乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

関戸本古今集巻第四(秋歌上) きのつらゆき  成田山書道美術館   『墨  特集:関戸本古今集を学ぶ』259号より

2021-11-27 | 紀貫之

 

               成田山書道美術館

 

 関戸本古今集

  巻第四(秋歌上)

 

 

          きのつらゆき

 

  かはかぜのすゞしくもあるかうち

  よする なみとゝもにや あきは

  たつらむ

    だいしらず  よみ人しらず

  わがせこが ころものすそを ふ

  きかへし うらめづらしき 秋の

  はつかぜ

 

関戸本古今集

関戸本古今集の名称の由来

 関戸本古今集は、古今和歌集の写本として、最も有名なものの1つ。
 もともと綴葉装の冊子2冊。

 現存するのは、全体の5分の1ほど。

 そのうちの四十八紙が、明治15年(1882年)に、加賀の前田家から名古屋の素封家・関戸家に伝わり、それらを「関戸本」と呼ばれるようになった。

 

 約30年ほど前まで、名古屋の関戸家に糸綴の冊子本に古今集を書写した不完全な本が伝えられてた。

 その後、さらに相当部分が分割されましたが、江戸時代以前に切れ切れになって残っていたものを全て含めて関戸本古今集と呼ばれる。

 

 

 

 

『墨  特集:関戸本古今集を学ぶ』

 259号

 2019年7月

 本社工房

 2238円+税

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『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

2020-10-20 | 紀貫之

 

 『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

 

 

『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」の『高砂』には、『古今和歌集』仮名序にも『高砂』が触れられていたので、簡単に記録しておきたい。

 

 

『高砂』

 本曲のテーマは、和歌の隆盛が天下泰平のバロメーターだとする『古今和歌集』序以来の和歌性教観に立脚した当代賛美と見るのが正しいと思われる。

   (『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」『高砂』から引用)

 

 実際に以前にも読んだ『古今和歌集』仮名序を確かめることにしよう。

 

 

『古今和歌集』仮名序

「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける」

から始まる『古今和歌集』仮名序が中盤に差し掛かった頃、次のように記されている。

 

「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」

  (『古今和歌集』仮名序  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

 

「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」の「高砂」「住の江」に注釈として和歌が載せられているので記録しておきたい。

 

 

高砂

 『古今和歌集』908

 かくしつゝ 世をや尽さむ高砂

 おのへに立てる 松ならなくに

 (「高砂の松」で比喩される人生の無常感。)

 (『古今和歌集』  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

住の江

 『古今和歌集』905

 我見ても 久しくなりぬ住の江

 岸の姫松 いく世へぬらん

 (私が見ているだけでも久しくなった。住の江の一体いつの世を経てきているのでしょうか。)

 (『古今和歌集』  岩波 新古典文学大系5から引用)

 

 

 

謡曲『高砂』 1  観世流謡曲百番集、岩波 日本古典文学大系 より

謡曲『高砂』 2  『高砂』をネット検索すれば、どういう結果が生まれるかを、『観世流百番集』を添えて確かめる試み。

謡曲『高砂』 3  『伊勢物語』百十七段と高砂の関わり

『高砂』 4  『古今和歌集』仮名序と『高砂』との関わり

『高砂』 5  『世阿弥 神と修羅の恋』「能を読む2」から『高砂』    住吉明神(住吉の浦で後ジテ)が影向(ようごう)  大君守護 万民寿福 上の舞を舞い、太平の御代を寿ぐ。

 

 

 

  

 

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『平安 名家家集切  平安 戌辰切和漢朗詠集』より「藤」紀貫之 含   日本名跡業刊

2020-05-30 | 紀貫之

 

『平安 名家家集切  平安 戌辰切和漢朗詠集』より「藤」紀貫之  含   日本名跡業刊

 

 

  

        山種美術館蔵

 

 

    藤

悵望慈思三月尽コトシ紫藤花落鳥開々  白
 
紫藤露底残花色翡竹煙中暮鳥声    相規
 
たこのうらのそらさへにほうふゝぢのはな
 
かさしてゆかむ見ぬ人のため
 
ときはなつまつのなたてにあやしくも
 
かゝれるふちのさきてちるかな  貫之
 
 
悵望す慈思に三月の尽きるがごとし 紫藤の花落ちて鳥 開々(ママ かんかん)たり  白楽天
 
紫藤の露の底に残る花の色 翡竹の煙の中に暮鳥声    源相規
 
田子の浦の空さえ匂う藤の花
かざしてゆかん 見ぬ人のため  (蔵忌寸蝉丸)
 
時は夏 松の名だてにあやしくも
 
かゝれる藤の咲きて散るかな  紀貫之
 

悵(ちょう うら-む)

  四字熟語  悲歌悵飲 (ひかちょういん)

悵望(名)心をいためて思いやること。うらめしげに見やること。

  「七夕の深き契によりて驪山の雲に-すること勿れ/今鏡 すべらぎ中」

 

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34; 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』 藤岡忠美著  集英社 1985年

2011-03-19 | 紀貫之


三月初めに読んだ本の記録を、忘れない間に記録しておきたいと思います。


34; 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』 藤岡忠美著  集英社 1985年





 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』

 藤岡 忠美 著

 藤岡忠美(ふじおか ただはる)
 1926年、東京生まれ。東京大学文学部卒業。北海道大学助教授、神戸大学教授、
 昭和女子大学教授を経て、現在、神戸大学名誉教授。平安朝文学専攻。著書に、
『平安和歌史論』『和泉式部日記』『伊勢物語・竹取物語』『袋草紙』『躬恒集注釈』
『忠岑集注釈』『平安朝和歌――読解と試論』などがある


