矢嶋武弘・Takehiroの部屋

われ発信す 故に われ在り、われ在り 故に 発信す
日一日の命

小説『若草物語』

2024年11月16日 14時04分09秒 | 文学・小説・戯曲・エッセイなど

主な登場人物・・・星野英樹。 宮寺恵子(1年下の女生徒)。 宮寺和江(恵子の母)。 星野久子(英樹の母)。 鳥井信子(英樹の同級生)。 島本昌弘(英樹の友人)

時・・・1956年~57年
場所・・・埼玉県浦和市(現さいたま市)

小説の舞台になった現在の「さいたま市立本太中学校」

英樹(ひでき)が恵子を知ったのは、たしか中学2年の真冬の頃だったと思う。昼休みに大勢の生徒が校庭で遊んでいた時、英樹は“お河童頭”の妙に頬っぺたが紅い少女に気がついた。彼女はあまり見かけない生徒たちと一緒に遊んでいたから、一学年下の女の子だとすぐに分かった。
数日後、英樹がまたぼんやりと教室から校庭の方を見ていると、紅い頬っぺたのその少女が、仲間の生徒と元気良く戯れていた。真冬だから頬っぺたも真っ赤になるのだろうか。彼女はジャンパーのポケットに両手を突っ込んでいて、お河童頭のせいかまるで“男の子”のように見えた。それが、星野英樹宮寺恵子を意識した最初である。

その時から、恵子が気になって、英樹は彼女のことをいろいろ調べるようになった。恵子の家はあまり遠くない。町名は違うが、歩いて10分あまりの所にある。彼女はクラブ活動でバスケットボール部に入っており、1年生ながら良く頑張っているようだ。クラスをまとめることも苦にせず、学級(クラス)委員を務めているという。
英樹はバスケットボール部では恵子より1年先輩で、級友の鳥井信子からいろいろなことを聞いた。それによると恵子は一人っ子だが、性格は明るく素直で人見知りをしないということだ。お父さんは県庁で社会福祉関係の仕事をしているという。英樹は信子に、自分が恵子に好意を持っていることをそれとなく伝えて欲しいと頼んだ。彼は級友の“よしみ”で信子を利用しようとしていたが、彼女は英樹に協力的だったのである。
恵子への関心が深まるにつれて、英樹はそのための日記をつけようと思い立った。二人の関係はどうなるか分からないが、特別の日記である。彼はそれに『若草物語』と名付け、ひとり悦に入っていた。もちろん、ルイーザ・メイ・オルコットの同名の小説に因んだものである。

やがて季節が春になり、英樹は中学3年へ、恵子は2年にそれぞれ進級した。英樹はこの1年で恵子との関係を深めようと思ったが、具体的な方策があるわけではない。しかし、何としてもそうしたいと願った。
ある日、生徒会長だった英樹が各クラス委員に招集をかけたところ、恵子の姿を初めて確認したのである。恵子は出席にばらつきがあって、他の男のクラス委員が出席することが多かった。何のためのクラス委員総会だったか忘れたが、英樹は議長役なのでわざと恵子を指名し発言を求めたりした。「宮寺さん!」と指名するのが心地よかったが、出席したクラス委員たちは別にそれと気づいた感じではなかったのである。
恵子は相変わらずボーイッシュな風貌をしていたが、むちむちした肉付きの良い健康な体つきをしていた。背の高さは普通だが、やや太めの女の子という印象か(笑)。 それはともかく、彼女と初めてやり取りができて英樹は満足だった。これからの生徒会の会合などが楽しみになったのである。
暖かい季節を迎え、スポーツなどのクラブ活動が活発になってきた。英樹は運動は軟式テニス部に入っていたが、恵子は前にも言ったようにバスケットボールに熱心だった。レギュラーではないが、時々先輩に代わって試合に出場することもあるそうだ。それは鳥井信子の話だが、恵子を応援する機会もあるかもしれない。それも楽しみの一つになった。
生徒会の方は英樹が仕切っていたが、大したことでもないのにクラス委員を集めたりした。恵子に会いたかったのが理由の一つだ。運よく彼女が出てきた時は嬉しかったが、彼女が欠席した時はがっかりしたものだ。まことに自分勝手な生徒会長である。もちろん、そのことは他の人に“内緒”にしていた。

