乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

東海道中膝栗毛 三巻 8 十一丁裏 十二丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-26 | 十返舎一九

氷室神社

 

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 8 十一丁裏 十二丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

十一丁裏

吉ばゞあがぬかすにや、古傘(ふるからかさ)をやらふから、ひつ

ぺがしてきろとけつかる、べらぼうめ、やらうの猪(しゝ)

じやァあんめいし、そんなもんがきられるもんかといつたら、

すんならこり(是)よヲきろとつて、ゑい(能)、みしろ(筵)を壱まい

うつくれたとおもへ、その みしろ を、きんによう(昨日)のばん

げに、畑(はた)で湯(ゆ)につつぱいるとつて、脱(ぬい)でおいたら

聞きやれ、だいじのきものを、がらゝ おま(馬)にくハれてし

まつたァ、いま/\しい、ねからきた八、このこてやいのはなしをきいていて、大きに、きやうに、やがてこゝをたちいでゝ、

 

十二丁表

ゆくと、長坂大時雨といへるあたり、旅人壱にん、こんのもめん、かつぱを

きて、ふろしきづゝみと、やなぎごりをかたにひつかけたるが、あとになり、さきになり、

たび人十吉「あなた方ハどこでござります、弥二「わつちらァ、ゑどさ

たび人十吉「わたくしもえとでござります、あなた、ゑどハどの辺

でござります、弥二かん田さ、十吉「かん田にハわたくしもおりまし

たが、どぶかあなた方見ゆたよふだ、神田ハどこでござ

ります、弥二「神田の八丁ぼりで、わつちらが内ハ、とちめんや

弥次郎兵衛といつて、まぐちが廿五間(けん)に裏行が四千間

かどやしきの土蔵づくりで、大造(たいそう)なものよ、十吉「ハァ、その

ゑい(能)

 かいな

 コブナグサの古名。( 連語 )〔近世語〕

 ① 〔終助詞「かい」に終助詞「な」の付いたもの〕
  文末に用い、疑問の意をもって確かめる気持ちを表す。
  …かなあ。…かねえ。
 「十夜の内にしんだ者は仏になるといひますが、定じよう-/浄瑠璃・天の網島 上」
 
 ② 〔「そうかいな」を略した応答語〕
  そうですか。そうかねえ。
 「『ほつそりすうわり柳腰とさへいふぢやあねえか』
  『-。こちやまた風負けせいで能(えい)かと思うた』/滑稽本・浮世風呂 2」
 
みしろ(筵 むしろ) 
 1 藺(い)・藁(わら)・竹・蒲(がま)などの植物を編んでつくった敷物。特に藁のを言う。
 
 2 座。席。
 
みしろ (さんだい 三代)
 
 1 天子・君主・家長など、ある地位の連続した三代。

 2 親・子・孫と続く三世代。

おま(馬)

 うま

 
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東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-25 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 7 十丁裏 十一丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

十丁裏

斯(かく)て山中といへる建場(たてば)に似たる、爰ハ両側に、茶

屋軒をならべて、「おやすみなさいまァし、くだり

諸白(もろはく)もおざりやァす、もち(餅)よヲ、あがりやァし、いつ

せんめしヲあがりやァし、お休みなさいやァし/\

弥二「きた八、ちつと休んでいかふ、 ト ちゃ屋へ入る、此内のにハにつきたてたる、へつついのまへへ

おもてのかたより、たけのきせるをくはへて、一人のくもすけ、ずつと入り、「おへねへひやうたゝれどもだ、

ある熊や、どぶ八目が、峠まで長持ちでゆつたァな、

 

十一丁表

ひとりのくもすけ「ゑいは、そんざいあびてが、あんどんにげんこ(五十)ハ

ふんだくるべい、この長もちといふハ、六百の事、あびごといふハ、さりての事也、今一人「コレそりやァ

ゑいが、コノやろうが、しやらくを見ろべ、しつかりもん

つきをきァがつた、酒ごもきている雲すけ、「きんによう(昨日)、小田原

の甲州屋で、やらやつと壱まいもらつてきたが、あん

まり裾が長くて、お医者様のよふだとけつかる

丸はだかのくも、「やろうめらァ、工面がゑいから、すきなものをき

やがる、こんぢう(此中)内から、はだかでゐりやァ、がら

 

建場(たてば)

  江戸時代、宿場と宿場の間の街道などで、人足、駕籠かきなどの休息した所。

  明治以後は人力車や馬車などの発着所をいう。

 2 人の多く集まる所。たまり場。

 3 位置。たちば。

  業者がその日に集めた廃品を買い取る問屋。

諸白(もろはく)

 諸白(もろはく) とは日本酒の醸造において、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名。

 または、その製法で造られた透明度の高い酒、今日でいう清酒とほぼ等しい酒のこと。

 一方、麹米は玄米のままで、掛け米(蒸米)だけに精白米を用いる製法、またはその製法で造られた酒のことを片白(かたはく)という。

 麹米、掛け米ともに精白しなければ並酒(なみざけ)と呼ばれた。

諸白(もろはく)もおざりやァす、

 → 諸白(もろはく)もございます

げんこ(五十)

 ① 固く握った手。

 ② 〔近世、馬子、駕籠(かご)かきなどが用いた隠語〕 五・五〇・五〇〇などの金額。片手

甲州屋

 実家の宿屋か、酒屋。(日本古典文学全集 頭注)

やらやつと

 やっとの事で。(日本古典文学全集 頭注)

裾が長くて

 医者の着る気長い合羽に見立てて(日本古典文学全集 頭注)