 集英社

 1985年07月

 252P 1,682円







 王朝の歌人 4 『歌ことばを創る 紀貫之』を読了。

『歌ことばを創る 紀貫之』は 竹西 寛子著の 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』との重複が多々ある。

 出版は『歌ことばを創る 紀貫之』は1985年、同時代ライブラリーの『古今和歌集』は1997年。

『歌ことばを創る 紀貫之』では『古今和歌集』に加え、『土佐日記』まで入る。




 本書で、貫之がなぜ『土佐日記』を書いたか、どのような状態で記したかがうすぼんやりとわかる。
 この本の半ばで藤原忠房や他との親密な歌のやり取りによって、思わぬ方向に事を知る。(139、140、187 他)

 子どもの会社帰宅後、声を出し読む。

 彼女も、事の深層にほくそ笑む。



 上に関係あるが、『土佐日記』の女装文学について割合詳しく書かれていた。

 よくいわれている言葉遊びの物名歌や滑稽な俳諧歌の世界に近い旨、貫之の得意とすると 著者はくくられる。

 また地域の古典講座でも何度も聞いたが、この本でも 一月十三日の入浴描写など、女装文学がばれていると記されている。

 藤岡忠美氏は こういった卑猥なジョークを漏らし、読者を笑わせようとした作者の手の込んだ趣向とまとめられている。



『土佐日記』は儀礼と内心、建前と本音、精神と物品などといった対立をとらえ、揶揄と風刺を働かせて、言葉の洒落をからませていきいきとえがいていくところに作者の本領があった。(212)



『歌ことばを創る 紀貫之』始まってすぐに 貫之の名前に着いてく詳しく書かれていた。

 なるほどと読み進むうちに、貫之は貫く云々と書かれていた。

 先日このブログで『古今和歌集 春 紀貫之のみ』を終え次に何に仕様かと阿呆なことを書いていた。
 
 その際、「貫之で貫き通す」と駄洒落のつもりで書いた。

 間違い。そのままだったと本書で気づかされる。

 無知とは楽しいものだと笑いでごまかしながら、赤面する。

 

『古今和歌集』では気になる歌が多くあったがここではほとんどを省略。



 ことばと幻想(121)での「眼前の景物から連想を展開し、見えない世界へ幻想をうたう」「嘆美と理知とをひとつにした体」とした下の歌は興味深い。


      吹くかぜと谷の水としなかリせばみ山がくれの鼻を見ましや  (春下)



   似

        春立ける日詠める

      袖ひちて結び清水の氷(こも)れるを春たつ今日のかぜやとくらむ  (春上)


        山寺に詣でたりけるに詠める

      宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにもはなぞ散りける  (春下)


        秋立つ日、うへのをのこども、賀茂の河原に川逍遥 (かはせうえう)しける供にまかりて詠める

      河風の涼しくもあるかうち寄する波とともにはや秋はたつらむ  (秋上)

   







 気になる事が他にも多くありましたが、長くなりますのでこのへんで終わります。


 記録におつきあい下さいましてありがとうございました。

 心よりお礼申しあげます。




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雑    紀 貫之

2011-03-10 | 紀貫之




 先月『土佐日記』を読み、一旦 反抗期のように拒否反応を起こした紀貫之。

 歌はいいはずと『古今和歌集』を少し!楽しみ始めただけなのに、今度は紀貫之の冴えにはまる。

 いつもながら、何と単純なこと。



 古典の先生からお聞きしていたマイナーな先入観も解消できた今、そろそろ角川の『土佐日記全註釈』(萩谷朴)を楽しみ始めようかという気になった。
 
 よしよし、これで良し。



 単純だと思っていた『土佐日記』

 一行又一行が複雑に考えから見合わされている。ことば遊びその他 驚くばかりの名作なんだ…と思えるくらい、本書『土佐日記全註釈』では丁寧に解説されている。

『土佐日記』ってこんなに練られていたの?と、思わずビックリ@@

 ざっと読むのはもったいないので、ノート片手にじっくり遊ぼう。



 最後まで読めればいいなぁ…たははは は

 





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古今和歌集8 巻第十二  恋歌より紀貫之 (全13首) 587、588,589、597、598、599,604、605

2011-03-10 | 紀貫之





「古今和歌集」 巻第十二  恋歌より紀貫之(587、588,589、597、598、599,604、605)

           (引き続き 日本古典文学大系8をうつし書きます)
             
              日本古典文学大系8
              新日本古典文学大系5










 「古今和歌集」 巻第十二  恋歌 紀貫之は十三首ありました。

           572、573、574、579、583、

           587、588,589、597、598、

           599,604、605










    (くれなゐ)のふりいでつゝなくなみだには たもとのみこそ色まさりけれ


                    部分的季節的に業平さんの歌を思い浮かべます。
                    心に染み渡ります。この歌、好きです。

                    このあと

    白玉とみえし涙も としふれば からくれなゐにうつろひにけり

                    に続きます。




 



  


