憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

彼女の魂が・・・1  愛生中事実

2022-09-10 14:08:52 | 彼女の魂が・・  憂生中事実

私自身に妙な能力があると、気がつきだしたのは、
知人の死を予感したことに始まった。

当初、予知していたことにさえ、気がつかず
今もその結果をみないと予知していたことに気がつかないという能力である。
その最初は、一種、自分の思いにとけこんでしまうもので、
自身、「縁起でもない」と否定してしまったり、「見納めだな」などという言葉には、「死」でなく、この人とは、もう逢うことがないのだろうという、縁のなさだと受け止めていた。

およそ、3ヵ月後に縁起でもない予感が現実になったが、まだ、そのときでさえ「見納めだ」と思ったことさえ思い出していなかった。

2度目も同じで、故郷の知人に会ったときに縁起でもない思いがわいたが、
それも、まさか・・と否定して、思ったことさえ忘れていた。
盆の帰省から数えて3ヵ月後。11月の旅行先で飛び降り自殺だったそうで、
周りの人間からみても、「何故?」というほど発作的なものだったらしい。

そして、3度目になって来たとき、もっと、はっきりと、思いにとけこんで自分が思うというものでなく、
私以外の誰かが脳の中にいて、そいつが私にテレパシーをおくるかのように
言葉(思い)がはいってきた。

休日でもあり、部屋でごろごろねそべり、ゲームなどしてみたり、TVをみてみたりしていたが、これといって何もする事がなくても、人間の体は活動しており、尿意をおぼえる。
トイレで用を足していた時だった。
「この冬をこせるかなあ」
私はあまりにもはっきりと何かの言葉をキャッチしたせいもあり、今までとは違うパターンだったせいもあり、酷く不安になった。
「今度、死ぬのは自分か?」
三度目の正直という言葉もあるから、なお、いっそう、その不安を払拭したかった。

きっと、私が向かった便器の方角に誰かいるんだ。
むろん、家の中には私しかいない。
一人暮らしなのだから、あたりまえである。

きっと、その方角の外に誰かが居て「なにか」がその人をみて
「この冬、こせるかなあ」と、思ったに違いない。
私ではない。それを確かめたかったのだと思う。

玄関に回って、外にでてみると、私のアパートの前の住人であるおじいさんが、むこうから歩んでくるのが見えた。

このおじいさんのことか?
それとも、別の人か?
私はその日私の家に訪れる人間を覚えておこうと思った。
ところが、夕方になってやってきたのが友人であった。
「この冬をこせるかなあ」というほど、よぼけてはいない。

過去、近所の人間や友人の思いをキャッチするという事例もあった。

このことから、
「この冬こせるかなあ」は、おじいさんの思いをキャッチしたのではないかと、考え付いた。
トイレで向いた方向には、アパートの住人の共同花壇があった。
おじいさんは、そこに植えてある樹木かなにかの成長をみて
「(この木は)この冬をこせるかなあ」と、思ったに違いない。
私はそう考えることにした。
私も、友人もおじいさんも死にはしない。
だが、それから、しばらくしておじいさんが入院した。
入院したが、「病院はいやだ」と点滴をはずして帰ってきてしまったそうで、
おばあさんは「それだけ元気なら、好きにしなさいと先生にいわれてた」と笑っていっていたが、おじいさんが再入院になったときに
「癌でもうどうしようもないから、おじいさんの好きにさせてあげてくださいといわれたんだ」と、私に事実を告げ、「なにかあったときは頼みます」と頭をさげた。
そして、忘れもしない。
2月の末、もう春になろうかというまえ、大雪がふった。
おじいさんが冷たくなって家に帰ってきたとき、ほかのアパート住民ふたり
おばあさんと私と遺体を送ってきた添乗員とで、おじいさんを家の中に運び入れた時はうららかな小春日和だった。
少なくとも、
予感した、「この冬越せるかなあ」のこの冬はあたっていなかった。
そう思っていた。
だが、2月末日。
こんな時期に大雪が降るなど普通はない。
「この冬、こせなかったんだ」
私は私にささやいたものが誰であるかわかろうはずもないが、
「なにものか」が、思った「こせるかなあ?」が、疑問形だったことが、
奇妙だと思ったのを今も覚えている。

2

それから、しばらくして私はアパートを引き払った。
気持ちの悪い事件がおきたせいではなく、
中古住宅を購入したからだった。

まだまだ、先のことではあるが、私はいずれ、母親をこちらによばなければと思っていた。

私の父親と私の母親はふたまわり、歳が離れていた夫婦だった。
父が亡くなったら、母は一人になる。
母の先のことを考えさせられる年齢差に私は出物である中古物件を思い切って買うことにした。

