<2008年9月に書いた記事を、一部修正して復刻します>
国の追悼施設というのは、日本国民だけでなく外国の人たちも快く参拝してくれるものが好ましい。諸外国ではよく無名戦士の慰霊施設というのがあって、わが国の要人も一般の日本人も快く参拝するケースが多い。
こうした点から考えると、靖国神社は国の追悼施設としては全く不適切である。なぜなら「国家神道」を奉じるこの宗教法人は、相当数の日本人にとっては良いとしても、外国の元首や要人らがお参りするには全く相応しくないからだ。これまでに、どれほどの外国人が靖国神社にお参りしただろうか。ほとんどいないだろう。
こういうことを言うのは、国の追悼施設は完全に“無宗教”であることが望ましいのだ。そうすれば、どんな宗教を持った国の人だろうが、気兼ねなしに快く参拝できるからだ。例えば、アメリカの「アーリントン国立墓地」はキリスト教を全面に打ち出しているものではない。主に軍人を埋葬しているそうだが、無名戦士や故ケネディ大統領の墓もあり、昔お参りに行ったことがあるが、まるで公園のような雰囲気で、どんな外国人も気軽に訪れることができる観光スポットという感じだ。全く宗教性がないのである。
これに対して、靖国神社は国家神道だから、参拝形式がどうの玉串料がどうのといった神道の掟(おきて)に縛られるので、外国人はとてもお参りできるものではない。しかも、靖国神社は先の大戦を「自存自衛の戦争」と位置づけているから、多くの外国人はこれに反発して参拝などしないだろう。
先の大戦が自存自衛の戦いなのかどうかは、日本人でも様ざまな見方があるので、ここでその議論をするつもりはない。そんなことを始めれば切りがなくなるので止めよう。 要は「国家神道」を全面に打ち出した靖国神社は、国の追悼施設として全く不適切だということだ。もとより、ここにお参りするのは個人の自由だから、参拝したい人は行けば良い。
さて、国の追悼施設は完全に“無宗教”であることが望ましいから、私は率直に言って、今の「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」(東京・千代田区)がそれに最も相応しいと考える。この墓苑は1959年(昭和34年)に国によって建てられ、先の大戦の戦没者35万人余りのご遺骨が納められている。 これらのご遺骨は身元不明で遺族にお渡しできないものばかりなので、いわば日本の“無名戦士の墓”と言ってよいものだ。
この戦没者墓苑を拡充するなどして、新たな国の追悼施設を造ろうという考えが以前からあるが、私はこれに大賛成である。完全に無宗教であるから、一般の日本国民も外国人も気軽に参拝できる。お参りの仕方はもちろん自由だから、参拝形式がどうの玉串料がどうのといった問題はない。 さらに言わせてもらえば、私はこの追悼施設が21世紀の日本を象徴する「平和の祈念塔」であってほしいと願うものである。戦没者墓苑は「平和公園」になっても良いし、とにかく平和国家・日本の象徴になってほしいと願うのである。そうなれば、ここが「鎮魂・不戦・平和」の祈りの場所となるだろう。
最後に一言。 日本の首相や要人、はてはわれわれ一般の日本人が外国の追悼施設に自由に参拝しているというのに、外国の元首や要人がその“答礼”のためにお参りしようとしても、それに相応しい追悼施設が日本にないというのは、外国の人たちに対し失礼ではないか! 無宗教の新しい国立追悼施設を、早急に建立すべきである。 (2008年9月24日)
これで、靖国と人権に関する包括的な問題提起ができました。3本転載、ありがとうございました。
後は、夕食後に大阪高裁判決を調べて、記事にしたいと思います。ふう、1日靖国の勉強して、疲れました。
よこ八さんからコメントがありましたね。小生の記事が少しでもお役に立てば、本望です。
最高裁の判決は「屁理屈」以外の何ものでもありません。酷いものですね。政治的な圧力があったのでしょう。人権侵害もいいところで、馬鹿馬鹿しくなります。
しかし、こんな馬鹿な判決は必ずくつがえるでしょう。人間はそれほど愚かではありません。真理と正義は我々の方にあります!
この連載は、来年、8月15日にリバイバルさせることにします。タイムリーです。
今から、大阪高裁判決を調べます。
「真理と正義は我々の方にある!」。いいですねぇ。
これからも、靖国問題は追及していきますので、お互いに頑張りましょう!
真理と正義は我々の方にあります。
矢嶋先輩にお会いできないのは寂しいですが、月曜にお目にかかりましょう!
確かに、千鳥ケ淵戦没者墓苑は、もう少し知名度が高くなってもよいように思います。
首相参拝とかも度々行われてますし。
良識ある保守派の方なので、矢嶋先輩も失礼のないよう、ご対応いただければ幸いです。
負けた論戦のURL
http://blogs.yahoo.co.jp/anti_war1021/36876932.html
「君が代」は法制化されていますので、新国歌制定で議論を高めるのが良いと思います。
追悼とか慰霊というのは、人間本来の感情でしょう。宗教とは直接 関係ないと思います。なぜなら、無宗教・無信仰の人でもそういうものを持っています。
私も無宗教ですが、いつも追悼や慰霊の思いを持っています。したがって、多くの人に気兼ねなく参拝してもらう施設があっても良いと思います。
靖国神社の「無宗教化」を自民党もかつて考えましたが、結局 駄目でした。そういう歴史があります。