グリム童話のなかの呪われた話
著者 金成 陽一
大和書房
1996年10月07日 第1刷発行
1999年2月25日 第6刷発行
1700円+税 222ページ
このシリーズは今回も面白かったので、一気に読んでしまいました。
あ、メモは面倒になって、とり忘れてしまいました。
(写真は月餅、全部で百円位だそうです。特に杏餡が美味しかった)
SALMER FRA KJOKKENET キッチン・ストーリー
満足度 ★★★★★
感動度 ★★★★★
色彩 ★★★★★
構図 ★★★☆☆
影像美 ★★★★☆
話の展開★★★★★
音楽 ★★★★☆
キャストの表情★★★★★
2003年 ノルウェー・スウェーデン 108分
監督 ベント・ハーメル
脚本 ベント・ハーメル
ヨルゲン・ベリマルク
音楽 ハンス・マティーセン
キャスト ヨアキム・カルメイヤー
トーマス・ノールシュトローム
ビョルン・フロベリー
リーネ・ブリュノルフソン
スブレエ・アンケル・オウズダル
レーフ・アンドレ 他
今回もBSジャパンです。
北欧らしい雪と糸杉(?)のユトリロを感じさせる風景が美しい。
受賞歴は
2003年 カンヌ国際映画祭監督週間出品 青少年映画賞受賞
2003年 ヨーロッパ映画際 学生賞受賞
2003年 トロムソ国際映画祭国際批評家連盟賞受賞
2003年 アマンダ賞最優秀作品賞受賞
2003年 コペンハーゲン国際映画祭最優秀監督賞受賞
2003年 フランドル国際映画祭最優秀脚本賞受賞
2003年 リューベック北欧フィルム・デイズ バルト映画賞受賞
2003年 サンパウロ国際映画祭最優秀監督賞受賞
といった仰々しいまでもの 数々の受賞。
だが見ている側にとっては受賞に関係なく、ノルウェーの真っ白な空の下、冷たい空気と静かなときの流れのなかで静かに話は進んでいく。
『感動!』といったオーバーなものではなく、血流に乗って涙がしっとりとしたためられてしまう、そんな作品です。
国境、人種、年齢、仕事の義務といった制限のなかで、心の葛藤の末に禁じられた友情と絆を繰り広げていく。
北欧の素朴な暮らし、食事、心通わす会話やユーモア。
それに対して貧困、質素、物理的不足、老人と馬の病、雪や寒さ、電力問題をさりげなく織り交ぜながら、重厚な話のつくりで進められて行く。
この作品の大きな力はなんといってもキャストの魅力。
少し大げさ目の表情や仕草、声色がたまらなく魅力的。
各人の自然なメークも好きだ。
風景の『白』と『黒』、室内は『暖色系で工夫』
これは北欧の現状とつつましやかだが人間本来の生きる喜びの表現。
つるされた室内の衣類のズボン下の色は真っ白ではなく『ブルー』をかけてあるのは信用のおけない人間である彼らを除くため。
少し老人が心を開きはじめるとトマト煮込みの『赤に近いオレンジ』
二人の心を開き始めたきっかけの ゆで卵と塩は『純白の白』
初めて心を通わせたスウェーデンタバコとコーヒーといった扉は『焦げ茶色』
友情が深まってから二人ので窓を覗くシーンの顔の色は『オレンジ』
老人の顔がサンタにも見え、最後の話の『クリスマスをともに・・・』といった場面につなげてくる。
そして工作員(友人)が国境までしぶしぶキャンピング・ルーム(車付属)を運ぶ場面は空虚感の『白』
老人の家に戻った時には馬は引き取られ、トラックが去った後には救急車。家の中からはタンカが運ばれていた。このときの一連は『灰色』
ベント・ハーメル 監督は人物の心情や場面を表す場合、ことごとく色で表現されているのには感心した。
この作品でおもしろいもう一点は国同士の互いのプライドのぶつかり合い。
スウェーデンの工作員という上の立場から ノルウェーの貧しい一人暮らしの老人を監視するという いわばスウェーデンの方が上の立場に立ちたいという願望。
それに相反しての映写機の進歩の差。
映写機がうまく作動しない時も
「だからスウェーデンの製品はダメなんだ・・・」
とスウェーデンがはき捨てながらもスウェーデンとしてのプライドは高い。
スウェーデン製が学会でもたつくなか、近所のおばさんといった人が難なくノルウェー製映写機をボタンひとつで映し出してしまう。