日記『若草物語』に書くことが増え英樹は嬉しかったが、彼自身が恵子の話題を周りのクラスメートらに振りまいたこともあった。おのずと彼女の話が多くなると、書くことも増えてくる。また、英樹は恵子の話題づくりを大いにやって、彼女の気を引こうと思ったのである。
ちょうどその頃、英樹らのいるM中学が、近くのH中学とバスケットボールの対抗試合を行なうことになった。これも鳥井信子から聞いた話だが、恵子もサブレギュラーで出場するかもしれないということだった。英樹は他の運動部の応援にほとんど行ったことがなかったが、信子に応援は自由なのかと聞いてみた。
「大丈夫よ。少しでも応援してくれた方が、やり甲斐があるわ」 信子は応援歓迎の意向である。英樹は、できれば応援に行きたいと信子に伝えた。
しかし、試合の日が近づいてくると、彼は応援に“逃げ腰”になった。やはり恥ずかしい! 英樹がバスケットの試合そのものではなく、恵子個人を応援しに行くのは見え見えではないか。恥ずかしいから止めようかと迷っていたが、ふと、親友の島本昌弘を誘おうと思いついた。彼はクラスは違うものの、同学年の親友である。さっそく島本に話をすると、彼は他に予定がないので、当日2人で応援に行くことに決めた。
「ヒデちゃん、だけど宮寺さんはゲームに出るかどうか分からないのだろ? 彼女が出なけりゃ無駄だなあ~」
「彼女が出なくても、M中学を応援することになるじゃないか。学校を応援するのは悪くないよ」
恵子が“お目当て”なのに、母校を応援するとか何とか言って、ようやく島本を納得させたのである。ヒデちゃんと呼んで英樹と仲の良い島本も、まだよく知らない後輩の恵子に関心はあったようだ。

 その日がやってきた。英樹と島本は放課後、すぐにH中学へ徒歩で向かった。H中学はM中学から徒歩で20分ぐらいの近い所にある。そのためか以前から、何かと校外試合などがよく行なわれるのだ。お互いに便利なのだろう。
あまり早く行くのも変なので、2人は少し遅れて行くことにした。それに恵子が試合に出るとしても、たぶん後半戦だろう。H中学の校庭に着くと、女子の試合はもう始まっていた。応援に来たのは英樹ら2人だけだが、練習試合だからそんなものだろう。控えの選手が盛んに声援を送るが、その中には恵子の姿もあった。
途中から、準レギュラーになったばかりの鳥井信子が出場、この時ばかりは英樹も声援を送った。前半戦(第1、2クオーター)が終了するとバスケット部担当教員の前原某がいろいろアドバイスをしている。彼は国体にも出場しているバスケの“プロ”だ。前原某が部の担当になってM中学は強くなったと評判になっていた。
試合はM中学がリードして後半戦(第3、4クオーター)に入った。次第にH中学が挽回してきたので試合は面白くなったが、恵子の出番はなかなかないようだ。
「宮寺さんは出ないのかな・・・」 島本が呟くが、返事のしようがない。それよりも英樹は大接戦の勝負になってきたので、自然に母校のM中学を応援するようになった。「M中、がんばれ!」と声援を送る。
1ゴールを争う大接戦になったが、残り10分を切ったところで恵子が試合に出場してきた。これには少し意外だったが、レギュラーの選手が疲れたか何らかのアクシデントでもあったのか・・・
バスケやプレーのことはよく分からないが、恵子の登場に喜んだのは島本である。「ヒデちゃん、彼女が出てきたぞ!」と言って、盛んに声援を送る。 英樹はむしろ恥ずかしくなって、島本の背後に隠れるようにしていた。1点を争う好ゲームだけに、ハラハラドキドキの連続である。まして恵子が出ているのだ!
結局、試合は2点差でM中学が勝った。恵子も1ゴールを決めたが、英樹は夢中で見ていたので試合のことはよく覚えていない。わずか7~8分の短いプレーだったが、ブルマー姿の恵子の残像が脳裏に焼き付いたのである。

