乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

午後3時過ぎの法善寺横丁を歩く  (5景) 7月6日

2010-07-07 | お出かけ


 

            法善寺横丁






 毎年複数回訪れるであろう法善寺横丁。

 今回は一人だったので、お散歩だけ。

 どこにも入らず石畳を通り過ぎる。

 別段かわり映えのしない光景。

 この日は人の姿もまばらで、石畳の打ち水もない。

 法善寺横丁のひずみの時間帯か・・・。



 落ち着いた法善寺横丁に似合わずの睨み効かしたおっさん看板。

「これは法善寺はんには、合わんぜよ!」
と、内心しかる。

 言わずと知れた二度付け禁止の串カツやの参入に、法善寺の雰囲気は半減。

 名はあえて伏せておこう。

 夫婦ぜんざいの店舗もやたら新しくなり、趣が目減りした。

 次回から勇気を振り絞って道頓堀界隈のH系通りでも見てあるくかな(爆)

                          ってなわけ、ないか!

 芝居前の余興といったとこと。

 失礼があれば、これも愛嬌お慰みとお許し願いたい。


 
 あはは

 あははは




















                    大阪市中央区難波1-2-16 

                               2010年7月6日 午後3時過ぎ




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七夕     万葉集第九巻 2032

2010-07-07 | 和歌、短歌




 昨日、こんな二人を見た

 大阪の地下道で・・・

   



万葉集第九巻  2032  柿本人麻呂


       一年に七日の夜のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも       

      ひととせに なぬかよのみ 逢ふ人の 恋も過ぎねば 夜は更けゆくも
            (七夕)

                            




コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

堀越神社 2   大阪市天王寺区茶臼山町  (15景)

2010-07-07 | お出かけ



      堀越神社 2   大阪市天王寺区茶臼山町





  堀越神社 1   大阪市天王寺区茶臼山町に続いて、今回は「堀越神社 2」です。

 堀越神社はいろいろとご利益のある神社のようです。

 お札は有名で、全国から求めにこられるようです。

 私がたまたま訪れ多6月12日も多くの参拝客で賑わっていました。

 バラエティに富んで楽しい雰囲気の神社でした。


















































 見て頂きまして、ありがとうございました。

 感謝申し上げます。



                 堀越神社


                     大阪市天王寺区茶臼山町
                     JR・地下鉄天王寺駅下車徒歩5分


                                           2010年6月12日






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんながしあわせになりますように・・・  大阪 道頓堀の七夕飾り (6景)  7月6日

2010-07-07 | 神社仏閣・祭り



        みんながしあわせになりますように・・・

                     大阪 道頓堀の七夕飾り 




 7月7日 

 今日は七夕の節句です。



 元は日本では奈良時代に宮中の行事だったそうです。

 笹飾りに願いを書いて飾る習慣は江戸時代から広がり定着したそうですが、詳しくは知りません。

       



 みんながしあわせになりますように・・・。



 7人に1人の学生が就職留年だという。

 みんなが思い描く就職ができますように・・・。



 平和な暮らしが続きますように・・・。



 心豊かに過ごせますように・・・。

      

 世界中のみんなが笑って暮らせますように・・・。

    

 そんな風なことを漠然と考えながら、美しい七夕かざりを見て歩いていました。





                    大阪 道頓堀川  戎橋近く

                    2010年7月6日




 2010年7月7日時点の Wikipediaより ▼



七夕 起源

日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(お盆)に、中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)などが習合したものと考えられている。そもそも七夕は棚幡とも書いたが、現在でもお盆行事の一部でもあり、笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代である。
七夕を特別な日とすることがいつから起こったかは定かではない。この日の行事について書かれた最も古い文献は後漢時代の崔寔が書いた『四民月令』に書物を虫干しにしたことが記されているが、七夕の風俗を記したものとしては東晋に葛洪が記した『西京雑記』に「漢彩女常以七月七日穿七孔針于襟褸、人倶習之」と記録されたものが初見である。
織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首[3]」が文献として初出とされている[4]が、まだ7月7日との関わりは明らかではない。その後、南北朝時代の『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれており、7月7日に行われた乞巧奠と織女・牽牛伝説が関連づけられていることがはっきりと分かる。また六朝・梁代の殷芸(いんうん)が著した『小説』には、「天の河の東に織女有り、天帝の子なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」(「天河之東有織女 天帝之女也 年年机杼勞役 織成云錦天衣 天帝怜其獨處 許嫁河西牽牛郎 嫁後遂廢織紉 天帝怒 責令歸河東 許一年一度相會」『月令廣義』七月令にある逸文)という一節があり、これが現在知られている七夕のストーリーとほぼ同じ型となった最も古い時期を考証できる史料のひとつとなっている[5]
日本語「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネが来た折に詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)又は『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」また、お盆の精霊棚とその幡から棚幡という。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。また、『萬葉集』卷10春雜歌2080(「織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者将長」)たなばたの今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年は長けむ など七夕に纏わる歌が存在する。
本来、宮中行事であったが、織姫が織物などの女子の手習い事などに長けていたため、江戸時代に手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。なお、日本において機織りは、当時もそれまでも、成人女子が当然身につけておくべき技能であった訳ではない。



七夕 風習


『市中繁栄七夕祭』(名所江戸百景の一つ。歌川広重):江戸後期
殆どの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。
全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑・紅・黄・白・黒をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。 また、お盆や施餓鬼法要で用いる佛教の五色の施餓鬼幡からも短冊は影響を強く受けている。
イモの葉の露で墨をすると習字が上達するといい、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書いてたむける。俊成女の歌に「たなばたのとわたるふねの梶の葉にいくあきかきつ露のたまづさ」とある。
このようにして作られた笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日未明に海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなった。地区によっては川を跨ぐ橋の上に飾り付けを行っているところもある。
地域によっては雨乞いや虫送りの行事と融合したものが見られる。そのほか、北海道では七夕の日に「ローソクもらい(ローソク出せ)」という子供たちの行事が行われたり、仙台などでは七夕の日にそうめんを食べる習慣がある。この理由については、中国の故事に由来する説のほか、麺を糸に見立て、織姫のように機織・裁縫が上手くなることを願うという説がある。
近年の台湾では、バレンタインデーと同様に男女がプレゼントを交換する日とされている。
他方、商店街などのイベントとしての「七夕まつり」は、一般的に昼間に華麗な七夕飾りを通りに並べ、観光客や買い物客を呼び込む装置として利用されており、上記のような夜間の風習や神事などをあまり重視していないことが多い。






コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする