The President's Barber 大統領の理髪師
満足度 ★★★★★
感動度 ★★★★★
話の展開 ★★★★★
問題定義 ★★★★★
映像美 ★★★★★
台詞の意味の深さ★★★★★+おまけ★★
時代的背景をふまえたコメディタッチの描き方★★★★★+おまけ★
2004年 韓国 117分
監督 イム・チャンサン
脚本 イム・チャンサン
キャスト ソン・ハンモ/ソン・ガンホ
キム・ミンジャ/ムン・ソリ
大統領/チョ・ヨンジン
チンギ/リュ・スンス
ソン・ナガン/イ・ジェウン
ノ・ヒョンウク(青年になってから)
パク・ジョンマン(中央情報部長)/パク・ヨンス
チャン・ヒョクス(大統領府警護室長)/ソ・ビョンホ
わかりやすい筋なのであらすじは省かせていただきます。
韓国現代史を的確に踏まえて重い内容をコメディタッチに描いた秀作の一作品。
おそらく韓国の方ならばウンウンとうなずきながらこの映画を観られたのではないでしょうか。
感心した点はいくつもあったが、そのなかで興味深い箇所を数項だけ紹介したい。
①台詞の一つ一つが歴史的な関連性が深く、映画の将来(韓国史の将来)を暗示しており、興味深い。
例えば最後に出て来た仙人風の漢方医の言葉 ( 「蛇が竜に化けて、この子にとりついている。竜の目を削って菊の花に入れて飲ませなさい。」 ) なども、朴大統領を暗殺をほのめかしている。あのときの老人のふと笑った表情は見逃してはならない。
朴大統領の葬儀の車に飾られた菊の花の『黄色』と『竜のイメージの黄色』が強烈に重なって印象深い。
一方理髪師は自分の子どものために・・・(ここはいいずらい映像のため、控えさせていただきます。)
時代的意味合いだけではなく、このあたりのヒューマンコミカル映画としても微笑ましく感動を覚える描き方は見事といえよう。
②厳寒のさなか、息子を負ぶって漢方医を訪ねての放浪の旅。このパターンは中国、韓国映画の私の個人的に好きなテーマの一つでもある。
凍える川を渡り①出の漢方医をたずねる。意味深い言葉を老人は二度繰り返す。
この老人宅を出るとそこには淡色墨絵風の美しい景色。朴大統領の暗殺においての韓国の将来の希望を暗示する場面だ。
一方父親はその時はやぶ医者だとはきすてるが、数年後実際には竜の目を泣く泣く削る。
③北朝鮮のゲリラ進入事件をコミカルに表現する快感も見事だ。
ゲリラ→下痢→捕まる→マルクス主義
が凝り固まって
下痢→マルクス主義→処刑
実際に当時の韓国では何でもない言いがかりで処刑される、また冤罪も多かったようだ。
実際には重苦しい耐え切れない内容ヲコメディタッチで大笑いできる場面に仕立てているこの映画センスは素晴らしい。
④「豆腐一丁」「チョッキンチョッキン」「四捨五入のナガン」とからかわれていた息子に父親は
「昔は病院も美容院も同じだったんだ。」
といって店の前のグルグルまわる赤青白の目印を指差す。
その昔医者の地位は現在にくらべて低かった。あのグルグル回る赤青白は実際に動脈と静脈と包帯の色を表しており、昔は病院の前にも本当に置かれていたようだ。この映画は楽しくわかりやすく描かれているが、事実を上手くとらえている。
⑤子どもを生ませたいために独自の四捨五入論を面白く描く感覚ははまってしまう。見事。
⑥この映画は単なる歴史にとどまることなく、歴史を把握していなくともヒューマン映画として万人に楽しませる事のできる本質的な映画の意味合いをも持ち合わせる所が素晴らしい。色合いや構図といった美術的な関点からも楽しめ、台詞や表情も細やかに表されている。
最後には子どもの足の回復でめでたしめでたしの涙をさそうあえて大衆映画風に仕立てたこの監督の潔さとセンスに感動した。
重厚感と軽快さを兼ね合わせた素晴らしい作品であった。
ということで こういった映画も好きだな・・・・・・が、感想でした。
写真は奈良法隆寺です。
梟の城
