ウィーンは、音も含め、立体空間がアート
ここの通りには、高級店が並ぶ。
軒先が、アート
時計店が、アート
ギャラリー
木靴で丁寧に、現代的な靴を作る店
馬車のひずめ斗車輪の音が、石畳にこだまする。
ウィーンは、音も含め、立体空間がアート
ウィーンは、音も含め、立体空間がアート
ここの通りには、高級店が並ぶ。
軒先が、アート
時計店が、アート
ギャラリー
木靴で丁寧に、現代的な靴を作る店
馬車のひずめ斗車輪の音が、石畳にこだまする。
ウィーンは、音も含め、立体空間がアート
チェコのパテやパンやチェコビールはおいしい。
プラハではいくつかのスーパーマーケットに入った。
中でもパテや魚の燻製やパンやハム・ウィンナーなどがおいしそうだ。
私たちはパテ二種類とパンをいくつか購入。
帰りの列車の四時間の旅で、チェコビールと楽しんでいただいた。
プラハからウィーンに向かう列車の中で。
ほかの乗客も何かしらをおいしそうに食べておられた。
ウィーンからチェコの往復の移動は列車を利用した。所要時間は、片道 約4時間。
ウィーンからプラハの移動は列車を利用した。所要時間は、約4時間。
この列車には、テーブル席と二人席というのが用意されている。
また、車両によっては、
【静か車両】
というのが用意されている。
私たち家族は、あらかじめ日本から、【静か車両】の【二人席】を予約しておいた。
【静か車両】で車両内で電話をする人はいない。
ただ、列車の連結部分で、長時間大声で電話をかけている人がいて、【静か車両】内にも声が響いていた。
【静か車両】内では、本を読む人、パソコンを触る人などが多かった。
また、ウィーンやプラハでは車両や空港内は犬が可能なので、テーブル席では犬を連れた方もいらっしゃった。
概ね静かな方が多かったが、一組のカップルだけ、大声で騒いでいらっしゃるのを見かけた。
見かねた欧州人男性が注意をされたが、まずまずの効き目であった。
行き帰り共に、国境で列車の係りの方は変わられた。
国境を境に、各国の係員が見回りをされていたので、どたどたとしていた(笑)
席はゆったり目。
往復ともに、快適な4時間を過ごすことができた。
プラハのホテルで朝食
プラハは二泊。
そのうち一回は時間があったので、ホテルで朝食をお願いした。
お値段ははっきりは覚えてないが、ウィーンに比べてお安く、一人 2500円程度だったように思う。
チェコの煮込み料理はウィーンやイランと同様にうまい。
この国もイランと同様、生野菜を食べることができる国だ。
清潔で、気を遣わず、安心して食べることができる。
チェコもウィーンと同じように、パンもデザートもおいしい。
また、パテもチーズもうまい。
私はウィーンとチェコに、オペラが見られる季節に、二か月ほど住みたいな。
カレル橋(ヴルタヴァ川に架かる橋)2 チェコ プラハ (12 景)
カレル橋(カレルばし、チェコ語: Karlův most)
チェコ共和国のプラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋。
神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下、1357年に建設が始まり、1402年に完成した。
建築家ペトル・パルレーシュの設計による。
1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。
また、西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。
最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが、1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。
橋の長さは515.7メートル、幅は9.5メートル。15のアーチの上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。
また橋を守るために3つの橋塔が建てられており、とくに旧市街側の橋塔はゴシック様式の建築として名高い。
橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。
その多くはバロック様式である。
