田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

ヨロン島エコツアーガイド連絡協議会の立ち上げ

2017-04-19 03:56:32 | 日記

  奄美群島が足並みをそろえるために連絡協議会を発足させる必要があったようだ。
  要綱の説明の後
  役員が事務局案のとおり決まった。

  会員は登録制で28名の申し込みがあったようで、
  業種の区分がはっきりしないので、
  役員の選出でちょっとした意見や提案があったのは当然のことだろう。

  自己紹介がてらに、
  実践者としての希望なども申し上げた。

  後の懇親会は結構盛り上がって、
  観光課長や事務局職員との交流が上手くいった。
  観光協会の自立に向けての活動が始まったといえそうだ。



  エコツアーガイド業を始めてから10年経った。
  お金をもらってガイドを始めた第一号が私だったの思う。

  昨日はサンケイツアーズのガイドを雨の中、無事に務めた。
  お客さんに喜んでもらえたことがガイドの喜び。




  娘を連れてまた来ますので
  個人ガイドをお願いしますと言われた方、
  その他の方々と握手を交わして別れる・・・。

  このホテルのお客さんがほとんどであるが、
  直接ここを通すと手数料がピンハネされるのが面白くないので
  半年前から断ることにした。
  ここの専属ガイドと思われたくない、
  ちょっとうぬぼれすぎた。
    ガイド従業員の養成をすべきである。




   これからは観光協会との連携を図っていこう。

  なんでもありを試してきたが
  今後は後輩の育成に移行しよう。
  やりたいことが多すぎて時間が足りなくなった。

サンケイツアーズの道案内

2017-04-18 04:33:14 | 日記

 道案内で歩き疲れて帰ったのが6時前。
 朝の8時半スタートで、
 20キロコースを完歩した。





 しかし
 いい疲れだった。
 
 
 スタートから一時間ぐらいは、
 添乗員さんが列の乱れを気にしすぎるので、
 調子が出なかったが、
 話しかけてくる客の質問に答えている間に
 打ち解けてきた。

 入れ代わり立ち代わりで話しかけてくれたので、
 これも良かった。



 昼食の場所民俗村に時間通りに到達できたのが良かった。
 雨にも降られずに済んだ。

 今朝の雨がどうなるだろう。



 7時半スタート、10時半ホテル着の予定で先導する。

 また来てくれそうなお客さんと話しができるが嬉しい。
 おもてなしが
 押し付けにならないように気をつけたい。

 

   先日、チンドン屋を伴ってパレードした
   同窓会の様子を見物に行った。
 


三年日記帳「旅」

2017-04-17 03:31:49 | 日記

 新年の言葉


   用意のふかいところに誤りなく
   志望のあるところにいつか実現の機会が生まれてくる <上原>


 新しい日記に向かうと、何を書こうかと迷ってしまう。
 いつもとは違った事を書かなければならない気がして、
 無い知恵を絞ってみる・・・。







 この日記帳を手にしたのは、ふとした思い付きからで、
 これまでのように随筆形式で続けようと思い、
 コクヨのノートを捜したが見つからず、 
 きまぐれを起こして日記風につづってみたくなった。

 「旅」三年日記は高校時代のそれと同じ形式のもので、
 懐かしさも伴って、また田舎暮らしになったら、
 長い文章を書く暇もなかろうなどと考えると、
 毎晩寝る前に、一日に会った事、読んだ本、手にした感動の言葉、
 目にした美しい花、心打つ言葉、などなど、
 簡単に箇条書のようで、コンデンスされた文字で書いていこうと思う。

 これまでのように、書きたい欲求がわいたときは、
 「随筆」と名をつけてあらためたノートに
 思いを写すことにする。

 学生から社会人へ、「旅」立つ年である。

  There is a way , where there is a will !





