乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

『玉勝間』(たまがつま/たまかつま) 本居宣長   『本居宣長全集 第一巻』『玉勝間』を見る。

2021-04-15 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 

  『玉勝間』(たまがつま/たまかつま)

 

 本居宣長

 随筆。

 14巻

 1795年(寛政7年) - 1812年(文化9年)

 3巻ずつ刊行され、1005段

 

『玉勝間』が面白そうだったので、ネットで調べると、過去、日本の古本屋で取引されていたらしい。

 現在、在庫なし。

 早稲田大学のデジタルライブラリーには、有らず。

 国会図書館は、未公開。

 岩波文庫と日本思想大系に復刻されているというので、蔵書の日本思想大系を見るとその巻は無かった。

 念のため、夫に問うと

「読んだよ。」

と言って、『本居宣長全集 第一巻』を出してくれた。

 

「弟子の質問に答えるという形もある、随筆だよ。」

と、ウィキペディアには無い情報を提供してれた。

『本居宣長全集 第一巻』の『玉勝間』を開けて見ると、所々に几帳面な文字でメモ書きされていた。

 夫の文字である。

 

 面白そうだと思ったのは、ものの数分。

 ところどころは面白いが、やたら感じばかりが連なっている部分は、お手上げ。

 乱鳥には難しすぎる。また、長すぎる。

 夫曰く

 ゆっくりと読んで言ったら分かるは、と。

 ゆっくりか・・・・・

 やりたいことが多すぎる^^

 

 

 

『玉勝間』について

 「たまがつま」の「たま」は接頭語で、目の細かい竹のかごを表す古語、あるいは竹籠の実と蓋が合うことから、「あへ」「あふ」「しま」「し」にかかる枕詞でもある。

 宣長が古典研究で得た知識を収録し、有職故実や語源の考証、談話・聞書抄録など多様の分野にわたる学問・思想についての見解を述べたもので、1793年より起稿し、1801年(享和元年)までの記事を載せ、その後推敲を重ねて完成したものである。

「葬礼婚礼など、ことに田舎には古く面白き事多し」とあり、民俗的視点をもそなえている。

 宣長の生活・学問への傾注が記述されており、晩年の思想を知る上でも重要な書である。(ウィキペディア)

 

 

 

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『古今集遠鏡 巻一』18 はしがき 八丁裏 本居宣長

2020-07-04 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』






『古今集遠鏡 巻一』18 はしがき 八丁裏 本居宣長
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。
 



遠鏡 1
右 八丁裏 

はしがき 八丁裏

◯「かな」ハ、さとびごとにも「カナ」といへど。語のつゞきざまは。雅言のまゝにては。う

ときが多ければ。続ける詞をば。下上に置き換えとし。あるは言を加えなども

して。訳すべし。全て 此 辞(言葉)は。嘆息(ナゲキ)の詞まで。心を含めたる事多

ければ。訳(ウツシ)には。その含めたる事の詞をも。加わうべき技なり。






はしがき 八丁裏

◯「哉」は、さとびごと にも「哉」と言えど。語の続きざまは。雅言のままにては。う

とき が多けれバ。つゞける詞をバ。下上におきかへとし。あるハ言をくはへなども

して。訳すべし。すべて此辞ハ。嘆息(ナゲキ)の詞まて。心をふくめたることおほ

けれバ。訳(ウツシ)にハ。そのふくめたることの詞をも。くはふべきわざなり。





「かな」ハ、さとびごとにも「カナ」と訳す
 「哉」ハ、さとびごとにも「哉」と訳す

さとびごと
 ① いなか言葉。方言。
 ② 日常話している言葉。世俗の言葉。

うとき (疎し)
活用{(く)・から/く・かり/し/き・かる/けれ/かれ}
 ①疎遠だ。親しくない。関係がうすい。
 出典伊勢物語 四四
 「うとき人にしあらざりければ、家刀自(いへとうじ)さかづきささせて」
 [訳] 疎遠な人でもなかったので、(その家の)主婦が杯をすすめさせて。
 ②よそよそしい。わずらわしい。うとましい。
 出典古今集 雑上
 「かつ見れどうとくもあるかな月影のいたらぬ里もあらじと思へば」
 [訳] 月を美しいと思いながらも一方では、どこかよそよそしく感じられるよ。月が照らしていないところなどないと思うと。
 ③よく知らない。不案内だ。
 出典徒然草 八〇
 「人ごとに、わが身にうときことをのみぞ好める」
 [訳] だれでも、自分がよく知らないことばかり好んでいる。
 ④無関心だ。
 出典徒然草 四
 「後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし」
 [訳] 来世のことをいつも心に忘れず、仏の教えに無関心でないのが、奥ゆかしい。
 ⑤よくきかない。鈍い。
 出典落窪物語 二
 「大臣(おとど)おし放ち引き寄せて見給(たま)へど、え目うとくて見給はで」
 [訳] 大臣は(手紙を)離したり、近づけたりして見ていらっしゃるが、目がよくきかないのでご覧になることができなくて。

 

 

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『古今集遠鏡 巻一』17 はしがき 八表 八裏 本居宣長