楽しめ度 ★★ ☆☆☆
満足度 ★ ★ ★☆☆
中井貴一が出ていたよ~♪★ ★ ★ ★★
色彩 ★★ ☆☆☆
1999年 邦画 2時間18分
原作 司馬遼太郎
脚本 篠田正浩,成瀬活雄
監督 篠田正浩
能演出・指導 観世栄夫
狂言指導 茂山千之丞
キャスト 中井貴一
鶴田真由
葉月里緒菜
上川隆也
マコ・イワマツ
表情・しゃべり方・雰囲気が役柄にぴったり
寝間を襲われた時の重蔵(中井貴一)との会話が見事
後に映る開けても開けても襖の連続の空間と演技がマッチ
マコ・イワマツさんについて(ウッキ・ペディア)↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B3
小沢昭一
中尾彬
永澤俊矢
根津甚八
山本學
火野正平
津村鷹志
今日二本目の映画は『梟の城』、この映画は前にも観ていたんだ。
今回も中井貴一さんと茂山千之丞さんと能に引かれて、観てしまったんだ・・・
この映画10億円もかけたらしいんですが、中井貴一さんとマコ・イワマツと葉月里緒菜さんのかわいさと城での能楽シーンと京都三条川原町の民衆文化以外はあまりスカッとしない映画でした。
【私の考える問題点】
①まず初めから半分(5/10)くらいまでがCGと画面の加工のしすぎで、色彩的に疲れる。とにかく『緑』と『コントラスト加工』がきつすぎる中、部分的に『朱色』を使いすぎるので、恐怖心とサイケな空間が同時に私を襲ってしまう。この色彩が長い時間続き過ぎるから、安定してみていられない。また色が浅い為に重厚感にかける。つまり全体に安っぽく仕上がってしまう。
この色彩は半ば過ぎた頃1/5(2/10)くらいの時間、『緑』と『コントラスト加工』が両方少しだけ和らぐが、最後の3/10位がまたもとの色に戻ってしまうからたまったものではない。途中の心理の揺れ動きや強調部分はモノクロに近い状態にしたほうが、全体が品よく仕上がるように思う。
②沖縄の蛇みせんが京都三条河原の大道芸の部分で二度ばかり出てきたが、二度はくどい。不要な音だ。
③屋根が二度ばかり出てきたが、かわらの形を工夫しないことにはおなじみ見えてしまう。ここでかわらの色を初め(聚楽第)と後(伏見桃山城)で変えるべきだったのに、浅い色に仕上げていたのは残念であった。
④屋根の形が似ており、映画にしてはあまりにも平面的正面の構図でカブキの『白波五人男』の屋根の場面を思いだしたが、『白波五人男』は相当面白く、カブキ舞台を越えることはできなかったのは残念。
⑤大仏が横たわっていたのはいいが、色が浅いため張子の虎のように重みを感じなかった。
⑥鶴田マユさんの口紅のぬり方はあれでよかったのでしょうか・・・・・・
⑦襖空間は秀吉の性格とマッチしてよかったのだが、『虎絵図』の部分で虎の鳴き声は重蔵の不安感の表れという意味合いはわかるが、くどいではないか。襖を開けても開けても、何度開けても襖が続くといったくり返しのパターンだけで充分であったように感じます。
織田信長に襲撃を受けた伊賀忍者一族。
わずかに生き残った一人の重蔵は 秀吉の暗殺を企てる。
己の出世のために伊賀を捨てた風間五平(上川)。
小萩(鶴田)は重蔵を挑発するが本当に愛してしまう。
けなげな女忍者木さる(葉月)。
各人のかかわり合いや愛憎、裏切り。
重蔵は伏見城の秀吉(マコ・イワマツ)の寝所に潜入。
ここのやり取りが非常に満足のいくものでした。
聚楽第の屋根の上の重蔵と風間五平のやり取り、
「絶景かな~♪」
「絶景かな~、絶景かな~♪」
といったやり取りと最後の石川五右衛門としてかまゆでされた風間五平はあらすじ筋的に上手くまとめたつもりなのでしょけれど、こんなに簡単な展開では少し物足りない。
各人のかかわり合いや愛憎、裏切りをここでもう一度くり返したかったのでしょうけれどどこに焦点を置くのかをはっきり決めてもらわないと、『生ぬるいポカリスエット』のようでうまみに欠けまする・・・・・・
