<6年ほど前に書いた以下の記事を復刻します。>
最近、大阪維新の会が現代版「船中八策」の骨子を発表して話題になっているが、その中に、一院制を目指して参議院の廃止というのがあった。私はこれに大賛成である。今日は維新の会の政策面の話は止めて、参議院問題だけを取り上げたい。戦前、日本には衆議院と貴族院があったが、敗戦後、GHQ(連合軍総司令部)が日本国憲法の草案を作った時には、新しい日本は一院制が好ま . . . 本文を読む
<2021年11月4日に書いた記事を復刻します>
最近見た映画(DVD)のことを話してみたいが、かなり古いものもある。その中で印象に残った面白いものは『罪の声』『新聞記者』『スパイの妻』、そして『舟を編む』だった。『罪の声』などはすでに説明したと思うので省略、『舟を編(あ)む』は8年前の映画で、辞書作りに悪戦苦闘するさまがよく描かれている。国語辞典に取り組むメンバーの物語だが、主人公(松田龍平の . . . 本文を読む
1954年のイタリア映画で、ニーノ・ロータ作曲のテーマ音楽は、のちに日本で「ジェルソミーナ」として歌われるようになった。人間の“悲しみ”を象徴するかのようなメロディーで心に残る。ストーリーは旅芸人のザンパノという男と、少し頭のおかしいジェルソミーナという女が繰り広げる物語だが、人間の優しさと醜(みにく)さが随所に交錯して現われている。ジェルソミーナに扮したジュリエッタ・マシ . . . 本文を読む
過去の小説をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。
早稲田大学のキャンパス(2018年6月撮影)
http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0a92fcbf70cde312f68d5e282d742bc8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/564060ae124cff08c99eda503 . . . 本文を読む
彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。) プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。
しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天 . . . 本文を読む
13)死から生へ
一九六一年の元旦は、行雄にとってこの上もなく暗いうつろな幕開けとなった。 彼は家族ともろくに口もきかず、ほとんど部屋に閉じこもって物思いに沈んでいた。時の流れが、これほど長く切ないものに感じられたことはなかった。 全ての苦悩が、なんの仮借もなく彼の心を蝕んでいくようである。
唯一の喜びは、森戸敦子から“ありきたり”の年賀状が届いたことだった。 それ . . . 本文を読む
12)挫折
文学部自治会での主流派の敗退、池田内閣打倒デモの末期的な衰退と、行雄にとっては周りの学生運動が何もかも上手くいっていなかった。 アナーキズムに賛同してくれる学生も皆無と言ってよかった。 左膝の負傷はその後回復してきたが、痛みはなお残っていたので、歩く時に気になって仕方がなかった。 加えて、彼は時たましか家に帰らず、クラスメートのアパートに泊まり込んだりしていたため、家族との交流も途 . . . 本文を読む
淺沼委員長を刺殺した少年が十七歳だと分かると、行雄はますます敗北感に似たものを感じた。 十九歳の自分は行動力でも情熱や度胸でも、年下の者にはよもや負けないと思っていたから、なおさらショックだった。 しかし、笹塚が言うように、テロだけでは革命運動を成就することはできないことも分かっていた。
淺沼刺殺事件の後、全学連は直ちに抗議集会とデモを行なったが、集まった学生はわずかに三百人程度だった。&l . . . 本文を読む
11)暗雲
九月。行雄は大いなる希望を持ってこの月を迎えた。 夏休みを自分の故郷などで過ごした学生達が再び大学に姿を現わし、キャンパスに活気が蘇った。 そんなある日、大川勇が警官隊の警棒で殴られ、相当な重傷を負ったという情報が耳に入った。
大川は三井三池炭鉱の労働争議を支援するため、七月末から福岡県の大牟田市に行っていたが、警官隊と衝突した際に警棒で頭皮を割られ、鼻硬骨を砕かれたというので . . . 本文を読む
10)アナーキズム
六月二三日。 日米新安保条約が、両国の批准書交換によって発効した。同じその日、岸信介首相も臨時閣議で「人心を一新し、政局を転換するため」退陣の決意を表明した。 これを機に、史上空前の規模で行なわれた安保反対闘争は、ようやく収束されていくのである。
七月に入ると初旬に、全学連の第十六回全国大会が東京で開かれたが、日共系の反主流派は大会をボイコットし、独自に全自連(全国自治 . . . 本文を読む
「四機(よんき)にやられた!」「だいぶ、ケガ人が出てるぞ!」「もう一度、スクラムを組み直せ!」学生達のわめき声が広がる。 いつの間にか、けたたましいサイレンの音とともに、救急車がひっきりなしに駆けつけてきた。 前方のデモ隊から多数の負傷者が出ていたのだ。
四機とは第四機動隊のことで、警視庁の中で最も勇猛な部隊であり、常づね学生達から“鬼の四機”と恐れられていたが、その三 . . . 本文を読む
9)国会突入
笹塚らと議論した翌日、行雄は早速、大川に会ってアナーキズムについて問題提起をしてみた。 彼は行雄の話しを一通り聞いた後で、次のように語った。「村上君、笹塚は理想論ばかりを言っているんだよ。悪いけど、プチブルのたわ言だね。 それより、僕らはマルクス主義について、まだ完全に熟知していない。
マルキシズムを十分に理解していない者が、どうしてアナーキズムを云々することができるだろうか . . . 本文を読む
そんなある日、行雄の一年先輩で、大学の国文科に籍を置く笹塚健一が「君とぜひ話しをしたい」と誘ってきた。 笹塚も全学連の運動に参加していたから、行雄は高等学院の頃から彼とは顔見知りだった。
笹塚はこれまで二、三度、話しをしたいと誘ってきたことがあるが、行雄は気乗りがせず、多忙を理由にして断ってきた。彼との話し合いが嫌だったのである。 本当の理由は、笹塚の評判がマル学同の中で芳しいものでなかったか . . . 本文を読む
8)安保闘争
一九六〇年の元旦を迎えた時、行雄は、この年が自分にとって計り知れないほど、意義深い年になるだろうと予感した。 満十八歳になっていた彼は、大いなる希望と期待感に満ちあふれていた。
日米安保条約改定については、これを粉砕できるかどうか自信はなかった。 しかし、今後盛り上がっていくであろう安保闘争を通じて、全学連をはじめ自分達の進めている運動が、必ず大きく広がっていくという自信はあ . . . 本文を読む
7)全学連
十一月に入ると、行雄の決意と行動はますます明確なものになっていった。 その月の中旬には、高等学院三年生の修学旅行が予定されていたが、彼はこれをまったく意味のないものと考え、旅行を拒否することにした。
大川にも自分の考えを明かすと、彼も行雄に同調して修学旅行をボイコットすることになった。二人で旅行ボイコットの文書を作成すると、行雄がそれを持って担任の船山教師に提出した。 船山教師 . . . 本文を読む