矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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歴史ロマン『落城』(2)

2024年12月05日 04時47分16秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

(2)

それから5年の月日がたち、応永22年(西暦1415年)を迎えた。武弘と小巻の間にはすでに一子・太郎丸が生まれ、小巻はちょうど第二子を身ごもっていた。尾高家とその一族にはこれといった問題もなく、平穏な日々が過ぎていった。問題があるとすれば、武弘は最近やや肥満気味になったのを気にして、このところ佐吉とともに武術の鍛錬に精を出している程度だ。
一方、藤沢忠則に嫁いだ小百合はけっこう気苦労が絶えなかった。当主の嫡男の奥方という立場だが、義父の忠道は徹底した藤沢家第一主義で、何かと口うるさい性癖があったのである。それをかばってくれたのが夫の忠則で、小百合の立場をいろいろと尊重してくれた。
ただ、小百合が順調に第一子・幸(ゆき)、続いて国松を生んだことにより、さすがに忠道も口うるさい面が少し和らいできた。そればかりか、男子の国松が誕生したことで、最近は家督を忠則に譲る気持にもなっていた。ただし、忠則はまだ時期尚早だと固辞していたのだ。
そんなある日、忠道は忠則と1歳年下の弟・忠宗を自室に呼んで語り始めた。
「お前たちも知っているだろうが、わしは管領の上杉氏憲(うじのり)さまに大変お世話になっている。これからも氏憲さまに尽くすつもりだが、どうも最近、鎌倉の様子が変な感じがする。もし何かことが起きたら、その時は氏憲さまの側に立って戦うつもりだ。いいか、そのことをよく心に留めてくれ」
忠道はこう言って、息子たちの顔をじっと見つめた。
管領(かんれい)とは「関東管領」のことで、この地域の最高支配者・「鎌倉公方(くぼう)」を補佐する役である。上杉氏憲はもう4年ぐらい管領の職にあったが、時の鎌倉公方である足利持氏(もちうじ)と不仲になっているという噂が絶えなかった。このため、忠道は万一のことを考えてそう言ったのだろう。
2人の息子はただ黙って聞いていたが、忠則は公方と管領の間にあってできるだけ「中立」の立場でいたいと願っていた。しかし、このことは父に直接言わずその場を去ったが、あとで忠宗に聞いてみた。
「父上の考えをどう思う? 私はどちらにも付かずにいたいと思うが」
すると忠宗が答えた。
「やはり父上の立場を大切にしましょう。戦乱が起きないことを願うだけですが」
兄弟の考えに微妙な食い違いがあるようだ。その晩、忠則は妻の小百合にも聞いてみた。
「いろいろ嫌な噂が出ているが、そなたの実家の山口家は公方派なのか、管領派なのかどういう立場だろうか?」
「それは全く分かりません。兄に書状を出して聞いてみたいと思います」
「うむ、それはありがたい。こういう状況になってくると、秘密の厳守が一番となる。ついては、そなたに最もふさわしい付き人を紹介しよう」
忠則はそう言って、夜も遅くなったのにある若い女性を呼び出した。
「この者は詩織(しおり)と言う。よしなにせよ」

その女は背が高くて美しく、どこか知的な感じがする。忠則の説明では、詩織は藤沢家の傍流の末裔で、父の死後に主家に仕えるようになったという。小百合は彼女と打ち合わせ、翌日には書状を兄の山口貞清に届けてもらうことにした。
こうして詩織が書状を山口城へ持って行くと、取次ぎ役の尾高武弘がそれを貞清に渡した。彼はそれに目を通したあと、心外だという面持ちで武弘に語った。
「小百合の話では、鎌倉府が公方派と管領派に分かれているそうだ。初耳だよ。藤沢家の当主は管領の上杉様にお味方するそうだが、当家はそうはいかない。ずっと公方様一筋で来たからな。しかし、こういう話が広く知れ渡ると、関東は大変なことになるかもしれない。二つの大きな勢力に分かれて、また争いが起きるやもしれないのだ。
この話は決して口外するな。いずれ明らかになろうが、それまでに父上らと相談していろいろ手を打とう。それにしても、忠則殿が忠道様を諫めてなんとかできないものか。早速、妹に手紙を書こう」
貞清は苦々しく語ったが、翌日、小百合への返書を詩織に託した。こういう書状は、単なる“飛脚”などに任せると危ないことがある。その飛脚が敵の間者=スパイである可能性もあるのだ。その点、詩織は小百合の「付き人」だから信頼できる。こうして、貞清の返書は藤沢城の妹の元へ届けられることになった。
余談だが、詩織が山口城にいる間に、佐吉が彼女を一目見てとても惹かれたという。これが後に2人の関係に大きな影響を及ぼすことになる。

貞清はまた、牧の方にも実家である豊島家の様子を探らせることにした。牧の方はすぐに父の石神井城主・豊島範泰(のりやす)に書状を送り、鎌倉の情勢などを伝えた。豊島家は山口家と同じように公方側に立っているが、貞清はそれを確かめようとしたのである。
こうして、鎌倉の内部対立の噂はおのずと関東各地に広がっていった。「鎌倉府」というのは室町幕府が関東地方を統治するために設置したもので、最高支配者は鎌倉公方である。それを関東管領が補佐することは前にも書いたが、公方の足利持氏はこの時まだ17歳の若者だった。
これに対し、管領の上杉氏憲は年齢不詳だが、少なくとも50歳ぐらいになっていたと見られ男盛りの頂点に達していた。そして4年前、氏憲が管領に就任してまだ子供だった持氏を補佐するようになったが、持氏は次第に氏憲を疎ましく思うようになった。それはそうだろう。政治力では、男盛りの氏憲の方がはるかに勝っていたと見られるからだ。
そして、この内部対立に「上杉家」の派閥争いが絡んだため、持氏は氏憲の側近を処罰して対立は決定的になった。氏憲は逆に「足利家」の別の勢力を支援したため、ついにこの年の5月、持氏は氏憲の関東管領職を罷免したのである。
この報に接するやいなや、山口家も藤沢家も豊島家もみんなが“来るべきものが来た”と感じた。つまり争乱、戦乱の兆しである。関東の諸豪族は、生き残りをかけてあらゆる手段を講じようと動き始めた。

ちょうどその頃、尾高家では小巻が第二子を出産した。女の子である。第一子が男子の太郎丸だったから、武弘や両親の武則、栞も大喜びだった。生まれた女の子は玉のように可愛く、早速、武則が鈴(すず)と命名した。
太郎丸の時は安産そのものだったが、鈴の場合は少し難産だった。武弘が床の小巻に声をかけた。
「でかしたぞ。2人の子に恵まれ、ありがたいと言ったらない。あとはよく養生してくれ。お前が回復したら温泉にでも行ってみたいな」
武弘のいたわりの言葉に、小巻はにっこりと微笑んだ。その後、彼女は順調に回復していったが、武弘は暇さえあれば3歳の太郎丸を連れてよく遊びに出かけた。太郎丸はやんちゃな坊やで、チャンバラごっこが大好きなのか、いつも木の枝を持って父に向ってくる。武弘は適当に相手をしているが、そうしている間にもいつ戦いが始まるのかと気がかりだった。
一方、牧の方が実家の動静を探ったところ、当主の範泰はもともと公方派だが、兄の宗泰は上杉氏憲らの勢力に好意を持っていた。それで山口貞清は心配していたが、今のところ豊島家が鎌倉公方に味方するのはほぼ間違いないようだ。貞清夫妻は一安心したが、戦乱の世は何が起きるか分からない。
そんなある日、貞清が武弘を呼び出して言った。
「近いうちに、豊島家はもとより周辺の豪族を訪ねてほしい。いろいろな情報を集めてほしいのだ。できれば、相模の藤沢家にも行ってもらいたいが」
「承知しました。しかし、他の家臣の方々も行ってもらえれば」
「いや、これはお主にやってもらわねばならない。お主が最もふさわしいだろう」
「分かりました。早速、佐吉たちと策を練ってみます。しかし、藤沢家はどうも・・・」
「お前に任せる。金も要るだろう。“軍資金”はあとで渡すからな」
そう言って、貞清は笑い声を上げた。軍資金とは諜報活動に必要な費用のことだ。何かと金がかかるのは仕方がないが、貞清は武弘が真面目に職務をこなすと信頼していたのだ。あとは予備知識も必要で、武弘は急いで諸豪族の現在の状況を調べた。すると、前管領・上杉氏憲の影響力がやはり大きいことが分かったのである。
当の氏憲は法名を「禅秀(ぜんしゅう)」と言ったが、豪胆で野心満々の守護大名だ。政治力があることは前にも触れたが、自分の娘たちを何人か関東の豪族に嫁がせたり、息子を養子に出したりしている。名門の出で関東管領を務めたからおのずと影響力を発揮していたのだ。
武弘は父の武則と相談した結果、佐吉1人を連れていくことにした。そのことを告げると、佐吉が神妙な顔つきで答えた。
「これは大役ですね、俺に務まるかな~。ヘマをしなければいいが・・・」
「大丈夫だよ、お前は神経が図太いし、けっこう目端が利くじゃないか。諜報活動にはもってこいだ」
「いつもと違って、ずいぶん持ち上げますね。気味が悪いな~」
「はっはっはっは、付き人は佐吉1人だから大いに持ち上げるだけさ」
武弘はそう言って、佐吉と顔を見合わせ笑った。こうして、2人は関東の諸豪族探訪の旅に出立したのである。

はじめは武蔵国や甲斐国(かいのくに)といった近隣の豪族から始まった。武弘は貞清の書状を持って主に領主や家臣らと会ったりしていたが、その間に、佐吉は地侍や百姓、商人など庶民の中に入っていった。領民の生活状況や意見を探るためである。2人で手分けした形で、その方が広く“客観的”に情勢を知ることができたからだ。
“軍資金”は手土産代や情報収集のお礼などに使われたが、佐吉はこの手の使い方に慣れていた。こうして近隣の探訪は順調に進んだが、ある日、武弘らは山口から北へ30キロほど行った柴山城を訪れた。ここには、武弘の4歳年上の姉・忍(しのぶ)がいるのだ。
忍は10年ほど前に、柴山家の家臣である後藤吉勝に嫁いでいた。武弘は吉勝からこの地方の情勢を聞いたあと、忍と久しぶりに対面した。2人だけの姉弟は懐かしさが込み上げてくる。
「姉上、お久しぶりです。お元気ですか」
「ええ、なんとかやっています。父上、母上は息災ですか。しばらくお会いしていないので、お伺いしなければと思っていました」
2人は互いの近況や、家族などの話に和やかな一時を過ごした。関東の武士団の情勢などはほとんど話さなかったが、別れ際に武弘はこう言った。
「姉上、いったん緊急のことがあればすぐにお知らせします。尾高家は後藤家と一心同体ですから」
この力強い言葉に、忍は少し涙ぐんだように見受けられた。優しい姉に見送られながら、武弘は別れを惜しんだ。また、いつ会えるか分からないと思いながら・・・ こうして武弘と佐吉の行脚は続いていった。そして、2人の探訪は下総(しもうさ)や常陸(ひたち)、下野(しもつけ)の国などにも広がろうとしていた。

一方、山口貞清も独自に関東の諸豪族の動静を探っていたが、この年(応永22年・西暦1415年)の秋も深まった頃、彼は相模国の藤沢氏にも働きかけることになった。貞清はまず妹の小百合と連絡を取り、忠道・忠則親子と会うことにしたのである。
武蔵国の山口から藤沢は遠いが、貞清は供の者1人だけを連れ、途中で2泊しながらようやく藤沢に着いた。城の館に入ると小百合が出迎えている。
「遠いところをご苦労さまでした。山口の皆さまはお元気ですか?」
「ああ、今のところ変わりはない。そちらも達者でいるか?」
「ええ、無事に過ごしています。子供たちも元気ですよ」
兄妹はこう語り合って、久しぶりの再会を喜んだ。このあと2人は世間話などをしていたが、やがて小百合が険しい表情になって話題を変えた。
「兄上、困ったことが起きています」
「どうしたのだ、急に」
小百合は一呼吸おいて話を続けた。
「父上がおっしゃるには、忠則殿が上杉氏憲さまのお味方をしなければ、家督を弟の忠宗殿に譲り渡すというのです」
「なんだと! それはまことか?」

