<iframe marginwidth="0" marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=officedanke-22&o=9&p=8&l=as1&asins=B000AC2V5K&fc1=000000&IS2=1&lt1=_blank&lc1=0000ff&bc1=000000&bg1=ffffff&f=ifr" frameborder="0" scrolling="no" style="WIDTH: 120px; HEIGHT: 240px"> </iframe> | 劇場公開されたときは、重い映画であるのが、たやすく想像されて、足を向けられなかった。「ミュンヘン」は、映画館で見たんだけどね。 DVDをレンタルで借りてきて、ようやく家で見た。 ダイナミックにテロリストが翻弄される運命を描くスピルバーグの映画と違い、こちらは、ひたすら暗く、やるせないため息が出る。 何せ、ほとんど全編、総統官邸の地下要塞でのヒットラーと側近たちのやりとりなので、重苦しい。 私が、ドイツに居た時、ドイツ人が、素直にヒトの意見に同調せず、ああ言えばこう言うと、すぐ反論してくるのに、辟易して、「どうしてヒトの意見の反対ばっかり言うのよ?」と、友達に言ったところ、彼女は、こう言った。「それはね。教育に関係していると思う。ドイツでは、誰かの意見を鵜呑みにすることを、最も懐疑的になるの。それはね、ヒットラーというモンスターに、妄信的に従い、信奉してしまった反省から来ているのよ」 |
独裁者の末路は、誰が見ても、狂気の沙汰。
独裁者に心底信奉していている者にとっては、独裁者は、圧倒的なあおぎみる存在であってほしい。しかし、ありもしない援軍が来てくれることを期待し、裏切り者をののしるヒットラーを前に、誰もに、絶望感が、こみあげる。
ヒットラーよりも、崩れ行く独裁者をとりまく人々のありかたのほうが、見ものだった。
盲目的に追従するもの中には、自殺を選ぶものもいる。ゲッペルス婦人のように、確信を持って、子供を、道連れにするものもいる。彼女が、子供に睡眠薬を飲ませ、毒薬を含ませる冷静さは、震撼させられる。
多くの側近は、間違った方向に進みゆくことを感じながら、退くことが許されない状況にはまりこんでいく。その苦渋の表情にこそ、リアリティがあり、だからこそ、自分の考えや判断をもつことの重要性を、訴えかけてくるし、私たちは、そこを読み取らねばならないと思う。
地下で、彼らのドラマが展開する間にも、多くの市民が、爆撃に合い、あっけなく命を落とす場面が挿入されて、戦争という不条理を、これでもかと見せ付ける。
ヒトラーが秘書たちに見せた紳士的とも言える人間性を、映画に、盛り込んだことで、当のドイツでは、最も批判が出たというが、これは、ヒトラーを正当化するものではないと思う。むしろ、悪魔のように思われた人間の中にも矛盾があり、そのことこそが、人間なのだということを、私は、重く受け止める。
ヒトラー ~最後の12日間~のオフィシャルブログでは、この映画について、さまざまな意見が飛び交っている。異論反論、大歓迎という姿勢を尊重することが、最も大切なことなのだ。