 英樹と島本がバスケの試合の応援に来たことは、M中学バスケット部員の間ですぐに評判になった。他に誰も応援に来なかったので余計に目立ったのだろう。英樹が宮寺恵子に関心があることは、ほとんどのバスケ部員が知ったのである。だが、そんなことはいくらでもあるので、大したことではなかった。 それから1週間ほど経っただろうか、あるアクシデントが決定的な評判になったのである。
その日、英樹は生徒会の仕事で放課後も学校に残っていたが、ある女子生徒が生徒会室に立ち寄った時に「バスケ部の宮寺さん、脚を捻挫したみたいね」と告げた。宮寺恵子は生徒会にも関係していたので、顔見知りの生徒もいるのだ。
英樹はそれを聞いて急に心配になってきた。バスケ部などが参加する春の(市内)大会はもうすぐ開かれる。恵子は大丈夫か・・・心配しだすと気が気でない。頃合を見はからって、英樹は保健室に行ってみた。怪我をした生徒らは必ず保健室に来るからだ。すると、バスケ部担当教員の前原某がいた。
「先生、宮寺さんは大丈夫ですか。脚を捻挫したと聞きましたが」
「おっ、早いな、右脚を捻挫したよ。暫く安静にしないとな。さっき帰ったばかりだから、まだ学校の近くにいるだろう。大西たちが一緒だよ」
それを聞いて、英樹は保健室を退室した。大西とはバスケ部の恵子の同期生である。きっとバスケ部の同僚たちが、彼女に付き添っているのだろう。英樹は急に恵子に会いたくなった。でも、彼女とはまだそんなに親しくないし・・・ と考えていたが、彼は知らず知らずのうちに学校の校門を出ていた。
英樹はだんだん早足になって、恵子の後を追う形になった。5分以上走っただろうか。向こうに恵子らの一団の後ろ姿が見える。案の定、大西節子らバスケ部の同僚が彼女に付き添って下校途中だ。恵子は大西らに抱き抱えられ、右脚を引きずるように歩いている。かなりの捻挫だろうか・・・ 英樹は少しためらったが、やがて一団の前に回り込むと息急(せ)き切った声で叫んだ。
「宮寺さん、大丈夫ですか!」 すると、恵子の紅い頬っぺがさらに朱色に染まった。

 英樹は大声で叫ぶと急に恥ずかしくなった。みんなが聞いているのだ。その場に居たたまれなくなって、彼は小走りに逃げるように去っていった。しかし、恵子に声をかけたのだから最低限の満足を得ただろう。その場にいた生徒たちは、英樹の恵子に対する気持を知ったに違いない。
幸い、恵子の捻挫は大したことはなかった。1週間ぐらいすると、彼女はバスケット部の練習に戻ってきたのである。ただ、英樹に大きな声をかけられたことが部内で話題になり、それで恵子はますます彼を意識するようになった。
やがて夏の季節を迎えると、英樹は級友の鳥井信子から声をかけられた。「夏休みになったら、恵子ちゃんを星野君に紹介してもいいな~」と言うのだ。信子は恵子の母親の宮寺和江とも顔見知りだという。もちろん、バスケット部の先輩として面倒を見ているからだ。彼女の好意を無にすることはない。
「それは有難いな。鳥井さんにお願いするよ」 英樹は素直に応じた。信子は満更でもないという顔付きをすると、夏休みに宮寺恵子を彼に紹介することを約束した。
ところで、英樹ら中学3年生は、そろそろ高校受験のことを真剣に考えなくてはならない。いくら“のんびり”した時代でも、受験生には変わりないのだ。この当時は中学を卒業してすぐに就職する子もかなりいたが、進学する生徒も増えてきた。夏休みには、何人かが「グループ」をつくって家庭訪問勉強をする。まだ進学塾がほとんどない時代だったので、生徒同士の訪問勉強を重視していた。
英樹は島本昌弘ら数人の3年生と組んで、夏休みに訪問勉強をすることになった。それは良いのだが、テレビがある家で勉強するとなると大変である。英樹の家もテレビを入れたばかりだから(もちろん、白黒テレビだが)、30分程度はテレビを視聴する時間を設けてやらなければならない。各家庭の主婦らは、けっこう気を使って訪問勉強に対応したのである。

 話が少し飛んだが、英樹は島本にも恵子とのデートのことを話し理解を求めた。島本はああ見えてけっこう冷静な“批評家”である。中学生だというのに大人びているのだ。英樹がことさら目立つように行動するのを、皮肉たっぷりに批判するところがあった。また、鳥井信子も級友の馴染みということで英樹に協力的だが、本心は分からない。女の立場から、だんだん微妙になっていくのではないか。
ともあれ夏休みに入って間もなく、英樹は信子に連れられ宮寺家を訪問することになった。初めて恵子と母親の和江に面談できるとあって、彼は緊張していた。しかし、和江がいたってざっくばらんな人柄だったので、英樹はすぐに恵子母子に馴染むことができたのである。和江は大柄でたくましい体を揺するようにして、こう述べた。
「星野さん、あなたのことは鳥井さんからも伺っています。これから恵子のことを宜しく頼みますよ。まだ中学2年の子供ですから」
すると、鳥井信子が和江や恵子を励ますように明るい声をあげた。
「お母さん、大丈夫ですよ。星野君は生徒会長だし、クラスの人からも信頼されています。きっと恵子さんの良い友達になると思いますよ」

