〈2016年7月に書いた以下の記事を復刻します。〉
バングラデシュの首都・ダッカで日本人7人が殺される残虐なテロ事件が発生したが、今は外国へ行けばいつ何が起きるか見当もつかない。犠牲になった方々には哀悼の意を捧げたいが、ダッカと聞いて昔のハイジャック事件を久しぶりに思い出した。(末尾に事件の概要をリンクしておく)
あれは1977年というから39年前のことだが、パリ発の日本航空機が日本赤軍にハイジャックされ、バングラデシュのダッカ空港に緊急着陸した。日本赤軍の5人は人質の身代金約16億円と、日本に勾留されている赤軍派のメンバーら9人の釈放を求めた。
その頃はよくハイジャックが起きたが、これほど国際的な大事件もめずらしい。当時の日本政府(福田赳夫内閣)は事件の処理に大わらわとなったが結局、「人命は地球よりも重い」ということで、犯人側の要求に応じることになった。事件が発生したのは9月28日だったが、たまたまその頃、私は外務省詰めの記者をしていたのでクラブにたしか4泊5日の缶詰め状態になり、徹夜の勤務になったから忘れられない。
政府の代表団が釈放に応じた赤軍派のメンバーや身代金などを持参してダッカ空港に向かったまでは良かったたが、ここでとんでもない事態が発生した。というのは、時のバングラデシュ政権に反対する軍部の一部が、なんと軍事クーデターを起こしたのである。もちろんハイジャック事件のどさくさに乗じたのだが、空港では激しい銃撃戦になった。
このため日本の代表団(石井一運輸政務次官ら)も危険な状態になったが、なんとか運良く銃撃戦に巻き込まれずに助かったのである。結局、軍事クーデターは政府軍に鎮圧され失敗に終わったが、私はこの時、国外ではいつ何が起きるかまったく分からないと痛感した。それがたまたまバングラデシュだったということだ。
人質の乗客乗員は解放されハイジャック事件はなんとか解決したが、釈放された赤軍派のメンバーの中には今も逃亡中の者がいる。この事件をきっかけに日本とバングラデシュは外交上、いやでも近い関係になったのではないか。日本政府は軍事クーデターの原因をつくったことなどに謝罪をしたが、バングラデシュは何の補償も見返りも求めなかったという。39年前の出来事だった。(2016年7月5日)