2020-07-04 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』






『古今集遠鏡 巻一』17 はしがき 八表 八裏 本居宣長



   『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。
 



遠鏡 1
右は 八裏 

はしがき 八表
◯「らし」ハ、「サウナ」と訳す、「サウナ」ハ、さまなるといふことなるを、春便りに「サウ」と

いひ、「る」をはぶける也、然れバ言の本のことを、「らしく」と同じおもむきに

あたる辞也、たとへば「物思ふらし」を、「物ヲモウサウナ」と訳すが如き、「らし」も

「サウナ」と共に、人の物思ふさまなるを見て、おしはかりたる春なれバ也、さてついで

はしがき 八裏
にいはむハ。業(ママ 世に)らんとたしとを。たゞ疑ひの重きと軽きとのたがひ」とのみ

心得て。みづからの歌にも。其こゝろもて、よむならハ。「時雨

ふるらん」ハ。「時雨ガフルデアラウ」也。「時雨ふるらし」は。「時雨ガフルサウナ」の言也。此俗言の

「アラウ」と「サウナ」との言を思ひて。そのたがひあることをまきまふべし。



はしがき 八表
◯「らし」は、「そうな」と訳す、「そうな」は、「様成(さまなる)」と言う事なるを、春便りに「そう」と

言い、「る」を省ける也、然れば、言(詞)の本の事を、「らしく」と同じ趣に

あたる辞也、例えば「物思うらし」を、「物を申すそうな」と訳すが如き、「らし」も

「そうな」と共に、人の物思ふ様成るを見て、推し量りたる春なれな也、扨、ついで

はしがき 八裏
に言わんは。業(ママ 世に)らんとたしとを。ただ疑ひの重きと軽きとの違い」とのみ

心得て。自らの歌にも。其心もて、読むならば。「時雨

降るらん」ハ。「時雨が降るであろう」也。「時雨降るらし」は。「時雨が降るそうな」の言也。此俗言の

「あろう」と「そうな」との言(詞)を思ひて。其違い有る事をまきまうべし。



言(ことば 詞 言葉)

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『古今集遠鏡 巻一』 16  古今集遠鏡  はしがき 八オ  本居宣長

2020-05-26 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 

 

 『古今集遠鏡 巻一』 16  古今集遠鏡  はしがき 八オ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

はしがき 八オ

わがごとく、「人や意しき、音のミ 鳴らん」などハ、「人が恋シイヤラ声ヲアゲテヒタスラナク

とうつす、「これハ」とちぢめの「らん」の疑ひを、上へうつして、「」と合わせて、「ヤラ」といふ也、

「ヤラバ すなわちやらん」といふこと也、「又玉かづら 今ハたゆとや、吹風の春にも

人のきこえざるらん などのたぐひも、同じく上へうつして、「や」と合せて、「ヤラ」

と訳して下ノ句をば、一向ニ「オトヅレモセヌ」と、落としつけてとぢむ、これらハ「らん」

とうたがつる事ハ、上にありて、下にはあらざれバ「なり

◯「らし」ハ、「サウナ」と訳す、「サウナ」ハ、さまなるといふことなるを、春便りに「サウ」と

いひ、「る」をはぶける也、然れバ言の本のことを、「らしく」と同じおもむきに

あたる辞也、たとへば「物思ふらし」を、「物ヲモウサウナ」と訳すが如き、「らし」も

「サウナ」と共に、人の物思ふさまなるを見て、おしはかりたる春なれバ也、さてついで

 

------------------------ ------------------------

 

わがごとく、「人や意識、音のみ 鳴らん」などは、「人が恋しいやら声を上げてひたすら鳴く」

と写す、「これは」と縮めの「らん」の疑ひを、上へ写して、「や」と合わせて、「やら」と言う也、

「やらば すなわち やらん」と言う事也、又玉葛(たまかずら) 今は絶ゆとや、吹風の春にも

人の聞こえざるらん などの類も、同じく上へ写して、「や」と合せて、「やら」

と訳して下の句をば、一向に「訪れもせぬ」と、落とし付けて閉じむ、これらは「らん」

と疑つる事は、上にありて、下にはあらざれば「なり」

◯「らし」は、「そうな」と訳す、「そうな」は、「さまなる」と言う事成るを、春便りに「そう」と

言い、「る」を省ける也、然れば言の本の事を、「らしく」と同じ趣に

あたる辞也、例えば「物思うらし」を、「物思うそうな」と訳すが如き、「らし」も

「そうな」と共に、「人の物思う様成るを見て、推しはかりたる春なれば也」、さてついで

------------------------ ------------------------

たゆ (絶ゆ) 

[動ヤ下二] 絶えるの文語体

玉葛(た巻かずら)[名]

 1 つる草の美称。「―はふ木あまたになりぬれば絶えぬ心のうれしげもなし」〈伊勢一一八〉
 2 [枕]つるがのび広がるところから、「長し」「延(は)ふ」「繰る」「絶えず」などにかかる。
 謡曲『玉葛』あり。

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古今集遠鏡 

 

はしがき一オ 2

   雲のゐるとほきこずゑもときかゞ

     せばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ 11

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

はしがき六オ 12

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

はしがき六ウ 13

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

◯「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、来んゆかんを、「ゴウイカウ」といふ類也

はしがき 七オ 14

「けんなん」などの「ん」も同じ、「花やちりけん」ハ、「花ガチッタデアラウカ」、「花や

ちりなん」は、「花ガチツタデアラウカ」と訳す、さて此、「チツタデ」といふと、「チルデ」といふと

のかハりをもて「けん」と「なん」とのけぢめをも、さとるべし、さて又語の

つゞきたるなからにあるは、多くハうつしがたし、たとへば「見ん人」は「見よ」、

「ちりなん」後ぞ、「ちりなん」小野のなどのたぐひ、人へゞき、後へつゞき、小野へ

つゞきて、「ん」ハ皆「なからう」有り、此類は、俗語にハたゞに、見る人ハ、「チツテ」後二、

「チル」小野ノとやうにいひて、「見ヤウ(ん)人」ハ、「チルデ(なん)アラウ」後二、「チルデ(なん)アラウ」小野ノ、などハいは

ざれバ也、然るに此類をも、「しひてんなんらん」のことを、こまかに訳さむ

とならバ、「散なん」後ぞハ、「オツゝケチチルデアラウガ散タ後二サ」と訳し、「ちるらん

小野の」は、「サダメテ此ゴロハ萩ノ花ガチルでアラウ(らん)ガ其野ノ」、とやうに訳すべし、然

はしがき 七ウ 15

れども、俗語に さ はいハざれバ、中々にうとし、同じことながら、「春露たち

かくすらん、山の桜をなどハ、山の桜は露がカクシテアルデアラウ二」、と訳してよ

ろしく、又 「かの見ん人は見よ」なども、「見ヤウト思フ人ハ」と うつれバ、俗語にも

かなへり、歌のさまによりてハ、かうやうにもうつすべし、)