それから、4人は家にあがり雑談に興じたが、英樹はすっかり恵子母子に打ち解けて接することができた。特に張り切っていたのが和江で、英樹や信子に茶菓子を勧めては愛敬をふりまいていた。
「恵子は一人っ子でしょう。どうしても自己中心でわがままになりますね。その点、鳥井さんや星野さんがびしびしと言ってくれれば、恵子のためにもなると思いますよ」
「お母さん、そんなことはありませんよ。恵子さんはバスケット部のためにも率先していろいろやってくれるし、少しもわがままなんかではありません。みんなが恵子さんのことを褒めています」
信子が恵子のことを持ち上げたので、和江はますます上機嫌になった。結局、4人の出会いといっても口を出すのは和江と信子ばかりで、英樹と恵子はほとんど黙っていた。最後に2人は顔を見合わせうなずく程度だったが、信子と和江が“仲立ち”みたいなものだから、初対面はそんなものだったろう。

 英樹の母・久子はPTAの会合で和江と顔見知りになった。2人は息子と娘が付き合い出したことで、互いに仲の良い“保護者”になったのである。久子はPTAでの和江の模様などを英樹に語った。それによって、彼はますます和江への親近感を深めたのである。
英樹と恵子の交際も順調に始まった。交際と言っても、彼が彼女の家に遊びに行くだけである。夏休みに入っていたので3~4日に1回ぐらい遊びに行ったが、半分ぐらいは英樹と恵子が2人きりになった。あとの半分は、和江が同席したのである。
中学生の2人が付き合うのだから、たわいのないものだ。大抵は学校や部活、級友などの話で終わってしまうが、高校進学の話も出た。しかし、これは3年生の英樹には関心のあることだが、2年生の恵子にはまだ関係がないので多くは語られなかった。恵子があまり話に乗ってこないからだ。
一番夢中になったのが映画の話題である。2人とも映画が大好きだ。と言うよりも、その頃はテレビも始まったばかりでロクなものはないし、若い人が共通して夢中になれるのは映画しかなかった。特に洋画である。

 数年前の『ローマの休日』は、オードリー・ヘプバーンと共に依然として語り種(ぐさ)になっていたし、その年にモナコ大公と結婚したグレース・ケリーは日本でも大変な人気になった。悲劇では、前年に24歳で亡くなったジェームズ・ディーンがなおも話題を集めていた。「ジェームズ・ディーンは死んでいない」という噂が、まことしやかに囁かれたのである。
そうかと思うと、数年前の『禁じられた遊び』や『道(ジェルソミーナ)』などヨーロッパの名作が数多く上映され、アメリカのディズニー作品も人気を集めて、まさに映画全盛の時代を迎えたのである。
英樹も恵子も楽しみは映画がだった。ジェームズ・ディーンやグレース・ケリーについてどれほど語っただろううか。もちろん、ゲイリー・クーパーやマリリン・モンローについても語った。映画について知っていることは全部話したつもりである。それほど、映画には夢と憧れがあったのだ。
スポーツの話もよくした。恵子がバスケットをやっているし英樹もテニス部のキャプテンをしているので話が合う。それに、和江がママさんバレーに熱中しだしたと聞いて、英樹は可笑しくなった。

 和江は英樹のためにいろいろ気を使ってくれた。それに、率直で飾らない人柄が良い。例えばお茶を注ぐ時に「急須は2杯目が一番味が良いのよ」とか言って、英樹には必ずそうしてくれた。また、恵子一人しか産まなかったことについても、「初産の時に子宮がひっくり返ってもう産めないの」とざっくばらんに話してくれた。お産って大変なんだなと、何も知らない英樹は思うのだった。だから、和江が同席していても少しも違和感はなかったのである。
市内の体育大会が夏休み期間中に行なわれ、英樹も恵子もテニスとバスケットに出場した。英樹は準々決勝まで進んだが、優勝したK中学の生徒に敗れたのである。しかし、初めて恵子の個人的な“応援”を受けて彼は嬉しかった。その頃には、2人の仲は皆におおっぴらになっていたのだ。
恵子のバスケット部の方も準決勝まで進んだが、そこで敗れた。もちろん英樹は応援に駆けつけたが、和江ら父兄も応援に来ていた。真夏の炎天下のもと、彼は和江と共に声援を送り親密感をますます深めたのである。
一方、生徒同士の訪問グループ勉強も続いていたが、やはり夏休みというのは気持が緩みがちだ。その頃はどの家にも「冷房」装置がなく、もっぱら団扇(うちわ)や扇風機が頼りだったから、真夏の昼下がりに勉強などする気になれない。昼寝をするかプールに泳ぎにでも行くしかないだろう。後年、英樹にはグループ勉強をした思い出はあるが、一人で積極的に勉強した記憶はないのだ。
ともあれ、恵子の家には3~4日に1回ぐらいは遊びに行ったが、暑くて“おしゃべり”をするのがせいぜいだった。あるいは、伸び盛り・育ち盛りの頃だったので、今で言うフィットネスなどの運動をしたりした。2本のビール瓶に水をいっぱい入れ両腕を開閉させるなど、原始的なフィットネスに熱中したのである。
恵子はむっちりした体付きだったので、英樹はあれこれ理屈をつけては彼女を“腕相撲”に誘った。女の子と腕相撲をするのはちょっぴり色っぽかったが、恵子は本気で向かってきたのである。英樹は左利きだったが、左も右も問題なく彼女に勝った。するとそれを見ていた和江が、英樹に挑戦してきた。