 

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 6 九丁裏 十丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

九丁裏

(ゑつちうふん)どしであつた、弥二「てめへ、ゆふべ、ふろへはいるとき、

ふんどしをたもとへいれて、それなりに忘れたハ、おか

しい、大かた、けさ、手水(てうづ)をつかつて、顔もそれで

ふいたろふ、きたねへおとこだ、北八「そふよ、どうりこそ

わるぐさい手ぬぐひだとおもつた、弥二「ナニ、ぜんてい

てめへが、あたじけねへから、こんな恥をかくハ、北八「なぜ

弥二「もめんをしめるから、手ぬぐひと取ちがへるハ、コレ

おいらァ、見やれ、いつでも絹のふんどしだ、北八「それだ

 

十丁表

とつて、やねやがながつぼねのふきかへに行きやァ

しめへし、きぬをしめることもねへす、エヽまゝよ、たびの

はぢハかきすてだ、斯(かう)もあらふる、

 

 手ぬくひと おもふてかふる ふんどしハ

  さてこそ恥を さらしなりけり

 

それより かぶと石をよめる弥次郎兵衛

 

 さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

  かゝる難所に 降参やして

 

手水(てうづ)

 手水(ちょうず)

 手や顔などを洗い清めること。また、そのための水。

 出典枕草子 正月に寺にこもりたるは
「半挿(はんざふ)にてうづ入れて」
 [訳] 半挿(=湯水を入れて物に注ぐ器)に水を入れて。◆「てみづ」のウ音便。
 
ながつぼね
 
 大奥
 
斯(かう) かかる
 
 [連体]《「かくある」の音変化》このような。こういう。「斯かる行為は許されない」
 
 
かぶと石 
 
 神奈川県
 
 湯河原は源頼朝にゆかりがあり、様々な伝説が残っています。

 頼朝が石橋山の合戦で敗れ、逃れている時に兜を脱いで休息したとされるのが兜石。その形はまさしく頼朝が脱いだ兜にそっくりです。

 その近くにあるのが立石で、その姿はまるで地面に立っているかのよう。

 頼朝が自らの天下を占うために投げたと言われ、見事に山の中腹に立ったことから運が開け、鎌倉幕府を開くにいたったと言い伝えられています。(湯河原町観光課HP https://www.yugawara.or.jp/sightseeing/753/)

 

かぶと石 

 かぶとを脱ぐ

 →降参やして

   さがこゝに 脱捨おきし かぶといし

   かゝる難所に 降参やして

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 5 八丁裏 九丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

八丁裏

(「ふじのあたまが、つん)もへる、なじよにけふりがつんもへる、三嶋女郎衆(ぢょろしゆ)

に、がらゝ打こみ、こがれおじゆつたらつんもへたぁ、

しよんがへドゥ/″\ こちらからゆく馬かた たがいに行ちがひて 「ヒヤア 出羽宿の

先生どふだ、向ふよりくる馬かた 「べらぼうめ、おれが先生

なりやァ、うぬハはつつけだァ 「ヒイン/\ 又むかうより来るハお大名

のお国からおゑと入の女中たち、かごをつらせて、四、五人づれ、さいぎつれてくるを見て弥次郎 「ヲヤ/\、ゑらい/\

きた八 「ほんに是ハみな生た女だ、きめう/\、ナント弥次さん、つかねへこつたが、白い手拭をかぶると、顔の色

 

九丁表

がしろくなつて、とんだいきな男にみへるといふ

ことだが、ほんとうの 弥次「ソリヤァ ちげ(違)へなしさ、北八「よし/\

トたもとから、さらしのてぬぐいを出して、ぐつとほうかふりにすると、

とふりすがひに女中たち、きた八がかほをのぞいて見て、みな/\わらひ、

とふりすぎる、 「ナント、どうだ、今の女どもが、おいらが顔を見

て、うれしそうに笑いていつたハ、どふでも色男ハ

ちがつたもんだ、弥二「わらつたはづだ、てめへの手拭

を見や、木綿さなだの紐が、さがつていらァ、

北八「ヤァ/\、こりやぁ、手じやね、ゑつちうふん

 

出羽宿

 江戸時代に入ると村上藩(新潟県村上市)の本城である村上城の城下と、庄内藩(山形県鶴岡市)の本城である鶴ヶ岡城を結ぶ街道として改めて整備され、村上藩主は海、岩石、小俣宿、雷に番所が設置されています。

 庄内藩初代藩主酒井忠勝が初めて御国入りした際にも出羽街道が利用されています。特に参勤交代では利用されず、日本海の沿岸部はが整備されていましたが、羽州浜街道に比べると難所が少なく、季節によっても影響が受けにくかった事から引き続き多くの人々が利用したようです。

 元禄2年(1689)には松尾芭蕉が奥之細道で当地を訪れた際には酒田から鼠ヶ関宿(山形県鶴岡市)までは羽州浜街道を利用し、鼠ヶ関宿からは出羽街道に入り、村上城の城下町に至っています。

 江戸時代後期になると、出羽三山(山形県鶴岡市)の信仰が全国にも広がり、日本海側の参拝者は出羽街道を利用したとされ、村上城の城下の鎮守である神社は戦国時代に本庄氏によって出羽三山の一翼を成す羽黒神社の祭神である羽黒大権現に分霊を勧請したもの。

