昨日に続きます
天守閣跡に作られた天守台に上がりました
右奥の雲が乗っかった山が恵那山 そして中津川市 その奥には馬籠宿が 真ん中を流れるのが木曽川
木曽川を右に移動すると
恵那峡や笠置山が見えます
黄金色に色ついた田も見えますね。すっかり秋の気配です。
天守台
岩山という地形に制約され、苗木藩1万石の大名として利用できる土地の確保が困難であったことから
懸造(かけづくり)↓と言う
巨岩をうまく利用した工法が用いられていました
天守台を回り込むように下っていくと
明治時代この場所に移動したという八大龍王が祭られていました
これはこの城主であると遠山家の守り神
見上げると 💦💦💦岩の上の方に卵型の
こんなに大きなスズメバチの巣が掛かっていました。↓
天守台を取り囲むように石積みが残っています
途中 このようにいくつもの穴をあけ 巨石を割って石積材料にしていました ↓
偶然現地でお会いできたMさん
懇切丁寧な案内をしてくださいました。
2時間程でしたが、暑さも忘れて聞き入ってしまいました。
ステキな人柄にほっこり
そしてこの苗木では
仏を捨てる??
廃仏き釈 を行った藩で
葬儀はすべて神式 寺はすべて廃寺にした
全国的にも珍しいところだそうです
思いがけない社会勉強をさせていただきました。
明治の時、城は財政難で苗木から岐阜に吸収されるとき城を閉城することが条件で
上物はすべて取り壊され、石積だけが残されたという事です。
学術的には傷みもなく、貴重な遺跡だという事で国指定を受けたと説明を受けました
今月中ごろからは全国からバスツアーで観光客が押しかけてこられるんだとか。
昨日はまだ観光客も少なく ゆっくりのんびりさせてもらいました。
内緒話
本当はね、急遽出発が決定し、朝 回収ゴミ出しして お出かけすることになりました。
売店は無いという事で、炊飯器の中のご飯をおにぎりにして別袋に入れて
別のトートバックの中に お茶 紙コップ オヤツのお菓子 おしぼり等入れて
さあ出発!
30分程して
アッ忘れた
作ったおにぎり・・・・
取りに戻る時間もなくそのまま出発
結局、中津川の街まで行き14過ぎの昼食となりました
今日は職人さんが入ってるので、一日中家にこもってる予定です。
それで、ゆっくり苗木城跡1&2を拝見させて頂きました(*^^*)
古いもの好きのわたくし、こういう「山城も大好きです。
実家も小さい山城を抱えていて、兄と子供の頃見に行ってたのですが、もう石垣も崩れてました。
負け武将の方ですからね・・・
城跡などを見ると、
「夏草や兵どもが夢のあと」という俳句を思い出します。
人間て・・・戦うことが好きなのかしらね・・・
明治維新だって、これまでの体制が大きく崩れ、
宗教面では「廃仏毀釈」だったわけですし、
70年前の敗戦後も大きく様々なことを変えました。
今、北朝鮮だって、ある意味自国を強国に変えようと躍起になってるわけですよね・・・
そうこうして人類は果たしていい方に向かっていくのでしょうかね・・・
兵どもが夢のあとを見て、良い方へ向かうようにしなくては。
でも、過ぎ去ったことって、モノでもコトでも美しく見えるのですよね。
苗木城跡、行ってみたいです。
ミッキーさん お城に城跡に興味がお有りなのですか?
工作機の無い時代 何処のお城を見ても 知恵を働かせ
人力で築城
その凄さには驚きですね
私はさほど興味はありませんが ミッキーさんの案内で
そうなんだと少し興味が持てました
恵那峡 馬籠宿 これは知っています 行きましたよ
でも、過ぎ去ったことって、モノでもコトでも美しく見えるのですよね。」
学生時代は(現在もそうですが)自分の生まれる前の事は興味なし
なんて勝手に理由付けをしていましたが
時代をさかのぼり こうしてご縁の有ったボランテアさんの説明を伺うと
学生時代、こういう巡りあわせがこの時に有ればもっと歴史に興味が持てたのにな~なんて思います。
でも、今になってからでも、そんな一コマですが伺う事が出来てよかったなんて思います。
ご実家も閉城になったとはいえ、格式あるお家であったのですね。
石積など維持することは大変なことですものね。
最近、意識をしたわけではないですが
お城めぐりのお出かけ回数が増えています
今この年齢になって、少し興味の幅が広がったかななんて勝手に思っています。
歴史ってどこかに頭を突っ込むと横にどんどん関連して広がるんですね。
興味も今の内だけかもしれませんが 。