どどいつ
昨日 古文書の教室で どどいつを読んだと書いたが、わたしは どどいつ を知らない。
そこでまずは聴いてみることにした。
神戸節(ごうどぶし)/桃山晴衣
Harue Momoyama/Goudo-bushi
上は古態都々逸と言うことだが、次の台詞が軽快である。
其奴(そいつ)はどいつじゃ 其奴(そいつ)はどいつじゃ
ドドイツドイドイ 浮世はサクサク
美空ひばりさんも都々逸を歌っていられたようだ。映画の中でも歌っておられる。
車屋さん 「アンコに"都都逸"(どどいつ)」
美空ひばり Cover 華之将
ひとの恋路を 邪魔する奴は
窓の月とて 憎らしい
あてにならない お人はばかよ
あてにするひと もっとばか
何やら都々逸は、今もお座敷で歌われているのかもしれない。そんなリズムだ。
余りわからないので、Wikipediaを見る。
都々逸(どどいつ)は、江戸末期、初代の都々逸坊扇歌 (1804年-1852年)によって大成された口語による定型詩。
七・七・七・五の音数律に従う。
たしかに
ひとの恋路を 邪魔する奴は
窓の月とて 憎らしい
あてにならない お人はばかよ
あてにするひと もっとばか
を見ても 七・七・七・五に整っている。
元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。
主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。
惚れて通えば 千里も一里 逢えずに帰れば また千里(作者不詳)
この酒を 止めちゃ嫌だよ 酔わせておくれ まさか素面じゃ 言いにくい(作者不詳)
浮名立ちゃ それも困るが 世間の人に 知らせないのも 惜しい仲(作者不詳)
三千世界の 鴉を殺し ぬしと添い寝が してみたい(桂小五郎説、高杉晋作説、他もあり)
逢うて別れて 別れて逢うて(泣くも笑うもあとやさき) 末は野の風 秋の風 一期一会の 別れかな
(井伊直弼 茶湯一会集)
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす(山家鳥虫歌にも所収)
声にあらわれ なく虫よりも 言わで蛍の 身を焦がす(松の葉)
こいに こがれて なくせみ よりも なかぬ ほたるが みをこがす
ついておいでよ この提灯に けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから
あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
はげ頭 抱いて寝てみりゃ 可愛いものよ どこが尻やら アタマやら
ねだり上手が 水蜜桃を くるりむいてる 指の先(田島歳絵)
ぬいだまんまで いる白足袋の そこが寂しい 宵になる(今井敏夫)
あせる気持ちと 待たない汽車と ちょっとずれてた 安時計(関川健坊鐘)
虎を退治し 教師をまたぎ ぶってぶってと よくせがむ(姫井由美子)
内裏びな 少し離して また近づけて 女がひとり ひなまつり(寺尾竹雄)
都々逸は
扇歌が、当時上方を中心に流行っていた「よしこの節」を元に「名古屋節」の合の手「どどいつどどいつ」(もしくは「どどいつどいどい」)を取入れたという説が有力である。
「神戸節(ごうどぶし)/桃山晴衣 Harue Momoyama/Goudo-bushi」を聴いて抜き出した
其奴(そいつ)はどいつじゃ 其奴(そいつ)はどいつじゃ
ドドイツドイドイ 浮世はサクサク
は、有名であり、都々逸の発祥としても大事なフレーズのようだ。
Wikipediaには次のようにも書かれていた。
名古屋節は、名古屋の熱田で生まれた神戸節(ごうどぶし)が関東に流れたものである。
音律数も同じであることから、この神戸節を都々逸の起源・原形と考えるむきもある。
実際、名古屋市熱田区の伝馬町には「都々逸発祥の地」碑がある。
都々逸が広まったのは、扇歌自身が優れた演じ手であっただけでなく、その節回しが比較的簡単であったことが大きい。
扇歌の時代の江戸の人々は生来の唄好きであったため、誰でも歌える都々逸が江戸庶民に受け入れられ、いわば大衆娯楽として広まった。
七・七・七・五というわたしにとっては聞き慣れない形式だが、全国各種の民謡があるそうだ。
よしこの節
名古屋節
潮来節(いたこぶし)
投節(なげぶし)
弄斎節(ろうさいぶし)など
都々逸はこれらの古い唄や他の民謡の文句を取り込みながら全国に広まったという。
今日は都々逸について調べてみたので、何となくアウトラインはつかめた感じがする。
これを記録するにあたり、Wikipediaを参考にさせて頂いたことを付け加えておきます。