 藩主の祈願所の観音寺は、同じく出羽三山の一翼を成す湯殿山神社と関係が深かった事から城下の住民も出羽三山を詣でたと思われます。

 又、街道沿いの湯田川温泉(山形県鶴岡市)は鶴ヶ岡城の奥座敷とも云われ庄内藩の温泉場が設けられ、出羽街道を通過する旅人や商人、出羽三山の参詣者などから利用され大変栄え、湯野浜温泉(山形県鶴岡市)、温海(あつみ)温泉(山形県鶴岡市)と共に庄内三名湯に数えられました。   (https://www.niitabi.com/kaidou/dewa.html)

 

木綿さなだの紐

 木綿の平打ちの紐

 

       

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東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-24 | 十返舎一九

 観月祭

 

 東海道中膝栗毛 三巻 4 七丁裏 八丁表  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁裏

扨(さて)もわれ/\、伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕

さまへは月参(つきまいり)も大願うを起こし、ぶらりしやらりと

出かけ、ねつから急ず候ほどに、ゑい奴とはこねの

駅に着て候、玉くしげ 箱根の山の 九折/\

げにや久肩の醴(あまざけ)売りや 産しよ魚の名所多き

山路かな、 あまざけやうりのおやぢ「めいぶつあばらしやいませ あま

ざけのましやいませ、 北八「弥次さん、ちつと休やせう、

ヲイ、一盃(いつペい)くんな、トせう木にこしをかける、おやじ一杯くんで出す、「こいつハ黒い/\、

 

八丁表

弥次「くろいよふであまいハ、遠州はまじやァな

いか 北八「わりい/\、コウ、おめへ、なぜのまねへ 弥二「おいらァ

いやだ、そのちやわんを見や、施主の気づきのね入る

あさがほなりにでもすれバいいよ、 北八「そふき、是じやァ

強飯のかうのもの、奈良漬じやァあるめへの

おやぢ「かうのもんハござらねへが、むめぼしを進ぜます

べい、ト皿にある梅母子をいだす 北八「ヲイ/\、いくらだへ、サァおせハトぜにを払日出て行

向こうよりくる小荷駄馬ひきもきらず、すゞのおと しやん/\/\「富士の頭がつん

月参  (ガッサン)

 がっさん グヮッ‥

 がっさん〔グワツ〕

 つきまいり ‥まゐり

 毎月一定の日に神社や寺に参詣(さんけい)すること。

 つきまいり。

ねつから

 根っから

 一向に

玉くしげ

 「箱」の枕詞

九折/\

 箱根の山道の様に、くねりくねり折れ曲がった道

施主 (せしゅ)

 1 法事・供養(くよう)をする主人役の人。また、寺や僧などに物をほどこす人。

 2 物事、特に建築や造園の資金を出す注文主。
 
あさがほなりにでもすれバいいよ、
 
 歌舞伎『助六』では、風呂上がりの「朝顔のかんぺら」が出てくる^^
 この朝顔のかんぺら、なりはごついが、弱ぇえ弱ぇえ(笑)
 ここでは、朝顔型に開いた茶碗の形こと。

 

 

       

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東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 3 七丁表 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

七丁表

浮世道中膝栗毛後編

       十返舎一九

長明が東海道記に曰、松に雅琴(かぎん)の調あり、浪

に鼓の音ありと、息杖の竹笛をふけバ、助

郷の馬、太鼓をうつ、膝栗毛扁の序びら

き、ヒヤリ/\、すつてん/\、狂言詞 「か様に

候者ハ、お江戸の神田のハ丁掘辺に住居せし、

弥治郎兵衛、きた八と申す、なまけものにて候、

 

 

雅琴(がぎん)

〘名〙 琴の美称。風雅な琴。上品な琴。
 
 ※和漢朗詠(1018頃)下「嵐に随ふ落葉は蕭瑟を含めり 石(いは)に濺く飛泉は雅琴を弄ぶ〈源順〉」
 〔司馬相如‐長門賦〕
 
息杖
 
 駕籠 (かご) かきや重い物を担ぐ人が、ひと休みするときに荷物を支えたり、からだのバランスをとったりするために使う長い杖。

 

 

       

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東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 2 一丁裏 中っ腹五十三次 売っ尻道中之記 閲覧 十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 読んでいるのは、早稲田大学 ヘ13 03123 3巻目

 

 

 

一丁裏

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

閲覧 

膝栗毛初編、序にして、世に行流、仍而(よって)其後編を索(もと)むれ

ども、作者、例の悠長にして、鼻の下と惧に長し、其上

去年の初秋、常総に遊て、鳥此申湖(ママ)の居続に尻を

腐らし、斬旧蝋中旬の比、東都に帰る、予頻に此編を

商求む(はかりもとむ)、於是不得止事、終に前後二巻を編転す、

気迫なれは、排説の中、齟齬あることハ見赦し給へと、

十返舎の主にかハりて、書肆(しょし)栄邑堂しるす、

                  印 印

 

索(もと)む

 【索】 サク

  ① 太いなわ。つな。 

  ② もとめる。さがす。 

  ③ ものさびしい 。

悠長

 [名・形動]動作や態度などが落ち着いていて気の長いこと。また、そのさま。「悠長に構える」「悠長な話」

鼻の下

 痴人の様をいう。(日本古典文学全集 頭注)

 鼻の下が長い

 (女性に甘い。色香に迷いやすい。好色である。「女性に言い寄られて―・くなる」)

 鼻の下が干しあがる

 (収入がなく、生活ができなくなる。口が干上がる。「不景気で―・る」)

惧 グ ク

 おそれる。おそれ。「危惧」

危惧

 悪い結果になりはしないかと心配しおそれること。

長し (古語)