貞清は唖然とした。忠道・忠則親子が不仲なことは以前から知っていたが、まさか“家督相続問題”にまで発展しているとは思わなかった。彼は妹の小百合を忠則に嫁がせただけに、この問題を放っておくわけにはいかない。当主としての責任があるのだ。それに、藤沢家が鎌倉公方に敵対的な態度を示していることを見過ごすわけにはいかない。
「これは重大な問題だ。すぐに忠道殿にお会いすることはできないのか?」
貞清が急(せ)かすように言うと、小百合が困った顔をして答えた。
「父上は兄上と会いたがらないご様子です。その前に、忠則殿と話し合ったらいかがですか?」
「うむ、少し考えよう」
貞清は小百合と会ったあと自分の寝室に引き下がった。その晩、彼はなかなか寝付けなかったが、妹が言うようにとりあえず忠則の話を聞くことに決め、翌日すぐに彼と面会した。義兄弟の再会はおよそ5年ぶりである。
「忠則殿、お久しぶりです。お元気そうなのは結構ですが、妹から聞いた話では何やら家督相続の問題が起きているとのこと、まったくただ事ではありません。もっとくわしく教えてもらえませんか」
貞清が真剣な面持ちで丁重に質すと、忠則も腹を割ったかのように話し始めた。それによると、忠道・忠則親子の関係は上杉氏憲をめぐって今や抜き差しならないところまで来ているという。忠道は完全に氏憲派だが、忠則はあくまでも“中立”を主張して鎌倉公方(足利持氏)とも縁を保つべきだと主張しているのだ。
このため、忠道は氏憲に好意的な弟の忠宗に家督を譲りたいと考えるようになり、忠則に対して本年中に考えを改めないなら、重大な決意をすると脅しをかけているという。その話を聞いて、貞清は悲壮な気持にならざるを得なかった。
「前にも言いましたが、山口家は持氏さま支持でずっと来ています。これは変わりようがありません。もしこの状態が続けば、当家は藤沢家との縁を断絶せねばなりません。そうなれば、小百合はどうなってしまうのでしょうか。藤沢・山口両家の板挟みとなり、非常に苦しい立場に追い込まれるでしょう。忠則殿、その場合は小百合を離縁なさるお気持ですか?」
貞清は忠則を見据えてそう言った。
「とんでもない! 私が小百合を離縁するなどとは思ってもみないことです。どんなことがあっても彼女を離さない。それはお誓いします」
忠則の返事に貞清はほっと胸を撫で下ろした。しかし、このまま当主の忠道に会えるのだろうか・・・ そんなことを考えていると、やがて家人(けにん)の男が2人のいる部屋に入ってきた。
「忠道さまが貞清さまをお呼びにございます。どうぞ奥の部屋にお越しください」
この言葉を聞いて貞清は忠則に告げた。
「お呼びですので、覚悟を決めて行ってまいりますぞ」
会いたくないはずの忠道が自分を呼び出したのだ。貞清は緊張しながら先導する家人の後に続いた。