ということで、今日は辛口感想でごめんなさい
この感想は言葉も内容も間違っていたり前後しています。
初心者の能楽鑑賞体験 2006’no.4
能 『融』 (とおる) < 80分位>
上野朝太郎二十三回追追善
能と囃子の会
11月26日大阪能楽会館で能『融』を観る。
能経験の少ない私たちはJRに中で泥縄勉強。あらかじめ内容を読んでおくことにした。
『融』は私たちにとってもわかりやすい内容で、楽しめた。(但しどの程度理解しているか、正しいかは別ですが・・・)
先日観た『小鍛冶』がかっこよかった(この曲もカブキでいえば荒事のようで相当好きでした。)とすれば、今回の『融』は言葉(謡い?台詞?)も 掛詞などの言葉遊びも 目に浮かぶ情景も美しく心の染みる。
それでいて塩桶を前に投げて曳いて、肩にかけてパタンと落とし後ろを向いてそそくさと歩くところでも興奮。思わず
「融っ!」
と大向こうをかけたくなる衝動を押さえる。まあ、私としたことがお下品だ事・・・うふふっ。
能経験がほとんどない子も、誰も大向こうが掛からなくて、違和感を感じたらしい。能は武士の・・・ということはわかってるが、習慣とは怖いものです。
旅の僧(ワキ)が京都 河原院の地を訪ねると、潮汲みの老人(前シテ)がやって来る。
この老人の姿は一見浦島太郎風。
肩には棒で両脇につるされた潮桶を担いでいる。
老人曰く
「ここは昔左大臣源融の邸宅で。奥州塩竈の浦の眺めをしのぶために難波の浦から海水を運ばせ、塩を焼かせて楽しんだ。」
と言って懐旧の想いにふける。
僧は老人に周囲の山々の名をたずねるが、やがて老人は汐ぐもりの中に消えてしまい、夜は更けていく。
さてさて『融』は月が何度も出てきます。あまり素敵なので数えてみたのですが謡い、僧、融 別に数えてはみたものの、途中で断念。あまりにも何度も出てきて『正』の文字でも数えきれませんでした。それほどに聞き入ってしまい、言葉・山・月が美しくて情景が目に浮かんでくる。数えるのも忘れてしまいます。
私は京都の市内の真ん中あたりで生まれ育ちましたので、山や土地が目に浮かんでくるといったことも手伝って、この『融』は割合に入り込みやすいものだったのかも知れません。
それにしてはちんぷんかんぷんでまとまりのない感想だこと・・・・・・!
音羽山や稲荷山、嵐山、大原、吉田山(吉野山??でも、吉野山では京都ではないし・・・)など
これらは
『塩山の煙の景色 まがきが島(?) 音羽山より???月??』
のように山と月と塩つくりを掛け合わせてあります。
『音羽山よりいでし月の神無月のつごもりがたに、菊の花うつろひ盛りなるに 紅葉のちぐさに見ゆる折・・・・・・』
といった美しい言葉が続く。
老人は
「まずいざや潮を汲まん」
と言い、手に持った塩桶で潮を汲む
『吉田山(吉野山)?田子の浦、よしや塩を生まんとて・・・・・・』(?)
と月下潮を汲み、
『塩釜の いずか気にせんなさなぎに すりこぐ舟は伊豆にありなん』(?)
と、物思いにふける・・・・・・
「長者必衰の断りを表す・・・それは言語同断。」
というと笛が『ひゅるるるる~~~』
突然に神秘、幻想的な世界へと雰囲気が変わる。
『いて枕 掛けの衣をかた敷きて いわねのとおにようもすがって』(?)
『なおもきどくをみずや?とて 夕べまといし?旅寝かな』(?)
で次は太鼓、鼓二つ、で笛。
自分の正体はあかさず、
「汐曇りにかき紛れ失せ…」
と袖を回したもどしたり・・・・・・。『井筒』や『杜若』の業平の精が業平を思いしのんで舞う場面に似ている。
「あら昔恋しや」「恋しや恋しや」と繰り返し、興奮度も頂点に達する。
「例えば月のあるように 星の臼杵に(おとく?)なり、春霞む夕べのとうま、影を船にもたとえたり。釣り針と疑わば、夢に影とも驚く。月下の波にふす。月にも遠く、つきの都に影ふすや・・・・・・」(?)