アパートを借りるのと、たいそう変わらない金額のローンですむことも購入を決定させた。

ここに移りすんで、まもなく私はデスクトップのパソコンを購入したのだが、
そのパソコンを目当てに祥子が家に出入りするようになった。
祥子は従兄弟の娘で、この場合、なんと言うのだろう。
姪とは呼ばないだろうが、ほぼ、姪といっていいかもしれない。
従兄弟の中でも年齢の高い従兄弟の娘であるせいもあって、
私と祥子は歳の離れた兄弟のようで、姪という感覚を感じなかった。

その祥子がパソコンではじめたのが、小説を書くということだった。
どうやら、これが目当てだったのだと判ると、私は、祥子の好きな時に
私が留守の時でもパソコンを使えるように家の鍵を渡して、出入り自由にさせておいた。

そうこうするうちに、祥子は私に書いた小説の批評をしてくれといいはじめ、
私は、そのとき、彼女の文才をはじめてしった。
当時、高校生だった祥子のかいたものは、とても、15,6の人間の書いたものとは思えない完成されたものだった。

ある日、祥子は私にまた、小説をよんでくれとせがんできた。
それは、祥子の先輩から文章におこしてくれとたのまれたSO2の二次創作作品だった。
そこそこにしあげてあり、10ページ以上はかかれていた。
ワードの1ページは40文字×22行に設定されていたと思う。
だが、もうすこし、練りこみ不足であり、
また、祥子はBLシーンがあるが、「書けない、キショィ」とそのあたりもかいていなかった。
それでは、当の本人の設定がどんなものであるか、見せてくれないかとたずねたところ、祥子がひっぱりだしてきたものは、B4用紙に乱暴に羅列された科白だけだった。
その科白も30会話ほどだったろうか。
私は驚いた。
原作があるものとはいえ、たったこれだけのものから1万文字近くの文章をおこしている。
状況設定をいえば、完璧なものだった。
ただ、心理がうすっぺらく、(好きです。はい、結ばれました。)と、作者(原案者)の願望を満足させるだけのものでしかなかった。
が、原案者の案を忠実に再現した点では、これもまた秀逸であった。
だが、ここまで文章を、いや、科白の羅列を読ませる文章にしあげている祥子はもとより、その作品を、自己満足を昇華させるだけの作品で終わらせず、
小説と呼べるだけの域に持ち込んでやりたくなった。
もっと、引き込ませる、読み手の気持ちを登場人物にならばせていくには、
読み手の疑問を作品の中で解決するしかない。
12歳の少年に19歳の少年が「好きです」だけで、特殊な関係を望むこと。
ここに迷いや悩みはないものだろうか?
この部分を登場人物に解決させてこそ、読む人間に疑問を持たせず、
作品に奥行きができるんじゃないのだろうか?

Hシーンなんかかけないよと困り果ててる祥子といまひとつ浅い設定の作品を見比べていれば、私のでてくる科白は決まってしまう。

「更正、加筆、手直しをしてやろうか」

そして、私は何年ぶりかで文書をかきはじめることになった。

祥子のもちこんだ作品の手直しをしながら、
私の頭のなかに続編が出来上がっていた。

立て続けにSO2を書き始め、未発表作品もふくめると、30作ちかく書いたと思う。
当時、祥子は同人活動なるものをやっており、ブースで作品を販売していた。
そこにSO2を委託して販売してもらったりしていたのだが、一方で、SO2のぬるい設定に不満を感じている自分が居た。
例えば、レオンが元々、いじけた理由。両親にかまわれない。というのが原因といういかにも子供じみた設定だったのであるが、私はどちらかというと、時代物が好きだった。
時代物の中の子供、特に武士の子供は幼い頃から死を覚悟して育てられる。
このことから引き比べても、精神的レベルが幼い設定をカバーしきれず、
どちらかというと、若年齢層むけに書くパターンになる。
一段低いレベルで物をかいていることに嫌気がさしてきた。

そこで、読者を自分に設定した。
自分が納得できる精神的レベルのものをかこう。
そこで、かきはじめたのが、白蛇抄だった。
むつかしい言い回しがでたとしても、このさいかまわない。
私が納得できるか、どうかが、問題だった。

そして、これもまた、驚くほどの勢いで作品をかいた。

文章を再びかきはじめて、半年ちかくで、50作品以上かくという量産状態だった。

そして、その頃に祥子とのリレー小説に着手した。
祥子は1章目の前半で頓挫してしまったが、これが、「ブロー・ザ・ウィンド」だった。

同時に沖田総司と土方歳三の物語にも着手していた。

祥子が持ち帰ったイベントで配られた同人ちらしをみていて、
その中の「土方・沖田が好きです」の一言に目がとまったの自分が土方・沖田を書いていたからだと思う。
その広告の一言に目が留まったコーナーは文通希望コーナーでもあり、住所や名前がでていたこともあり、私は思いきって、手紙をかいてみた。
ほどなく、返信がかえってきて、彼女が祥子と同じ高校生であることがわかったが、祥子の例もあるように、年齢だけでは、判断できないものがあると思い
文通をはじめた。