食べ物(ビン詰めのニシンの酢漬けや缶詰ソーセージ、ハムのチーズサンドなどの簡単な料理に対してひとり暮らしの老人が一度だけ作ったトマト煮込み)
スウェーデンタバコはまずいと思っているノルウェー人。
ヨーロッパでは車はノルウェーも含めて右側通行が多いが、スウェーデンは左側通行。
「右側通行すると頭痛が起こり吐き気がする、まるで内臓が左に引き出されたようだ・・・」
の言葉はスウェーデン人の誇りと頑固さの象徴のようで印象深い。
皆さんにもお薦めしたい とても心に残る作品のひとつでした。
ごめんなさい。今回はあらすじはありません・・・
亡国のイージス
満足度 ★★★☆☆
感動度 ★★★☆☆
キャスト ★★★★★
原作 福井晴敏 『亡国のイージス』(講談社刊)
監督 阪本順治
脚本: 長谷川康夫
飯田健三郎
キャスト 真田広之
中井貴一
寺尾聰
佐藤浩市
谷原章介
渥美大輔
岸辺一徳
勝地涼
http://www.web-foster.com/foster/katuji_p.htm
吉田栄作
豊原功補 他
福井晴敏のベストセラー小説を壮大なスケールで映画化した海洋サスペンス・アクションとのこと。
子どもと二人で見たが、結構楽しめた・・・
キャストも大物で男前ぞろいで色々な意味でよかった。
中井貴一さんの 演技は見事で、ホントウに日本人に扮する外国人に見えるほど・・・・・・
演じ方が真に迫っており、身震いした。
初めに映った『朝顔の絵』と、最後に送られてきた『甲板で仙石が海の絵を描いていた後姿の絵』は透明水彩で描かれていた。
二枚の絵は『花の部分』と『海の空の白みの部分』が赤紫で共通していた。
淡色一色で濃淡をつけているだけで、絵が得意という割には色彩に深みがないという設定ではあったが、『海の空の白みの部分』が明るく、物語から考えて精神的に救われた。
『甲板で仙石が海の絵を描いていた後姿の絵』をみた時は少しほろりときた。
しかし墓参りでの私の好きな原田美枝子さんの
「いっつも私だけをおいて、二人で行ってしまうんだから・・・」
という言葉は少し説明的かも・・・・
全体を通して中井貴一さんの演技力に感心した作品でした・・・
記録のみ
グリム童話のなかの怖いはなし
著者 金成(カナリ) 陽一
大和書房
1994年11月25日 第1刷発行
1999年2がつ15日 第22刷発行
1700円+税 205ページ
ヨーロッパにおける剣やナイフをプレゼントしてしまう意味や イランの逸話で白バラを抱き 真っ赤の染まる話は特に興味を覚えた。
また『コスペスさま』について少し調べてみたいという思いと、再度チェーホフを読んでみたいと感じた。
金成陽一の本は結構興味深く、メモをとりながら読むほうが面白いような気がする。
次回からは気をつけよう・・・・・・
踊るニューヨーク
満足度 ★★★★★+★
感動度 ★★★ ☆☆
1940年 アメリカ
監督 ノーマン・タウログ
キャスト フレッド・アステア (さすがのタップ)
エリノア・パウエル (ダンスが素敵)
ジョージ・マーフィー
フランク・モーガン
今回も満足のいくフレッド・アステアの作品でしたが、ダンスが少し少なめという点が残念でした。
アステアとパウエルのダンスシーンは軽快で楽しい。
『ビギン・ザ・ビギン』(曲)にあわせて見事なタップでした。
最後はジョージ・マーフィーを迎えての三人の息の合うダンス。
いや~~、見事でした。
ダンスそのものが音楽に、みている方もリズムを取って・・・心はいっしょに躍っちゃってました。
驚いたのは舞台。
劇中劇(実際は映画中舞台)の中の前面鏡張りというセットはどこかで観たことがある。
すーぱーカブキ(おもだか屋さん)の『はっけんでん』の舞台が一見黒の漆ぬるに見え、演じての姿を下からも壁側にも映し出していた。
今回の『踊るニューヨーク』は1940年の作品。
70年余り前にもうすでに黒のライトでガラス張り。
下側からもダンスや豪華なシャンデリアが映る演出がなされていたんだ。
おまけに黒ばかりではなく、
『ぱっ!』
とハイライトがあたり、あたり一面が『黒』から『白』に変わったかと思うと、舞台全体のカメラアングルから踊り手に焦点が移るなどの心憎い演出。
すばらしい!!