 和江は40歳ぐらいだが、前にも言ったように大柄でがっちりした体付きをしていた。両腕も太くたくましく、いかにも力がありそうである。英樹は利き腕の左なら勝つ自信があったが、右腕は勝てそうにない。
「本気で力を出しますか? 本気でないと面白くないんだけど」 英樹が釘をさすと、和江は本気だと言う。それならやろうかということで、英樹と和江の腕相撲が始まった。初めに左腕をやったが、これは利き腕なので英樹が順当に勝った。次は右腕の番である。これはどう見ても苦戦するか、英樹が負けそうである。 ところが、勝負をしてみると和江の方が案外もろく、そんなに長い時間をかけず負けてしまった。
「本気を出していないでしょう。それじゃ、駄目ですよ」 英樹が抗議するように言った。
「本気を出していたわ。私の方が負けよ」 和江はさばさばとした表情で答え、それ以上は余計だと言わんばかりに黙ってしまった。仕方なく英樹は口をつぐんだが、彼は納得がいかなかった。自分より倍もたくましい腕をしているのに、和江が英樹に簡単に負けるわけがない。彼女はきっと手を抜いて、勝ちを自分に譲ったのだ。英樹はそう思わざるを得なかったが、これ以上詮索しても埒(らち)が明きそうもないから止めた。
フィットネスで艶っぽいのは他にもあった。英樹は脚の鍛錬もよくやっていたので、時おり“太股”を見せては恵子に自慢していた。ある時、大腿筋の隆起を具体的に説明していると、恵子が突然スカートをめくって自分の大腿部を見せたのである。英樹があまりに熱心に大腿筋の説明をするから、恵子はそれに釣られてごく自然に太股を見せたのだろう。
ところが、英樹はそのぴちぴちとした艶のある太股に驚いた。真夏の陽光に照らされすっかり日焼けした恵子の肉体は、赤銅色に輝いているのだ。恵子の太股は英樹のそれよりずっと太くたくましかった。彼はギョッとして彼女の肢体に見とれていると、今度は和江が恵子に負けじとスカートをめくったのだ。

和江の大腿部の太さは恵子のそれの倍近くあったので、英樹は仰天して眺めていた。 「なによ、ブヨブヨじゃないの」 恵子がすぐに皮肉ったが、和江は何食わぬ顔をして太股を見せていた。英樹は自分の脚を見せるのが恥ずかしくなり、いつの間にかズボンを元通りに下ろしたのである。

夏休みはあっという間に過ぎた。英樹にとって恵子との交際やグループ勉強などは、だいたい上手くいったようだ。島本昌弘や鳥井信子も充実した夏休みを送ったようである。
2学期が始まると、英樹の学校生活は一段と忙しくなった。生徒会の仕事はもちろんだが、他にテニスや演劇、放送などのクラブ活動があった。さらに運動会の準備も始めなければならない。学業の方は当然あるが、恵子との交際も続けたい。公私ともに、こんなに忙しい生徒は他にいなかっただろう(笑)。
ただし、救いがあった。運動会が終わると、3年生は生徒会の仕事やクラブ活動を卒業し、学業に専念しなければならないのだ。生徒会などは2年生以下がやる。3年生は高校入試に備え受験勉強に全力を挙げるのだ。
しかし、英樹のような活動的な生徒にとっては、生徒会やクラブ活動から離れるのは何となく寂しい。それに受験勉強といっても、年がら年中“ガリ勉”をするわけではない。この当時は「進学塾」などというものはなかったから、受験勉強と言ってもずいぶん“大らか”だったのである。ごく一部に、家庭教師がいたくらいだ。
だから運動会が終わると、英樹はずいぶん暇になった。もう生徒会もクラブ活動も関係ないのだ。このため、恵子と一緒にいる時間がかえって増えたのである。

