いつまでも、のんだくれていたって、しょうがねえ。そうは、おもうものの、つい、酒に手が出る。酒に手がでらりゃ、がんらい、気の小さい男だから、なおさら、からいばりでつっぱしってしまう。「つけがたまってんだよ」女将のいやな小言も今日は平気でききながせる。「なに、いってやがんでえ、ほらよ」懐からさっきかせいだばかりのばくち銭をとりだすと、女将になげわたす。「ふ~~ん」女将はしたり顔でうなづく。「なんだよ・ . . . 本文を読む
そして、次の日になれば、男は賭場のあがりを懐にのみに来る。ちょいと、いい目がでたものだから、たんまり懐が厚い。傍目のうろんの目が逆に男の心を逆なでする。けばだった心をなでおろすかのように、男は懐の銭をはたく。「ええ、たんまり、のませてやってくれよ。つけ払いだなんて、けちなことはいいやしない」つれてきたか、さそったか、たかられているのか、三人ばかりの風采の悪い男が男を取り囲む。「いやあ、ごちになりま . . . 本文を読む
こんなことがいつまでも続くはずがない。女将の思ったとおり、男の賽の目に狂いが生じ始めていた。今日はつけでたのむよと、殊勝な小声でたのむことが、ふえてきた。勝てば、いつもの与太者がついてくる。まけても、付けですますものだから、やはり与太者がついてくる。三度に一度の付け払いが五度に一度になりながらも「かったら、きれいにはらってるじゃねえか」が、男の言い分だったが、男一人でのんでるならまだしも、懐の銭を . . . 本文を読む
女将の覚悟は男の末路をおもうだけのものなら、簡単につけられたものかもしれない。どんな意地があるのかわからないが、自分の生き様が自分のままならずにどこで、おっちんでしまおうが、そりゃあ、自業自得、覚悟の上、男にゃあそれで本望かもしれない。だけど、修造の奴が、そのまま、ひきさがるわけがない。たとえ1文の銭だってかえせなきゃ、それで、大義名分ってものができる。借金をたてに、お里ちゃんをかたにとって、女郎 . . . 本文を読む
ちょいと、早すぎる刻限だとおもいながら、女将は白銀町まで足をのばした。どうせ、まゆつば。酔客の戯言をまにうけるなんざ、いかに商いなれしてないか、自分のおぼこさぶりをまんまみせつけられるだけになるだろうと思いはする。だけど、ひょっとして、ひょっとすると、本当に白銀町の大橋屋の隠居なるものかもしれない。ちょいと、眉のつばがかわかないうちに、ほんのちょっと、たしかめてみたって、かまわないじゃないかとも思 . . . 本文を読む
ここだねと大橋屋の前にたちどまってみたものの、思案六法、なんと言って入っていけばいいんだろう。ちょっと考えあぐねて、暖簾のすきまから中をのぞいてみたものだから、店の中の人間と目があってしまった。ばつの悪さを笑みでごまかしてちょいと頭をさげたのが、よけいいけなかったんだろう。店の中の目をあわせた男がのれんをわけて、女将の前によってきていた。こうなればしかたがない。「あのう・・」男は40がらみ。乾物屋 . . . 本文を読む
「事のおこりなんてのは、実にたあいのないもんでしかない。だけど、どういうんだろうねえ。性格が禍するというかなあ」丁稚が茶をもってくると、隠居は煙管に煙草をつめはじめた。たてとおしにしゃべってしまいたくないと隠居の指先が煙草をほぐしゆっくりと火打ちをはじめる。白煙をすっぱり吸うとまあ、あんたも一服と茶を促す。湯飲みの端に口をつけながら、隠居を伺うとわずか、ぼんやり遠くをみつめる目つきになる。それは、 . . . 本文を読む