奥の部屋に入ると、忠道と奥方の志乃(しの)がいる。貞清は2人に会うのも約5年ぶりで、居住まいを正し丁寧に挨拶した。忠道は恰幅のいい初老の男で、夫妻とも愛想の良い笑みを浮かべながら貞清を迎えた。
「やあやあ、お久しぶりです。お元気そうですな」
忠道が明るい声を出したので貞清は少し緊張感がほぐれた。敵意のある様子はどこにも見えない。その場は友好的な雰囲気に包まれたので、彼は予想外な感じがしてきた。
「忠道さま、奥方さまもご壮健で何よりです。つい今しがた、忠則殿に会っていろいろ話をしてきたところです」
貞清が答えると、忠道がその話を子細に聞いてきた。父親だから当然だろうか。貞清は包み隠さず正直に報告しようと思った。その方が変な誤解が生じなくて良いと思ったからだ。彼は藤沢家に家督相続の問題が起きているのを聞いたと言い、山口家としてはそれを心配しているとはっきりと告げた。
すると、忠道は意外にも笑い声を上げてこう答えた。
「忠則は心配症すぎる。家督相続の問題などは起きていませんよ。たしかに私は態度をはっきりさせろと忠則に言った。そして、それは年内にもと言ったが、忠則がどう考えようとも家督を継ぐのは彼しかいない。年内が無理なら来年でも結構だ。忠則の中立論だって、大いに傾聴に値するものだと思っていますぞ。
どうも貴殿にご心配をかけたようで、これはたいへん失礼なことをしてしまった。どうか、よしなにご配慮願いたい。私も大いに反省したいと思っています」
忠道のこの言葉に貞清はほっと一安心したが、同時に、海千山千の老かいな男がその場しのぎに答えたようにも感じられた。しかし、彼はこの問題で忠道をさらに追及しようとは思わなかった。あまり突っ込むとかえって危ない。自分がこの場に来て、藤沢家の問題に一定の“ブレーキ”をかけたのなら、それで十分だと考えたからだ。
「これは安心しました。忠道さまの今のお言葉に、貞清、心より感じ入った次第です。あとで忠則殿にもお話しましょう」
「いや、あとでなく今、忠則と忠宗を呼んでささやかな酒宴を開こう。これ、誰かいるか」
忠道は家人を呼び付け、忠則らに来るよう指図した。
「私はこれにて失礼します。どうぞ、ごゆるりと」
志乃が笑顔を浮かべながら会釈し部屋を出た。それと入れ替わるように忠則と忠宗が入ってきて、男4人の酒宴が始まったのである。忠宗とも5年ぶりの再会だが、すっかり大人びてたくましくなったなと貞清は思った。兄が物静かで落ち着いた風情なのに対し、弟は活発で行動的な感じがする。
こうして4人は酒を酌み交わしながらよもやま話に興じたが、貞清は今回の藤沢家訪問で少しは相互理解が得られたと思った。あとは連絡を密にすることが大事だ。そう考えていると、忠道が側に置いてあった四角い箱を引き寄せ、それを開けて貞清に語りかけた。
「これは明国(みんこく)の青磁の器です。たぶん、倭寇(わこう)が手に入れた物でしょうが、鎌倉のある方から譲り受けたものです。よろしかったら、ぜひお持ち帰り願いたい」

貞清は青磁の器を見て感嘆した。彼は陶磁器が大好きな父の武貞からいろいろ教わっていたが、こんなに見事な青磁を見ることは滅多にない。
「よろしいのですか、こんなに美しい器をいただいて」
「なんの、なんの。お父上も大の青磁の愛好家だとか、それは小百合殿から聞いて知っています。山口家と藤沢家の親交のためにも、ぜひ受け取っていただきたい。なんの遠慮もご無用じゃ」
忠道が上機嫌で勧めるので、貞清は少しためらったもののその青磁をありがたく受納することにした。忠道親子は酒が入ったせいか、愉快そうによもやま話に打ち興じている。貞清もすっかりくつろいだ気分になり酒宴の席を楽しんだ。
こうして両家の交わりは貞清の訪問で深まったように見えたが、それを最も喜んだのは小百合である。彼女は翌日、兄から忠道との話し合いの詳細を聞きほっと一安心した。家督相続の問題で心を痛めていたが、夫の相続が約束されたと理解したからだ。
「兄上、嬉しゅうございます。やはり兄上に来ていただくのが一番ですね。忠則殿も気を強く持たれたことでしょう」
「うむ、そう言ってくれて私も満足だ。ただし、油断は禁物だ。情勢次第で揺れ動くのが今の世の中、その点だけは注意しよう」
「ええ、分かりました。ところで、兄上、帰る前に子供の幸(ゆき)と国松に会っていただけますか」
「ああ、いいとも」
貞清が機嫌よく答えると、小百合は付き人に言って子供たちを連れて来させた。2人を見るなり貞清は笑い出した。
「幸も国松も幼い頃のお前によく似てるな~。じゃじゃ馬とわんぱく坊主か、はっはっはっはっは」
「まあ、ご挨拶なこと!」
小百合も満面に笑みを浮かべて答えると、貞清はしばらくの間 子供たちとたわむれていた。
「うちの子供も4歳と1歳になる。子供は可愛いものだな~」
兄妹はしばし家族の話などをしていたが、いよいよ貞清が出立する時になると小百合が急に話題を変えた。
「ところで、武弘殿はお元気にしていますか?」
「武弘のことが気になるか、はっはっはっは。彼も家族も息災だ。安心いたせ」
小百合が武弘を気にしていることが貞清には面白かった。昔、2人が仲が良かったことを思い出し、彼は懐かしい気分になったのである。
「帰ったら、お前のことも武弘に言っておくよ。それでは」
こうして貞清は藤沢家に別れを告げ、供の者1人を連れて山口へ帰っていった。

