その波陀羅の姿に気が付いたのは
政勝のいう社のある辺りに近づいて来た澄明と白銅であった。
気配を殺しながら先を歩いていた白銅が澄明を押し留めた。
澄明も白銅に引かれ押し黙ったまま
木の幹の裏に身を潜めて白銅が見つけた者を木陰より窺い見た。
「見かけぬ女鬼じゃな」
澄明が白銅の潜めた声に、頷くと二人はそのまま女鬼を見詰めていた。
やがてその女鬼はとぼとぼと森の奥に向かって歩き出して行った。
飛び退ろうとしなかったのも妙な事に思えたが、
それが女鬼にには行く当てが無いように思えた。
女鬼が立ち去ると、
二人は木陰をでて社の在ると言われた開けた土地の真中まで歩いて行った。
そこまで行ってもやはり社の痕跡一つなく、
勿論政勝の言うような道祖神の石彫りさえ無ければ、
辺りの空気もしんと静まり返っていて不穏な気配一つ感じ取られなかったのである。
白銅は女鬼が去った方に顔を向けながら
「やはり、何も無いの。が、先の女鬼はどこにいく気なのだろうかの?」
白銅が呟くが、その白銅が
「あれは、いったい、どうしてあの様になったものだろうの?どう、思う?」
と、澄明に問いかけた。
白銅が問いかけたのは無論先ほど見かけた女鬼の事である。
一穂に付き纏う影が発していたのと同じ禍禍しさが
女鬼の背を覆い尽していたのであるが、
何よりもその魂が、干からびる様にひちゃげながら腐臭を放つ
おどろおどろしい様を呈していたのである。
阿鼻叫喚の地獄絵図というものがあるとするのなら
まさにあの魂の様がそうである。
と、言明してもいいほど酷く、
魂と呼べる代物で無い物をその女鬼が身の内の宝珠にしているのである。
白銅が澄明を見遣れば、澄明はひどく青褪めていた。
「か、一穂様に付きまとう者の仕業なれば、一穂様も?」
と、澄明は己の恐れを口に出しかけながら、
その恐ろしい不安をそれ以上言葉にする事を憚った。
白銅も澄明の行き当たった不安を悟ると、はっとした顔を見せたが
「そうならぬようにせねばなるまい?
とにかくは、あの、影がなんであるか突き止めねばなるまい?」
と、とうに腹を括っている白銅は、
事態の容易ならぬ事を改めて知らされても別段驚きもせずに澄明の方を諭していた。ややすると
「ひのえ。あの女鬼の心を読めたか?」
と、尋ねてきた白銅に澄明はかぶりを振った。
何処ぞで、行を積んだのであろうか。
結界に似た反古界が、女鬼の廻りに取り巻いていた。
白銅がそれでも女鬼の心の内を読み透かそうとしたのであるが
白銅にも只、
女鬼が心の内は悲しみの深淵に立たされているとしか判らなかったのである。
それは、むしろ読み透かしたと言うよりも、
女鬼の心の中から零れ落ちる様に溢れてきていた物を拾ったら
それが悲しみであったというべきかもしれない。
「そうか」
澄明にも入りきれぬ心内を包んでいる反古界こそが
また黒き影と同質の禍禍しさであったのである。
「白銅。我等に見透かされては困る事を
あの女鬼が知っておるという事になるのではないか?」
「わしもそう思っておった」
「何者なのだろう?我等に災いとなすものか?」
「判らぬ」
「が、あの悲しみ。あれは己の運命を知っておるのではないか?」
「もし・・・そうならば」
「なんぞ、話してくるるかもしれぬ。が・・・」
黒き影の正体が見えぬ内は、
同じ匂いのする者に迂闊に近寄る事も得策に思えないのである。
「帰ろう・・・白銅」
ひどく、覚束無い足取りで澄明は歩き出した。
その横顔を見詰めていた白銅は澄明が思い至っている事に気が付いていた。
それはこの地で千年の長きを生きおおした白峰大神なら
何かを知っているやもしれぬという思いであった。
だが、澄明にとって忌まわしき因縁をやっと絶ちきった相手でもある。
そうでなくとも、白銅の事を考えると逢える相手ではない。
曳き詰まった顔で歩く澄明の心の内を見透かすと
白銅は脚を止めて、澄明を引寄せた。
「ひのえ。わしに構わぬで良い。災いは一穂様ばかりではない。
政勝、そしてかのと殿にまで及ぶかもしれぬのだ。
お前にとっても辛い事やもしれぬが、おうてみろ」
「は・・くどう」
白銅の腕に包まれると、澄明もふと、安らぐものがある。
「白峰も判っておろう?お前には、わしがおる。
あれも、お前にはもう何もせぬわ。
それに実体がないに。何ができよう?畏るる事は無いわ」
ひのえの不安はそこにもあったのである。
が、男である白銅がそう言うのである。
男でなければ判らぬ白峰の潔さもあろうと澄明も思うのである。
が、
「私がいかずとも、不知火の領域の大神。不知火に頼むが筋」
ひのえが白銅の心に負い目を感じているのも白銅にも判っていたが
白銅はそうかと頷いてみせた。
が、白銅にはどうせ白峰の事である、不知火が呼んでも、
下り降って来ないのは見えていたのである。
ひのえの口を軽く吸うと白銅もひのえを腕から離した。
白銅に寄せられた思いにひのえの胸中が落ち着き出して来たからである。
そして、
「続きはこの事の始末がつくまでおあ漬けじゃのう」
と、白銅がにこやかに笑った。
その余裕のある白銅の態度に
いかに澄明が支えられているかはいうまでもない事であった。
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