これらは私なりに聞き取った言葉なので間違いもありましょうが、なんて美しい調べなのでしょう・・・・・・
夜半過ぎに、融の大臣の霊(後シテ)が現れ、月明かりの下で舞った後、暁の月光の中に消えてしまう。
『月もはや 影傾きて明け方の時』
となり、
『この光陰に誘われて月の都に入り給ふ』
と融は月へ帰っていく。
この言葉の載った本を探し出して、もう一度しっかりと読んでからゆったりとした気持ちで『融』を観たい。
次はもう少し筋道をたてて把握できるかもしれない。
能についてもう少し本ででも調べてから、また近々能を観に行こうっと・・・・・・
最後になりましたが、能と囃子の会の皆様、楽しい時間をありがとうございました。
能について何も知らない私ですが、この会の『融』を拝見させていただいて、おかげさまで能に対して一層興味がでてきましたことをこの場を借りまして御礼申し上げます。ありがとうございました。
能鑑賞、次回は例会など言ってみたいとも思いますが、なにぶん初心者の為どこまでわかりますか、不安の気持ちでいっぱいです。
能の鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼があればお許しください。
何しろ知らないことばかりで、多分かなり間違った頓珍漢なことを書いているのではないかと感じてはいるのですが、私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
どうぞ宜しくお願いいたします。
写真は大阪能楽会館の外壁面です。観ているだけでワクワクします~~♪
独鼓、仕舞、独吟 (前半=能以前の部)
上野朝太郎二十三回追追善
能と囃子の会
11月26日大阪能楽会館で能『融』と独鼓、仕舞、独吟を観た。
私たちは九時半頃到着。会場ががらりと空いており、関係者の方たちばかりだった。
10時開演。
時間がたつにつれ会場はいっぱいになり、熱気があふれていた。
独鼓や独吟など初めて観るものもあった。
独鼓は『船弁慶』『弱法師』、仕舞は『敦盛』『放火僧』『花月』『清経』『三輪』『野宮』、独吟の『鉢木』などが続く。
内容的には『弱法師』の『淡路島~~見えたり隠れたり~~』の謡が気に掛かったので調べてみたいと思った。なじみは無かったが、とにかく美しかった。
『船弁慶』や能の後にある素謡はカブキでは何度も観ているなじみの深いものだ。しかし能ならまだしも独鼓の『船弁慶』ともなると初心者の私には手も足もでない。
『三輪』の「さても神代の物語~~神遊び、これも神楽のはじめなり~~」の出だしは言葉が美しくて、歌い?を覚えてみたいという衝動に駆られました。せめて『三輪』の言葉(台詞?)を全て覚えてみたいなぁ……
独鼓、仕舞、独吟の全てにおいて ただただ曲が好きだった……舞いも好きだったが、生憎 理解力に欠けていた。
皆さんがそれぞれ真剣にがんばっておられる姿を見て、私もああいった都市の重ね方をしたいものだと痛感した。
皆様、楽しい時間をありがとうございました。
この場を借りまして、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
仕舞などの鑑賞暦が浅いため、間違いや失礼があればお許しください。
何しろ知らないことばかりで、多分かなり間違った頓珍漢なことを書いているのではないかと感じてはいるのですが、私の場合今のところここまでしか理解できておりません。
忘れない為に記録をつけるつもりで書き込んでおりますが、間違い、お気づきの点がございますればお教えいただけましたたなら 幸いです。
何卒宜しくお願いいたします。
Les Invasions Barbares みなさん、さようなら。
満足度 ★★★★☆
感動度 ★★★☆☆
言葉の調べ ★★★★★
音楽 ★★★★☆
2003年 カナダ、フランス
監督・原作・脚本・脚本 ドゥニ・アルカン
キャスト
レミ・ジラール
ステファン・ルソー
マリー=ジョゼ・クローズ
マリナ・ハンズ
ドロテ・ベリマン
ジョアンヌ=マリー・トランブレイ
女と書物とワインと人生を謳歌した父親。幸せな日々を思い浮かべて、最後の短いながらも幸せな日々を送る。
親子の感情の行き違いが病気を持って中を取り持ち、莫大な金額と愛情を同時に父親に投じる息子。
友人や家族に見守られながら美しい湖畔で本人と周囲の人間が納得しての尊厳死。
思い内容を軽快なタッチでコメディタッチにさらりと描くこの洒落た映画。
題名的にはかなり前に見た『チップス先生、さようなら』ってくらいにあっさりしていて、いいんじゃないですか…
各人のやりばのない感情を適度な肩透かしを持って逃げ場を地来るあたりなんかは心にくい筋だと感心した。
MEMENT メメント
満足度 ★★★★☆
話の展開 ★★★★★
神秘性 ★★★★★
楽しめ度★★★★★
2000年 アメリカ
監督・脚本 クリストファー・ノーラン
原案 ジョナサン・ノーラン
キャスト ガイ・ピアース
キャリー・アン・モス、
ジョー・パントリアーノ 他
彼は新しい記憶を10分間保つのが限界。いわゆる前向性健忘症。
元保険調査員の几帳面な彼はポラロイドカメラや刺青やメモによって、記録をつなぎ合わせて事実を探ろうとする。