ところで『はっけんでん』の話にそれちゃいますが・・・・・・
1940年に今にも勝るこんな細やかな試みがもうすでになされていたのかと思うと・・・・・・
『はっけんでん』の舞台って確かドイツの某演出家にわざわざ頼んだように聞いているが、参考するにしては類似点が多すぎ。
もちろん舞台や脚本に合わせて舞台づくりを工夫されているのは把握しているが、『黒』から『白』だった映画を、『はっけんでん』で『黒』の世界だけにしのは、発展なのだか後退なのだかと首を傾げてしまう。
何はともあれ『踊るニューヨーク』は面白かったです
フレッド・アステアの『雨に唄えば』の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/1f236fd2f87984b27e1dfd397452476a
フレッド・アステアの『ダンシング・レディ』の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/0366167dd8281b1f505bf4844188c506
(写真は京都嵯峨野の化野念仏寺です)
NEW BLOOD カルマ2
作品としての満足度 ★★★★★
作品としての感動度 ★★★☆☆
作品としての影像美 ★★★★★+おまけ★
作品としての構図 ★★★★★+おまけ★★
作品としての展開 ★★★★☆
作品としての音楽・効果音★★★★☆
ホラー映画としての怖さ ★★☆☆☆
ホラー映画としての満足度★★☆☆☆
全体を通しての評価 ★★★★☆
2002年 香港 89分
監督 ソイ・チャン
脚本 セト・カム・ユン
ソイ・チャン:(字幕)
キャスト ニキ・チャウ
ウィニー・レオンバーナード・チャウ
サイラス・チャウマーコ・ロク
ホラー映画としてとらえるか小説を撫で回すように見るかで評価は大きく二分される作品のように感じる。
私的には全体を通して満足のいく作品のひとつでした。
特にことごとく工夫の凝らしたソイ・チャン監督の特徴とも言える斜め構図はとても好きで、心が落ち着きます。
またブルーを基調とした中に、ここぞといった場合『赤』でポイントを効果的に効かせる。
心憎いばかりの計算されつくした色感。
一見毛bb代的ホラー的映像に見えるが、中国的感覚は随所随所に残されており、見ていて満足がいく。
かといって頑なに自己表現を表に出すばかりではなく、洋風或いは日本的な怖さも取り入れられ、ホラーはベースにしながらも品の良い作品に仕上げられているのは、この監督の人柄によるものなのかもしれない。
献血をした三人、自殺して助かった男、そしてひとりなくなり逆恨みをする怨念恐ろしき霊と化す女・・・・・・それぞれにドラマが伺え 人物像がうまく表現されており、全ての人生が否定できないところが興味深い。
単なる怖いだけのホラーにとどまることなく、映画作品としても決め細やかで安心して楽しむことのできる秀作。
ニキ・チャウ(女性)の表情のうまさには参りました。
余談ですが 私の好きなレスリー・チャンの『カルマ』です ↓
(写真は神戸の南京町です)
今日の映画感想は辛口でごめんなさい。
最后的愛、最初的愛 最後の恋、初めての恋
満足度 ★★ ☆☆☆
感動度 ★★☆☆☆
話の展開★★☆☆☆
影像美 ★★ ☆☆☆
構図 ★★☆☆☆
2003年 日本・中国 118分
監督 当摩寿史
脚本 当摩寿史
長津晴子
山村裕二
キャスト 渡部篤郎
石橋凌
徐静蕾(シュー・ジンレイ)
董潔(ドン・ジェ)
陳柏霖(チェン・ボーリン)
松岡俊介
牛犇(ニィウ・ベン)
津田寛治
筧利夫
楊世奇(ヤン・シーチー)
呉汝俊(ウ・ルーチン)
清水邦彦
目黒真希 他
【今回はあらすじは短く・・・】
いと悲しきポップなラブストーリー。
時止まるがのごとく悲しみに打ちひしがれていたがの日本人が 赴任した先の中国で中国人姉妹と出会う。