 ①長い。▽空間的な隔たり。

 ②長い。永久である。▽時間的な隔たり。

常総

 常総(じょうそう)は、常陸国と下総国の併称。

蝋中旬

 蝋燭の中程(半分燃えた状態)

比  (ころ)

  ヒ・くらべる ならぶ・ころ

東都

 東方のみやこ。

 日本では、京都に対して江戸または東京をいう。

於是不得止事

 これにおいて、止め得ずこと、

齟齬 (そご)

 《名・ス自》

 意見や事柄が、くいちがって、合わないこと。くいちがい。

赦し

 ゆるし

書肆 (諸氏)

 書物を出版したり、また、売ったりする店。書店。本屋。

 (肆 連ねるという意味)

 ①くに。領地。みやこ。「食邑」

 ②むら。さと。むらざと。「邑落」 ③うれえる。「忿邑」

栄邑堂

 江戸 版元

 

 

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東海道中膝栗毛 三巻 1 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

2020-08-23 | 十返舎一九

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1 心構え  十返舎一九 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 

 

 

 東海道中膝栗毛 三巻 1

 

 中っ腹五十三次

 売っ尻道中之記

 早稲田大学 ヘ13 03123 発端,初,後,3-8編 / 十返舎一九 著

 十返舎一九 1765-1831

 通油町(東都) : 栄邑堂, 享和2-文化11[1802-1814]序

 18冊 ; 19cm

 滑稽本
 書名は発端の巻頭による その他の巻頭書名:浮世道中膝栗毛,東海道中膝栗毛 序題:膝栗毛 題簽書名:浪華見物滑稽膝栗毛 見返し題:東海道中滑稽記膝栗毛,洛中滑稽之記膝栗毛 扉題:中ッ腹五十三次売ッ尻道中之記
 序:芍薬亭主人ほか
 共同刊行:河内屋太助(大阪心斎橋唐物町)ほか

 和装
 印記:拾翠艸堂児戯之記

 全18冊だが、1冊目と2冊目部分は日本古典文学全集で読んだので、3冊目は早稲田大学所有の「発端,初,後,3-8編 」で読もうと思う。

 それもこれも、黄表紙の『今昔狐夜噺』(十返舎一九作)が面白かったため。

 今度こそ苦手意識を持たず、十返舎一九と正面から向き合いたい。

 

 “Rancho, Are you ready? “

 “Yes, come on,come on, let go.“

 それでは、旅の始まり、はじまりぃい〜〜^^

 

 

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 読了  17 (いまハむかし きつねのよばなし) 十五丁裏 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-05 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 読了 17 (いまハむかし きつねのよばなし) 十五丁裏 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十四丁裏

  

一九画作(ぐわさく)と。いかめしく記(しる)しぬるを。予が

□(欠け)か目(め)の秤(はかり)にかけて。彼(かれ)が出世(せ)と作(さく)とを

ためし見るに。あわや秤(はかり)の倅(さほ)の中程(なかほど)

よりおれたきハ。いづ神をかろしとも

わかたず。画(ゑ)ハおしつよく。作(さく)ハおしの

おもきなへと。例(れつ)のにくまれ口を

    雪亭(せつてい)主人か帰(かへ)り

     がけの駄賃(だちん)にいふ

 

 

『今昔狐夜噺』読了^^v

 

 歌舞伎が見たいワイ!歌舞伎が見たいワイ!と書き続けた『今昔狐夜噺』の記録。

 次何読もうかと、草中歩む。  乱鳥合掌

 

 

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 16 (いまハむかし きつねのよばなし) 十四丁裏 十五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-05 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 16 (いまハむかし きつねのよばなし) 十四丁裏 十五丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十三丁裏

らくさいハ

かのせん

ざいものを

ふねにつ

ませほん

ぜうのあた

いちにだして

とりはらい

そのかねにて

ぢめんの

うちにひとつ

のこらす

たて、せういち

ゐのくわんい

をもらひ

いなりの

中ろと

すへのよ

までながく

まもりがみ

とあふぐ

べしと

しそんまで

も いゝおくり

ておこたら

ず、まつり

けるゆへ、かみも

 

今昔狐夜噺十四丁表

人のうやまふ

によつて、□(欠け)を

ましければ、

そのしそんも

かみのめぐみ

に、あいあたじ、

さいなんを

のぞきふく

とくそく

せうの

はるを

むかへて

行すゑ

ながく

ことぶき

けるとなり

「このさうしにハ

 さつぱり

 あいきやうが

 □(欠け)うつた

 □(欠け)へこゝで

 おのぞみ

 し□(欠け)いお目に

 かけます、

 

今昔狐夜噺十三丁裏 下

  「いつも はつ

   むまハ にぎ

   やかな事

   じや

 

今昔狐夜噺十四丁表 下

  「かへりにハ

   くさぞう

   をたんと

   かつてやりま

   せふ

 

   一 九 画 作

 

 

 

今昔狐夜噺十三丁裏

楽斎は

かの潜在物

船に積ませ、

本庄のあたいちに

出して

取り払い、

その金にて

地面の

内に一つ

残らず

立て、せいいち

一(い)の官位

を貰い、

稲荷の

中ろと

末の世

まで永く

守り神

と仰ぐ

べしと

子孫まで

も 言い送りて、

怠らず、

奉りける故、

神も

 

