木曽越峠の仙人日記

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大正時代のロマンを感じる

2019年02月07日 07時15分14秒 | 学問

2月7日

付知町の公民館「索道絵図」を拝観する

1,921年(大正10年)現在の中津川市坂下町から

下呂市三原地区を結んでいた索道、(距離40キロ)

飛騨索道運有会社が経営していた

大正10年に下呂市三原地区に発電所を作るため

鉄道の中央線が開通しており、坂下駅から

坂下町~峠を越えて田瀬地区~付知町~賽の神峠

加子母~舞台峠~下呂まで建設資材を運ぶ

(当時は高山線は開通していなかった)

五ケ町村に架線を張るのは困難を極めたそうです

索道架設工事は、大阪市の里見工業所が請け負う

ワイヤーを回転させるには50馬力の

モーターを三ケ所に取り付けていた

此の索道で5年間、発電所の資材を運んでいた

維持管理も大変だったそうです

当時これだけの工事が出来たのは

岐阜県経済界の重鎮(武藤嘉門)後の「岐阜県知事

衆議院議員」のツルの一声で反対を押し切って

完成したそうです

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