 
 古今和歌集 巻第十二  恋歌587
                               つらゆき

      まこもかるよどさのさは水 雨ふればつねよりことにまさるわがこひ
                  まこもかる=枕詞


 古今和歌集 巻第十二  恋歌588
                               

        やまとに侍りける人につかはしける

      こえぬまはよしのの山のさくら花 人づてにのみきゝわたる哉
               


 古今和歌集 巻第十二  恋歌589
                               

        やよひ計(ばかり)に、もののたびける人のもとに、また人
        まかりつゝせうそこすときゝて、よみてつかはしける
      
      つゆならぬ心を花にを(お)きそめて 風ふくごとに物おもひぞつく


 古今和歌集 巻第十二  恋歌597
                               つらゆき

      わがこひはしらぬ山ぢにあらなくに 迷不心ぞわびしかりける


 古今和歌集 巻第十二  恋歌598
                               

      紅(くれなゐ)のふりいでつゝなくなみだには たもとのみこそ色まさりけれ
             ふりいで=枕詞(涙 就職語)

 古今和歌集 巻第十二  恋歌599
                       

      白玉とみえし涙も としふれば からくれなゐにうつろひにけり


 古今和歌集 巻第十二  恋歌604
                               つらゆき

      つのくにのなにはのあしの めもはるにしげき我恋 人しるらめや


 古今和歌集 巻第十二  恋歌605
                               

      てもふれで月日へにける白まゆみ おきふしよるはいこそねらぬ




  



  



 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。

 このうた、あめつちの、ひらけはじめける時より、いできにけり。あまのうきはしのしたにて、めがみをがみとなるたまへることをいへるうたなり。しかあれど、世にツタ晴子とは、久方の雨にしては、仕立てる姫にはじまり、したてるひめとは、めはかみこのめなり。あせうとの神野かたち、ををかたににうつりて、かゞやくをよめるえびすうたなるべし。これらは文字のかずもも定まらず、歌ののようにもあらぬ事どもなり。(日本古典文学大系8 P,93まで)










 古今和歌集 巻第十一  恋歌471
                              紀つらゆき

      よしのがはいはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし


 古今和歌集 巻第十一  恋歌475

      世中はかくこそありけれ 吹くかぜのめにみぬ人もほひしかりけり


 古今和歌集 巻第十一  恋歌478
                               つらゆき

        ひとの花つみしける所にまかりて、そこなりけるひとのもとに、のちによみてつかはしける

      山ざくら霞のまより ほのかにもみてし人こそこひしかりけれ


 古今和歌集 巻第十一  恋歌482
                               つらゆき

      あふことはくもゐはるかに なるかみを(お)とにきゝつゝ恋ひわたるかな









 古今和歌集 巻第十二  恋歌572
                               きのつらゆき

      君こふる涙しなくは から衣っむねのあたりは色もえなまし


 古今和歌集 巻第十二  恋歌573
                               

        題しらず

      世とともに流れてぞゆく涙河 冬もこほらぬみなわなりけり


 古今和歌集 巻第十二  恋歌574
                               

      夢ぢにも露やをくらん 夜もすがらかよへる袖のひぢてかは(わ)かぬ


 古今和歌集 巻第十二  恋歌579
                               つらゆき

      さ月山こずゑをたかみ ほとゝぎすなくねそらなる恋のする哉


 古今和歌集 巻第十二  恋歌583
        題知らず                       つらゆき

      あきののにみだれてさける花の色の ちぐさに物をおもふころかな

 
 古今和歌集 巻第十二  恋歌587
                               つらゆき

      まこもかるよどさのさは水 雨ふればつねよりことにまさるわがこひ


 古今和歌集 巻第十二  恋歌588
                               

        やまとに侍りける人につかはしける

      こえぬまはよしのの山のさくら花 人づてにのみきゝわたる哉
               


 古今和歌集 巻第十二  恋歌589
                               

        やよひ計(ばかり)に、もののたびける人のもとに、また人
        まかりつゝせうそこすときゝて、よみてつかはしける
      
      つゆならぬ心を花にを(お)きそめて 風ふくごとに物おもひぞつく


 古今和歌集 巻第十二  恋歌597
                               つらゆき

      わがこひはしらぬ山ぢにあらなくに 迷不心ぞわびしかりける


 古今和歌集 巻第十二  恋歌598
                               

      紅(くれなゐ)のふりいでつゝなくなみだには たもとのみこそ色まさりけれ


 古今和歌集 巻第十二  恋歌599
                       

      白玉とみえし涙も としふれば からくれなゐにうつろひにけり


 古今和歌集 巻第十二  恋歌604
                               つらゆき

      つのくにのなにはのあしの めもはるにしげき我恋 人しるらめや


 古今和歌集 巻第十二  恋歌605
                               

      てもふれで月日へにける白まゆみ おきふしよるはいこそねらぬ








 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 
 紀貫之の歌は 

     巻第十二 恋歌 四首

     巻第十二 恋歌 十三首

               ありました。




 お気づきの…などがございましたら、教えていただければうれしいです。

 よろしくお願いします(*^.^*)

 これからもよろしくお願い致します。
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古今和歌集8 巻第十二  恋歌より紀貫之 572、573、574、579、583 

2011-03-09 | 紀貫之





「古今和歌集」 巻第十二  恋歌より紀貫之(572、573、574、579、583)

           (引き続き 日本古典文学大系8をうつし書きます)
             
              日本古典文学大系8
              新日本古典文学大系5


  