 それはともかく、この頃になると鳥井信子や島本昌弘の英樹に対する好意も揺らいできたようである。ある時、信子が悪戯っぽい笑みを浮かべて英樹に語りかけてきた。
「三室の方に行くと、宮寺英樹という農家の表札があるんですって!」
「宮寺英樹? な~んだ、そういうことか」
英樹はどうってことはないという表情を見せたが、恵子の姓「宮寺」に彼の名前がくっ付いた表札に、校友たちが面白がってからかっているのを想像した。信子は英樹を冷やかしたのだろうが、恵子と彼の交際が順調に進んでいることに、軽いジェラシーを覚えたのだろうか。 そう言えば、島本に対し「恵子ちゃんがなにか可哀そうな感じがする」と伝えたというが(島本から聞いた話)、最近、信子は2人の交際に批判的なのである。
また、島本も英樹に冷ややかになってきた感じがする。英樹が恵子に夢中になり過ぎて、島本らは眼中にないといった態度を見せるからだろうか。事実、彼は彼女との交際に夢中で、他の交友関係は適当にこなしていたのだ。しかし、それは仕方がないだろう。恵子との付き合いの方が面白くて刺激的だったのだから。
この頃が、2人の交際が最も順調にいっていた時である。生徒会やクラブ活動から解放されて、英樹は自由な時間が増えた。もちろん、受験勉強は本格的になったが、生徒会活動などがなくなって逆に彼は楽になったのである。その点が他の3年生、鳥井や島本らと決定的に違ったのだ。
また、英樹には変な余裕があった。それは200人ぐらいの3年生のうち、成績が10番程度に入っていれば問題はないというもので、決してトップは目指さなかった。ある日、校内テストで3番になった時、もうこれ以上は上位を目指さないと誓ったものだ。だから、ガリ勉になることは決してない。ただ、生徒会長として恥ずかしくない順位、つまり10番以内に入っていれば納得だったのである。
すっかり余裕ができた英樹は、足しげく恵子の所に通った。すると彼女は、新しく生徒会長になった後輩のT君について語ったが、彼が「廃品回収」プロジェクトの音頭を取ったことを高く評価した。英樹も同様にT君の仕事を大いに評価したのである。当時は生徒会と言っても“飾り物”ではなく、学校や生徒、地域のために本気で働いたのだ。

 恵子も生徒会の会計係に就任したと聞いて、英樹は自分が生徒会長になった時のことを思い出した。1年前、全校生徒約600人の投票で選ばれた時、彼は信任票が五百数十票と圧倒的な支持を受けた。だから、張り切って生徒会の仕事を続けたのだが、やや自信過剰になって反発を受けたこともある。あれやこれやの思い出が脳裏に去来したが、今は生徒会を離れ、受験勉強に集中しなければならない。しかし、恵子の話などを聞いていると、充実していた生徒会活動の頃が偲ばれ、英樹はやや寂しさを感じるのであった。
やがて冬休み、そして1957年(昭和32年)の新年を迎えた。入学試験が近づくと、さすがに英樹も恵子との交際ばかりに夢中ではいられない。有名私立高校の入試では「古文」が出てくるとあって、放課後には古文の“特別授業”が行なわれた。寒さが急速に厳しくなってきたので、家では火鉢に練炭などをいけ衝立障子を張り巡らして暖をとった。その頃は、しっかりした暖房装置があるのは、余程の金持の家しかなかったのである。

英樹には2人の兄がいたが、2人ともW大学付属高校の出身だった。ただし、長兄の佳彦(よしひこ)は高校1年の時に肋膜炎に倒れ退学になったが、その佳彦が入試について口うるさく言ってきた。英樹は兄のお節介を適当にかわしていたが、嫌でも高校受験が目前に迫ってきたのである。
そして、入学試験・・・英樹は地元の県立U高校とW大学付属高校には受かったが、K大学付属高校には落ちた。結局、2人の兄が在籍したW大学付属高校に進学することになり、和江・恵子親子にも喜んでもらったのである。 また、級友の鳥井信子は県立U第一女子高校に、同級の島本昌弘は英樹と同じ高校に進むことになった。島本が英樹に影響を受けて同じ道を選んだらしい。
真冬の寒い時期だったが、ある日、英樹は恵子に自宅へ遊びに来てもらった。彼女が彼の家へ遊びに来るのは初めてだが、高校入試も終わり英樹は最も気が休める時期だった。ところが、恵子の様子がどうも落ち着きがなく変だ。初めての訪問だけに緊張しているのだろうか。 
口数も少なくいつもの彼女らしくない。結局、英樹がほとんど話を独占する形になったが、恵子の緊張した様子は最後まで変わらなかった。この時初めて、英樹は不吉な予感を覚えたのである。