しかし悲しき運命はいかに・・・・・・
【感想もどき】
上海と都会的戦場と中国一庶民の現状のアンバランスさは、バーなどの赤い短いコップ(ウイスキー水割り用)二個と長さのある赤い花の奇妙な三角形の不可解な構図に似ている。
まるで男や女の不安定な心理状態や現状の生活を表しているかのようだが、見ている私たちは数分足らずで先の見えた酒飲みの愚痴や不満、のろけ話に付き合わされた感が残る。
後味の悪い予想と進行。
最後まで不本意なまでに期待を裏切らずに思いのままに展開したことが悲しく、不本意な作品であったのが口惜しい。
最後のブルースターのような 恋人との思いでの花が一面に広がりを見せていくシーンはカメラアングルが少し遠すぎた上に、意図的なたくらみが私の心を曇らせた。
また最後の並木を歩く場面は 私はドラマを見ていないので大きな声では言えないが 韓国スターのぺ・ヨンジュンさんの『冬のソナタ』のあまりにも有名な一場面に似すぎていないのかな・・・・・・
構図を決めすぎない、或いは芸術的なまでに美しく仕上げすぎないといった傾向はここ数年においてドラマや映画の傾向として広がりつつあるように感じるのは私だけだろうか。
私自信がここしばらく好きな中国映画や韓国の映画から離れているのもその由縁である。
話は戻って・・・・・・
それでも中国(日本共同)映画のプライドとしてか、
「昔は父が洋服を作っていて、間違われて結婚まもなく刑務所に連れて行かれたことがあったのよ。」
「そんな時代だったから。」
という深みのある会話が始まったかと思うとすぐに焦点は星に流れ、ポップに変わる。
おっと残念・・・といった具合に肩すかしをくわせられたまま、ラストを向かえたのであった。
ただ、石橋凌さんは淡々とした味のある演技であったことと、妹役の董潔(ドン・ジェ)さんはとても可愛らしかったことが印象深い。
妹役の董潔(ドン・ジェ)さんについて書かれています ↓
http://www.d1.dion.ne.jp/~kalinka/china/yomoyama/culture/ster.htm
〔董潔(ドン・ジェ)さんは可愛らしくて感心していたのですが、私の好きなコン・リーさんなどを育て上げられたチャン・イーモー監督に見出された女優さんなのだそうです。〕
納得・・・・・・
少し前の写真ですが、10月3日の彼岸花の写真です。
あまりきれいだったので、ちょっと悪戯・・・・・・
彼岸花というと親しみやすいのですが、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)というと隠微な雰囲気がするので不思議ですね。
短歌や俳句に使うときは曼珠沙華を使いことが多い。
私などの素人が遊びで詠む場合、こちらを使うと上手くなったような錯覚におちりますが、実際には濁音の少ない用に錯覚させる彼岸花で収めた方が、時として日本語としては美しい場合もあるようですね・・・
でも本当は・・・同じ数だったんだ・・・
曼珠沙華は彼岸花の別名のほかに、『天上に咲く花』という意味もあるそうです。
白くて柔らかく、見る者に悪を離れさせるはたらきがあるなんていうことを考えるとこりらを使うほうが深みが出るでしょうか・・・。
彼岸花には色々な言い伝えが各地に多く残っているようです。
少し寂しさを感じるのは飢饉時のつらい思いや人間模様、あの世とこの世の境界線などの物悲しい言い伝えのせいかもしれません・・・・・・
写真は10月3日に撮影したものです。
彼岸花と実りの稲
赤と黄
広がりと垂れ下がり・・・
二週間ほど前までみられた彼岸花と稲穂の姿は今はもうみられません。
彼岸花は枯れる或いは焼き後がみられ、黄金に垂れ下がった稲穂は今は刈り取られ、後から黄緑の稲の葉が再び出始めています。
