〈2014年7月11日に書いた以下の記事を原文のまま復刻します。〉
朝 テレビを見ていたら、予備校の有名な“林先生”が松尾芭蕉の俳句について語っていた。面白そうなので聞いていたら、『奥の細道』の名句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」について語っている。
私は俳句に興味がなく批判的だが、この句が山形市の立石寺(りっしゃくじ)で詠まれたことは知っている。というのは53年前、学生時代に東北地方を旅行した時に立石寺に立ち寄ったからだ。そこで、がぜん興味がわいて話に聞き入ったが、面白かったのはこのセミは何の種類かで論争が巻き起こったことである。
有名な歌人・斎藤茂吉はアブラゼミだと主張し、ドイツ文学者・小宮豊隆はニイニイゼミだと反論した。対立したまま結論が出なかったため、後日、斎藤茂吉が現地調査などをしたところ、芭蕉が句を詠んだのは太陽暦で7月上旬であり、その頃はアブラゼミはまだ鳴かないことが分かって、自らの誤りを認めたというのである。
芭蕉の名句ともなると、これほどまでに人々の関心を呼ぶのか(笑)。ニイニイゼミでもアブラゼミでもどちらでも良いと思うが、人々の探究心は無限である。そこでまた思い出したが、私が立石寺に行ったのはたしか8月上旬だった。真夏の猛暑の時である。鳴き声はやけに耳障りだったので、あれはアブラゼミではなかったか。
どちらでもいいが、立石寺はとても岩の多い所である。その岩々にセミの鳴き声が染み入るのを実感したと思う。あの時、なにか芭蕉の心境が分かるような気がしたものだが・・・俳句に興味がない自分はこの辺でやめよう。しかし、俳句は日本人の心だと思う。
余談だが最後に、俳句は間を置いて書かない。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と書く。私のように批判的な素人は、必ず「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」と間を置く。しかし、今日は俳句を嗜む人に敬意を表して本来のままにしておく。(2014年7月11日)
立石寺の根本中堂(本堂)