 
 古今和歌集 巻第十一二  恋歌572
                               きのつらゆき

      君こふる涙しなくは から衣っむねのあたりは色もえなまし


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌573
                               

        題しらず

      世とともに流れてぞゆく涙河 冬もこほらぬみなわなりけり
               みなわ= 水泡(みずのあわ)


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌574
                               

      夢ぢにも露やをくらん 夜もすがらかよへる袖のひぢてかは(わ)かぬ


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌579
                               つらゆき

      さ月山こずゑをたかみ ほとゝぎすなくねそらなる恋のする哉
                なくねそらなる…そらなる恋


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌583
        題知らず                       つらゆき

      あきののにみだれてさける花の色の ちぐさに物をおもふころかな




  



  



 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。

 このうた、あめつちの、ひらけはじめける時より、いできにけり。あまのうきはしのしたにて、めがみをがみとなるたまへることをいへるうたなり。しかあれど、世にツタ晴子とは、久方の雨にしては、仕立てる姫にはじまり、したてるひめとは、めはかみこのめなり。あせうとの神野かたち、ををかたににうつりて、かゞやくをよめるえびすうたなるべし。これらは文字のかずもも定まらず、歌ののようにもあらぬ事どもなり。(日本古典文学大系8 P,93まで)



 

 古今和歌集 巻第十一  恋歌471
                              紀つらゆき

      よしのがはいはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし


 古今和歌集 巻第十一  恋歌475

      世中はかくこそありけれ 吹くかぜのめにみぬ人もほひしかりけり


 古今和歌集 巻第十一  恋歌478
                               つらゆき

        ひとの花つみしける所にまかりて、そこなりけるひとのもとに、のちによみてつかはしける

      山ざくら霞のまより ほのかにもみてし人こそこひしかりけれ


 古今和歌集 巻第十一  恋歌482
                               つらゆき

      あふことはくもゐはるかに なるかみを(お)とにきゝつゝ恋ひわたるかな




 古今和歌集 巻第十一二  恋歌572
                               きのつらゆき

      君こふる涙しなくは から衣っむねのあたりは色もえなまし


 古今和歌集 巻第十二  恋歌573
                               

        題しらず

      世とともに流れてぞゆく涙河 冬もこほらぬみなわなりけり


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌574
                               

      夢ぢにも露やをくらん 夜もすがらかよへる袖のひぢてかは(わ)かぬ


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌579
                               つらゆき

      さ月山こずゑをたかみ ほとゝぎすなくねそらなる恋のする哉


 古今和歌集 巻第十一二  恋歌583
        題知らず                       つらゆき

      あきののにみだれてさける花の色の ちぐさに物をおもふころかな






 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 巻第十二 恋歌では、紀貫之の歌は多いようです。



 お気づきの…などがございましたら、教えていただければうれしいです。

 よろしくお願いします(*^.^*)

 これからもよろしくお願い致します。












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古今和歌集8 巻第十一  恋歌より紀貫之 478、482 (巻第十一 恋歌 紀貫之 四首)

2011-03-08 | 紀貫之






「古今和歌集」も春歌に続け 秋歌、雑歌、恋歌にしようかと悩んでいたが、昨日読んだ竹西寛子 著 同時代ライブラリー298 『古今和歌集』でのなかに、行為歌はやはり真ん中にあった…と書かれており、これで良かったかなとほくそ笑む。

 竹西寛子さんは実力者だが、女性として素晴らしくかわいい方だなと感じた。

 気になってお顔写真を探してみる。

 しっかりとした賢そうな方で、口もとの引き締まった品の良い美人だ。

 流石、竹西寛子さん…あこがれるなぁ☆





 恋歌482の
    あふことはくもゐはるかに なるかみを(お)とにきゝつゝ恋ひわたるかな

は、わたくしが読んだ歌の感じでは、日本古典文学大系8の頭注よりも、新日本古典文学大系5の客注の方に近かった。

「なるかみ」と聞くと反射的に「鳴神」(歌舞伎十八番のうち内)を思い浮かべる。

 困ったもので 狂言の「神鳴」という文字をみても 頭の中で、「鳴神」と変換される。あほ☆


 自分で内容を読もうとしたあと 頭注や客注や校注を読み、又本文や歌を読むといった方法。

 もっと違った方法があれば教えて下さればうれしいです。



  



 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。

 このうた、あめつちの、ひらけはじめける時より、いできにけり。あまのうきはしのしたにて、めがみをがみとなるたまへることをいへるうたなり。しかあれど、世にツタ晴子とは、久方の雨にしては、仕立てる姫にはじまり、したてるひめとは、めはかみこのめなり。あせうとの神野かたち、ををかたににうつりて、かゞやくをよめるえびすうたなるべし。これらは文字のかずもも定まらず、歌ののようにもあらぬ事どもなり。(日本古典文学大系8 P,93まで)



  



「古今和歌集」 巻第十一

           恋歌(一)から紀貫之

           (引き続き 日本古典文学大系8をうつし書きます)
             
              日本古典文学大系8
              新日本古典文学大系5


  


 
 古今和歌集 巻第十一  恋歌478
                               つらゆき

        ひとの花つみしける所にまかりて、そこなりけるひとのもとに、のちによみてつかはしける

      山ざくら霞のまより ほのかにもみてし人こそこひしかりけれ


 古今和歌集 巻第十一  恋歌482
                               つらゆき

      あふことはくもゐはるかに なるかみを(お)とにきゝつゝ恋ひわたるかな






  