自然の生命力の強さには頭が下がります。
秋の斑鳩
法起寺の近くで見かけられるコスモスと田の景色。
刈田の向こうには法起寺。
斑鳩は何度行っても発見の連続です。
今の斑鳩は柿も真っ赤に色づき、『黄土色』と『オレンジ』と『コスモス色』と『小芋の緑葉』が目を引きます。
色の変化も楽しみなので、近いうちに斑鳩にはもう一度行ってみたいと思います。
コスモス満開の法起寺の日記です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/eb7f364e4e5e3dbc3062f19ce2979514
日曜日、家族全員で法起寺に行く。
コスモスの法起寺は今年三度目。
初めは九月中旬に夫と・・・
二度目は十月初旬・・・
いずれもきれいに咲いていたが、十月二十二日現在ではより一層満開で美しく咲き誇っていた。
写真を撮る人、油絵や水彩画を描く人々・・・
おえかきをする子どもや飛び回るちっびこたち
親子連れや恋人たちやご近所づれ・・・
コスモス同様、人々も満面の笑みが美しい。
法起寺の近くの農道沿いでは各農家の方々が『黒豆枝豆』の収穫に追われ、切り取った枝の葉をむしりとって棚に無造作に並べ、一枝三百円程度で売っておられた。
私たちは黒豆枝豆とインゲン、秋茄子、万願寺とうがらしの四種類を購入。
子ども二人がその場で生のまま皮を剥く。
ふわっつ~~
周りに青臭い匂いが広がる。
一粒かじってみる。
「渋くて甘い~~。」
と、子どもの声が響き渡る。
家に戻り、早速枝から豆をむしる。
結構な分量・・・
ボールいっぱいになった黒豆枝豆をすぐにゆでる。
湯がきあげられた枝豆は、青臭さは消え 豆の甘い香りと湯気のにおいたつ。
黒豆枝豆はゆでると生の時よりも黒さが引き立つ。
大きな粒で自然の甘みがとても美味しい。
たまたま下宿から帰ってきていた子どもにもこんな新鮮な美味しい枝豆を食べさせてやれた偶然に感謝。
斑鳩は景色も畑の恵も美味しい・・・
前回十月初旬のコスモスの法起寺の写真と日記です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/17d82a8d4bdd3ad938f22baac1ee57b7
萩大名(狂言)
土舞台顕彰記念/第27回篝能
『七重八重九重とこそ思いしに
十重咲きほこる萩の花かな』
小笠原 匡 中本 義幸
山本 豪一
谷口 尚功
萩大名は都の生活に退屈、太郎冠者に面白いことはないかと問う。
それを受けて、下京(京都)に萩が見事に咲いた庭があると言う。
さっそく見に行こうと 大名。
庭を見ると和歌を詠むよう要求されると 太郎冠者。
太郎冠者は大名に、扇やふくらはぎを使って歌を教える。
『七重八重九重とこそ思いしに
十重咲きほこる萩の花かな』
いよいよ萩咲き誇る庭。
庭の主に、庭石などを褒めようとするのですが、庭石は火打ち石にちょうどよいと口を滑らすが、太郎冠者に助けられる。
そして萩を見て和歌を詠むことになるのですが・・・・・・
扇を開くと、「七本八本、九本・・・」ことごとく恥をかく。
太郎冠者は自分のふくらはぎと鼻を指しますが、途中で恥ずかしくなって逃げ帰ってしまうという、とても有名な狂言。
この『萩大名』は以前にも二、三度は観たことがありますが、演じ手によって色々特徴があるようでしょうか・・・
あまりくわしくは知りませんが、最も狂言らしい台詞に言い回しだったのは私が見た中では茂山流だったかもしれません。
そのほか表情が豊かだったり、仕草を大きめに演じる場合もあるようです。
『狂言は能と能との間に演じられ、パントマイムの要素を含んでいる』と 京都観世会館で中学の頃 鑑賞授業で教えていただいたことを憶えています。
ゆえに狂言はとてもわかりやすいものですが、中でも今回観た『萩大名』は仕草が大きめで、万人にわかりやすい。