今昔狐夜噺十四丁表

人の敬う

によつて、□(欠け)を

増しければ、

その子孫も

神の恵

に、相あたじ、

災難を

覗きふく

とくそく

しょうの

春を

迎えて

行き

末長く

寿けると成り

「この草子には

 さつぱり

 愛嬌が

 □(欠け)うつた

 □(欠け)へ此処で

 お望み

 し□(欠け)いお目に

 掛けます、

 

今昔狐夜噺十三丁裏 下

  「いつも 初午は

   賑やかな

   事

   じや

 

今昔狐夜噺十四丁表 下

  「帰りには

   草双(紙)

   をたんと

   買ってやりま

   しょう

 

   一 九 画 作

 

 

 

 

 「いつも はつ

   むまハ にぎ

   やかな事

   じや

初午

 二月になって最初の午(うま)の日。その日に行われる稲荷(いなり)神社の祭り。 

 2月最初の午(うま)の日(2020年は2月9日)。
 本来は、農作業が始まる旧暦の2月に行われていました。

 711年(和銅4年・奈良時代)のこの日に、稲荷社の本社である京都の伏見稲荷大社に稲荷大神が鎮座されたといわれています。

 この日をしのび、伏見稲荷大社をはじめ、愛知の豊川稲荷や佐賀の祐徳稲荷神社など、全国の稲荷神社で盛大にお祭り(初午大祭)が行われます。

 また、立春を迎える2月の最初の午の日は、一年のうちで最も運気の高まる日とされています。
 ※「午(うま)」は方位の南を示し、時間は正午を表わします。この時間は太陽が最も高く上がり、一日のうちで陽光の力が最も強まる時といわれています。

 稲荷大神のお使いとされているのがきつねです。初午の日には、その好物といわれている油揚げやお団子などをお供えします。

 餅まきが行われる地域もあります。

 

くさぞう

 草双紙

 江戸時代、大衆めあてに書かれた絵入り小説本の総称。

 文章は平仮名を多く用いる。

 赤本・青本・黒本・黄表紙・合巻(ごうかん)物など。

 

 

 とうとう、今昔狐夜噺』の本文が終わってしまった。

 コロナが収束してほしい!

 劇場で、

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

 

 

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今昔狐夜噺 15 (いまハむかし きつねのよばなし) 十三丁裏 十四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-05 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 15 (いまハむかし きつねのよばなし) 十三丁裏 十四丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十二丁裏

らくさいハくびじつけんをめい

わくながら、しまいてみな

ごたいぎ/\、おつげでめづら

しい事を見ましたと、いち

れいいべけれバ、「はつ」といふて

そのさにいならびたる

よろいむしゃ、あとかた

もなくきへ失せけれバ、

よハ ほの/″\と

あけにける、

さて、へいけ

がたのくび

なりと

いち/\

じつけんに

そなへたる

くびどのを

みなはき

だめへとり

すてさせ

けるをおもひ

いだし、いかなる

ものをくびと

なづけて

われにみせ

しやがてん

ゆかずとかの

 

今昔狐夜噺十三丁表

はきだめへ

ゆきてみれバ

とり、すいくわ

とうぐわん

ふたべひやう

たんが、ぼちや

おびたゞしく

うちすて

ありたり、

さてハくびと

みへしハ

これなるべし、

どふりてかぼ

ちやがとう

なすだと

大わらい

をぞ

たり

ける

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「とももりこれもり

   などといふけうだいのくびと

   見へし□(欠け)どふりこ、そうりが

   ふたつ

   じや

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「こうした

   ところハ

   べちゃアねへ

   おくやまの

   まめぞうと

   いふみぶり

       だ

 

今昔狐夜噺十三丁表

  「さきぼふ

   のからす

   どの、ちた

   やすんで

   とばつ

   せへ

    な

 

今昔狐夜噺十三丁表

   からす

  「かあ/\

   あのとりが

   つゝいてみたい

 

      

 

今昔狐夜噺十二丁裏

楽斎は首実検を迷惑

ながら、終いて皆

ご大義ご大義、お告げで珍しい

事を見ましたと、一例

いべければ、「はっ!」と言うて

そのさに居並びたる

鎧武者、跡形

も無く消え失せければ、

世は ほのぼのと

明けにける、

さて、平家方

の首

なりと

いちいち

実験に

備えたる

首殿を

皆掃きだめへ

取り捨てさせ

けるを思い

出だし、如何なる

物を首と

名付けて

我に見しや

合点ゆかずとかの

 

今昔狐夜噺十三丁表

掃き溜めへ

行きてみれば、

取り、西瓜、

冬瓜、

ふたべ瓢箪、

がぼちゃ

夥(おびただ)しく

打ち捨て

有りたり、

扨は首と

見えしは

これ成る可し、

どうりて、

南瓜が唐茄子だと

大笑い

をぞ

たり

ける

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「知盛、維盛

   等と言う兄弟の首と

   見へし□(欠け)どうりこ、そうりが

   ふたつ

   じや

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

  「こうした

   ところは

   べちゃア ねへ

   奥山の

   豆蔵と

   言う身振り

       だ

 

今昔狐夜噺十三丁表

  「先坊

   の烏

   殿、ちた

   やすんで

   とばつ

   せへ

    な

 

今昔狐夜噺十三丁表

   烏

  「かあかあ

   あの鳥が

   つついてみたい

 

 

さて、へいけ

がたのくび

なりと

いち/\

じつけんに

そなへたる

くびどのを

みなはき

  上の文を読み、『仮名手本忠臣蔵』では無いが、『御摂勧進帳』(『芋洗勧進帳』)を思い浮かべた。

  若干滑稽でそれでいて格好の良い弁慶が、次々と敵をなぎ倒し、首を引っこ抜く。

  弁慶が大井戸に登り、首を井戸で芋洗の様にザブザブ首を洗い、ポンポンと道端に放り投げる。

  道に転がった首を、二人の奴が

「お掃除お掃除・・・」

と言いながら首を履いていくコミカルな場面が思い出された^^

 

