新羅を訪ねたものの、今更になくしたものに気がつかされた波陀羅は
止めど無い涙と深い焦燥にかられ、再び一樹と比佐乃の姿を垣間見にいった。
屋敷の中の気配を窺う内に波陀羅が知らされた事実は
更なる驚愕を波陀羅に与えただけであった。
怪死を遂げた二親の四十九日もすんでいない。
が、取りたてて、二人が塞ぎ込んでいる様子もなく、
夕刻の闇の中に二人のマントラを唱える声が途切れ途切れに聞こえて来ていた。
庭先の石灯篭に身を潜めていた波陀羅に、
どうにもならぬ地獄への引導を唱和する二人の声に、
また、己も同じ地獄に落ちる身である定めを知らされるだけなのであった。
が、ふと比佐乃の声が途切れると、
「兄様・・そのような・・無体な・・ややに・・障りませぬか?」
不安な声が聞こえて来たのである。
今、何と言った?
何と聞こえた?
波陀羅は耳を疑った。
が、有り得る事ではある。
兄妹といえど、禍禍しい定めに落ちた者と言えど、
身体こそ五体満足な男と女なのである。
考えてやらねばならなかった一番の不遇を見捨て、
波陀羅は双神への怒りと報復に我を忘れて
織絵の身体を捨て森羅山にはいっていったのである。
が、目指す双神の社は雲の如く消え失せており、
双神の所在に皆目見当がつかないのである。
二日、三日と辺りをうろついて見るだけで、
その間に山科の家では余りの変死に、
鬼の祟りを危ぶんだ親戚一同の懇願で
波陀羅と織得の死体は荼毘に臥されたのである。
元より織絵に戻る気などなかった波陀羅であったし、
仮に波陀羅が織絵に戻っていたとしても、
おそらく陰陽師、藤原永常の手によって駆逐されていた事であろう。
目指す双神の足取り一つさえ判らぬまま、
茫然自失のまま波陀羅は当て所なくさ迷う内に
気がついてみると、伯母小山に辿りついていたのである。
伯母小山には邪鬼丸がおった。
ふと頭を掠めた思いに波陀羅は居るわけもない邪鬼丸を
昔の様に木陰からでも一目見たいと思ったのである。
己が死出への旅立ちを与えた男への慕情に胸を揺すぶられるほどに
波陀羅の心中は不幸であった。
邪鬼の居た辺りと思わしき所を波陀羅は歩く内に
邪鬼丸の妻であった新羅の存在を思い出していたのである。
歳を経て心の拠り所一つとてない孤独な波陀羅になって
新羅の心中を今更ながらに思い量ってみた、波陀羅は
その時に初めて自分の侵した罪の深さに気がついたのであり、
同時に新羅を邪鬼丸を陽道を比佐乃を一樹を曳いては独鈷を
不幸の中に突き陥れたのは他ならぬ波陀羅自身であったと判ったのである。
そして、生きている価値もないほどに己のしでかした罪の精算を
せめても新羅からの憎しみを受ける事で、死ぬる価値になろうぞ。
それで一つでも詫びに換えるしかないと波陀羅は考えたのである。
が、その新羅も「今更、憎しみに身をやつしとうない」と、
波陀羅を責める事さえなかったのである。
何処を如何さ迷ったのか
何を食べ
何処に眠ったのかさえ
定かな記憶がないまま、
波陀羅は地獄に引きずり落とされる前に
いっそ我が身で命を絶とうという、思いに取り付かれはじめていた。
が、死ぬる前に一目、一樹と比佐乃を見て、
せめて、影で手を合わせて詫びるだけでもしたい、
と、そう思ってやって来た波陀羅の耳に飛び込んで来た比佐乃の言葉が、
運命と言うのは皮肉なもので、
その、言葉が波陀羅に切裂くような痛みを、苦悶を与えていると言うのに
波陀羅に生きる事を決心させたのも、その言葉であったのである。
その波陀羅が今一度、
長浜に舞い戻ると双神の社の在った筈の場所にやって来ていた。
波陀羅が比佐乃の懐妊を知った時、
その胸の中にいくつかの思いが沸いたのである。
畜生道に落ちた二人ではあるが
それでも、子を成すとならば二人の生き様を変えてやれぬものだろうか?
地獄への引導を解いて救うてやれぬものだろうか?
それを解く事ができるのは、
他ならぬ引導を授けた双神なみずち、いなずちならば
成せうる事ではないのだろうか?
彼等でなければ解脱させることができないのではないか?
そういう思いと同時に、
そうする事は波陀羅が比佐乃と一樹の子を
双神の新たな贄に捧げる事の賛助をする事になりはしまいか?と、危ぶみもした。
一度、宗門に落としこんだ二人の子を、
双神がその歯牙にかけずに置く訳もないだろう。
また、独鈷のように性のシャクテイを双神に送りつけて行く存在は、
双神の両腕の中にはほかにもまだ、居るのであろうが
独鈷を奪い去ったという事では、双神のも波陀羅を
己のさにわにかけようとする事であろう。
が、双神は波陀羅の前に現れ様とはしない。
これは何を意味するのか?
波陀羅の一追を疎んじて避けているだけなのであろうか?
シャクテイを掠め取る事の出来なくなった波陀羅なぞに
目もくれる事もないだけなのであろうか?
マントラを唱えながら、どこぞの男に抱かれれば
あるいは、双神は波陀羅の忠誠に甘んじて
その社を現し、門戸を開いてくれるだろうか?
思い巡らす事に纏まりがつくわけもなく
波陀羅の中でなんども煩悶を繰り返しながら、
波陀羅は呆然と社のあった辺りに立ち尽くしていたのである。
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