◯「らん」の訳(ウツシ)ハ、くさ/″\あり、「春たつけふの風や とくらん」などハ、「風ガトカスデア

ラウカ」と訳す、アラウランにあたりガ上のやに あたれり、「いつの人まに うつろひぬら

ん」などハ、「イツノヒマ二散テシマウタ「ヤラ」」と訳す、「ヤラ」らんにあたれり、「人に知られ

ぬ花やさくらん」などハ、「人二シラサヌ花が咲タカシラヌ」と訳す、「カシラヌやとらん」

とにあたれり、又 「上にや何」などといふ、うたがひことばなくて、「らん」と結びたる

にハ、「ドウイフことデ」といふ詞をそへてうつすも多し、又 「相坂のゆふつけ鳥も

れども、俗語に さ は 言わざれば、中々にうとし、同じ事ながら、「春露たち

隠すらん、山の桜を などは、山の桜は露が隠してあるであろうに(カクシテアルデアラウ二)」、と訳して よ

ろしく、又 「かの見ん人は、見よ」なども、「見ようと思う人は」と うつれば、俗語にも

かなえり、歌の様に依りては、この(こう)ようにも写すべし、

◯「らん」の訳(ウツシ)は、種々(くさぐさ)あり、「春立つ今日の風や とくらん」などは、「風がとかすであろうか(風ガトカスデア

ラウカ)」と訳す、「あろうらん(アラウラン)」にあたりが上の「や」に 当たれり、「いつの人まに うつろいぬら

ん」などハ、「いつの日に散してしもうた「やら」」と訳す、「やら」「らん」に当たれり、「人に知られ」

ぬ花や咲くらん」などは、「人に知らさぬ花が咲たかしらぬ」と訳す、「かしらぬ やとらん」

とに当たれり、又 「上にや何」などと言う、疑い詞無くて、「らん」と結びたる

には、「どう言う事で」と言う詞を添えて写すも多し、又 「相坂の夕つけ鳥も

八オ 16

わがごとく、「人や意しき、音のミ 鳴らん」などハ、「人が恋シイヤラ声ヲアゲテヒタスラナク」

とうつす、「これハ」とちぢめの「らん」の疑ひを、上へうつして、「や」と合わせて、「ヤラ」といふ也、

「ヤラバ すなわちやらん」といふこと也、「又玉かづら 今ハたゆとや、吹風の春にも

人のきこえざるらん」 などのたぐひも、同じく上へうつして、「や」と合せて、「ヤラ」

と訳して下ノ句をば、一向ニ「オトヅレモセヌ」と、落としつけてとぢむ、これらハ「らん」

とうたがつる事ハ、上にありて、下にはあらざれバ「なり」

◯「らし」ハ、「サウナ」と訳す、「サウナ」ハ、さまなるといふことなるを、春便りに「サウ」と

いひ、「る」をはぶける也、然れバ言の本のことを、「らしく」と同じおもむきに

あたる辞也、たとへば「物思ふらし」を、「物ヲモウサウナ」と訳すが如き、「らし」も

「サウナ」と共に、人の物思ふさまなるを見て、おしはかりたる春なれバ也、さてついで

わがごとく、「人や意識、音のみ 鳴らん」などは、「人が恋しいやら声を上げてひたすら鳴く」

と写す、「これは」と縮めの「らん」の疑ひを、上へ写して、「や」と合わせて、「やら」と言う也、

「やらば すなわち やらん」と言う事也、又玉葛(たまかずら) 今は絶ゆとや、吹風の春にも

人の聞こえざるらん」 などの類も、同じく上へ写して、「や」と合せて、「やら」

と訳して下の句をば、一向に「訪れもせぬ」と、落とし付けて閉じむ、これらは「らん」

と疑つる事は、上にありて、下にはあらざれば「なり」

◯「らし」は、「そうな」と訳す、「そうな」は、「さまなる」と言う事成るを、春便りに「そう」と

言い、「る」を省ける也、然れば言の本の事を、「らしく」と同じ趣に

あたる辞也、例えば「物思うらし」を、「物思うそうな」と訳すが如き、「らし」も

「そうな」と共に、「人の物思う様成るを見て、推しはかりたる春なれば也」、さてついで

 

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『古今集遠鏡 巻一』 15  古今集遠鏡  はしがき 七ウ  本居宣長

2020-05-25 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 

 

 『古今集遠鏡 巻一』 15  古今集遠鏡  はしがき 七ウ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

はしがき 七ウ 

れども、俗語に さ はいハざれバ、中々にうとし、同じことながら、「春露たち

かくすらん、山の桜をなどハ、山の桜は露がカクシテアルデアラウ二」、と訳してよ

ろしく、又 「かの見ん人は見よ」なども、「見ヤウト思フ人ハ」と うつれバ、俗語にも

かなへり、歌のさまによりてハ、かうやうにもうつすべし、)