最も古いものは「十字架像」で1361年の文書に登場する。
その後ボヘミア王イジー騎馬像やライオン像などが据えられていたと考えられているが、三十年戦争の間に十字架像を除いて全て破壊されたとされる。
その後1683年、ヤン・ネポムツキー像が新たに据えられた。
その後1714年までの間に合計28体の彫像が製作され据付けられた。
これらの彫像の中で著名なものは「十字架像(ゴルゴダの丘で磔にされたキリスト像,Crucifix and Calvary)」、「ブルンツヴィーク像(Bruncvík column)」と「聖人ヤン・ネポムツキー像(St. John of Nepomuk)」である。
この聖人ヤン・ネポムツキー像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ多くの人に触られたためつるつるになっている。
また、最も古くから存在した十字架像のオリジナルはプラハ国立博物館に保管され、現在橋に設置されているものは1629年に製作されたものである。
昼間のカレル橋は観光客で賑わい、橋の上には多くの露店が並ぶ。
また、大道芸、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。
夜になるとプラハ城やカレル橋がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人々の通りになる。(Wikipedia カレル橋 ヴルタヴァ川に架かる橋)1と同じ )
カレル橋(ヴルタヴァ川に架かる橋)1 チェコ プラハ (17景)
カレル橋(カレルばし、チェコ語: Karlův most)
チェコ共和国のプラハを流れるヴルタヴァ川に架かる橋。
神聖ローマ皇帝カール4世(ボヘミア王カレル1世でもあった)の治世下、1357年に建設が始まり、1402年に完成した。
建築家ペトル・パルレーシュの設計による。
1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。
また、西欧と東欧の交易ルートとしてプラハが重要な地位を占めるようになった。
最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが、1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。
橋の長さは515.7メートル、幅は9.5メートル。15のアーチの上に、砂岩の切石の橋桁が渡されている。
また橋を守るために3つの橋塔が建てられており、とくに旧市街側の橋塔はゴシック様式の建築として名高い。
橋の欄干には15体ずつ、合計30体の彫刻が並んでいる。
その多くはバロック様式である。
最も古いものは「十字架像」で1361年の文書に登場する。
その後ボヘミア王イジー騎馬像やライオン像などが据えられていたと考えられているが、三十年戦争の間に十字架像を除いて全て破壊されたとされる。
その後1683年、ヤン・ネポムツキー像が新たに据えられた。
その後1714年までの間に合計28体の彫像が製作され据付けられた。
これらの彫像の中で著名なものは「十字架像(ゴルゴダの丘で磔にされたキリスト像,Crucifix and Calvary)」、「ブルンツヴィーク像(Bruncvík column)」と「聖人ヤン・ネポムツキー像(St. John of Nepomuk)」である。
この聖人ヤン・ネポムツキー像の基部にあるネポムツキーのレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ多くの人に触られたためつるつるになっている。
また、最も古くから存在した十字架像のオリジナルはプラハ国立博物館に保管され、現在橋に設置されているものは1629年に製作されたものである。
昼間のカレル橋は観光客で賑わい、橋の上には多くの露店が並ぶ。
また、大道芸、見世物、ジャズ演奏なども行なわれる。
夜になるとプラハ城やカレル橋がライトアップされ、夜の散歩を楽しむ人々の通りになる。(Wikipedia)
今夜の夕食は、スロバキアのパテ など
チェコのスーパーマーケットで、スロバキアのパテを購入。
チェコではパテが量り売りでも購入でき、私たちもハーフキロ或いはほんの少しといって量り売りのパティも購入。
