東大寺聖武祭 後宴能 『項羽』(こうう) 2024.05.02
東大寺聖武祭 後宴能で『項羽』を聞く。
『項羽』はこれまでにも何度かは楽しんだことがあったが、筋書きが好きだ。
もちろん、能楽を観るにあたっては、以前に楽しんだ場面を思い浮かべながら謡曲を読みあらかじめ予習しておいた。
昨年の秋に比べて、集中して能楽のみに楽しむことができた。
能楽はいろいろな楽しみ方があるのだろうが、写真に集中して後シテの始まる前(間狂言(あいっきょうげん))真っ只中でどたどたと帰って行かれる◎◎のような愛好家がおられることを考えると、人それぞれな楽しみ方があるのだと思う。
そういった方は春日大社の御祭りのように許可者以外は撮影禁止となっても、堂々とカメラを向けておられるが、人それぞれ。
各個人の生まれ育ったおい滝や経験値も違い、また、楽しみ方と倫理観も違うのだと感じるし、第一わたくしには無関係なことである。
私は能楽の理解を古典的芸能的立場から自分なり深め楽しんでいこうと思う。
また、天野先生のご厚誼を拝聴する機会を設けたいと痛感する。
小さな自分の楽しみ方が正しいとはいいがたい。
十人十色、それぞれの楽しみ方があっていいが、微妙なところやカケリで連射音を出して能楽を撮り続けられるのか、能楽を聞きたい者にとってはつらいものがある。
そういった意味で、お祭りや神事ではなく能楽を味わいたければ、能楽堂(例えば京都観世会館など)で見るのが良いのかもしれない。
そう思う今日この頃である。
今回撮った写真は、この三枚。
私の携帯電話では写すことができないのと能楽に集中したいので、三枚に絞って写した。
『項羽』とは
唐土烏江の草刈男は渡し舟の老人から、船賃の代わりに一本の花を求められる。老人は、その花と項羽の妃虞氏との事を語り姿を消す。男が跡を弔うと項羽と虞氏が現れ、別れの事、戦いの様を見せ、やがて失せるのだった。
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