◯「らん」の訳(ウツシ)ハ、くさ/″\あり、「春たつけふの風や とくらん」などハ、「風ガトカスデア

ラウカ」と訳す、アラウランにあたりガ上のやに あたれり、「いつの人まに うつろひぬら

ん」などハ、「イツノヒマ二散テシマウタ「ヤラ」」と訳す、「ヤラ」らんにあたれり、「人に知られ

ぬ花やさくらん」などハ、「人二シラサヌ花が咲タカシラヌ」と訳す、「カシラヌやとらん」

とにあたれり、又 「上にや何」などといふ、うたがひことばなくて、「らん」と結びたる

にハ、「ドウイフことデ」といふ詞をそへてうつすも多し、又 「相坂のゆふつけ鳥も

------------------------ ------------------------

れども、俗語に さ は 言わざれば、中々にうとし、同じ事ながら、「春露たち

隠すらん、山の桜を などは、山の桜は露が隠してあるであろうに(カクシテアルデアラウ二)」、と訳して よ

ろしく、又 「かの見ん人は、見よ」なども、「見ようと思う人は」と うつれば、俗語にも

かなえり、歌の様に依りては、この(こう)ようにも写すべし、

◯「らん」の訳(ウツシ)は、種々(くさぐさ)あり、「春立つ今日の風や とくらん」などは、「風がとかすであろうか(風ガトカスデア

ラウカ)」と訳す、「あろうらん(アラウラン)」にあたりが上の「や」に 当たれり、「いつの人まに うつろいぬら

ん」などハ、「いつの日に散してしもうた「やら」」と訳す、「やら」「らん」に当たれり、「人に知られ」

ぬ花や咲くらん」などは、「人に知らさぬ花が咲たかしらぬ」と訳す、「かしらぬ やとらん」

とに当たれり、又 「上にや何」などと言う、疑い詞無くて、「らん」と結びたる

には、「どう言う事で」と言う詞を添えて写すも多し、又 「相坂の夕つけ鳥も

------------------------ ------------------------

さ (然 副詞 そう。そのように。)  古語辞典

よろしく

 宜し(形容詞) {(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ}

 1 まずまずだ。まあよい。悪くない。

 2 好ましい。満足できる。

 3 ふさわしい。適当だ。

 4 普通だ。ありふれている。たいしたことはない。

 よろし(副詞 いかにももっとも。なるほど。) 古語辞典

かう

 斯う(副詞 このように)

種々

 くさぐさ

らん(らむ)助動詞  中世以降「らん」と表記する。

《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。

 1 〔現在の推量〕今ごろは…しているだろう。▽目の前以外の場所で現在起こっている事態を推量する。

 2 〔現在の原因の推量〕…(のため)だろう。どうして…だろう。▽目の前の事態からその原因・理由となる事柄を推量する。

 3 〔現在の伝聞・婉曲(えんきよく)〕…という。…とかいう。…のような。▽多く連体形で用いて、伝聞している現在の事柄を不確かなこととして述べる。

------------------------ ------------------------

 

古今集遠鏡 

 

はしがき一オ 2

   雲のゐるとほきこずゑもときかゞ

     せばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ 11

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

はしがき六オ 12

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

はしがき六ウ 13

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

◯「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、来んゆかんを、「ゴウイカウ」といふ類也

はしがき 七オ 14

「けんなん」などの「ん」も同じ、「花やちりけん」ハ、「花ガチッタデアラウカ」、「花や

ちりなん」は、「花ガチツタデアラウカ」と訳す、さて此、「チツタデ」といふと、「チルデ」といふと

のかハりをもて「けん」と「なん」とのけぢめをも、さとるべし、さて又語の

つゞきたるなからにあるは、多くハうつしがたし、たとへば「見ん人」は「見よ」、

「ちりなん」後ぞ、「ちりなん」小野のなどのたぐひ、人へゞき、後へつゞき、小野へ

つゞきて、「ん」ハ皆「なからう」有り、此類は、俗語にハたゞに、見る人ハ、「チツテ」後二、

「チル」小野ノとやうにいひて、「見ヤウ(ん)人」ハ、「チルデ(なん)アラウ」後二、「チルデ(なん)アラウ」小野ノ、などハいは

ざれバ也、然るに此類をも、「しひてんなんらん」のことを、こまかに訳さむ

とならバ、「散なん」後ぞハ、「オツゝケチチルデアラウガ散タ後二サ」と訳し、「ちるらん

小野の」は、「サダメテ此ゴロハ萩ノ花ガチルでアラウ(らん)ガ其野ノ」、とやうに訳すべし、然

はしがき 七ウ 15

れども、俗語に さ はいハざれバ、中々にうとし、同じことながら、「春露たち

かくすらん、山の桜をなどハ、山の桜は露がカクシテアルデアラウ二」、と訳してよ

ろしく、又 「かの見ん人は見よ」なども、「見ヤウト思フ人ハ」と うつれバ、俗語にも

かなへり、歌のさまによりてハ、かうやうにもうつすべし、)

◯「らん」の訳(ウツシ)ハ、くさ/″\あり、「春たつけふの風や とくらん」などハ、「風ガトカスデア

ラウカ」と訳す、アラウランにあたりガ上のやに あたれり、「いつの人まに うつろひぬら

ん」などハ、「イツノヒマ二散テシマウタ「ヤラ」」と訳す、「ヤラ」らんにあたれり、「人に知られ

ぬ花やさくらん」などハ、「人二シラサヌ花が咲タカシラヌ」と訳す、「カシラヌやとらん」

とにあたれり、又 「上にや何」などといふ、うたがひことばなくて、「らん」と結びたる

にハ、「ドウイフことデ」といふ詞をそへてうつすも多し、又 「相坂のゆふつけ鳥も

れども、俗語に さ は 言わざれば、中々にうとし、同じ事ながら、「春露たち

隠すらん、山の桜を などは、山の桜は露が隠してあるであろうに(カクシテアルデアラウ二)」、と訳して よ

ろしく、又 「かの見ん人は、見よ」なども、「見ようと思う人は」と うつれば、俗語にも

かなえり、歌の様に依りては、この(こう)ようにも写すべし、

◯「らん」の訳(ウツシ)は、種々(くさぐさ)あり、「春立つ今日の風や とくらん」などは、「風がとかすであろうか(風ガトカスデア

ラウカ)」と訳す、「あろうらん(アラウラン)」にあたりが上の「や」に 当たれり、「いつの人まに うつろいぬら

ん」などハ、「いつの日に散してしもうた「やら」」と訳す、「やら」「らん」に当たれり、「人に知られ」

ぬ花や咲くらん」などは、「人に知らさぬ花が咲たかしらぬ」と訳す、「かしらぬ やとらん」

とに当たれり、又 「上にや何」などと言う、疑い詞無くて、「らん」と結びたる

には、「どう言う事で」と言う詞を添えて写すも多し、又 「相坂の夕つけ鳥も

 

 

 

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『古今集遠鏡 巻一』 14  古今集遠鏡  はしがき 七オ  本居宣長

2020-05-15 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 

 

 

 『古今集遠鏡 巻一』 14  古今集遠鏡  はしがき 七オ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