 高校入試が終わりやがて卒業式、約200人の同級生がM中学を去った。英樹らはばらばらに分かれたが、特に東京など県外の高校に進んだ卒業生は行く先がよく分からない。おのずと連絡が取れず、消息不明になる者も多かった。それより、ほとんどの卒業生は新しい環境に慣れようと、自分のことで手一杯だったのだろう。
英樹もW大学付属高校に入って、いろいろのことで面食らった。ます通学が大変である。これまでは歩いて15分ぐらいの所に学校があったが、今度は赤羽、池袋、高田馬場と3つの駅で乗り換え、国鉄(JRのこと)や私鉄を利用し、自転車や徒歩をまじえて通学しなければならない。学校に着くのに2時間近くもかかるのだ。このため、朝7時前には家を出なければならない。通学で大変な生徒は、昔も今も変わりがないのだ。それに当時は、国鉄が殺人的なラッシュだった。通過駅の高田馬場では人込みで降りられず、何度も乗り越すほどだった。
一方、学校では始めのうち友達が全然見つからない。みんな初対面である。東京都内から通っていれば、自宅の方向が近いとすぐに仲良くなれるものだが、英樹のように“ダサイ”埼玉県から通っている生徒は、非常に少ないのだ。それに通学時間がかかるから、級友とゆっくり話す時間も取りにくいし、クラブ活動を何にするか悩んだり迷ったりした。結局、英樹は自分の性分に合うのは演劇部しかないと思い、そのための入部手続きを取った。
ところが、W大学付属高校は男子校なので女生徒が全然いない。ちょうど先輩たちが発表演目を練習していたが、それがユージン・オニール原作の「交戦海域」といって、役柄が貨物船の水夫たちと“男ばかり”なのだ。
英樹は嫌になった。演劇部員が男だけだと、出し物も当然制限されてくる。歌舞伎をやろうというのではないのだ(笑)。そこで某先輩に聞いた。
「女の役がある場合は、どうするのですか?」
「そういう場合は、都立A高校の演劇部の女の子を借りてくるんだ」
しかし、それもA高校の都合があるので、いつも合同発表とはいかない。A高校の都合が悪くて合同発表ができなければ、発表会への出場を辞退するか、男役だけの演目に絞るしかないのだ。 ずいぶん、不自由な演劇部に入ったものだな~と、英樹は苦笑したのである。

 英樹は休日にはできるだけ恵子の家を訪れていた。それは中学時代の延長である。そして、演劇部のことや高校の様子などを恵子に話したが、和江もだいたい同席していた。ただ、2人の反応が鈍いというか、どうも白々しいのである。あまり興味が湧かないという感じだった。
そういう状態が2ヶ月ほど続いただろうか。まだ夏休みまで間があったが、ある日、県立U第一女子高校に進学した鳥井信子が英樹を訪れてきた。2人は高校のことなどたわいない話をしていたが、途中で信子が急に改まった口調で話を引き取った。
「星野さん、実は恵子ちゃんがあなたとの交際を、暫く止めて欲しいと言うの。私は頼まれたから話すわ」
信子の説明が始まったが、それによると恵子は中学3年になって高校受験のことを真面目に考えなければならず、英樹との交際がだんだん“重荷”になってきたという趣旨であった。そのためには暫く交際を中断し、また適切な時期が来たら交際の再開を考えようというものである。適切な時期とは、恵子が実際に高校に進学する来年春以降である。
英樹は信子の説明を聞いていて、どうも合点(がてん)が行かなかった。まず高校受験が大切なことは分かるが、恵子が英樹との交際を“中断”したいのなら、なぜ恵子なり和江が面と向かって英樹に言わないのだろうか。その方が正直であり、本人が言うのだから納得できる。また、適切な時期に交際を再開するというのは、本当に英樹に好意を待っているのかどうか疑わしい。再開しないかもしれない。
それに英樹だって、最低限の常識はある。高校受験の女の子を長々と拘束するようなことはしないし、むしろアドバイスしたり励ましたりと、前向きな交際を考えているのだ。その自分と交際しないというのは、はっきり言って自分が嫌いになったのか、もう邪魔になったと思わざるを得ない。英樹は返答に窮し、信子に即答することができなかった。
「ちょっと考えさせてよ。いま返事をするのは難しいんだ」
英樹はそれだけ言うのが精一杯だったが、信子も了承してくれた。2人はこの後別れたが、信子への返事をどうするか彼が考えているうちに、決定的なことが起きたのである。