そこからが、はじまりだった。

4

手紙のやりとりをしはじめ、SO2シリーズを彼女によんでもらった。
高校生によませてよいものかどうか、悩む内容は含まれていたが、
彼女はすんなりとうけとめて、本屋にあったら買いますよ。とまあ、私をうれしがらせてくれたのであるが、
ボーマン・ボーマン・4がきっかけだったかもしれない。
この作品の設定も「亡くなった恋人(未満?)が現実に現れる」という点では、ブロー・ザ・ウィンドににていた。

彼女の中で「現れる」ということがひかかったのかもしれない。

彼女は次の手紙で
自分の手首がリストカットのせいで、力がはいらなくなり
好きな球技もあきらめたし、こんな手だったら、「みんな、引くよね」と
孤独な思いをさらけだしてきてくれた。
だが、リストカットとは?
いったい、何があったのだろう。
彼女はまだ、その原因からたちなおれていないのだろうか?
こんなことを思いながら手紙をよみすすめていくと、
彼女が自らリストカットを行ったわけで無い事がわかってきた。

夜中にトイレにいって、
侍とおじいさんの霊をみた。
この二人はたびたび、姿をあらわしていたものだった。
トイレに座ったまではおぼえているが、
あとは意識がなく、気がついたときはあたり一面血がしたたりおちていて、
どこから、もちだしたか、カッターナイフがころがりおちていた。

と、言うものだった。

手がうごかなくなるほどのリストカットであれば相当の深さまで
刃をいれたと思われる。
死のうと意識した人間でも通常ためらい傷があるし、
痛みをこらえて深く刃をいれるほど、死のうという覚悟があったわけでもない。
ましてや、そこまで覚悟していたのなら、カッターを持ってきた自分を自覚しているだろう。

意識を取り戻した時、「やりそこねた」とおもうか、「死にたくない」と思いなおすか。
であろう。

そして、この手紙がきっかけになったのか、彼女は自分の霊現象について
手紙をかいてくれた。

随分前のことなので、私も時間的記憶が曖昧になっている点があると思う。

その順序の狂いを是正するのは、思い出したということがないとむつかしいので、すこし、創作じみた部分が出てくると思う。

彼女が書き始めたのは、
まず、なにかがいろんなことをいっぺんにささやいてくる。
と、いうことだった。
神社にいけば特にわけのわからないものが耳元でささやき、うるさく、気味が悪い。

そして、おはらいをうけても、それらがちっとも改善しない。

通常の人間がこれを読んだら、彼女の妄想か、精神異常と思うかもしれない。
ところが、私も似たような経験があった。

最初に書いたことは、彼女のように聞こえるというものではないが、
多少、似ているところがある。
だが、それより以前、私も彼女のように、多くの霊がおしよせてくるその恐怖感に狂いそうになった事がある。
だが、彼女と違ったことは、私を助けてくれる人間がいたことだった。
恐怖感におびえ頭を抱え部屋の中で丸くうずくまった私の思いの中に
その人がある法をしくのが伝わってきた。
ー憂生が危ない。急いで準備しなさいー
周りの人間にある「法」をしく準備をさせると私の恐怖感が徐々に薄らぎ
のちに、その「法」である護具を授けられることに成った。

結局のところは「自分が弱い」から、自分で生み出した恐怖心にまけてしまったということと、
自分の思いが汚れているから、汚れたものが寄って来る。
という考えがなりたつのであるが、
いまは、その護具も封印している。
そうでないと、自分の汚れ具合がわからない。
ともいえるし、封印しても、今のところ狂わずにすんでいる。


話がぞれてしまったが、当時の私は、自分でわかることならば、
彼女を救い出したいと思っていた。

また、別の時、私は彼女に歴史や民話や伝承について、たずねた。
その頃、白蛇抄、悪童丸ほか、数編が仕上がっていたと思う。

悪童丸は鬼であり、鬼の伝説は各地に散らばっている。
私はこれを夜盗であったか、流れ着いた外人の様子を鬼と言い表したとも思え、鬼の伝説のある土地の共通点をさがしてもいた。

