乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

cattle★Bovidae 牛     (6景)

2014-09-14 | お出かけ



 
 



 ウシ   Cattle 学名:Bos taurus

  亜目 : ウシ亜目(反芻亜目) Ruminantia
  科 : ウシ科 Bovidae
  亜科 : ウシ亜科 Bovinae


 ウシ(牛)
 哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の動物。野生のオーロックス(絶滅)をもとにして、新石器時代に西アジアで家畜化されたと考えられる。
「ウシ」は、狭義では特に(種レベルで)家畜種のウシ(学名:Bos taurus「ボース・タウルス」 を指す。
 一方、やや広義では、ウシ属 Bos (バンテンなどの野生牛を含む)の総称となる。さらに広義では、ウシ亜科(反芻亜目) Bovinae の総称となる。すなわち、アフリカスイギュウ属、アジアスイギュウ属、ウシ属、バイソン属などを指す。

 ウシの仲間
  スイギュウ(水牛)
  ヌー
  ヤク
  コブウシ
  バイソン・バッファロー(野牛)


   余談
   雲南省や四川省では食文化としてヤクを食べる。
   わたくしは雲南省でヤクの鍋料理を頂いた事がある。
   癖の無い柔らかな牛肉に片栗粉をまぶしたような滑らかな肉で、美味であった。
   四川省ではヤク料理には恵まれず、残念であった。

 

 ウシは、伝統的には牛肉食文化が存在しなかった地域においては単一語(例えば、漢字文化圏においては「牛」、ないし十二支の配分である「丑」(うし))で総称されてきた。
 これに対し、古くから牛肉食や酪農を目的とする家畜としての飼育文化や放牧が長くおこなわれてきた西洋地域(例えば、おもに英語文化圏など商業的牛肉畜産業が盛んな地域)においては、ウシの諸条件によって多種多様な呼称をもつ傾向がある。
 近来では、西洋的食文化のグローバル化により、宗教的な理由によって牛肉食が禁忌とされている地域を除いては牛肉食文化が世界的に拡散普及しており、特に商業畜産的要因から、現代の畜産・肥育・流通現場においては世界各地で下記のような細分化された呼称が用いられる傾向がある。

 

 ウシが4つの胃を持つ事は周知のところである。
 反芻動物の後、第4胃のみが本来の胃で胃液が分泌される。
 第1胃から第3胃までは食道が変化したものであるが、草の繊維を分解する細菌類、原虫類が常在し、繊維の消化を助ける。
 動物性タンパク質として細菌類、原虫類も消化される。

 

 ウシの歯は、雄牛の場合は上顎に12本、下顎に20本で、上顎の切歯(前歯)は無いらしい。
 そのため、草を食べる時には長い舌で巻き取って口に運ぶ。鼻には、個体ごとに異なる鼻紋があり、個体の識別に利用される。

 

 イランのアーシューラーでのこと。
 牛や山羊の喉がかっ切られ、地面に血の跡をつけるといったの犠牲祭の儀式を見た事がある。
 喉を斬られた牛や山羊はすぐにトラックに乗せられ連れて行かれ、料理し、後に皆に施される。

 

 日本でも牛や馬に置いて多くの歴史がある。
 土馬や絵馬にその姿を見る。牛が描かれた絵馬は多い。
 又、日本では肉食が無かったとされる時代、一部の地域などでは…といった事実が残ると記される文献が多いが、ここでは割愛させて頂く。

 

 天神さんで有名な菅原道真においても、牛の逸話が残され、『北野天神縁起絵巻』に描かれている。

 

 牧場では、牛を見、牛乳を頂いた。
 又、帰りにはとある方から淡路牛を頂戴し、若干の戸惑いを隠しきれなかった。

 
 乳搾りにちれて行かれる牛でさえ、途中で目をむいて抵抗気味に歩んでいた。
 イランのアーシューラーでの牛や山羊の目の哀れさが脳裏をかすめる。
 決してのどかとはいえない表情で暮らしている牛たちの姿を見た後にパック詰めされた肉片を見るのは、わたくしとて多少つらい物を感じた。

 とはいえ
 肉は日を改めて おいしく頂いた。

 

 

 

 

 
 
 


         淡路島 牧場にて


 
 

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龍田大社内 白龍神社    (2景)      奈良県生駒郡三郷町立野南

2014-09-14 | お出かけ




 

 



 龍田大社内 白龍神社  ( 奈良県生駒郡三郷町 )
  
  白龍神社【何かがいらっしゃるような錯覚に陥る
  2009年7月 白龍神社の記録▲

 

 ご神体である巨石がそのまま祀られている白龍神社

 説明では次のように記されています。

   【江戸時代末期に境内神域に白蛇として出現。
    
    明治後期に姿を消しましたが、明治四十一(1908)年に葛城郡にごり池に白龍として出現した 】


 ここにいらっしゃるといわれている白龍は、
  
    【龍田大明神のお使い神】 で、縁結びの神、浄難災難除けの神でもあるそうです。

 

 


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龍田大社のもみじ   (3景)  奈良県生駒郡三郷町立野南

2014-09-14 | お出かけ




     龍田大社のもみじ




 真っ赤なもみじを誇る龍田大社
 初秋の候、まだ蒼蒼とした葉を青空に広げています。
 11月の半ばになりましたら、真っ赤な笑顔で微笑んでくれる事でしょう。

 
 龍田大社 9月初旬のもみじ

 そして龍田大社では通年、下のようなもみじを見る事ができます。
 
 なんだか、素敵ですね。

 龍田大社はもみじとの関わりが深く、関係者の方が来ておられる法被にも「もみじ模様」が描かれています。

    『芭蕉文集 』から「嵯峨日記」 『芭蕉句集 』から「発句集」‘夏’ 一部  岩波書店 

      (上 記録の写真は奈良 龍田大社の風鎮祭。
       別名 半夏生(ハンゲショウ/ハゲショ)祭とも呼ばれる
       土着の五穀豊穣を願う祭で、お神酒を楽しまれている村人。)
       


 




 2014年9月 龍田大社の記録
 龍田大社 「名に負(か)へる社に 風祭せな」万葉歌 巻9 1751(日本の古典文学全集7、 三郷町HP) 






    龍田大社
    奈良県生駒郡三郷町立野南1-29-1
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