はしがき 七オ 

「けんなん」などの「ん」も同じ、「花やちりけん」ハ、「花ガチッタデアラウカ」、「花や

ちりなん」は、「花ガチツタデアラウカ」と訳す、さて此、「チツタデ」といふと、「チルデ」といふと

のかハりをもて「けん」と「なん」とのけぢめをも、さとるべし、さて又語の

つゞきたるなからにあるは、多くハうつしがたし、たとへば「見ん人」は「見よ」、

「ちりなん」後ぞ、「ちりなん」小野のなどのたぐひ、人へゞき、後へつゞき、小野へ

つゞきて、「ん」ハ皆「なからう」有り、此類は、俗語にハたゞに、見る人ハ、「チツテ」後二、

「チル」小野ノとやうにいひて、「見ヤウ(ん)人」ハ、「チルデ(なん)アラウ」後二、「チルデ(なん)アラウ」小野ノ、などハいは

ざれバ也、然るに此類をも、「しひてんなんらん」のことを、こまかに訳さむ

とならバ、「散なん」後ぞハ、「オツゝケチチルデアラウガ散タ後二サ」と訳し、「ちるらん

小野の」は、「サダメテ此ゴロハ萩ノ花ガチルでアラウ(らん)ガ其野ノ」、とやうに訳すべし、然

 

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けんなん(「けん」と「なん」)

小野(京都市山科区)

 

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古今集遠鏡 

 

はしがき一オ 2

   雲のゐるとほきこずゑもときかゞ

     せばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ 11

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

はしがき六オ 12

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

はしがき六ウ

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

◯「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、来んゆかんを、「ゴウイカウ」といふ類也

はしがき 七オ 

「けんなん」などの「ん」も同じ、「花やちりけん」ハ、「花ガチッタデアラウカ」、「花や

ちりなん」は、「花ガチツタデアラウカ」と訳す、さて此、「チツタデ」といふと、「チルデ」といふと

のかハりをもて「けん」と「なん」とのけぢめをも、さとるべし、さて又語の

つゞきたるなからにあるは、多くハうつしがたし、たとへば「見ん人」は「見よ」、

「ちりなん」後ぞ、「ちりなん」小野のなどのたぐひ、人へゞき、後へつゞき、小野へ

つゞきて、「ん」ハ皆「なからう」有り、此類は、俗語にハたゞに、見る人ハ、「チツテ」後二、

「チル」小野ノとやうにいひて、「見ヤウ(ん)人」ハ、「チルデ(なん)アラウ」後二、「チルデ(なん)アラウ」小野ノ、などハいは

ざれバ也、然るに此類をも、「しひてんなんらん」のことを、こまかに訳さむ

とならバ、「散なん」後ぞハ、「オツゝケチチルデアラウガ散タ後二サ」と訳し、「ちるらん

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『古今集遠鏡』 はしがき 六ウ より 「コウイカウ」とは

2020-05-14 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

『古今集遠鏡』 はしがき 六ウ より 「コウイカウ」とは

 

 

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。 本居宣長

はしがき六ウ

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来んゆかんを」を、「コウイカン」といふ類也

 

 

 

「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来んゆかんを」を、「コウイコウ」といふ類也

 上の「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来ゆかん」を、「コウイコウ」といふ類也とは?

 「」は、俗語にはすべて皆「」といふ、「来(コ)ゆか」を、「コウイコウ」といふ類也

 「ゴウイカウ」とは、(来ない、行く)という意味なのかしらん^^

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『古今集遠鏡 巻一』 13  古今集遠鏡  はしがき 六ウ  本居宣長ウ

2020-05-14 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 『古今集遠鏡 巻一』 13  古今集遠鏡  はしがき 六ウ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

 

はしがき六ウ

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

◯「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来んゆかん」を、「ゴウイカウ」といふ類也

 

 

 

 

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べらなれ (べらなり    学研 古語辞典)

助動詞ナリ活用型《接続》活用語の終止形に付く。ただし、ラ変型活用の語には連体形に付く。〔推量〕…するようだ。…そうに思われる。

助動詞「べし」の語形の変化しない部分「べ」+接尾語「ら」+断定の助動詞「なり」からできた語。平安時代、漢文訓読語に「べし」に当たる語として用いられ、和歌では『古今和歌集』のころにはかなり用いられたが間もなくすたれる。

 

わかむ(分れる)

 

「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来んゆかんを」を、「コウイコウ」といふ類也

 上の「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、「来ゆかん」を、「コウイコウ」といふ類也とは?

 「」は、俗語にはすべて皆「」といふ、「来(コ)ゆか」を、「コウイコウ」といふ類也

 「ゴウイカウ」とは、(来ない、行く)という意味

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古今集遠鏡 

 

はしがき一オ 2

   雲のゐるとほきこずゑもときかゞ

     せばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

 

はしがき五ウ 11

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

はしがき六オ 12

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

 

はしがき六ウ

も同じく、こそといへり、今風にこそ見ざるべらなれ、「雪とのみこそ花ハ

ちるらめ」などのたぐひこそハ、うつすべき詞なし、これハ「ぞ」にいとちかければ、「ぞ」の例によなり、「山風ぞ」云々、「雪とのミぞ」云々、とひたらむに、いく

ばくのたがひもあらざれバ也、さるをしひていさゝかのけぢめをもわか

むろすれバ、中々にうとくなること也、「たがそでふれしや、どの梅ぞ」と、「恋も

するかな」などのたぐひの「も」もじハ、「マァ」と訳す、「マァ」ハ、やがて此もの訳(ウツ)れる

にぞあらむ、疑ひの「や」もじハ、俗語にハ皆、力といふ「春やとき、花やおそき」とハ、「春が早イ

ノカ、花ガオソイノカ」と訳すがごとし、

◯「ん」は、俗語にはすべて皆「ウ」といふ、来んゆかんを、「コウイカウ」といふ類也

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『古今集遠鏡 巻一』 12  古今集遠鏡  はしがき 六オ  本居宣長

2020-05-13 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 『古今集遠鏡 巻一』 12  古今集遠鏡  はしがき 六オ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

 

はしがき六オ

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

 

 