 歌舞伎、見た〜〜い。劇場に行きた〜〜い。

 

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-04 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十二丁裏

さて、いくさもふかく

おさまりければ、かの

こん八ぎつねら、いふやう

たゞ□(欠け)つまで、わたくしの

おせわになりし事なりま

のものどもまで、大きに

よろこびどふぞ、うち

そろつて、おめにかゝり、

なにかのおれいも 申

たしさい、わいのこう

ず、よろいむしやに

ばけたるまゝにて

おめみへいたすも

いつけうならん

そのかわり、あなたを

たいせうとなし、

てきがた、くひじつ

けんのやふすをおめに

かけんとらくさいを

せうざになをし

めん/\にうちとり

そなへける、へいけのいち

もん、のこらずくびばかり

となりて、どれがどれやら

わからねども、かぶとのひもの、

だらりとしたるハ、ゑつちうのぜんじ、

 

今昔狐夜噺十三丁表

もりとし、ならび、きりくちに

すじのみゆるハ、さつまのかみ、

なかにもこうちうはなはだしく

にほいあるのハ、なんばの次郎

二八ばかりにみへたるハ

あつもりがくびに

ちがいなし、せのをの

たろふハきのふの

たるとき、こ

ゆるゆへ

じゆくし

くさい

くびなるべし

しゆめの

はんぐわん

ハくめの

せんにん、

とき、こ

ゆるゆへ、

さなから

おつこちたぼた

もちのごとく

あばたづら也

そのほかいくびハ

いの□□(欠け)むしやはなの

あなのつまつたのハ、がんくびさんかくなる

おほくびと、いち/\そつくびひつつかみ、くび

とりて、うへしるしつゝ、□□□(欠け)、らくさいが

まへゝおちいでひろふして、ひき、しりぞく、

 

今昔狐夜噺十二丁裏 中

   「くびとおもへど

    なければふじゆう

    なものだ、しまつを

    してつかへば、いつ

    せう つかわれる

    ものゝじやに、

    さりとハむふんべつ/\

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

      くび曰

     「ほかにこゝろ

      のこりハないが

      われ/\が

      ちぎやうの

      ありたけ

      そくいに

今昔狐夜噺十三丁表 下

      して、このくびが

      ついでみたいが

      いかゞでござ

      ろふ

 

今昔狐夜噺十三丁表 中

   「くびハないもの

    つらいものも

    ひさしい

    もんだ

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「それ

      がしも

      なにぞ

      や、たゞ

      てのどが

      くび/\

      いたし

      ます

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「しからバ

      おさきへ

      申そふ

      へいけハ

      ほろびて

      いゝくび

        /\

      

 

今昔狐夜噺十二丁裏

扨、戦も深く

収まりければ、かの

こん八狐ら、言う様、

只 □(欠け)つまで、私の

お世話に成りし事なりま

の者共まで、大きに

喜び、「どうぞ、打ち揃って

お目に掛かり、

何かのお礼も 申した司祭

わいのこうず、

鎧武者に

化けたるままにて

お目見え致すも

一興ならん

その変わり、貴方を

大将となし、

敵方、首実検

の様子をお目に

かけんと楽斎を

正座に直し

面々に討ち取り

供えける、平家の一門

残らず首ばかり

と成りて、どれがどれやら

分らねども、兜の紐の、

だらりとしたるは、越中島越中の禅寺、

 

今昔狐夜噺十三丁表

守とし、並び、切り口に

筋の見ゆるは、薩摩守

中にもこうちゅう 甚だしく

臭いあるのは、難波の次郎

二八ばかりに見へたるは

敦盛が首に

違いなし、瀬尾の

太郎は、昨日の

たる時、こゆる故

熟し

臭い

首成る可し

主目の

半官

は、久米の仙人、

時、越ゆる故

宛(さなが)ら

落っこちた

ぼた餅の如く

痘痕面(あばたづら)也

その他幾日は

いの□□(欠け)武者鼻の

穴の詰まったのは、雁首、三角なる

大首と、いちいち そっ首 ひっ掴み、首

獲りて、上印つつ、□□□(欠け)、楽斎が

前へ落出で、ひれ伏して、ひき、退く、

 

今昔狐夜噺十二丁裏 中

   「首と思えへど

    なければ不自由

    な物だ、始末を

    して使えば、一生

    使われる

    物のじゃに、

    さりとは、無分別、無分別

 

今昔狐夜噺十二丁裏 下

      くび曰く、

     「他に心

      残りは無いが

      我々が

      知行の

      有り丈

      即位に

今昔狐夜噺十三丁表 下

      して、この首が

      継いでみたいが

      いかがでござ

      ろふ

 

今昔狐夜噺十三丁表 中

   「首は無い物

    つらいも物

    久しい

    もんだ

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「某

      何ぞ

      や、ただ

      手、喉が

      首首

      致し

      ます

 

今昔狐夜噺十三丁表 下

     「しからば

      お先へ

      申そう、

      平家は

      滅びて

      いい首

        いい首

      