また狂言師が会場の雰囲気を読みこんで、にこやかに笑いながら観客との精神的な対話型のように気分よく演じられており、気持ちが良い。
どちらかと言うと今回の萩大名はカブキの『松羽目物(まつばめもの)』に少し似た逆輸入のような感覚で、これはこれで妙に親近感を覚えてしまいました。
最後に……
能・狂言の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。
能・狂言について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
『小鍛冶』
土舞台顕彰記念/第27回篝能
桜井市民会館大ホール 入場無料
金春 康之
金春 欣三
小鍛冶 福王 知登
喜多 雅人
小笠原 匡 他
一条天皇は夢のお告げに従い、三条小鍛治宗近に御剣を打てと勅命を下す。
良い相槌が居ないのに悩んだ宗近は、神力を頼もうと氏神の稲荷明神に参詣。
美しい少年が悩みを言い当て、古今の名剣『草薙(くさなぎ)』の剣の奇跡を語り、支度して我を待てと言い置いて雲に乗って去る。
狐の姿で現れた明神の使は相槌を勤めて宝剣を打ち上げるというのが主なあらすじ。
この『小鍛冶』という曲は京都の稲荷神社や平安神宮、粟田口、伏見などといった京都になじみ深いもので、京都で生まれ育った私にとってはとても親しみを覚えた。
稲荷神社や平安神宮、粟田口にこんな面白い話があったのか・・・
稲荷神社といえば狐。
稲荷神社は京都では『おいなりさん』と呼ばれ、多くの人に親しまれている。
稲荷祭りも昔は盛大に行われ、各家庭が鯖寿司や巻き寿司(2本)、紅白の2本のかまぼこをそろえて半紙に巻いて、親戚一同に配り歩いたっけ・・・
稲荷祭りはさておき、『小鍛冶』は物語の展開が面白く、わかりやすい。
音楽と話の展開のバランス、面や百毛(?髪=赤頭)、狐のような動きの摺り足やひざの飛び上げる姿、鍛冶を打つ面白さなど心が高揚してきます。
『小鍛冶』はカブキでいえばまるで荒事(例えばカンジンチョウ)を観ているように興奮してしまいます。
言葉も少し聞き取りやすく、
「ちょうと打つ」
「ちょうと打つ」
「ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音・・・・・・」
「ちょうちょうちょうと打ち重ねたる槌の音・・・・・・」
の部分と
「天に声あり」
「天に声あれば」
「地に響く」
「地に響く」
の箇所。また
「ひと振りかざせば火の粉が消え・・・」
「ひと振りかざせば的が消え・・・」
の場面が私は今回に限っては特に好きでした。
(回を重ねるごとにかわるかもしれません・・・)
また狐の被り物をした赤面赤髪の稲荷の霊狐の動きに合わせて、小鼓が
「コーン」
と高い音で響き、まるで狐が鳴いているようの聞こえる。
素敵・・・・・・
動きも足袋のはいた足をめいっぱい丸めて、静かな動きや激しい動きの変化にも富んでいる。
稲荷の威厳のあるゆったりとした動きと きびきびとすばやい動きのバランス感が絶妙。
狐が去っていく時も、一端立ち止まり狐の仕草を二回演じてから中に入る。
なんて変化にとんだ曲なのでしょうか・・・
話が先ほどから前後し続けていますが・・・・・・
鍛冶を打つ前(中ごろ)に1.5メートル弱くらい(?)の台が、舞台の中央にが運びこまれる。
台には前・左・右に縄が張りめぐららされ、前に等間隔で9個、左右に各1個の神社によく飾られているような 『白い紙』が飾られている。
まず三条小鍛冶宗近が台の上で舞う。すると狐が現れる。
台の上には槌と剣が置かれていて、この上で三条小鍛冶宗近と霊狐が槌を持ち、互いに打つ。
リズムに合わせて激しく打つ振動で前に等間隔で9個の白い紙は左右に位に移動し、宗近や狐、観客の心の高鳴りを表すように、紙は秩序を無くす!