帰館して貞清が小百合のことを両親に報告すると、武貞も薫も喜んだ。娘や孫たちが元気に暮らしているのが一番だが、婿が藤沢家の跡取りに決まったことにも安堵した。また武貞は、好きな青磁器を贈られた好意に感謝し、さっそく藤沢忠道に御礼の書状を送ったのである。
こうして、その年は平穏に終ろうとしていたが、尾高武弘の関東探訪の旅は決して楽なものではなかった。特に“邪魔者扱い”されたわけではないが、人によってはあからさまに上杉氏憲支持を明言する豪族が何人もいた。武蔵や甲斐の国を回ったあと、武弘はその模様を貞清に伝えたのである。
「長尾氏春殿や武田信満殿は完全に氏憲さまの味方ですね。その影響からか、他の豪族も同じような態度を見せています。今年は無事であっても、来年はどうなるかまったく予断はできません」
「そうか、鎌倉公方の権威もだいぶ落ちたことになるな。これはもう足利将軍家の威令が関東に届かなくなったということだ。幕府も内心は困っているだろうな」
貞清が嘆くようにつぶやいたが、武弘はなおも続けた。
「幕府は本当に困っているのでしょうか? 嫌なことは見ようとせず、臭いものには蓋(ふた)をする姿勢でしょう。関東では大きな一揆は起きておらず、まだ“下剋上”の情勢にはなっていませんが、いずれそういう風になる恐れがあります。みんなが勝手に行動する時代が来そうです」
「ふむ、みんながバサラ(婆娑羅)になるということか」
「殿、うまいことを言いますね。そうです、バサラの世の中になるでしょう」
バサラ(婆娑羅)とは、勝手気ままに振る舞うことなどを皮肉った当時の流行語だ。そう言いながら貞清は続けた。
「争乱、いや戦乱の時代が来るのかのう・・・ 武弘、何はともあれご苦労であった。来年は下総や常陸、下野などの国を回ってもらうぞ。
ところで、わしは藤沢家を訪ねたが、固い話は別として小百合がお主のことをずいぶん気にしていたぞ」
急に小百合の話に変わって、武弘は戸惑った。どう答えていいか分からずに黙っていると、貞清がさらに続ける。
「お前と小百合は仲がよかったからな。昔のことを思い出して、わしは懐かしい気分になったぞ。はっはっはっはっは」
貞清の高笑いに武弘は赤面した。

「殿、冗談はよしてください! 小百合さまは今や藤沢家の奥方です。なぜ私のような者と比べるのですか?」
「分かった分かった、そうムキにならなくても。まあそういうことだ」
貞清は最後に言葉を濁したが、武弘は小百合の話に困惑した表情を見せた。彼にとって彼女は憧れの女性である。そのことを貞清はもちろん知っているから、武弘はいつも見透かされている気分になるのだ。
2人はまた話題を関東の情勢に戻し、いろいろ意見を交わした。しかし、どんなに話し合っても未知数なことが多く、結局、最後は家族の話題に落ち着いた。貞清は5歳の長男・幸若丸(こうわかまる)と3歳の長女・桔梗(ききょう)、武弘は太郎丸と鈴の様子などを話し、久しぶりに酒を酌み交わして和やかな一時を過ごしたのである。(続く)


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