東大寺慶讃能 2024。.10.15 能「源氏供養」 仕舞「須磨源氏」「葵上」「屋島」
ずいぶん昔から楽しんでいる、大仏秋の祭りの日に、東大寺慶讃能を楽しむ。
この秋は、大変珍しく、お練りや舞楽がなかった。
理由を問うと、東大寺の方でさえ、舞楽がなかったことをご存じなかった。
毎年、能楽は午後の三時からが定例となっているが、今年は舞楽がなく一時半からで、危うく、能楽を見逃すところであった。
能楽は「源氏供養」
何度も聴いているが、今回も写真は撮らず見ることと味わうことに集中していたので、大変感動した。
今年は大河ドラマのせいか、源氏関係の曲が多かった。
演目の多くが源氏物語の関係で、これも時代の流れかとほくそえんだ。
そういえば、初めて見ようと決心した大河ドラマを少ししか見ていない、、、
初めて録画し、見ようと意気込んではいたものの、見鑑賞が三十本以上たまっている。
肩の荷が重い、、、
以下は頂いたパンフレットより
仕舞「須磨源氏」
『源氏物語』の須磨・明石の巻の物語である。
日向国の神官藤原興範は伊勢神宮へと参詣に旅立つた。
途中、光源氏が住んでいたと言う摂津ノ 国須磨の浦に立ちよった時、若木の桜を眺める老人に出会った。
老人は光源氏の住居にあった桜であると説明しながら光源氏の生涯について語 り始めた。語り終わると、
「私は光源氏である」
と言い終え消えて行った。
旅寝をしているとどこからともなく管弦の音が鳴り響き興範の前に光源氏の霊がありし世の気高い姿で現れた。
光源氏の霊は
「兜率天に住んでい る、今夜は月下に袖を翻して青海波の舞楽を舞う。」
と言い華やかだった昔を懐かしみながら舞い続ける、光源氏の霊は夜明けとともに静かに消 えて行った。
仕舞「葵上」
左大臣の息女、光源氏の正妻である葵上は執拗な物の怪に悩まされ病の床に伏していた。
照日の巫女に物の怪の正体を占わせると、破れ車に 乗った六条御息所の生霊が現れ
「あら恥かしやと今とても、忍び車のわが姿」
と恨み事を言った。
六条御息所は桐壺帝の弟の妃であり皇太子紀と して栄耀栄華を誇った。
夫に先立たれ光源氏と恋仲になった。
昔、葵祭りの行列に出る光源氏を見物に行こうと質素な牛車で出かけた六条御息所 だったが地位と権力に物を言わせた葵上一行に車を打ち壊され無理やりその場を立ち退かされた。
その屈辱感は耐えがたく、魂は体を抜け出し 葵 上 に 取り 憑 くように なった 、と 話 す。
病臥の葵上を激しく打ち据え、葵祭で打ち壊された車に乗せ、この世から連れ去ろうとする。
叡山横川の小聖が祈祷を始めると、怨みの余り鬼の姿へと変じた御息所の怨霊が再び現れ、その怨念は行者の法力と激しく争ったが、心を和ら げ成仏の身となって立ち去ってゆく。
一調「屋島」
西国修行の旅に出た僧たちが讃岐国の屋島を訪れた。僧たちは漁翁の宿で一夜を明かすこととなった。
漁翁は僧たちに屋島の合戦を語り始め た。物語が終わった時に、私は源義経の亡魂だと漁翁が明かし「よし常の憂き世」と言い残して消えた。
僧は、夢で再び義経に会おうと戦場になっ た場所で苔を筵に眠りについた。
やがて、甲冑姿で現れた義経の亡霊が現れた。
源平合戦の最中に落とした弓を危険覚悟に取り返した修羅道のことを語り続けながら夜が明けて 行き僧は夢から目覚めた。
能「源氏供養」
安居院の法印が石山寺へ参詣しようとすると女に呼び止められた。
「源氏物語」を石山寺でかいたが、光源氏の供養をしなかったために成仏でき ないので、源氏と自分の供養をして欲しいと求めてきた。
「源氏の供養の時は自分も現れて、共に源氏を弔う」
と約束。
法印は「源氏物語」を書いた方かと問うと、女は紫式部と我が身の知られたことを恥 じながら姿を消して行った。
石山寺で弔う法印の前に、紫式部の霊が現れ「源氏物語」の巻名を織り込んだ現文に世の無常と阿弥の導きを願っ て舞を舞うと、これで光源氏の供養と併せて自らも成仏できると喜んで姿を消していった。