くひじつ

けんのやふすをおめに

かけん

 歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』「寺子屋」

 首実検の場は面白おかしいが、「寺子屋」の筋書きは、はかなく切ない。

 涙無くしてはみられない芝居である。

 私としては、片岡仁左衛門丈の「寺子屋」で、楽しみ、涙を流したい。 

   くひじつ

   けんのやふすをおめに

   かけん

 今昔狐夜噺 14のさしえでは武者頭での首実検になっている。

 

いっけう

 一興 

 

こうちう(こうちゅう)

 甲虫から、兜のことか

 鞘翅(しょうし)目に属する昆虫の総称。前翅(ぜんし)が厚く堅くなって体を覆っている。例、かぶとむし・こがねむし・ほたる。
 
 

      へいけハ

      ほろびて

      いゝくび

        /\

 平家は滅びて、いい首いい首(いい気味いい気味)と、著者は書いている。

 
 

 それでは、いつもの一言^^

 歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-03 | 十返舎一九

あふてハ

今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十一丁裏

かくてけん

たい、たがいに

いり

□□(欠け)

きつね

火にひば

なをちら

して

たゝかい

しが、ついに

へいけがた、うちまけ、

いまハこれまでなりと

あんとくてんわうを

はじめにゐのつぼね

さんみのつぼね、あまた

のいちもん、われも/\と

うみのなかへとび

こみ、/\、むなし

くなりたもふと

みへたるハみな

たり すいくわに

大いしにいたし

てにあたる

もの、なんでも

かでも、かハの

なかへどぶり

/\とうち

こみける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

ちうしんくら

ならバ十一段目の

ようちといふところ

にてそうざちう

のこらずいでゝ

くげになるきつねもあり

おもい/\の

あんじを

つけて、いろ/\に

おちをとる

そのほかハ

みなてどり

かわなかへ

うちこむ

ゆくにて

いたつて

いそがしき

ところなり

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「よろい

    むしやが水に

    あふてハたり、な

    すびのな

    がれる

    やふに

    どん

    ぶり

    こ

    と

    むかし

    ばなし□□(欠け)くを

    かきいれける事もねへす

今昔狐夜噺十一丁裏

かくて献体

互いに

入り

□□(欠け)

狐火

に火花

を散らして

大海

しが、ついに

平家方、打ち負け、

今は是迄也と

安徳天皇を

初めに位の局

三位(さんみ)の局、頭

の一文、我も我もと

海の中へ飛び込み、飛び込み、

虚しく

成給うと

見えたるは皆たり

遂行に

大石に致し、

手に当たる

物、何でも

かでも、川の

なかへ どぶりどぶり

と打ち

込みける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

忠臣蔵

ならば、十一段目の

様、ちと(ちょっと)言うところ

にて、そうざちゅう

残らず出でて

公家に成る狐も有り

思い思いの

暗示を

付けて、色々に

おちを取る、

その他は

皆手取り

川中へ

打ち込む

行くにて

至って

忙しき

所也

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「鎧

    武者が水に

    合うて渡り、茄子

    流れる

    様に

    どんぶり

    と

    昔話□□(欠け)くを

    書き入れる事も無へす

あんとくてんわう(安徳天皇)(1178~1185)

 第八一代天皇(在位1180~1185)。

 高倉天皇の皇子。名は言仁ときひと

 母は平清盛の娘建礼門院徳子。二歳で即位。

 平宗盛に擁せられて、西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。

 

ちうしんくら

ならバ十一段目

 忠臣蔵ならば、十一段目 吉良邸(きらてい)

 高家表門討入/ 高家奥庭泉水/高家炭部屋本懐/両国橋引揚

 数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ち当日がやって来る。

 高家の門前に集合した塩冶浪人たちは、一人一人姓名を名乗り、由良之助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。

 目指すは、高師直ただ一人である。激しい争闘ののち、夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良之助は判官形見の短刀で、敵師直の首を取った。

 無事目的を達成した浪士たちはエイエイオーと勝鬨をあげ、両国橋をわたって主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。(歌舞伎美人 松竹株式会社引用)

 本文では、高家奥庭泉水の場。

『仮名手本忠臣蔵』を片岡仁左衛門を頭に、通しで見たい!

 

かきいれける事もねへす(掻き入れることも 無ぇす!)

 ねへす この「無えす」強いては「・・・す」全般はTVを見ていると、関東圏のタレントなどが多様している感が強い。

「・・・す」江戸時代から使われていたわり合いにぞんざいな言葉だと知った。

 

それにつけても、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-03 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十丁裏

ぜんてへこの

いくさハゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)よしつね

ゆみをとり

おとして

これをとり

あげんと

てきのふね

まちかく

きたりて

めのまへの

てきをハ うち

とらずりのふみ

をとり あけんとす

てきがたもよしつね

にハかまわずたつた

いつてうの三、四人

がよつてかゝつて

かのやみをばい

やつている、ゆみもひきかた

あつちへひつぱり、こつちへ

ひつぱりしていたところが

とふじひがくれてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

くまでをもつて

かのゆみをかきよせる

とみえしハ、よなべ

しごとのから

さほ、うちなり

うつたびごとに

ほこりたちて

おのづから

なみのたつ

やふにみゆる、

「これもちよつ

くらちよちと

このてやいを

かうならべて

ゆみながし

とハ、どで

ごんす

と、き

つねの

ほうでハ

しやれて

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  く

  まで

  ござ

  れ

  あま

  ざけ

  しハ

  じよ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  くひき

  あげ

  てあ

  つぱ

  れ

  の

  とん

  とい

  わ

  れ

  たい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「おもてきたのに

  おさんどのハ

  ねむるよウ

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャ/\

   とつさんハ

   よい/\

   になつた

   そふ

   だ

 

