そこで父は、空港で兄に電話しようとしたが、公衆電話でまた、てこずったらしい。そのころの電話は、交換手に電話番号を言ってつないでもらうシステムだったらしいのだが、なんとか必死に電話番号を伝えて、交換手が「OK,なんちゃらかんちゃら」と言うのだが、そこのところの英語がわからない。それで、すぐ電話を切られてしまうので困り果てたそうだ。交換手が代わればと時間をおいて何度もかけたりして、2時間くらいは、公衆電話にかじりついていたという。あとでわかったことなのだが、父の兄の家は、市外だったので、最初の5セントのあと、追加して5セントを入れてくださいと交換手は、言っていたらしいのだが、こういうちょっとしたことがわからないのが外国というものなのだ。当時のこと、そんな細かいことを教えてくれるガイドブックなどなかった。
それで父は、仕方がないので、タクシーで直接行ってみることにしたらしい。ところが兄の家の門は、堅く閉まっていたそうだ。父の兄は兄で、空港へ迎えに向かっていて、入れ違いになったらしい。いつ帰ってくるかわからないのに、門の前に立っているのもと途方にくれかけたとき、兄一家が家族ぐるみで付き合っていた日本人家族Aのことを思い出したそうだ。幸いその人の住所を控えていたので、待ってくれていたタクシーの運転手にその住所を見せて連れて行ってもらったそうだ。とにかく見も知らない異国で、前へ前へと事態を進めていく父の勇気には脱帽する。
幸い、Aさんは家にいてくれたそうだ。父は、日本語が通じる人に会えて、心から安心したそうだ。Aさんは「とにかくここにいたほうがいい。動くとよけいにややこしくなるから」と父を家に招きいれてくれたらしい。Aさんが、帰宅した父の兄とようやく連絡をつけてくれて、父の兄は、Aさん宅に飛んできてくれた。そして、ようやく兄弟の再会が果たされたのだそうだ。
それは、父が、日本を発って丸2日は、経っていたそうだ。父は、「聞くも涙、語るも涙のモノガタリ」と言ったが、昔の人らしく、自分の恥と思うからと、この話は今まで誰かに話したことはなかったという。
娘の私が、父の話を聞くことができて嬉しかった。
40年前以上前の海外出張。スキもキライもない仕事で行く海外。多くの日本人ビジネスマンは、不安と緊張を背広に包んで、異国に出会ったのだった。
それで父は、仕方がないので、タクシーで直接行ってみることにしたらしい。ところが兄の家の門は、堅く閉まっていたそうだ。父の兄は兄で、空港へ迎えに向かっていて、入れ違いになったらしい。いつ帰ってくるかわからないのに、門の前に立っているのもと途方にくれかけたとき、兄一家が家族ぐるみで付き合っていた日本人家族Aのことを思い出したそうだ。幸いその人の住所を控えていたので、待ってくれていたタクシーの運転手にその住所を見せて連れて行ってもらったそうだ。とにかく見も知らない異国で、前へ前へと事態を進めていく父の勇気には脱帽する。
幸い、Aさんは家にいてくれたそうだ。父は、日本語が通じる人に会えて、心から安心したそうだ。Aさんは「とにかくここにいたほうがいい。動くとよけいにややこしくなるから」と父を家に招きいれてくれたらしい。Aさんが、帰宅した父の兄とようやく連絡をつけてくれて、父の兄は、Aさん宅に飛んできてくれた。そして、ようやく兄弟の再会が果たされたのだそうだ。
それは、父が、日本を発って丸2日は、経っていたそうだ。父は、「聞くも涙、語るも涙のモノガタリ」と言ったが、昔の人らしく、自分の恥と思うからと、この話は今まで誰かに話したことはなかったという。
娘の私が、父の話を聞くことができて嬉しかった。
40年前以上前の海外出張。スキもキライもない仕事で行く海外。多くの日本人ビジネスマンは、不安と緊張を背広に包んで、異国に出会ったのだった。
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