 

 古今和歌集 巻第十一  恋歌471
                              紀つらゆき

      よしのがはいはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし


 古今和歌集 巻第十一  恋歌475

      世中はかくこそありけれ 吹くかぜのめにみぬ人もほひしかりけり


 古今和歌集 巻第十一  恋歌478
                               つらゆき

        ひとの花つみしける所にまかりて、そこなりけるひとのもとに、のちによみてつかはしける

      山ざくら霞のまより ほのかにもみてし人こそこひしかりけれ


 古今和歌集 巻第十一  恋歌482
                               つらゆき

      あふことはくもゐはるかに なるかみを(お)とにきゝつゝ恋ひわたるかな






 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 巻第十一 恋歌一では、よみびとしらずが多かったようです。

 次は巻第十二 恋歌二 の貫之を読みたいと思います。

 お気づきの…などがございましたら、教えていただければうれしいです。

 よろしくお願いします(*^.^*)




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古今和歌集7 巻第十一  恋歌より紀貫之 471、475

2011-03-06 | 紀貫之




 日本古典文学大系8

 新日本古典文学大系5


 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。

 つづき

 このうた、あめつちの、ひらけはじめける時より、いできにけり。あまのうきはしのしたにて、めがみをがみとなるたまへることをいへるうたなり。しかあれど、世にツタ晴子とは、久方の雨にしては、仕立てる姫にはじまり、したてるひめとは、めはかみこのめなり。あせうとの神野かたち、ををかたににうつりて、かゞやくをよめるえびすうたなるべし。これらは文字のかずもも定まらず、歌ののようにもあらぬ事どもなり。(日本古典文学大系8 P,93 今日はここまで



  



 今日から新日本古典文学大系5も併用することにした。

 実は家には新日本古典文学大系5が二冊。

 うひょひょ 書き込みできるな^^

 まだ開かずの新日本古典文学大系5を使いこなせればいいのだが、さて一まで続くのか…。



 上は「仮名序」(新日本古典文学大系5)

「仮名序」とは巻末の「まな序」と対応。

 日本古典文学大系8では仮名で描かれているが、新日本古典文学大系5では漢字まじり。

「仮名序」においては新5の方が説明が多く、漢字まじりなのでわかりよい。

 ただ印刷物とはいえ仮名の方が感じが響きやすいような気がするが、これもまた感覚でしかすぎないので、今後感想は変わるかもしれない。



『古今和歌集』と簡単に思っていたが、実際には決まりごとが多く、偉いことになっている。

 二冊をぱらぱらとめくると、わたしにとっては難易度は高い。

 気楽に一首づつ歌を読むにか、ノートを取りながら解説も頭に畳み込むかで、直接芝居には関係はないが、人生や趣味を楽しむ点でも、これからの楽しめ方が大きく違ってきそうだ。

 あはは、悩みに恥じ入る

 マイペース最高~☆と、笑って過ごそう。



 昨日、古今和歌集 春歌 紀貫之を全て楽しんだ。

 全てといえども二十二首

 二十二首とは言え、時間はかかった。

 結構面白い。


 
 次に読むのは春歌の他の人か、或は夏秋冬貫之と進むのか、他の巻で貫之にするかでちょっと悩む。

 家族に聞くと、二人は、
「好きにすれば。」
とひとこと。

 全くその通りだと感じた。

 唯一ひとりだけは興味本位か、或は適当に流して答えてくれた。

 猿知恵で考えた結果、恋歌つらゆきでつらぬく(ことにした……だじゃれで〆ですかい!


  





「古今和歌集」 巻第十一

           恋歌(一)から紀貫之

           (引き続き 日本古典文学大系8を 引用し書きます)
             
              日本古典文学大系8
              新日本古典文学大系5


  


 
 古今和歌集 巻第十一  恋歌471
                              紀つらゆき

      よしのがはいはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし


 古今和歌集 巻第十一  恋歌475

      世中はかくこそありけれ 吹くかぜのめにみぬ人もほひしかりけり



 
  

  




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古今和歌集 春歌 紀貫之  6  春歌 下(全11首) 115、116,117、118、124、128 (春歌 上下全22首終わり)

2011-03-05 | 紀貫之






 昨日は日本古典文学大系8の「古今和歌集」春歌(下)から紀貫之


  


 
 古今 春歌115
        しがの山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかわしける   つらゆき

      梓弓(あづさゆみ)春の山邊をきえくれば 道もさりあえず花ぞちりける


         梓弓  春の枕詞(弓をはるの意味で言いかけた)



 古今 春歌116
        勘平御時記載の宮の歌合の歌

      春の野にわかなつまんとこし物を ちりかふ花に道はまどいぬ



 古今 春歌117
        山でらにまうでたりけるによめる
  
      やどりして春の山邊のねたる夜は 夢のうちにも花ぞちりける



 古今 春歌118
        勘平御時記載の宮の歌合の歌
  
      吹く風と谷の水となかりせば み山がくれの花をみましや



 古今 春歌124
        よしのがはの邊(ほとり)に山ぶきのさけりけるをよめる    つらゆき
  
      吉野河岸の山吹ふく風に そこの影さへうつろひにけり



 古今 春歌128
        やよひに、うぐひすのこゑのひさしうきこえざりけるをよめる    つらゆき
  
      なきとむる花しなければ 鶯もはてはものうくなりぬべらなり


  

  