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ものうかる(春たてど  花も匂はぬ  山里は  ものうかるねに  うぐひすぞ鳴く 在原棟梁(むねやな)は、生年は不詳で898年没。在原業平の長男。885年従五位下、897年従五位上。古今和歌集にはこの歌を含めて四首採られている。

  
立春になったが、花も咲きそろわない山里では、ものうげな音色でウグイスが鳴いている、という歌。 「春-花-鶯」という春の言葉のセットを含んでいて、そこに 「山里」という場を提示することにより、三者のバランスの 「崩れ」を詠っている。

ものうがる(物憂鬱がる)

行四段活用 活用{ら/り/る/る/れ/れ}なんとなくおっくうがる。気が進まないと思う。出典源氏物語 少女「浅葱(あさぎ)の心やましければ、内裏(うち)へ参ることもせず、ものうがり給(たま)ふを」[訳] (夕霧は)六位の浅葱色が不満なので、宮中へ参上することもせず、なんとなくおっくうがりなさるが。◆「がる」は接尾語。

香(か)

殊に( 副 )

① 他と比べてっているさま。特別。 
② (打ち消しの語を伴ってを)取り立てて。たいして。あまり。
③その上。加えて。

 

 

古今集遠鏡 

 

はしがき一オ 2

   雲のゐるとほきこずゑもときかゞ

     せばこゝにみねのもみちば

此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ 11

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

はしがき六オ 12

雅事(ミヤビゴト)と俗事(サトゴト)と、いふやうのたがひ也、又「てにをは」も、ところをかへて訳

すべきあり、「ものうかるねに鶯ぞなく」など、「ものうかる春にぞ」と、「ぞ」も

じハ、上にあるべきことなれども、さいハひがたき所に、鶯の下におけるなれば、

其こゝろをえて、訳(ウツ)すべき也、此例多し、皆なすらふべし、ふべし、

◯「てにをは」の事、「ぞ」もじハ、訳すべき詞なし、たとへバ「花ぞ昔の香ににほひける

のごとき、殊に力(ラ)を入(レ)たるぞなるを、俗言にハ、花ガといひて、其所にちからを入れ

て、いきほひにて、雅語のぞの意に聞(カ)することなるを、しか口にいふいきほひハ、物

にハ出るべくもあらざれバ、今ハサといふ辞を添(ヘ)て、ぞにあてゝ、花ガサ昔

ノ云々と訳す、ぞもじの例、みな然り、こそハ、つかひざま大かた二つある中に、

「花こそちらめ、根さへかれねや」などやうに、むかへていふことあるハ、さとびごと

 

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『古今集遠鏡 巻一』 11 古今集遠鏡  はしがき五ウ  本居宣長  

2020-05-12 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 『古今集遠鏡 巻一』 11 古今集遠鏡  はしがき五ウ  本居宣長  

 

『古今集遠鏡』6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。

 

 

はしがき五ウ

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「ゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

 

------------

 

郭公(ほととぎす)

ちくさ(ちくさなり 千種なり)種類が多い。いろいろだ。さまざまだ。「ちぐさなり」とも。伊勢物語 八一「紅葉のちくさに見ゆるをり」[訳] 紅葉の(色が)さまざまに見えるころ。

 

 

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はしがき一オ 2

古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3

とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4

ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5

てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6

◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7

シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8

されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9

つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10

今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ

はしがき五ウ

きもあり・「花咲にけり」などハ、「花が咲いタワイ」と、「ガ」うをそふ、此類ハ殊におほし、す べて俗言にハ、「ガ」と

いふことの多き也、雅言のぞをも、多くハ「ガ」といへり、「花なき」

などハ、「花ノナイ里」と、「ノ」をそふ、又はぶきて訳すべきも、「人しなけれバ」「ぬきて

をゆかむ」などの、「しもじ」を「もじ」、訳言(ウツシコトバ)をあゝハ、中々にわろし、

◯詞のところををおきかへてうつすべきことおほし、「あかずとやなくや山郭公」

などハ、「郭公」を上へうつして、「郭公ハ残リオホウ思フテアノヤウニ鳴クカ」と訳し、「よるさ

へ見よ」とてらす月影は、ヨルマデ見ヨ」トテ「月の影をテラス」とうつし、「ちくさに物

を思ふゝろかな」のたぐひは、「こゝろ」を上にうつして、「コノゴロハイロ/\」ト物思ヒノ

シゲイ「カナ」とやくし、「うらさびしくも見てわたるかな」ハ、「すてる」を上へう

つして、「見ワタシタトコロガキツウマアものサビシウ見エル」「カナ」と訳すたぐひにて、これ

 

 

 

 

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『古今集遠鏡 巻一』 10 古今集遠鏡   はしがき 五オ  本居宣長

2020-05-11 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』

 『古今集遠鏡 巻一』 10 古今集遠鏡   はしがき五オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)五オ 10
今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、

◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ




わぶ(学研全訳古語辞典)
わ・ぶ 【侘ぶ】
[一]自動詞バ行上二段活用
{語幹〈わ〉}
①気落ちする。悲観する。嘆く。悩む。
出典伊勢物語 九
「限りなく遠くも来にけるものかなと、わびあへるに」
[訳] この上もなく遠くまでもまあ来てしまったものだなあと、互いに嘆き合っていると。
②困る。困惑する。当惑する。
出典源氏物語 花宴
「いといたう強(し)ひられて、わびにて侍(はべ)り」
[訳] まったくたいそう(酒を)無理強いされて、困っております。
③つらく思う。せつなく思う。寂しく思う。
出典古今集 雑下
「わくらばに問ふ人あらば須磨(すま)の浦に藻塩(もしほ)たれつつわぶと答へよ」
[訳] たまたまに(私のことを)尋ねる人があったなら、須磨の浦で藻塩草に潮水をかけながら(涙を流して)せつなく思っていると答えてください。
④落ちぶれる。貧乏になる。まずしくなる。
出典古今集 仮名序
「あるは、昨日は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび」
[訳] ある場合には、昨日(まで)は栄えて思い上がっていたのに、(今日は)時の流れに合わないで勢力がなくなり、世間で落ちぶれて。
⑤わびる。謝る。
出典宇治拾遺 一一・三
「『ただ許し給(たま)はらむ』とわびければ」
[訳] 「ともかく許しをいただきたい」と謝ったので。◇「詫ぶ」とも書く。
⑥静かな境地を楽しむ。わび住まいをする。閑寂な情趣を感じとる。
出典松風 謡曲
「ことさらこの須磨の浦に心あらん人は、わざともわびてこそ住むべけれ」
[訳] 特にこの須磨の海岸では、情趣のわかる人は、わざとでもわび住まいをして住みつくであろう。
[二]補助動詞バ行上二段活用
活用{び/び/ぶ/ぶる/ぶれ/びよ}
〔動詞の連用形に付いて〕…しづらくなる。…しかねる。…しきれない。
出典伊勢物語 七
「京にありわびて東(あづま)に行きけるに」
[訳] (ある男が)都に住みづらくなって東国へ行ったが。