主人公の記憶障害は精神的なショックによって引き起こされた物で、時にはその記憶は自分の都合のよいように置き換えられていることがありますが、これらは意図的作為的なものではなく、無意識の意識下で組み替えられた彼にとっては真実であろうと思われます。
映画の中ではこのような状態を『時間を逆行する』という表現方法で表現していますが、小学校一年生の言葉遊びに似ています。例えば『りんご』『みかん』『バナナ』を一字づつ区切って上、真ん中、下の文字それぞれを切って組み合わせて新しい文字を作る(時には意味のある言葉ができる場合もあり、子どもたちは沸きあがります。)って遊び(授業)があります。
一例として『りんご』『みかん』『バナナ』→『バかナ』『りナん』『みんご』
『バかナ』『りナん』『みんご』→『バカな りなんちゃん ビンゴ』といった風に記憶は自分中心に置き変えられていきます。
主人公の彼にとっても妻の美しい悲劇と 保険調査中の某奥さんの記録が置き換えられ、自分のいい具合に無意識に交差します。このあたりが心理学の面白いところでしょうか…
つまり平たく言うとA→B→Cがメメントの場合はA,B,Cと断片的な既得に区切られ、C→B→Aと逆行したり、時にはC→X(Bとは全く別のもの)→Aと記憶が置き換えられるのでしょう。
この映画は記憶という抽象的な曖昧ナモチーフを取り上げながら無意識における人間の罪悪や格闘を描きたかったのでしょうか。
安部公房氏の『善意?の中にはいつも殺意がこめられている』(言葉は忘れてしまいました。)といった内容が少し思い出されます。
この映画の感心した所はこの主人公の特殊な病状にとどまることなく、記憶の曖昧さは我々一般の病気を意識してない私たちにもあてはなるといったところではないでしょうか……
それが証拠にこの映画を初めから最後まで順を追って筋道を立ててあらすじを言える方が何人いらっしゃるでしょうか…少なくとも私の場合は大筋はいえても細部にわたっての順番などは途中が混乱いたします。
10分といった短い記憶ではありませんが、誰しもが無意識のうちに自分の都合のよいように記憶を置き換えるといった怖さが伝わってくる、そんな映画でした。
取り上げられた内容的にはこの手のものはとても好きで、原案を練られたジョナサン・ノーランの作品があれば読んでみたいと感じました。
また映画ももう一度じっくりとみてみたいと感じました。
内容の楽しめる秀作の一つだと思います。
最後に・・・
今日書いた内容は医学的に間違っている可能性もあります。
もしお気づきの点がございましたらお教えいただければ・・・と思います。
ベートーベン
満足度 ★★★★☆
何度みても楽しい ★★★★☆
監督 ブライアン・レバント
脚本 エドモンド・ダンテス
エイミー・ホールデン・ジョーンズ
キャスト チャールズ・グローディン
ボニー・ハント
ディーン・ジョーンズ
サラ・ローズ・カー
この映画、何度みてもどれをみても面白いしスカッとするから、好きです。
テレビで何度放送されてるんでしょうか…
あらすじは今日は省かせていただきますが、『ホームアローン』のように後味のよい映画です……
フレディ・マーキュリーが亡くなられて早15年。
もうそんなにたつのかと驚いてしまう。生きていれば60歳か…
デビッド・ボウイを初めグラムロックやハードロックなどにたずさわる人はみんな年をとったなあ…
フレディが生きていればあの針金のような手足と体つきは中年のおじちゃんに変化してたのだろうかと思うと、少し空恐ろしい感じもしないでもない。
45歳で亡くなった彼は本当に素敵で今みてもけして古くない音楽的センス…惜しいナ。
東京ではフレディ色一色とのニュース。
なんだか懐かしくてからCDを漠然とかけてみる。
クイーンに続けてピンク・フロイド、ユーライア・ヒープ、キング・クリムゾン、ディープ・パープルも聞きたくなる。
クイーンは独特の音色をもつシンプルなブリティッシュ・ハードロック・バンドあり、奇抜なグラムファッションも似合っていた。
外国では受け入れられにくかったクイーンの人気が初めにでたのは,日本。その頃は私はまだ義務教育を受けるお子ちゃま。私より10歳余上の団塊の世代以上の女性たちに爆発的人気があったらしい。
その頃の私はディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、二ール・ヤング、デビッド・ボウイなどをよく聞いていたな。かっこよすぎるクイーンを好きって言うのは私たちの学校では少しかっこ悪いって風潮があったんだ。ティ・レックスのマーク・ボランなんて口が裂けても好きって言えなかったも。
デビッド・ボウイは奇抜でかっこよく、貴公子ってあだ名にぴったりだったが、私にとっては別野世界を持ち合わせていた。彼の舞台は舞台そのものを演出し、まるで演劇のようなロックだった。昔、大阪のフェスティバル・ホールに来たことがあったんだけど、友人がボウイには興味がない人間ばかりだったので、一人では行けなかったしあきらめたんだ…
それにしてもあの頃も夢中だったファッショナブルで躍動的なロックって、一体なんだったんだろう…