「古今和歌集」春歌(上)11


 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。



  ふるとしに春たちける日よめる

  袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ  紀貫之   古今和歌集 春歌 二番



  雪のふりけるをよめる

  霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける    古今和歌集 春歌 九番

    

  歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

  春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十二番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十五番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十六番




 古今 春歌39
        くらぶ山にてよめる   つらゆき

      梅花にほふ春べは くらぶ山やみにこゆれど しるくぞありける


 古今 春歌42
        はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花ををりてよめる  つらゆき

      ひとはいさ心もしらず ふるさとは 花ぞむかしのかににほひける


 古今 春歌45
        家にありける梅の花のちりけるをよめる  つらゆき

      くるとあくとめかれぬ物を 梅花 いつの人まにうつろひぬらん


 古今 春歌49
        人の家にうえたるさくらの、花さきはじめたりけるをみてよめる  つらゆき

      ことしより春しりそむる櫻花 ちるといふ事はならはざらなん

 古今 春歌58
        お(を)れるさくらをよめる

      たれしかもとめてお(を)りるる 春霞立ちかくすらん山のさくらを

 古今 春歌59
        歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

      桜花さきにけらしもあしひきの山のかひよりみゆる白雲



  



「古今和歌集」春歌(下)


 古今 春歌78
        あひしれりける人のまうできて、かへりにけるのち
        に、よみて花にさしてつかはしける    つらゆき

      ひとめみしきみもやくると さくら花けふはまちみて ちらばちら南



 古今 春歌82
        さくらの花のとりけるををよみける    つらゆき

      ことならばさかずやはあらぬ さくら花 みる我さへにしづ心なし



 古今 春歌83
        さくらのごと、とくちる物はなしと人のいひければ
  
       よめる

      櫻花とくちりぬともおもほえず 人の心ぞ風もふきあへぬ



 古今 春歌87
        ひえにのぼりて、かへりもうできてよめる    つらゆき
  
      山たかみ見つゝわがこしさくら花 風は心にまかすべらなり



 古今 春歌89
        亭子院歌合歌    つらゆき
  
      さくら花ちるぬるかぜのなごりには 水なきそらに浪ぞたちける


 
 古今 春歌115
        しがの山ごえに女のおほくあへりけるによみてつかわしける   つらゆき

      梓弓(あづさゆみ)春の山邊をきえくれば 道もさりあえず花ぞちりける



 古今 春歌116
        勘平御時記載の宮の歌合の歌

      春の野にわかなつまんとこし物を ちりかふ花に道はまどいぬ



 古今 春歌117
        山でらにまうでたりけるによめる
  
      やどりして春の山邊のねたる夜は 夢のうちにも花ぞちりける



 古今 春歌118
        勘平御時記載の宮の歌合の歌
  
      吹く風と谷の水となかりせば み山がくれの花をみましや



 古今 春歌124
        よしのがはの邊(ほとり)に山ぶきのさけりけるをよめる    つらゆき
  
      吉野河岸の山吹ふく風に そこの影さへうつろひにけり



 古今 春歌128
        やよひに、うぐひすのこゑのひさしうきこえざりけるをよめる    つらゆき
  
      なきとむる花しなければ 鶯もはてはものうくなりぬべらなり




  




「古今和歌集」春歌(下)の紀貫之の最後は次の歌でございました。

 せつないですねぇ……。




      なきとむる花しなければ 鶯もはてはものうくなりぬべらなり



                                


 間違いやお気づきの点がございましたら、教えていただければ嬉しいです。

 どうぞよろしくお願い致します。






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古今和歌集 春歌 紀貫之  5  春歌 下 82、83、87、89、94

2011-03-04 | 紀貫之





 昨日は日本古典文学大系8の「古今和歌集」春歌(下)から紀貫之





 
 古今 春歌82
        さくらの花のとりけるををよみける    つらゆき

      ことならばさかずやはあらぬ さくら花 みる我さへにしづ心なし



 古今 春歌83
        さくらのごと、とくちる物はなしと人のいひければ
  
       よめる

      櫻花とくちりぬともおもほえず 人の心ぞ風もふきあへぬ



 古今 春歌87
        ひえにのぼりて、かへりもうできてよめる    つらゆき
  
      山たかみ見つゝわがこしさくら花 風は心にまかすべらなり



 古今 春歌89
        亭子院歌合歌    つらゆき
  
      さくら花ちるぬるかぜのなごりには 水なきそらに浪ぞたちける





       亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)とは

       歌合。一巻。913 年 3 月 13 日、宇多上皇が亭子院で主催。三〇番六〇首。詠者は紀貫之ら一〇人。

       勅判で、判詞は現存最古のもの。「天徳歌合」とともに、歌合の範とされた。(大辞林(三省堂)より)



       ……


       亭子院歌合(ていじいんのうたあわせ)とは

 913年(延喜13)3月13日、宇多(うだ)法皇が故七条后温子(しちじょうのきさきおんし)の邸宅で上皇御所となっていた亭子院において催した歌合。題は二月(初春)・三月(季春)・四月(夏)・恋で、各10番20首をつがえる予定だったが、時間の都合で夏と恋とを半分にして、30番60首が披講された。判者(はんじゃ)は宇多法皇の勅判で、判詞(はんし)は記録されているものではもっとも古く、滑稽(こっけい)味があっておおらかな行事の雰囲気を伝えている。作者は、法皇、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、藤原興風(おきかぜ)、紀貫之(きのつらゆき)、坂上是則(さかのうえのこれのり)、伊勢(いせ)、大中臣頼基(おおなかとみのよりもと)など当時の有数の歌人が参加、「桜散る木の下風は寒からで空に知られぬ雪ぞ降りける」(貫之)、「桜花散りぬる風の名残(なご)りには水なき空に波ぞ立ちける」(同)など秀歌も多く詠まれている。行事の経緯を記した仮名日記は伊勢の作といわれる。形式的にも整った晴儀であった。(yahoo百科事典より)