今昔狐夜噺十丁裏

全体この

戦は、ゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)義経

弓を取り

落として

これを取り上げんと

敵の船

真近く

来たりて

目の前の

敵をば 討ち取らずりの文

を取り上げんとす、

敵方も義経

には構わず、たった

一丁の三、四人

が寄ってかかって

かの闇をばい

やっている、弓も引き方

あっちへひっぱり、こつちへ

ひっぱりしていた所が

当時、日が暮れてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

熊手を持って

かの弓を掻き寄せる

と見えしは、夜なべ仕事のから竿

打ち鳴り

打つ度毎に

埃立ちて

自から

波の立つ

様に見ゆる、

「これもちよっくらちょっと(ちょち)と

このてやいを

こう並べて

弓流し

とは、どうで(どで)

ごんす」

と、狐

方では

洒落て

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  熊手

  ござ

  れ

  甘酒

  しわじょ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  食い気(くひき)

  上げて、

  あっぱれ

  の

  とんと

  言われたい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「思て来たのに

  おさんどのは

  眠るよう

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャキャ!

   とっさんは

   よいよい

   に成った

   そふ

   だ

 

てやい (てやい、てあい) (方言)

 そんな人、連中、やつ

よいよい

 手足がしびれたり、口や舌がもつれたりする病気の俗称。

 

 

 今回も本文に義経の名が出てきた事だし

 たいそう、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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今昔狐夜噺 11 (いまハむかし きつねのよばなし) 九丁裏 十丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-02 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 11 (いまハむかし きつねのよばなし) 九丁裏 十丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺九丁裏

いつ

ちはじ

□(欠け)にこゝに

み□□□(欠け)

へんにと

かきだし

たるハこゝて

このとりゐ

をだそふ

ばかりなり

よしつねの

はつそふとび(ママ)ハ

よくとりゐを

とびこしたる

きつねのやく

にて、なんのくも

なく ひよい/\と

とびこゆる

のとのかみ

のりつね(ママ)に

なりたる き

つね、おなじと

つゝいてとび

けるが、ふみ

はづして、まつ

 

今昔狐夜噺十丁表

さかさまに

おつこちたり、

のとのかみも

ついにはじゆ

すいせう事

あれハけつく

きつねの

おちたるも

もつけの

さいわいなり、

 

「よしつねに

なりたる

きつねハ

きのきいた

やつにて

うぬがしる、

ぷをおつた

ゝ たちの

うわさやと

見せるおもい

つき、これらか

めのつけ

  ところなり

 

今昔狐夜噺九丁裏 中

  「とんだり

   はねたり

   十万

   もんが

   きいて

   あきれ

   らあ

 

今昔狐夜噺九丁裏 下

     「これさ

      いつしよに

      こばりせへ

      つきやいを

      しらぬ へ

      おとこ

      だ

 

今昔狐夜噺十丁表 中

  「はつそう

   つゞけて

   とぶものハ

   ほかにハ

   おそらく

   あるめへ

      と

   おもつた

      に

   うたいの

   てやいハ

   おいろ、より

   いつそう

   よけい

   とぶと

     いふ事だ

 

今昔狐夜噺九丁裏

いつ

ちはじ

□(欠け)に、此処に

み□□□(欠け)

へんに、と

書き出し

たるは、此処で

この鳥居

を出そう

ばかり也、

義経の

八方飛び(ママ 飛び六法)は

よく鳥居を

飛び越したる

狐の役に

にて、何の苦も

無く ひょいひょい!

飛び来ゆる

能登守

宣常(ママ)に

成りたる 狐

同じと

突くいて飛び

けるが、踏み外して

真っ逆さまに 今昔狐夜噺十丁表

落っこちたり、

能登守も

ついには じゅ

すいしょう事

あれば、気づく

狐の

落ちたるも

もっけの幸い也

 

「義経に

成りたる

狐は

気の利いた

奴にて

うぬ が知る、

尾をおっ

父達

噂やと

見せる思い

付き、これらが

目の付け

  どころ也

 

今昔狐夜噺九丁裏 中

  「飛んだり

   跳ねたり

   十万文

   聞いて

   呆れ

   らあ

 

今昔狐夜噺九丁裏 下

     「これさ

      一緒に

      こばりせへ

      つきあいを

      知らぬ屁

      だ

 

今昔狐夜噺十丁表 中

  「発想

   続けて

   飛ぶものは

   他には

   おそらく

   有るめぇ

      と

   思った

      に

   謡の

   手合いは

   お色より

   一層

   よけい

   飛ぶと

     云う事だ

 

ぷをおつたて

 ぷ(尾っぽ)

 尾をおっ立てて

 

よしつねの

はつそふとび

 八方飛び(ママ)

 飛び六法の事

 花道で義経に扮した狐が六法を振って帰って行くのは、狐六法と呼んでいる。

『義経千本桜』を通しで見たい。

 

よくとりゐを

とびこしたる

 江戸時代は、こう云った演出だったと、感心する。

 江戸時代の狂言は、薄暗い蝋燭と明かり窓の芝居小屋で上演されたという。

   よくとりゐを

   とびこしたる

 江戸時代の狂言に触れることができ、『今昔狐夜噺』の

   きつねの

   おちたるも

   もつけの

   さいわいなり、

では無いが、江戸時代の演出を感じられ、これぞ乱鳥にとっては、もっけの幸いである。

 

 兎に角、狐であろうと鳥であろうと、今回も叫ぶ信天翁。

                 歌舞伎が見たいワイ!

 

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