女将が大橋屋からかえってきてから、その心境は複雑なものになっていた。確かに修造においつめられて、煮え湯をのまされれば、男の目がさめるだろう。だけど、その己の馬鹿さかげんにどんなにうちのめされるか。今の女将はその機会がめぐってくるほうがよいと考えている・・だろうか?できれば、そんなみじめな思いをくぐりぬけずに、賭場通いをやめてくれればよい。そんな風に考えていた女将だったが、その考え自体すでに甘い了見 . . . 本文を読む
「そりゃあ、確かに付けってものに、いちいち、証文をかいてもらうわけにはいきませんけどね。取立てをするには、順序ってのものがあって、まず、いくらのつけがございます、って、おしらせして、いついつまでにはらってくださいって、きちんと話をもっていく・・」女将の話ぶりが男を庇うとみてとると、修造の若い衆は、やおら、袖をまくってみせた。二の腕に、波模様の刺青があるというのは、背中に背負うは昇竜か昇り鯉というと . . . 本文を読む
女の平手打ちなど、たいしたものでもないのだろう。男はほほをさすりあげると、ひどく、悲しげな目つきで女将をみつめかえしていた。「俺は・・」なにかいいかけたが、男は黙った。「事情はきいたよ。文次郎親方がよかれと思ってしたことが、かえって仇になっちまったってね。でも、あたしは、あんたが、文次郎親方をどういうふうに誤解してるかを懇切丁寧にはなそうなんて、おもっちゃいないよ。ただね、あんたの生き方、あんたの . . . 本文を読む
お多福をあとにした男の足はまっすぐに文次郎親方の元へとむかい、寸刻のちに、文次郎親方の前で、ひざをつき、土間に頭をこすりつけんばかりの男をとめたのが他ならぬ文次郎親方だった。「よせやい・・謝らなきゃいけねえのは、俺のほうだ・・それは、なしにしてくれ」思い越せば子飼いの倣いから男と親方の付き合いは三十年をこす。すりつけた頭を上げて親方をみつめれば、親方の目の端が赤くうるんでみえる。「殿中ご用達の品は . . . 本文を読む
その白銀町の大橋屋の隠居は、こけつまろびつ、大急ぎで店をしめてやってきたお多福の女将からの委細事情をきいていた。「文次郎親方の所にわびにいくっていって、まあ、それが、順序だろうって・・順序って言えば、修造の若い衆にもそういって追い返す事ができたんですよ・・そりゃあ、ご隠居が金をだしてくれるって判っていたから、あたしも・・こう・・なにくそってね・・やおら、腕をまくられたときにゃあ、本当は足ががくがく . . . 本文を読む
玄関から頭をすりつけるかのように、かがみこんで、はいってきた文次郎と男は大橋屋の前で、さらに、べたりと頭を畳にすりつけんばかりである。男の胸中をおもんばかって、大橋屋・隠居は制した。「親方。私と親方の間でそれはない」文次郎をも、土下座まがいに頭をすりつけさすさまは、男の胸にも痛かろう。文次郎も隠居の心根を察っすると、男にちいさくめくばせをした。いっそう、男は小さくちじこもり、親方を見つめた瞳を畳の . . . 本文を読む
泣いてる男の機嫌取りをするわけじゃないが、本来の目的をはたしきってから泣いてくれと隠居は男をおいたてはじめた。「さあさあ、その金を修造のやつにたたきつけ・・・おっと、また、なんくせをつけられちゃあいけないから、まあ、そこはこらえて、しっかり、証文をかかせて、きっちりかえしましたって、ぐうの音もでないようにしときなさいよ。なにせ、あいつは、町方役人とつうじてるんだからね。三日といったのでも、どんな、 . . . 本文を読む
矢来の雨がふってきそうだと空をあおいで、懐の銭をぐっと押さえて確かめる。急ごうと走り出しながら、男の胸に大きな安堵がうかんでくる。これで、お里も安心だ。女将にいわれたように、男は死んでしまおうと思っていた。そうすりゃあ、なにもかも、かたがつく。その考えが甘いものだなんて思いもしないほど、なにもかもに嫌気がさしていた。逃げ出してしまえる理由がほしかったんだと思う。だが、親方への誤解が解けた今、男には . . . 本文を読む