       ……


       亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)とは

 亭子院歌合(ていじいんうたあわせ)とは、延喜13年3月13日(913年4月22日)に宇多法皇が自分の御所としていた亭子院において開いた歌合。

 本来は二月・三月・四月・恋を題材としてそれぞれ10番(40番80首)にて行われる予定であったが、何らかの事情によって、4月と夏が5番ずつ略されて計30番60首で行われた(ただし、記録には省略されたものも採録されている)。証本には伊勢によるものとされる仮名日記が付けられており、当日の次第・様子を知ることが可能である。なお、この日記は現存する最古の女流日記である。

 参加者は左右の頭・親王・歌よみ・方人・判者・講師・員刺(かずさし)などによって構成され、州浜・文台・奏状・奏楽・賜禄・紫檀の箱など、天徳の歌合をはじめとする後の歌合の範となった。

 歌よみとして知られているのは、藤原興風・凡河内躬恒・坂上是則・紀貫之であるが他に宇多法皇・伊勢・大中臣頼基の歌も含まれていた。判者は藤原忠房が任じられていたが、当日不参のため法皇が直接判を下した。法皇勅判による判詞は現存最古のものである。現存の証本には原型と考えられる10巻本と後世のものとされる20巻本がある。(ジャパンナレッジより)




 古今 春歌94
        はるのうたとてよめる    つらゆき
  
      みわ山をしかもかくすか 春霞 人にしられぬ花やさくらむ
  


「古今和歌集」春歌(上)11


 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。



  ふるとしに春たちける日よめる

  袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ  紀貫之   古今和歌集 春歌 二番



  雪のふりけるをよめる

  霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける    古今和歌集 春歌 九番

    

  歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

  春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十二番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十五番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十六番




 古今 春歌39
        くらぶ山にてよめる   つらゆき

      梅花にほふ春べは くらぶ山やみにこゆれど しるくぞありける


 古今 春歌42
        はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花ををりてよめる  つらゆき

      ひとはいさ心もしらず ふるさとは 花ぞむかしのかににほひける


 古今 春歌45
        家にありける梅の花のちりけるをよめる  つらゆき

      くるとあくとめかれぬ物を 梅花 いつの人まにうつろひぬらん


 古今 春歌49
        人の家にうえたるさくらの、花さきはじめたりけるをみてよめる  つらゆき

      ことしより春しりそむる櫻花 ちるといふ事はならはざらなん

 古今 春歌58
        お(を)れるさくらをよめる

      たれしかもとめてお(を)りるる 春霞立ちかくすらん山のさくらを

 古今 春歌59
        歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

      桜花さきにけらしもあしひきの山のかひよりみゆる白雲





「古今和歌集」春歌(下)


 古今 春歌78
        あひしれりける人のまうできて、かへりにけるのち
        に、よみて花にさしてつかはしける    つらゆき

      ひとめみしきみもやくると さくら花けふはまちみて ちらばちら南



 82、83、87、89、94







 間違いやお気づきの点がございましたら、教えていただければ嬉しいです。

 どうぞよろしくお願い致します。




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古今和歌集 春歌 紀貫之  3  春歌 58、59、  (春歌(上)完)

2011-03-02 | 紀貫之



 昨日は日本古典文学大系8の「古今和歌集」春歌(上)から紀貫之



 
 古今 春歌58
        お(を)れるさくらをよめる

      たれしかもとめてお(を)りるる 春霞立ちかくすらん山のさくらを

 古今 春歌59
        歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

      桜花さきにけらしもあしひきの山のかひよりみゆる白雲




「古今和歌集」春歌(上)から紀貫之を抜き出すと、たぶん、下の十一首。

 間違っているかもしれない…。

 下の抜き出し方で書いてみたが、どうもしっくりこない。

 次回 春歌(下)から、また記入方法が変わるかも…と、不安げなわたし。
 
  


  日本古典文学大系8  岩波



 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。



  ふるとしに春たちける日よめる

  袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ  紀貫之   古今和歌集 春歌 二番



  雪のふりけるをよめる

  霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける    古今和歌集 春歌 九番

    

  歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

  春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十二番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十五番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十六番




 古今 春歌39
        くらぶ山にてよめる   つらゆき

      梅花にほふ春べは くらぶ山やみにこゆれど しるくぞありける


 古今 春歌42
        はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花ををりてよめる  つらゆき

      ひとはいさ心もしらず ふるさとは 花ぞむかしのかににほひける


 古今 春歌45
        家にありける梅の花のちりけるをよめる  つらゆき

      くるとあくとめかれぬ物を 梅花 いつの人まにうつろひぬらん


 古今 春歌49
        人の家にうえたるさくらの、花さきはじめたりけるをみてよめる  つらゆき

      ことしより春しりそむる櫻花 ちるといふ事はならはざらなん

 古今 春歌58
        お(を)れるさくらをよめる

      たれしかもとめてお(を)りるる 春霞立ちかくすらん山のさくらを

 古今 春歌59
        歌たてまつれとおほせられし時によみたてまつれる

      桜花さきにけらしもあしひきの山のかひよりみゆる白雲


  


