菅原天満宮 奈良(日本最古の天満宮 菅原神社の公式HPによる) (6景)筆塚あり
大和文華館に行く途中のこと。菅原天満宮を見つけた。
道真さまの好きな私は、天満宮に吸い込まれるようにお参りする。
境内は、わたくし一人。
静かだ。
歌人の和歌が天井にかかっていたり、中には着物がかかっていたり。
存在感を感じる大きなまん丸の鏡神々しく、こちらを向いている。
狛犬の近くには、道真さまゆかり位の、牛の狛犬(?)の数々。
写真撮影したが、センサーがあったのか、携帯電話がナビの最中の為だったせいか。
菅原天満宮そのものがパワーが強いのか、、、
あるいは、道真さまの戒めなのか、上の写真は全て撮影写真のファイルには残ってなかった。
偶然ならばいいのだが、、、
ずいぶん、不思議な、初めての怪奇現象である。
菅原神社の公式HPによれば、日本最古の天満宮だということだ。
素晴らしい。
鏡や牛の写真は残ってなかったが、不思議なことに夕刻の薪御能の『融』私の好きな貫之さまと業平さまの名と歌が出てきた。
前シテで貫之さまの歌という言葉が出てきて、その後、間狂言で、在原朝臣、貫之さまの順で歌が出てきた。
この日、わたくしの好きな道真さま、業平さま、貫之さまのお三方が現れたことになる。
これも何気に、道真さまの御力ではないかといった阿呆なことを考えている。
私はどこまでも、幸せな人でございまする。
この牛は、鏡からずいぶん離れた場所のもの。
流石の道真さま。筆塚があった^^
菅原の地 (菅原天満宮公式HP引用)
現代の菅原は、奈良市の一町名にすぎませんが、平城遷都以前から存在していた古代地名です。
その範囲は、かなり広域に及んでいました。『日本書紀』によれば、「推古天皇十五年に菅原の池を作る」とありますが、この大池は西方の蛙股池と考えられます。
また垂仁天皇の御陵は「菅原伏見東御陵」と定められ、安康天皇の御陵は「菅原伏見西御陵」と記されています。
元明天皇は、平城遷都前の和銅元年9月14日に藤原宮から「菅原」の地に行幸され、21日までこの地にご滞在になり、平城宮予定地をご視察になっています。
その後、11月7日に菅原の地の民家90軒を移転し、負郭を給わっています。おそらく平城遷都前は、佐紀の地に接するところまで菅原が延びていて、その辺りの民家が移されたものと考えられます。
こうしたことから考えると、往昔の菅原は春日、佐保、率川、添などとともに、重要な土地柄であったことがわかります。
〒631-0842 奈良県奈良市菅原東1-15-1 (旧住所:奈良市菅原町518番地)