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』 タージ・アッサルタネ著 東洋文庫

2009-07-23 | 読書全般(古典など以外の一般書)
 

 

 

 (写真はイランのビーセトゥーン。

  一枚目の写真のおじいさんにつレテモラッレシーリーンの浮き彫りの遺跡へ。

  私はイランの男前のまじめそうな大学生二人と一緒にシーリーンを見に行った。

  大学生は優しく、険しい道や崖は助けてくれる。

  スパンコールがいっぱい付いた美しい(中国製の)カバンをくれた。

  イランではまだまだ日本人は珍しいらしく、かなり親切な人も多い。 )




      


 

 記録だけ  2009年度 96冊目          



    『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』タージ・アッサルタネ
    
      
  
 

              


 タージ・アッサルタネ 著

 アッバース・アマーナト 編

 田隅 恒生 訳

 1998年11月9日 初版

 平凡社

 東洋文庫 644

 414ページ 3000+税   


    



 7月23日丑三つ刻、タージ・アッサルタネ著 『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』を読了。

『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』は『七王妃物語』と併読して100ページ余を読み進めていたが、どうにも塩梅が悪い。

 仕方なしに、初めから読み始めた。




 解説部分がしょっぱなから118ページ。これが何回でめげる。

 ただ、私の場合はこの部分を二度読んだので、うっすらとイメージとして頭に入った。




 物語部分の『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』が始まる。

『ペルシア王宮物語 ハレムに育った女王』にはいると楽しく読み進めることができる。

 歴史的背景も結構細やかで興味深い。

 イラン女性の本来の姿には目を無垢ばかり。

 サアディの詩を二度ばかり引用。

 シーリーンのことにも少しふれられ、二度ばかり行ったことのあるイランを思い出すのにはたいへん楽しい本であった。

 


 イランの関係の本を読んでいると『王書』が度々出てくる。

 知人は先日『ペルシアの神話』を貸してくれたが、筑摩書房の世界文学大系68 『アラビア・ペルシア集』にも一部載っており、訳された部分が違うという。

 この本はサアディの『果樹園』を問うていた時に教えていただいたもの。

『果樹園』はほんの一部だけが『アラビア・ペルシア集』にも載せられているという。

 手元に届いた『ペルシアの神話』と『アラビア・ペルシア集』

 両方面白そうなので、どちらから読もうかと、うれしい迷いをもって楽しんでいる。


      
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