 図書館に行き、王朝の歌人シリーズを見つけたが、十巻中たった一巻、紀貫之だけ貸し出し中。
 
                   なんでやねん!!と、この時ばかりは、大阪弁で嘆く。


 図書館の美しいお姉様と、互いに珍しいことがあるものだと微笑みあっていた。

 仕方がないので藤原定家をお貸りする。

 業平は在庫。昨年前半は業平にこり、仁勢物語と比較しながら読んだが、今一歩 別方向に踏み出したい。



    
  


 最後まで雑談におつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 こゝろよりお礼申し上げます。

 間違いやご意見などお教えいただけましたらうれしいです。


 ありがとうございました。





       写真は2月27日  平群町 たつた川



                
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古今和歌集 春歌 紀貫之  2  春歌 39、42、45、49

2011-02-28 | 紀貫之


 昨日は日本古典文学大系8の「古今和歌集」春歌から紀貫之春歌から紀貫之のものだけを五首写した。
 
 この写し方でいいんだろうか?

 ネットで見てみると、色々な形で記録されているようだ。

 今日は少し形式を変えてみたい。

 今日は四首のみです。





  日本古典文学大系8  岩波





 古今 春歌39

  くらぶ山にてよめる   つらゆき


      梅花にほふ春べは くらぶ山やみにこゆれど しるくぞありける





 古今 春歌42

  はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひさしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、いひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花ををりてよめる  つらゆき



      ひとはいさ心もしらず ふるさとは 花ぞむかしのかににほひける





 古今 春歌45

  家にありける梅の花のちりけるをよめる  つらゆき




      くるとあくとめかれぬ物を 梅花 いつの人まにうつろひぬらん





 古今 春歌49

  人の家にうえたるさくらの、花さきはじめたりけるをみてよめる  つらゆき




      ことしより春しりそむる櫻花 ちるといふ事はならはざらなん




  





 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。



  ふるとしに春たちける日よめる

  袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ  紀貫之   古今和歌集 春歌 二番



  雪のふりけるをよめる

  霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける    古今和歌集 春歌 九番

    

  歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

  春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十二番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十五番



  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十六番







  今回は49までです

  写真は2月27日  平群町 たつた川

                水くくる^^のイメージで






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古今和歌集 春歌 紀貫之  1  春歌 2、9、22、25、26

2011-02-28 | 紀貫之







 知りもしないのに『土佐日記』を少しかじっただけで嫌いだといっていた紀貫之。

 だが、本当はどうなのだろう…。

 気になって仕方がないので、古今和歌集を開き楽しむことにした。

 とりあえず古今和歌集の初めから、紀貫之のものだけを拾って写し始める。

 数が多いので、今回は五首のみ。

 数は少ないが 歌を読むと、紀貫之のすごさと偉大さが伝わってくる。







 やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける。世中にある人、ことわざしげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬ鬼神をも、あはれとおもはせ、お(を)とこ女のなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるは、歌なり。

       日本古典文学大系8  岩波






 愛知教育大学研究報告,58 2009





  ふるとしに春たちける日よめる

  袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ  紀貫之   古今和歌集 春歌 二番



         (ふるとしに春たちける=12月のうちに立春が来たのをいう)




  雪のふりけるをよめる

  霞たちこのめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける    古今和歌集 春歌 九番



      

  歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる

  春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十二番





  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  わがせこが衣はるさめふるごとに野辺のみどりぞ色まさりける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十五番





  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる

  青柳の糸よりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける  つらゆき  古今和歌集 春歌 二十六番


  





  とりあえず今回はここまで

  写真は2月27日  竜田川(たぶん平群町 道の駅近く…?)      






       
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徒然   木簡から 『土佐日記』の中での 紀貫之の姿を思い浮かべる。

2011-02-18 | 紀貫之










 奈良の苑池から大量の木簡が出てくることがあったという。

 博物館では木簡というものを見る機会に恵まれる場合が多いが、この木簡を読むと当時の様子がわかる。

 何のなにがしがなにがしに何々しかじかを献上しただの、こまごまとした記録が記されている場合が多い。

 そういうと奈良の長屋王に献上したという薬草

 薬井という奈良の地から蕪などの薬になる植物を長屋王に徒歩で運んだ際にも、木簡も一緒に献上されたという。

 この事から考えると、昔 貴族や氏族を意識した人間がなにがしをもらったといった記録を付けることは普通の行為だったのではないだろうか……。

 であるならば、紀貫之は女々しいとも言い切れないかも知れない。

 掃除をしながら、ふとそんなことを思い浮かべた。





『土佐日記』に出てくるような細かな記録は、当時多くの男性が個人的にも記録していたのでしょうか?

 わたしは歴史が苦手ですので、どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、教えていただければうれしいです。

 なにとぞよろしくお願い申し上げます。










 余談ですが上に書いた薬井は北葛城郡の王寺の近く。

 今も井戸が残り、その水は目にいいと言い伝えられていますが、実際には重曹?濃度が強く使用することはできません。

 昔から薬になるとされる野菜などを育てられていた土地です。

 武田薬品工業株式会社の社長さんは、確か薬井の出身だったように記憶しています。










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