朝起きて、「どこかに行きたいな~」と思い、すぐに地図を広げた。
自称「乗り鉄」、行き先を考えた時、山が見えるところに、今まで乗ったことのない電車で行こうと決めた。
「じゃあ、”特急あずさ”しかない」とすぐに決定。
中央本線の特急電車「かいじ」には乗ったことがあるけれど、「あずさ」にはまだ乗ったことがなかった。
そして「特急あずさ」は1日に1本だけ千葉から松本までの直行便があることも知っていた。
でも、「あずさ」って全車指定席だったはず。
こんなに急に席が取れるのかな? と思いながら駅の券売機に急いだらラッキーなことに空いている席があった。
それで、ずっと昔に流行った「あずさ2号」ではなくて「あずさ3号」で松本まで直行となった。
さて、松本に着いてからどうしようと、電車の中で調べた。
やっぱり「松本城」と「旧開智学校」しかない!
ところが「旧開智学校」は耐震工事のため再来年まで休館中だと分かった。
それじゃ「松本城」だけでいいと決めた。
ずっと昔、一度だけ行ったことのある松本城、お城が黒かったことだけしか記憶になかった。
その記憶を呼び覚まそうと・・・
松本駅からは「タウンスニーカー」という周遊バスに乗った。
駅近辺は混雑していて、歩いたほうが速いような感じだったが10分ちょっとでお城の入り口に着いた。(歩いても20分ほどらしい)
現存する天守の中では日本最古の「国宝松本城」、烏城。
さすがに威厳があって、素晴らしい。
この天守の美しさは誰が見ても感服すると思う。
天守に入場する時は脱いだ靴を持って移動するようになっていた。
内部の階段はビックリするくらい狭くて急になっている。
それに加えて1段1段の高さが不揃いだったり、結構高い場所もあったりで、足下を見ながら、気をつけて登らなければならなかった。
現在では手すりは付けられているけれど、その昔、この階段を袴姿で登っていたとは信じられないほど。
外側からは5階建てのように見えていたが、内部は6階になっていて、最上階まで行くにははもちろん全部狭くて急な階段になっている。
その上、登りと下りは同じ階段を使うので、更に狭くなる。
(最高の勾配は61°あり、一番高い1段の高さは40㎝あるらしい)
内部の写真はどこでも自由に撮れたけれど、どういう訳か階段だけはダメだった。(盗撮防止なのかな)
全部の階段に見張り? のスタッフが付いていた。
各階すべてに見どころがあった。
天守1階の武者走り、石落、2階の武者窓、鉄砲蔵、3階の隠し階、4階の御座所や最も急な階段など。
そして展示物もたくさんあり、火縄銃や西洋銃などが多かった。
マニアならば喜んだかもしれない。
でも、たくさんあった展示物の中で唯一興味を持ったのが有名な「長篠の合戦屏風図」だった。
なぜかというと、数日前、TVのクイズ番組でこの屏風絵が問題として出ていた。
それでその屏風絵のことがまだ頭の中にあった。
その絵を目の前で見たものだから、嬉しくて興奮してしまい、隅々までじっと見てしまった。
歴史にはあまり詳しくないけれど、「長篠の合戦」は知っていた。
1575年、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の戦いで、鉄砲を有効に用いた織田・徳川連合軍が、武田軍を打ち破った戦いだということ。
その時、織田軍38000人に対して武田軍15000人だったということ。
合戦時の「武田の騎馬隊」・「馬防柵」・「鉄砲の三段撃ち」などという有名な言葉だけは知っていた。
「長篠の合戦」の屏風絵は江戸時代に何枚も描かれているらしく、あちこちに違ったものがあるらしい。
そのため、書き手によって主人公が違っていたりもしたようだ。
松本城にある屏風絵の原図は大阪城天守閣にあるということだったので、これはレプリカだということも分かった。
[最上階からの景色]
天守の出口には「おもてなし隊」が待っていてくれた。
その日によって誰に会えるかはお楽しみだということで、この日は足軽さんだけだった。
[内堀]
最初からお城だけの予定だったので、お城を見てからは駅まで戻り、帰路は長野に出て、新幹線で帰ってきた。
急に思い立って気の向くままの日帰り旅行だったけれど、結構楽しい1日だった。