昨日から父が残した日記を読んでいる。
与論カボチャの記録を調べるのが目的だったのであるが、
結婚する2年前後(1949~1954)の記録が紐で閉じられた紙に書かれている。
父には秘密にしていたが、
この日記を手に入れたのは中学生の頃だったように思う。
茅葺の屋根からトタンに家を作り変えるために昔の書類などを整理した。
祖父は区長をしていたというので
床の間の隣に書類棚があった。
そこにあったかどうかは知らないが
雑誌(リーダーズダイジェスト)とかといっしょに
出てきたと思う。
黒砂糖を炊かなくなったので
そこも倉庫になって、稲藁などがいぱいあるなかで
かくれんぼなどして遊んだ。
隠れている間に大人の裸の写真が載ってる雑誌をみたことが
とても印象に残っている。
家の光などの雑誌がいっぱいいあった。
小学校の頃は小学館を買ってもらっていた。
付録がついていて
すごろくなどをした想い出がよみがえる。
中学校にはいってからは
中学生コース」を買ってもらった。
体育や音楽、技術家庭の点数がとれたのは
中学生コースの問題集のお蔭様だった。
ほとんど似たような問題が出題された。
担任が専門でなかったので
問題を作る先生が参考にしていたのかもしれない。
美術は中学校の三年間を5の成績で通した。
体育も実は5だったのだ。
同級生は信じないかもしれない。
かけっこも早くないし、
美術作品で選ばれたことがない。
三科目では
国語が一番悪かった。
質問の意味がわからないのでへんな回答をしていたと思う。
理科と地理は好きだった。
英語はしょうがないので丸暗記した。
母からは学校の先生になりなさいと
期待をかけられたが
学校の先生にはなりたくなかった。
また
なりたくてもなれなかっただろう。
船乗りにあこがれていた。
結局のところは挫折して
造園学科の道を選んだのが良かったとおもう。
今
エクステリアとインテリアを趣味にして
日々是好日の暮らしが出来るのも
父が母に私の生命を宿らせてくれたから。
私が日記を中学生のころから書き出したのは
父のこの日記のおかげである。