 


  昭和52年1月1日土曜(晴) 

  さわやかな朝、9時半起床、パンとコーヒーで朝食。
 シーツ下着洗濯、76軽音楽のハイライトをききながら・・・。

 昨晩、晶子源氏「桐壺」、歌があまり意味がわからず困っている。
 「凱旋門」 イングリット・バーグマン 益々魅かれる。
 「カサブランカ」には及ばないが名作でもある。
 バーグマンのプロフィールを手に入れたい。
 今度、神田に行ったときあたってみる。
 N響「合唱つき」 音楽の最高峰だ。
 トライアングルの音が印象的
 もう昼過ぎ、軽音楽のことが頭にある。
 シャンソン、カンツオーネ、サルサ、フォルクローレ・・・、
 今年も音楽中心か・・・? (PM 1:30)          


 


  昭和53年12月12日木曜

  いよいよこの日記張の書きおさめになった。
 3年日記を一年足らずで書き上げてしまった。          

清水の舞台から飛び降りた・・・。

2017-04-15 04:54:18 | 日記
 
  昭和49年の春から学生生活ができることになった。




  海老名にアパ-ト借りて弟と一緒に住むことになった。



  私は二浪して東京農大の造園学科に、
  弟は神奈川大学の法学部に通うことになって、
  二人の交通の便からして海老名を探してもらった。



  昔の駅から歩いて7分のところにアパートが立っていて、
  畑の中にあった。



  駅で電車を待っていると、
  丹沢山系か目に飛び込んできた。



  相模平野は春のレンゲソウ、秋のは稲穂が広がってのどかな田園風景だった。




  坂を上がって歩いていく通学路。


  休みの日の散歩は 清水寺だった。




  懐かしくて
  何度も訪ねている海老名の駅がずいぶん変わった。




  今回は  相模大野で10時の待ち合わせがあって、
  心ときめかせながら、
  親友の家を8時事に出て
  相武台下から海老名の駅で降りた。




  人身事故があって相模大野が不通になっているのを知っていたので、
  余裕を持って行動しようと思って、
  遠出をさけて、
  思い出の場所を散策することにした。




  桜の季節


  幼稚園などができて、
  寺の周辺はだいぶ変わってはいたけれど、
  何度か来ているので
  迷うことなく境内を目指した。

  時間が止まった。


  40年

  桜に会えた。


  夜桜を確認して
  ポストに 冊子を投函した。

  携帯の電話番号を間違えてしまった。

  ドジ。


   ダメな男です。

  おまけもありました。

  復旧した小田急線に乗って降りた待ち合わせ駅が
  手前の小田急相模原駅。

  時間になってもそれらしき方(黄色のバッグ)が見当たらない。

  余裕をもっていたので
  駅前などの写真を撮っていた。

  10分過ぎても来てくれないのであきらめかけていた。



  ふと
  駅の名前を確かめる気になって見てみると、
  なんとまー・・・、
  慌てて切符を買って、一駅のリ足して
  あわやのセーフ。

    言い訳は
  いらなくて済んだ。




   運が良ければ・・・、

   毎増えあ  例ディ。


   ヒギンズ教授は  アスコット競馬場・・・・。

与論島に帰ってきました。

2017-04-14 03:15:41 | 日記

 夢のような5泊六日の旅を楽しんできた。





 望めば夢は叶うと思ってやってきましたが

 ほんとに叶いました。




 仕事と出会い

 
 神様って  いらっしゃるのかなー・・・、


 感謝して





 頑張りを続けていきます。




 昨日船で沖縄から港に着いたら
 約束していた人に会って見送り、



 小金井からいらしていた大先生(91歳)と

 飛行機の見送り時間までの間を過ごせました。




 私の代わりに女房が島内案内をしてくれました。

 結果的にはそのほうがよかったようでした。



 夜の郷土研究会の定例会も
 いつものように閉会のあいさつで総会、
 機関誌の発行に向けての準備など
 会員相互の




 やる気を見いだせて いい年度のスタートを切りました。

 今日からいつもの生活におはいります。



 次の東京行は  秋ごろを目標に頑張ろう。
 
 
  ブログともにせっかく会えたのに
 舞い上がっていたのか
 約束していた駅を一駅間違えてしまった。

 そして用意していたお土産を渡すのも忘れてしまう・・・、

  ドジな  泡盛さんです。



 せっかっく会えたのに
 電話番号も 名前も住所も聞いてなかった。

 また会える  いいとも!