チェコのうまいパンに塗って、ウィーンにかえる4時間の電車内で食べた。
写真のパテは個別で、2027年までの保存可能だが、今日食べてみようと思う。
チーズを頂いた。
今日の夕食は
スロバキアのパテ
チーズ
うまいパン
オイルサーディンのサラダ
三種のマメのサラダ
具だくさん、カブのスープ
キャンティ(笑 ワイン)
おなかがすいてきたが、先にお風呂としよう。
プラハの天文時計 或いは、プラハのオルロイ (7景) チェコ
プラハでは天文時計に二度行った。
一度はからくり時計を見られず、音だけは三度ばかり聞いたが、からくり時計は一度見ることができた。
からくり時計に時間を合わせるために美術館に行き、ミュシャではなく、ダリを見た(爆笑)
話はミュシャにそれる。
ミュシャは日本でも見飽きるくらいに展覧会が開催されているが、私の好みからは少しずれている。
だが、プラハの教会で見たミュシャデザインのステンドグラスは圧巻であった。
話を天文台に戻す。
この天文台はプラハにあり、中世の天文時計のひとつといわれている。
人々はからくり時計の時間に合わせて、時計台の前に集まり、からクルド系が始まると、歓声が上がる。
教会の鐘の音が響き渡り、何ともいえぬ情緒がある。
ウィキによれば、オルロイは3つの主要な部分、すなわち空の太陽や月の位置などの天文図を示すための文字盤、「使徒の行進 (The Walk of the Apostles)」と呼ばれるキリストの使徒などが時間ごとに動く人形仕掛け、それから月々を表す浮き彫りの暦版からなるとのことであるが、難しいことは分からない。
とにかくこの時計台には威厳が感じられ、これが中世からそびえたっているのかと思うと、感無量であった。
ウィーン国立歌劇場(ウィーン オペラ座) (12景) オペラ『マノン』
ウィーンのオペラ座に行き、オペラ『マノン』を楽しんだ。
各席には英語の字幕がついていた。
各階が満席で、オペラ座は熱気に包まれていた。
だが、外国人の方でも幕間に帰られる方が多く、驚いた。
オペラ座では厳格に途中での入場を禁止されている。
途中で座ろうとするおそらくウィーンの方の腕を引っ張って、座らせなかったのは圧巻。
そのカップルは幕間までの一時間以上、席に着くことができなかった。
この辺りが、歌舞伎とはずいぶん違う。
どちらがいいのかは判断に迷うが、途中で席に着こうとする方がいら写ると、視界が遮られ、その間集中できなくなることは確かだと感じた。
ウィーン国立歌劇場(ウィーン オペラ座)付近 (6景)
2024年11月中旬の事。
ウィーン国立歌劇場(ウィーン オペラ座)の近くを歩いていると、クリスマスムードに包まれていて、楽しかったです。
モデルさんの撮影が行われていたり、白馬の馬車が通り、素敵なウィーンの夜を散歩することができました。
ドレスのモデル撮影
偉大なるヨハン セバスティアンバッハ
シェーンブルン宮殿で行われるコンサート鑑賞
シェーンブルン宮殿で行われるコンサートに行ったよ。
幕間に、シャンパンを楽しんだよ。
私がウィーンを訪れた時は、
ウィーンオペラ座 『マノン』
オペレッタ劇場 『魔笛』
が興行されていたよ。
それに合わせてかオペラ歌手が、『マノン』と『魔笛』を二人で歌ってくださったよ。
『マノン』と『魔笛』の情景を思い出して、オペラ歌手の歌後声に釘付けされたよ。
というのも、シェーンブルン宮殿のコンサートは、私にとってウィーン最後の夜だったんだ。
「PAPAPA」で最後キスをされたときには、思わず
「きゃ!」
と叫んでしまったよ。
感情移入激しすぎの阿呆な鳥ですわ っはっは だ事。
わっはっは
ハイドン 弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 《皇 帝》 アマデウスsq. Haydn : String Quartets No.77 C-major “Emperor”
シェーンブルン宮殿でのコンサートを聴く前に、お食事をした。
シェーンブルン宮殿でのコンサートを聴く前に、お食事をした。
このレストランは、シェーンブルン宮殿からも、夜に訪れたクリスマスマーケットからも近かった。
下の5枚の写真は、シェーンブルン宮殿とクリスマスマーケット^^
レストランの様子
パンにクリームチーズが塗ってあった、、、
これは、前菜か???