だが、彼女の地方には、鬼の伝説はなかった。
たんに彼女がしらなかっただけかもしれない。
そのかわりにそのあたり一帯につたわる伝承をおしえてくれた。

藤原一族の興亡にかかわる話で、末裔がにげおち、村人が末裔をかくまった。
と、いうものであった。
末裔は己の目玉をくりぬき、お家再興の願をかけたか、敵将をのろったか、
そこは定かではないが、
盲目の末裔をあわれと思い、村人がかくまったのは無理がない痛々しいすがたであったことは想像がつく。
だが、村人もまた、敵将にみつかれば弁解の余地がない状況でもあったと思う。
村人にかくまわれ、なんとか、暮らしていける場所をえた末裔に
付き従う愛妾がいたそうであるが、この女が大変なことをしでかす。
末裔の目を元にもどしてやりたいと、これもまた神仏?に願をかけたのである。
だが、その願が
「千(百だったかもしれない)の目玉を奉納しますから、末裔に目をいれてやってください」と、いうものだった。
死人から目玉をくりぬいているうちは良かったかもしれない。
だが、そんなに死人が次々でてくるわけもない。
女は女、子供を襲い、目玉をくりぬき奉納しはじめた。
やがて、それが、末裔の愛妾の仕業と知れ渡ることになる。
が、末裔をかくまった弱みもあり、その女を殺せということが
村人にできなかったようである。
このあたりは、仏教思想の因果応報のような考えがあったのかもしれない。
そこで、末裔に女をすんなりとさしださせる大義名分が必要になってきたのかもしれない。
治水の為のいけにえにさしだしてくれないか。
という、名分がたち、末裔は女の行状をかばいきれないものと観念して、
女をさしだした。


という、なんとも、悲惨な伝承が残されているわけで、
彼女がみた侍や老人なども何らか、伝承に関係があるのかもしれない。と、思いつつも
土地の持つ「忌まわしい歴史」の凄惨に少なからず驚かされていた。

SO2を褒めてもらったことに気をよくしたというわけではないが、
私はブロー・ザ・ウィンドを送った。

SO2については、俗に言うしょたものも含み、性表現としては、問題を抱えていると判断していた。
当時、12歳の女の子を車に連れ込み、レイプするという事件があった。
女の子は走っている車から飛び降り、後続車に巻き込まれ死亡した。
そういう馬鹿な人間を駆り立て、煽る可能性がなきにしもあらずではないか?
と、思った。
祥子のブースに委託していたSO2を撤収し、ネットに掲載するのも考えていたが、それも、やめようと思っていた。

だが、彼女の反応に私の不安がとりはらわれたと言ってよい。

性表現のある物語を柔軟にうけとめ、作品として、評価してくれた彼女は、
逆に性表現のない物語、恋愛小説の王道ともいえるパターンの作品をどううけとめるだろうか?
同じ年齢の祥子はSO2については、「キショい」
ブロー・ザ・ウィンドについては、「恋愛物にする気だな?それは書けない」
だったわけで、なおさら、彼女がどういう風にうけとめるか興味があったのだと思う。

ブロー・ザ・ウィンドを送って、しばらくあと、手紙がきた。

その手紙の最初が
「号泣でした」だった。
彼女はレフィスさながら、幼馴染である恋人を亡くしていたのだ。
私が物語を渡したことは悲しみを穿り返してしまったのかもしれない。
彼女の不調がひどくなったように思えた。
いっそう、変なものがよってきて、ささやきかける。
生霊をくっつけて歩いてる人間がわかるといっていたのが、彼女だったか忘れてしまったが、良くない状況になっていたと思う。

彼女が亡くなった恋人を思う事が却って、「死」の世界の住人とコンタクトしてしまう結果になるのではないかとも思えた。

次の手紙には、彼女の悲しみが敷き詰められていた。

もう、痛みがなくなった手首の傷がひどく痛む。
あまりに痛み、夜中にめがさめたら、彼がベッドのうしろに
すわっていて、私がちかずいたら、手首をそっと手でおさえてくれた。
あんなに痛かった傷から、嘘のように痛みがひき
私はぐっすり眠る事が出来た。
今はもう痛くない。
私は、もう彼以外の人間を愛する事は無いだろう。

彼女の手首の傷は後遺症をのこしている。
手に力がはいらない状態を彼女は「みんな、引くよね」と心にも傷がある。
あまりにも特殊な事情があり、彼女はリストカットの本当の理由をはなしていないだろう。
おそらく、恋人のことも・・。

誰にも喋ることができず、喋れば、手首の状態でさえ引かれると思っている彼女なのだから、「怖い」とか「おかしいんじゃないか」という理解のない言葉に晒されることをなによりもおそれたのではないだろうか。

だからこそ、遠い場所の人間と文通をしたかった。
そういうことだったのではないだろうか。

彼女の状況がいろいろ見えてきたある日のことだった。



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