素晴らしい!!!
『能楽』を全く知らない私ですが、今回もあれこれと楽しめ、ますます能が好きになってしまいました。
多分カブキのようにはわかりにくい分、自分で想像力を巧みにして、自分で能や曲の世界を作り上げているせいかもしれません。
そのため能楽をよくご存知の方からすれば、初歩の初歩。おまけに間違った見解も多いことでしょう・・・・・・
決まりごとや言葉などもほとんど知らないのですが、『能楽』はかなり面白く奥の深い世界のようです。
ますます他の曲も観てみたいという気持ちが強くなった『小鍛冶』でした。
最後に……
能の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼が多々あると思われますが、お許しください。
能について 知らないことばかりで、多分かなり間違ったとんちんかんなことを書いているのではないかと感じてはいるのですが……私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
後日読み返して 多分恥ずかしい思いをするのではないかと感じています……
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
奈良県桜井市の市民会館で土舞台顕彰記念 篝能が公演された。
今年で二十七回目。
『土舞台』とは、日本初の国立演劇研究所がつくられた所とのこと。
『日本書紀』(推古20年・西暦612年)頃 百済の味摩之(みまし)が呉で『伎楽舞(くれのうたまい)』を学ぶ。
これを聖徳太子がご覧になって、この地(桜井)で少年を集め、『伎楽舞』を学ばせたと言い伝えられている。
これを記念して桜井市では『土舞台顕彰記念』の『篝能』を毎年開催されているとのこと。
余談ですが・・・
開催当時には故森繁久弥さんなども観にこられたと挨拶でおっしゃっていました。
【伎楽とは】
1 日本最初の外来楽舞で、こっけい・野卑な無言仮面劇。推古天皇20年(612)百済(くだら)の味摩之(みまし)が中国の呉(くれ)の国で学んで伝えたという。飛鳥(あすか)・奈良時代を最盛期として衰え、江戸時代に滅びた。呉楽(くれがく・ごがく)。呉の歌舞(うたまい)。
2 仏教で、音楽のこと。
四十四歳でお亡くなりになられた狂言師、野村万之丞氏は
『シルクロードを逆のぼると、伎楽にたどり着く』
というお考えをもたれていたと説明なさっておりましたことが非常に印象的でした。
確かに能面などを考えてみても、日本本来の特徴というよりは大陸からの影響を深く受けていることが伺えます。
時間があるときにゆっくりと調べてみましょう・・・
少し前のポスターですが、奈良の斑鳩、上之宮遺跡公園で行われた『観月祭』のポスターです。
黄色と黒ですっきりしていて気に入っています。
能楽『杜若』の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/7c324a87cb5db6b80310e6e43712821d
狂言『佛師』の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/e489eeab84354eeac2a470ed14db34da
仕舞(三曲)の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/02a1896be79bdf0f1010c2cdf55f7f34