<以下の記事を再録します。>
以前、ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授の話を聞いていたら、思わず大笑いしたことがある。それは山中教授が研修医だった若い頃、手術が相当に下手だったようで、上手な医師なら10分ほどで終わるものを、なんと1時間以上もかかったというのだ。このため、先輩や同僚から「山中でなく、邪魔中(じゃまなか)だ」と皮肉られたという。これには笑ってしまったが、山中先生の話を聞いて、急に自分の若い頃を思い出した。ノーベル賞受賞者でさえそうだから、普通の人間ならなおさら失敗が多いのではないか。ここで自分の恥を書こうと思う。
私がフジテレビの報道に入り暫くして、たしか「番組部」に配属されたと思う。詳しいことは覚えていないが、ある報道番組を担当した時、ミス・失敗ばかりを重ねていた。例えば、BGMを流すというので、当時はレコードを10数枚も用意した。レコードを回すから、これを俗に“皿回し”と呼んでいた。
ある日のこと、私が皿回しを担当することになり、PDの指示でレコードを次々にかけた。ところが、それが全く上手くいかず、心地よいBGMどころか、滅茶苦茶な“狂想曲”みたいになったのである。要するに、狂った雑音が次々に出てきたのだ。この番組は生放送だったので、動転したPDが「もう、止めろ!」と怒鳴る。私もあわてて皿回しを止め、BGMは不発に終わった。
そんなミスが幾つも続いたので、ある日、そのPDは私に対し「お前は矢嶋(やじま)ではなく、失嶋(しつじま)だな。失敗の失だよ」と言う。はあ~~ 失嶋だって? 私が解せない顔をしていると、彼は「矢嶋の矢が、真ん中の棒が上に突き抜けて“失”になったんだよ」と解説する。これには参った。
それから、このPDは私と顔を合わせる度に「おい、失嶋!」と呼ぶようになった。私が失敗を重ねるので、よほど腹に据えかねたのだろう。失嶋と呼ばれてこちらも穏やかではない。できるだけ知らん顔をしていたが、やがて人事異動で彼とは別れることになった。
そういうことで“失嶋時代”は終わったが、他にも失敗談はいくらでもある。もちろん、37年半も会社にいたから、立派な仕事をしたこともある。しかし、ここは自慢話をする所ではない。山中教授の失敗談に触発されてこんな話をしてしまった。考えてみると、フジテレビにはけっこう迷惑をかけたものだ(笑)。今日は少し謙虚な気持になって、フジテレビに感謝しておこう。 スパシーバ(ありがとう)! でも、読者諸氏は私のことを「失嶋」とは決して呼ばないようにお願いしたい(爆)
自戒の念を込めてやっていきたいですね。
今思うと貴重な体験だったのですね。
失敗を重ねて成長してゆくものですから。
私にも思い出すと顔から火が出そうな
失敗たくさんあります。
いま思えば恥ずかしい限りですが、年を取るとかえって懐かしくさえ感じます。
そうは言っても失敗は良くありません。せめて余生を、失敗を少なくして過ごしたいものです。もっとも、認知症になれば別ですが(笑)。
女性は失敗を恐れる人が多いのは体裁を重んじるからでしょうね。
失敗を恐れる人は他人の失敗を許す度量もないのではと思うのです。
失敗は誰でも嫌なものですが、人生には付きものです。それをできるだけ前向きに対処できればと思います。
何もしなければ失敗は起きないのですが、そうはいきません。よく言われますが「失敗は成功のもと」と考えて進んでいきたいと思います。