 それは和江から久子にかかってきた電話だった。和江からも英樹と恵子の交際を中断して欲しいとの要望があり、久子は了解したと返事をした。彼女はさっそく英樹に対し、和江の要望を伝えた。おまけに久子から事情を聞いた兄の佳彦までが、恵子との交際を断つよう強い調子で弟に迫ってきた。ここまで来れば万事休すである。英樹は恵子との交際を断念した。“四面楚歌”とはまさにこのことだ。
英樹は交際が断たれたことは仕方がないとしても、なぜ恵子や和江がじかに言ってくれなかったのかと不満であった。自分が邪魔で嫌いになったとしても、正直に包み隠さず言って欲しかった。その方がかえって納得するのであって、人を介し遠回しに要望を伝えるなど、これまでの率直な交際を否定するように思えた。恵子や和江にしてみれば、できるだけ英樹の感情を刺激したくないという思いがあったのだろうが、彼にはかえって“不明朗”なことと映ったのである。
英樹は信子に交際を断つことを伝え、また数日後には、下校時に島本昌弘にも伝えた。2人とも当然だと言わんばかりの顔付きをしていたが、英樹はやはり不満であった。彼は悶々とした気持になり、やり場のない怒り、悲しみに苛まれたのである。 
そして、とうとう大切に保管していた『若草物語』の日記を破り火中にくべた。この日記は恵子との交際のことを記したものであり、薄いノート7冊分あったが全て灰に帰したのである。『若草物語』は英樹が言い触らすものだから、恵子も知っていたが良い顔をしなかった。彼女にしてみれば、交際の全てを“監視”されているように思ったのではないか。
『若草物語』を全て燃やしたことで、英樹は何もかも終わりだと思った。ある意味で、気持が吹っ切れたようだ。適切な時期に恵子との交際を再開するといっても、そんなものはどうなるか分からない。「来年の事を言えば鬼が笑う」と言うが、英樹はもう来年のこと、将来のことなど考えまいと思ったのである。
しかし、気持が吹っ切れたと同時に、英樹はこの上なく寂しい自分が独りきりでいるのを痛切に感じた。

 恵子と別れた英樹は黙々と高校1年の学校生活を送った。ようやく数人の友だちができ学校にも慣れてきたが、通学に時間がかかるなど不便なことが多く、時々、高校の選択を誤ったのではないかと思ったりした。地元の県立U高校に通えば、こんな不便はしなかったのである。しかし、自分が選んだ道だから我慢しなければならない。
唯一の救いと言えば、この付属高校はW大学と直結しているので、大学入試で苦労することはない。落第をせず適当に勉強していれば、おおむね希望する学部に順調に進学できるのだ。そう考えている生徒が大半だった。だから、のんびりしているというか、小市民的な雰囲気に包まれた学校だったのである。
やがて夏休みになった。英樹は恵子の様子を鳥井信子から聞いていたが、もうほとんど関心を示さなかった。それより、忘れたいという気持の方が強かっただろうか。恵子との交際は中学時代の一エピソードに過ぎず、高校生の俺には関係ない。もう過ぎ去ったことなのだ。英樹はつとめてそう思おうとしたが、時には恵子の面影が脳裏に浮かぶこともある。それは仕方がない・・・
恵子は高校進学の勉強をしっかりやっているだろうか。自分と交際を断ったから、“邪魔者”がいなくなって良かったね。母親の和江も安心して娘を見守っているだろう・・・
そうだ! 自分は旅行をしよう。親戚がいる香川県の坂出に行こう。英樹は親戚の従兄弟たちや叔父叔母に強引に頼み込み、急いで旅行に出かけたのである。(終り)

 後日談・・・それから5~6年たっただろうか、大学生の英樹は初めて「立会演説会」というものに出た。当時は国政選挙のたびに、立会演説会が行なわれていたのだ。初めて投票するとあって、英樹はよく分からないものの各候補者の演説を聞いていたが、その時、後ろの席から「星野さん」と呼びかける者がいた。振り向くと、それは宮寺和江だった。相変わらずふくよかに太っている。
隣に恵子もいたが、英樹に満面に笑みをたたえて会釈した。彼女は県立U第一女子高校を出て、たしか大手のM銀行に就職していた。「恵子です。芳紀まさに20歳!」と和江は笑いながら言ったが、英樹には何の感慨もなかった。彼はその頃、別の女子大生と苦しみ悩みながら交際していたのである。 立会演説会が終わると、英樹は機械的にそっけなく和江親子に挨拶し、会場の小学校の体育館を後にした。(完)


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 純子17歳  | トップ | 『モナ・リザ』 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なかなかの大作ですね! (琵琶玲玖)
2013-08-03 15:58:13
ご無沙汰しています。
じっくり読ませていただきます。
返信する
お元気ですか? (矢嶋武弘)
2013-08-04 08:34:29
琵琶さん、ご無沙汰しています。お元気ですか?
昔の思い出を小説風にしました。よろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

文学・小説・戯曲・エッセイなど」カテゴリの最新記事