未だに若者にも受け入れられているクイーンや他のロックはどのまで広がりを持っているのかは知らないが、今でも各グループの曲がCMなどで流れていると、少し嬉しくなってくる。
ただ近年のクイーンやユーライア・ヒープのように、メンバーが変わると『これは違うんじゃない!』と嘆きたくなるのは、年をとった証拠かもしれない。
マックのCMに出ている私の好きなラーメンズの片桐の頭が7・3にストレートになっているくらいに違和感を感じるかも…
『キラー・クィーン』、『オペラ座の夜』はフレディに歌われるとドキリとするな…特に『キラー・クィーン』はフレディがドラキュラーのイメージと重なって、素敵…
クイーンは『シア・ハート・アタック』の頃から、オペラ的な要素を導入して音の広がりを見せた。
多重録音で工夫して音を重厚にし、『オペラ座の夜』などを描くかと思うと、軽快な乗りのいいリズムの『ウィー・ウィル・ロック・ユー』『ウィー・アー・ザ・チャンピオン』多面性を持ったグループを展開。『フラッシュ・ゴードン』に続く。そしてフレディー・マーキュリーの死。
『ボヘミアン・ラプソディー』もいいし他にも好きな曲がいっぱいでことあるごとに聞いてしまうクイーンって、感覚ではなく曲作りをしっかりと作り上げていたから今も人々の心に残るんだろうな…
……ということで今も私たちの心にしっかりと焼き付いている素敵なフレディ・マーキュリーに、
「乾杯~~っ!」
『ロック・ユー』(映画)の感想です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/e7bfc659ffc81763af485c06494182ca
先月見つけたフレディ・マーキュリーのことを書かれたとても素敵なHPです ↓
ディスクトップのお気に入りに入れて、度々楽しませていただいています。
http://blog.goo.ne.jp/momonngamomo/e/6dab7ff70f434d315917143226ae22a7
(本当に素敵な楽しいページに工夫されています。)
Ludwig ルートヴィヒ 復元完全版
イタリア・西ドイツ・フランス
1980年 240分
満足度 ★★★★★
感動度 ★★★★☆
映像美 ★★★★★
音楽 ★★★★★
光と陰 ★★★★★
衣装や装飾品 ★★★★★
芸術的 ★★★★★
個人的総合評価 ★★★★★
監督 ルキノ・ビスコンティ
キャスト
ヘルムート・バーガー(ルートヴィヒ)
前半は几帳面で固苦しく、エリザベトに一途な二枚目。
後半からは気の毒なまでの痛々しさと孤独感、不眠状態を表現。
後半からヘルムート・バーガーという人の本来の上手さを右とに発揮
ロミー・シュナイダー(エリザベト)
女性から見て憧れるほどに美しい……
トレヴァー・ハワード(ワーグナー)
写真で知っているワーグナーそっくり
ロシアオペラ映画といい『ルートヴィヒ』といい、ヨーロッパではそっくりの役者を使うんだな。
以前『ルートヴィヒ 神々の黄昏』を劇場で観たことがある。
人々が次々と語りかける場面に懐かしさを感じた。
19世紀後半。孤独なルートヴィヒは自分と共通点の感じられるエリザベートを一途に愛す。実らない愛。
彼はワーグナーの音楽に現実逃避し、莫大な金をつぎ込む。周りの反対や反感は次第に大きくなっていく。
満たされない精神状態はやがて彼を一層の孤独感に追い込み、不眠に、そして怪奇な行動(当時のヨーロッパという背景での同性愛)へと追いいらせる。
彼の満たされない思いは増すばかりで ワーグナーやシェクスピアを演じる役者にまで金をつぎ込む。
ついには議会にかけられ『パラノイア』といった病名のレッテルを貼られ、王という地位を追われるが最後まで自分の意思を持って散歩に出かけ、自害する。
実際の城内を使っての撮影は1940~1950年頃のロシアのオペラ映画でもなされた方法。
しかし本当にルートヴィヒが築城したとされる実在の城(『ノイシュバンシュタイン城』)を使っての撮影いう点でもルキノ・ビスコンティ監督の心意気といったものを感じてしまう。
絶えず美しいワーグナーの曲が流れる中、時にはピサロ、時には宗教画、そして時には写実主義的で重厚な油絵のような場面の連続には目を見開いて見入ってしまう。
全体を通して品よく仕上がり4時間が短く感じられる秀作の一つ。
ラストのルートヴィヒが自害して見つけられ、彼の顔と上半身がクローズアップした時に初めてオレンジ色で彼を覆い包み、写実的映像(古典主義的映像)から幻想的な映像(印象派絵画的映像)に変化する。
ほとり孤独感にさいなまされ満たされず傷ついていた彼の思いは『死』によってそれらの諸々の感情から開放されたのだろう……
本当に悲しい切ない話だこと……
椿山課長の7日間
満足度 ★★☆☆☆
感動度 ★★★☆☆
話の展開 ★★★☆☆
2006年 日本
原作 浅田次郎「椿山課長の7日間」
監督 河野圭太
キャスト
西田敏行
伊東美咲
西田敏行さんの仕草を真似られていたので、いつもの美しさが少しマイナス。
西田敏行さんの口調を女の姿を借りてといった設定であったため、いつものよさが出ていなかった。
服と髪型と彼女の顔立ちは好きだな!