ガにかふ(画に合わすこと)




はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ

はしがき五オ 10
今年ト云タモノデアラウカとうつすぞよくあたれる、又春くることを「たれ
かしらまし」など、春ノキタトヲ云々、と訳(ウツ)さゞれバ、あたりがたし、「来(ク)る」と
「来(キ)タ」とハ、たがひあれども、此歌などの「来(キ)ぬる」と有べきことなるを、
さはいひがたき所に、「くる」とハいつるなれバ、そのこゝろをえて、「キタ」と訳(ウツ)
すべき也、かゝるたぐひ、いとおほし、なすらへて、さとるべし、
◯詞をかへてうつすべきあり、「花と見て」などの「見て」ハ、俗語には、「見て」と
ハいはざれバ、「花ヂヤト思ウテ」と訳すべし、「わぶとこゝろへよ」、などの類の「こ
たふる」ハ、俗言には、「こたふ」とハいはず、たゞ「イフ」といへば、「難-儀ヲシテ居ルト
イヘ」と訳すべし、又「てにをは」をかへて訳すべきも有リ、「春ハ来にけり」な
どのエモジハ、「春ガキタワイ」と、ガにかふ、此類多し、又「てにをは」を添(フ)べ



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『古今集遠鏡 巻一』 9 古今集遠鏡   はし(がき)四ウ  本居宣長

2020-05-11 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』


 『古今集遠鏡 巻一』 9 古今集遠鏡   はし(がき)四ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、

◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ






はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう

はしがき四ウ 9
つすこちあり、又は上下の語の訳(うつし)の中小、其言をこむることもあり、あるハ
二句三句を合わせて、そのすべての言をもて訳(ウツ)すもあり、そハたとへバ「ことな
らバさかずやむあらぬ桜花などの、ことならばといふ詞など、一つはなち
てハ、いかにもうつすべき俗言なれバ、二句を合わせて、トテモ此ヤワニ早ウ散(ル)クラい
ナラバ一向ニ初(メ)カラサカヌガヨイニナゼサカヌニハヰヌゾ、と訳(ウツ)せるがごとし、
◯歌によりて、もとの語のつゞきざま、「てにをは」などにもかゝハらで、すべて
の言をえて訳(ウツ)すべきあり、もとの詞つゞき、「てにをハ」などを、かたくまも
りてハ、かへりて一かたの言にうとくなることもあれバ也、たとへば「こぞと
やいはむ、ことしとやいはむなど、詞をまもらバ、去年ト云(ハ)ウカ今年トイハ
ウカ、と、訳すべけれども、さてハ俗言の例にうとし、去年ト云タモノデアラウカ


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『古今集遠鏡 巻一』 8 古今集遠鏡   はし(がき)四オ  本居宣長

2020-05-11 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』


 『古今集遠鏡 巻一』 8 古今集遠鏡   はし(がき)四オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、

◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、

◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう





せどうか(旋頭歌)  (ウィキペディア)
 奈良時代における和歌の一形式。『古事記』『日本書紀』『万葉集』などに作品が見られる。
 五七七を2回繰り返した6句からなる。
 上三句と下三句とで詠み手の立場がことなる歌が多い。
 頭句(第一句)を再び旋(めぐ)らすことから、旋頭歌と呼ばれる。
 五七七の片歌を2人で唱和または問答したことから発生したと考えられている。
 国文学者の久松潜一は『上代日本文学の研究』において、旋頭歌の本質は問答的に口誦するところにあるとの考えを示し、他の研究者もこれを支持している。
 一人で詠作する歌体もあるが、これは柿本人麻呂によって創造されたとの説がある。
   
 例)古今和歌集 巻第十九 雑体から旋頭歌
 1007
 題しらず                  よみ人しらず
 うちわたすをちかた人にもの申す われそのそこに しろくさけるはなにの花ぞも
 1008
 返 し
 春されば野辺にまずさく みれどあかぬ花 まひなしに ただなのるべきはなのななれや

たハふ(ム)れ(戯れ)

 



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はしがき三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春

はしがき四オ 8
されバ野べにまづさく云々、といつるせどうかの、訳(ウツシ)のはててに、へゝ/\
へゝ/\と、笑ふ声をへそたるなど、さらにおのづがいまの、たハぶれにはあら
図、此ノ下ノ句の、たハぶれていへる詞なることを、さとさせりとてぞかし、かゝる
ことをダウぞへざれバ、たハふ(ム)れの善(へ)なるよしの、わらハれがたけれぞかし、
かゝるたぐ日、いろ/\おほし、なすらへてさとるべし、
◯みやびごとハ、二つにも三つにも分れたることを、さとび言には、合をて一ツ
にいふあり、又雅言(ミヤビゴト)ハ一つながら、さとびごとにてハ、二つ三つにわかれたる
もあるゆゑに、ひとつ俗言(サトビゴト)を、これにもかれにもあつるとある也、
◯まさしくあつべき俗言のなき詞には、一つに二ツ三ツをつらねてう
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『古今集遠鏡 巻一』 7 古今集遠鏡   はし(がき)三ウ  本居宣長

2020-05-10 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』
イラン バンダレ・アーダーリー