オニオンスープの中に、何かだんごが入っていた。
クスクスのだんごかと思いきや、何かの芋だったらしい、、、
団子は中まで熱しておらず、、、およよ
日本のすいとんをまずくしたようなスープだった。
ウィーン大学の近くのレストランで食べた料理と同じもの。
この料理の名前は知らない。
やはりほほ肉が使用されていたが、大学蕎麦の肉の方がほろほろと口の中でほぐれて、うまかった。
パンに見えるジャガイモの焼いたものは、良く焼かれていて、このレストランもうまかった。
デミグラス度は、ウィーン大学近くのレストランの勝ち^^
ウィーン大学そばのレストランの料理 A
宮殿近くのレストランの料理 B
料理AとBは、同じお料理^^
ホットアップルパイ
甘さは控えめだった。
くりすますまーけっとのちかくのレストランということもあり、ホットワインが飲みたくなったが、頼んだのは此処の店ではビール^^
コンサート前だったので、ビールは飲み切らず、半分以上を残した^^
量も少なく、ウィーンで食べた料理の中ではあまりおいしくなかったと云えるが、これからコンサートという気持ちも手伝って、楽しいお食事だった。
チップは当然のことながら、要求された^^
量が少なすぎたので、コンサートの後は再びレストランに入ったことを付け加えておきたい。
Johann Strauss II - „Werberlied“ - Marco Di Sapia (Live) (2019)
シェーンブルン宮殿の一角で、チケットを受け取る。
シェーンブルン宮殿の一角で、チケットを受け取る。
このチケットは、シェーンブルン宮殿で行われるコンサートとお食事のチケット。
あらかじめ、日本から予約しておいたもので、電子チケットではなく、紙のチケットを宮殿で受け取ることになっていた。
宮殿で聞くコンサートで、私は Marcco DI Dapia 氏 (Bariton)という歌手が好きになった。
どこまでも単純で幸せな鳥なのである^^
★モーツァルト 交響曲 第40番 ト短調 k 550 ベーム /ベルリンpo. Mozart Symphony No.40
ウィーン大学のすぐそばのレストラン
ウィーン大学から一番近いレストランに行く。
友人と話している学生。
数人で討論している学生グループがいくつかあった。
また、大量の資料とパソコンを持ち込んでいる学生も何人かいた。
明らかに大学教授の男性や女性はそれぞれ一人で資料と格闘したり、お食事をなさっておられる。
ウィーンは大変寒かったが、外の席でも資料と戯れられていらっしゃる老教授。
このレストランの多くは、ウィーン大学の関係者であった。
ウィーンは日本に比べ物価が高いが、学生たちも気軽に昼食を楽しんでおられた^^
わっはっは
上に書いたウィーン大学すぐそばのレストラン。
京都の町屋(ウナギの寝床)のように、奥が深く広い。
レストランの窓から見える景色
ウエイターが窓の見える席を用意してくださった^^
二人が頼んだ料理^^
名前は知らない^^
近くの席の女性教授が頼んでおられたお料理
おいしそうだったので、私も
「同じのを」
と言って注文した。
ほほ肉らしいお肉がホクホクにほぐれる感じ。
パンに見えるものは、ポテトで調理されている^^
このお料理はウイーンで、宮殿コンサートの前に予約していたレストランでもう一度食べることができたが、大学近くのこの店の料理は最高にうまかった。
この料理を頼まれていた女性教授は、食後も絶えず多くの資料と格闘されていらっしゃった。
私が親しみを込めた視線を送っていたのであろうか?
教授はにこやかに微笑み、料理を指さしたり、ジェスチャーを送ってくださっていた。
店を出られるときには、あいさつをしてくださり、懐かしい気分を味わった。
ポテト、チーズ、塩漬けオリーブ、パプリカ他
香辛料が強く、少し塩味が強かったがうまかった。
多分この料理は、パンと一緒にいただくのであろう、、、
私たち二人は、名前もわからぬこの二つの料理をシェアして食べた。
ウエイターは取り皿を用意してくれた^^
チップは料理代の15パーセント
ウィーンではチップはツーリストの場合は10~15パーセントが相場らしい。
心に残るウィーン大学でした^^
どんとはらい