成宮寛貴
結構演技的にもよく、彼の存在はぴりりと光輝いていた。
余
ゆとりのある品のある演技に満足。彼女無しではこの映画はありえない。
藤村俊二
喫茶店のマスター役で出番は少ない。しかし伊藤美咲が「ウインナーコーヒー」といった時点で椿山課長の存在に少し気づいたその余韻のもっていき方が上手かった。
小金字
淡々とした心優しい役柄が今回彼の演じ方にぴったりしていた。
志田未来(子役)
かわいくて上手い子だな。
和久井映見
他
招待券を二枚頂いていたので一枚追加して家族三人で『椿山課長の7日間』をみた。
梅田ピカデリーにて五時五十分、予定通りに予告。
予告終了予定は6時分である。
ところが…
予告の途中から音声が出ない。
たまたま『武士の一分』の予告からの為、劇場内のみんなは、主人公が目が不自由なことを強調の為の演出だとばかり思っていた。
予告を追えいざ本編に入っても音声はない。
会場はあちらこちらからざわめき、ついには席の通路側の親切な方が係員に知らせに行ってくださった。
「皆様には大変ご迷惑を…」とどこかで聞きなれたような乾いた説明。
数分ほどで映像は再開。
ところが…
またもや音声が出ないで映像だけが駆け足で場面を追い払う。
怒り出す人、あきれ返る人、笑い転げる人。
起こって振り返る人、文句を言う人、トイレに行く人…
反応はさまざまではあったが、結構始まる前からしらけてしまったのは確かだ。
人々の反応は時間がたちにつれ、怒りをあらわにする人と笑い転げる人に二分化しつつあった。
四度目の正直で音声は正常にスピーカーを通ってくれた。
気を取り直すために映像が始まるや否や、拍手が巻き起こる。
拍手は会場に連鎖した。
映画そのものは予想通りにまるで『釣り場か日誌』のようなのりで楽しく笑いを加えながら進む。
ただ脚本に少し無理があったせいか、伊藤美咲の美しさはかき消されていた。
また説明部分がくどく感じるのは監督或いは演出家のせいなのだろうか。
原作は浅田次郎。
私はこの大衆小説家の作品を読んだことがない。正確に言うと読みかけたり手にしたことは何度かある。しかし実際には読むことができないといった分類に属する作家の一人だと気づくまでに時間はかからなかった。
ただこの『椿山課長の7日間』においては映画化するよりも原作の方が一般的には楽しめるのではないだろうかと思う箇所が何度も出てくる。
先ほども書きかけたが、胃が突起を荒立てるくらいにくどい箇所が多い。
その際たるものがラストのこれからあの世に戻ろうとするシーン。
現世を去ろうとする女の形を借りた椿山課長。心でつながっていたデパート野婦人服売り場の椿山を思い慕う女との別れの場面では、二人の合言葉の愛してるといった言葉を置き換えたゼスチャーだけでよかったのだが、伊藤美咲の顔を西田敏行に置き換えることによって、会場全体に笑いが巻き起こる。
まるでカブキのしっとりとした山場の広がりのある場面で、突然カブキ役者が下駄を踏み外して蹴散らかし、花道付近の客の頭にこつんをあたり、大爆笑が起こったぐらいにバツが悪い。
芝居や映画が台無しである。
あそこまで説明しなくても、『鼻の仕草』だけで充分であった。
ラストだけではなく一事が万事 くどい説明の連続で、どこまで観客を小ばかにするのかなと興味を持ってみていた。
ハンカチを取り出して周りに聞こえるほどにおいおいと大無きして涙を拭う方たちもいらっしゃれば、同じラストの場面で声をたてて大笑いする方もいらっしゃる。これぞこの作品の真の狙いだと痛感する。多様性のとんだ万人に楽しめる作品作りに終始一貫されている監督或いは作品にたずさわる人々に拍手を送りたいと思います。
独断と偏見による私的感想をお許しください。
ヨシダタマオさんとヨシダミノスケさんの記帳の近くには各界の有名人や俳優さんたちの名前が並んでおりましたが、中でも目を引いたのがサカタトウジュウロウさん(当初ナカムラガンジロウさん)の記帳。平成六年の節分祭にみえたようです。
最近よくトクベイ役をトウジュウロウさんとともになさってるご子息のカンジャクさん(当時ナカムラトモタロウ)の名前も横にありました。ちなみに現在のセンジャクさんの名前もありました。また先代の故ガンジロウさんの名前も張り出しの中にはにはありませんでした。
『ソネザキシンジュウ』はカブキでも演じられていますが小芝居でもよく演じられる演目の一つです。題名は『ソネザキシンジュウ』であったり独自の題名をつけてオリジナル作品として演じているゲキダンさえあります。