 『古今集遠鏡 巻一』 7 古今集遠鏡   はし(がき)三ウ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はし(がき)三ウ 7
シハといふべきを、「ワシ」、それを「ソレ」、すればを「スレ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、

◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ

はし(がき)三ウ 7
シハといふべきを、「ワシヤ<」、それを「ソレヤ」、すればを「スレヤ」といふたぐひ、又その
やうなこのやうなを、「ソンナコンナ」といひ、ならばたらバを、ばをはぶきて、ナ
ラタラざうしてを「ソシテ」、よかろうを「ヨカロ」、とやふにいふたぐひ、ことにうち
ときたることなるを、これはた いきほひ にしたがひてハ、中/\にうるハしく
いふよりハ、ちかくあたりて聞ゆるふしおほければなり、
◯すべて人の語ハ、同じくいふとも、いひざるいきほひにしたがひて、深くも浅
くも、をかしくも、うれたくも聞こゆるわざにて、歌ハことに、心のあるようをたゞ
にうち出したる趣なる物なるに、その詞の、いまさま いきほひハ しも
よみ人の心をおしえかりえて、そのいきほひを訳(ウツ)すべき也、たとへバ「春
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『古今集遠鏡 巻一』 6 古今集遠鏡   はし(がき)三オ  本居宣長

2020-05-09 | 本居宣長 『古今集遠鏡』『玉あられ』


 『古今集遠鏡 巻一』 6 古今集遠鏡   はし(がき)三オ  本居宣長


 『古今集遠鏡』 
 6冊。寛政5年(1793)頃成立。同9年刊行。


はしがき三オ
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ


情(こゝろ 心)
より(ラ行五段活用の動詞「よる」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの。)



はしがき一オ 2
古今集遠鏡 
   雲のゐるとほきこずゑもときかゞミ
     うつせばこゝにみねのもみちば
此書ハ、古今集の歌どもを、こと/″\くいまの無の俗語(サトビゴト)に訳(ウツ)せ
る也、そも/\此集ハ、よゝに物よくしれりし人々の、ちうさくども
のあまた有て、のこれるふしもあらざなるに、今更さるわざハ、い
かなれバといふに、かの注釈といふすぢハ、たとへばいとはるかなる高き
山の梢どもの、ありとバかりハ、ほのかにみやれど、その木とだに、あや
めもわかむを、その山ちかき里人の、明暮のつま木のたよりにも、よ
く見しれるに、さしてかれハと ゝひたらむに、何の木くれの木、も

はしがき一ウ 3
とだちハしか/″\、梢の有るやうハ、かくなむとやうに、語り聞せたらむ
がそとし、さるハいかによくしりて、いかにちぶさに物したらむにも、人づて
の耳(ミヽ)ハ、かぎりしあれバ、ちかくて見るめのまさしきにハ、猶にるべくも
あらざめるを、世に遠めがねといふなる物のあるして、うつし見るに
はいかにとほきも、あさましきまで、たゞこゝもとにうつりきて、枝さ
しの長きみじかき、下葉の色のこきうすきまで、のこるくまなく、見
え分れて、軒近き庭のうゑ木に、こよなきけぢめもあらざるばかり
に見るにあらずや、今此遠き代の言の葉のくれなゐ深き心ばへ
を安くちかき、手染の色うつして見するも、もはらこのめがね
のたとひにかなへらむ物を、やがて此事ハ志と、尾張の横井、千秋

はしがき二オ 4
ぬしの、はやくよりこひもとめられれたるすぢにて、はじめよりうけひき
てハ有ける物から、なにくれといとまなく、事しげきにうちまぎれて、
えしのはださず、あまたの年へぬるを、いかに/ \と、しば/″\おどろかさる
るに、あながちに思ひおくして、こたみかく物しつるを、さきに神代のまさ
ことも、此同じぬしのねぎことこそ有しか、御のミ聞けむとやうに、
しりうごつともがらも有べかめれど、例の心も深くまめなるこゝ
ろざしハ、みゝなし心の神とハなしに、さてへすべくもあらびてなむ、
◯うひまなびなどのためのは、ちうさくハ、いかにくはしくときた
るも、物のあぢハひを、甘しからしと、人のかたるを聞たらむやう
にて、詞のいきほひ、「てにをは」のはたらきなど、たまりなる趣にいたり

はしがき二ウ 5
てハ、猶たしかにはえあらねどば、其事を今おのが心に思ふがごとハ、里
りえがたき物なるを、さとびごとに訳(ウツ)したるハ、たゞにみづからさ思ふ
にひとしくて、物の味を、ミづからなめて、しれるがごとく、いにしへの雅事(ミヤビゴト)
ミな、おのがはらの内のおとしなれゝバ、一うたのこまかなる心ばへの、
こよなくたしかにえラルことおほきぞかし、
◯俗言(サトビゴト)ハかの国この里と、ことなきとおほきが中には、みやびごとに
ちかきもあれども、かたよれるゐなかのことばゝ、あまねくよもには
わたしがたれバ、かゝるとにとり用ひがたし、大かたハ京わたりの
詞して、うつすべきわざなり、ただし京のにも、えりすつべきハ有
て、なべてハとりがたし、

はしがき三オ 6
◯俗言(サトビゴト)にも、しな/″\のある中に、あまりいやしき、又たハれすぎたる、又
時ゞのいまめきことばなどハ、はぶくべし、又うれしくもてつけていふと、
うちときたるもの、たがひあるを、歌ハことに思ふ情(こゝろ)のあるやうのまゝに、廠
眺め出たる物なれば、そのうちときたる詞して、訳(ウツ)すべき也、うちとけ
たるハ、心のまゝにいひ出したる物にて、みやびごとのいきほひに、今すこ
しよくあればぞかし、又男のより、をうなの詞は、ことにうちとき
たることの多くて、心に思ふすぢの、ふとあらハなるものなれバ、歌のい
きほひに、よくかなへることおほ彼ば、をうなめ きたるをも、つかふべ
きなり、又いはゆるかたしも用ふべし、たちへばおのがことを、うる
はしくハ「わたくし」といふを、はぶきてつねに、ワタシともワシともい日、ワ



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