『ピロスマニ』『三銃士』
『ピロスマニ』
監督・脚本:ゲオルギー・シェンゲラーヤ
脚本:エルロム・アフヴレジアニ
出演:アフタンジル・ワラジ アッラ・ミンチン ニーノ・セトゥリーゼ ボリス・ツィプリヤ
1969年
85分
モノクロ
グルジヤの独学の天才画家ニコ・ピロスマニの数奇な生涯を描く伝記映画。 二十世紀初頭のグルジヤ。ピロスマニは長年奉公した地主の家を後に、トビリシの町へ旅立つ。転々と職を変え、流狼の日が流れていき、再びトビシリに舞い戻った彼は、友人ドミトリーと共に店を開くがピロスマニは商人には向かなかった。彼は昼間から乾し草を広げて横になり、客をながめたりしていた。まもなく、ドミトリーと仲違いをしたピロスマニに、店の品物を貧しい人々に分け与えて、店を閉じてしまう。再び流浪の生活が始まる。
ニコ・ピロスマニ Wikipediaより ▼
ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili, グルジア語 ნიკო ფიროსმანაშვილი、1862年 - 1918年4月9日)は19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグルジアの画家。彼はグルジア東部のMirzaani(ミルザーニ)の村で生まれた。後にトビリシに出て、グルジア鉄道で働いたり自分の商店を持ったりしたが、体が弱いうえに人付き合いがうまく行かなかったため長続きしなかった。その後、独学で習得した絵を描くことに専念するようになった。
彼はプリミティヴィズム(原始主義)あるいは素朴派(ナイーブ・アート)の画家に分類されており、彼の絵の多くは荒野にたたずむ動物たちや食卓を囲むグルジアの人々を描いたものである。彼はグルジアを流浪しながら絵を描いてその日暮らしを続けた。一旦はロシア美術界から注目され名が知られるようになったが、そのプリミティヴな画風ゆえに新聞などから幼稚な絵だという非難を浴びてしまった。
失意の彼は1918年、貧困のうちに死去したが、死後グルジアでは国民的画家として愛されるようになったほか、ロシアをはじめとした各国でも有名である。ソ連では1971年と1986年にその生涯が映画化されている。
百万本のバラ Wikipediaより ▼
1894年、彼の町を訪れたフランス人女優マルガリータとのロマンチックな出会った。彼女を深く愛したピロスマニは、その愛を示すために彼女の泊まるホテルの前の広場を花で埋め尽くしたという。この伝説はアンドレイ・ヴォズネセンスキーの詩によって有名になり、歌となってヒットした。その後、放浪の旅にでたピロスマニは15年後に「女優マルガリータ」を描いた。
加藤登紀子の「百万本のバラ」に歌われる貧しい絵描きは、彼をモデルとしたものと言われる。また、元Bluem of Youthの松ヶ下宏之は彼とマルガリータの関係を直接のモチーフとした曲「黒い瞳」を歌っている。松ヶ下宏之がサウンドプロデュースしている美月も同曲の別バージョンを歌っている。松ヶ下バージョンがピロスマニの視点を取っているのに対し、美月バージョンはマルガリータの視点を取っている。なお、松ヶ下バージョンはCD化されているが、美月バージョンは今のところライブでしか聴くことはできない。
芝居にしても映画にしても筋書きを改めてかくのは面倒だ。
かといって、こんなに感動した作品を自分の拙い言葉に置き換えて書くのもおこがましい。
最近は題名だけの記録が多いのはそういった理由が多い。
などと書くのは言い訳に過ぎない。
興味があることが多すぎて、時間が足りないのが、大きな理由。
『三銃士』
監督:ジョージ・シドニー
原案:アレクサンドル・デュマ
脚本:ロバート・アードリー
出演:ジーン・ケリー ラナ・ターナー ジューン・アリソン ヴァン・ヘフリン フランク・モーガン
1948年(全2話)
126分
カラー
フランスの文豪アレクサンドル・デュマの心わきたてられる小説を映画化 「みんなで行けばチャンスは高くなる 友人のために死ぬ!これ以上の事があろうか 一人はみんなのために、みんなは一人のために!!」 策謀渦巻くフランス王室を舞台に、勇士・ダルタニアンと三銃士の活躍を描く。
前回記録した映画三昧の『トリック』7★、『がんばっていきまっしょい』6★、『ブタがいた教室』0★、『わたし出すわ』7★
『ブタがいた教室』の根本的認識の低さには驚いたが、今回見た二本、『ピロスマニ』『三銃士』は素晴らしかった。