『ソネザキシンジュウ』に限らずシンジュウ物はいつの時代も人気が高く、『フウインキリ』なども独自の題(例えば 『ソレハコイ』 等)と勝手につけ変えて劇団のオリジナル作品として演じている小芝居劇団もあります。しかし内容は『フウインキリ』に他ならず、面白ければいいか…と少々苦笑いするといった具合です。
『ソネザキシンジュウ』や心中物の人気を考えると、お初天神は芝居にたずさわる方たちは一度は参拝に見てる方々も多いのかもしれませんね。
2006’11’22
お初天神の記録です ↓ http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8233036f61e0f7e0dfc557bba4871358
近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた心中ものの『ソネザキシンジュウ』というだけあって、ブンラク関係者のご参拝も多いのでしょう。先日お亡くなりになったヨシダタマオさんの直筆記帳も張り出してありました。
ヨシダタマオさんの横にはブンラクで有名なヨシダミノスケさんの記帳もあり、さすがにお初天神だなぁと実感いたしました。
2006’11’22
お初天神の記録です ↓
http://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/8233036f61e0f7e0dfc557bba4871358
露天神社 つゆてんじんじゃ (お初天神)
曽根崎心中でおなじみの『お初天神』に行ってきました。
ここは梅田から徒歩十分。
神社のすぐ横にはビルがそびえ建ち、近くにはゲームセンターや飲食店などの活気のある商店街。
このお初天神だけが静かに奥ゆかしくひっそりと息を潜めた感があり、ちょうど昼頃という事もあって、近くの人々や会社員がベンチでくつろいでおられます。
ビルと商店街を結ぶこのお初天神は通り抜け可能のため、会社員の方たちが昼を急ぐ姿も多く見かけました。
それほど大きくはないこの神社は昔は森の中にあったらしい、と家族が教えてくれました。
お初が勤めていた新町?はここからそれほど遠く無く、1キロ以内のところで心中すた二人の思いはまた『ウメガワチュウベイ』の二人とは違ったものだと察します……
とはいえ『ソネザキシンジュウ』の場合はチカマツモンザエモンの創作ですね……
ブンラクに限らずカブキでも度々演じられるこの『ソネザキシンジュウ』も演じられた当初、爆発的な人気の演目となったそうです。
ヨーロッパでは考えられないようなこの演目の筋書は当時は最たる悲劇のメロドラマとして、人々の心をとらえたのでしょう……
チカマツモンザエモンの作品は芝居或いは原作で読んでもワクワクし、今でも通用する奇抜な展開性が高く、とても楽しめます。
昨今のドラマを見ていてもチカマツを参考にしているものも多く、なんだかこそばがゆくなってしまうことも度々です。
『ソネザキシンジュウ』の好きな場面はわたしの場合はお初のつとめる遊郭でのこと。お初がキセルで
コンッ!
とたたく瞬間。縁側の下にはトクベイ。
思わずお初を演じている役者さんの屋号を心の中でかけてしまいます。いわゆる大向こうというものです。
ここをみたいがためにこの芝居も回を重ねてみてしまうってふしがあります。
このお初も現在ではサカタトウジュウロウさんもなんども演じられています。
この神社の中で私はサカタトウジュウロウさんの名前を二つ見つけました。一つはお初とトクベイの姿を刻まれた写真の石の近くの水しゃく道具一式の寄贈者としての名前。また後一つは平成六年の参拝者として直筆で署名されていたものが境内にはってありました。いずれも名前は『ナカムラガンジロウ』時代のものです。
私たちにとってはなんだか想像の域が広く、楽しめる空間でした。
2006’11’22
記録のみ
初版 グリム童話 3 (全4巻)
1997年8月25日印刷
1997年9月 5日発行
訳者 吉原素子
吉原高志
株式会社 白水社
180ページ 1600円+税
昨日は二冊の本を読んで パンを焼いて 買い物に行って あとは掃除と洗濯と整理……
そんなぐたぐたとした一日を過ごしていた。
もみじ日和だったのに残念なことをしたかな……